自宅介護を始めるに当たり、有難かったのは家族の支えです。
子供たちにとって最悪の事態は、両親共倒れですから、
私が疲れ切らないように、色々手伝ってくれました。
子どもは3人とも独立しているし、車で20分とか1時間など
其々の勤めの状況も違います。が、全員が出来る範囲で
其々の持ち味を生かして、気持ちよく動いてくれたのが
素晴らしく、親として誇らしい気持ちになりました。
「子育ての成果」などというものは、「自分が死ぬときにしか
分からないもの」というのが常識です。正にその通り!
夫は元気なうちから、自分の夢や子供たちへの想いを
ことあるごとに喋っていました。そして看取りの時期がくると、
其々の子どもに伝えたいことを、時間をかけて喋り、
子供たちもそれをしっかりと受け止め、実践してくれました。
それは彼らが
「父親を尊敬し、その生き方を認めていたから」でしょう。
このことは、いくら「快適な自宅での看取り」を願っていても
一朝一夕にできることではないので、普段の心構えの大切さを
思い知らせてもらい、良い通信簿を貰ったような感じでした。
子供たちにとって最悪の事態は、両親共倒れですから、
私が疲れ切らないように、色々手伝ってくれました。
子どもは3人とも独立しているし、車で20分とか1時間など
其々の勤めの状況も違います。が、全員が出来る範囲で
其々の持ち味を生かして、気持ちよく動いてくれたのが
素晴らしく、親として誇らしい気持ちになりました。
「子育ての成果」などというものは、「自分が死ぬときにしか
分からないもの」というのが常識です。正にその通り!
夫は元気なうちから、自分の夢や子供たちへの想いを
ことあるごとに喋っていました。そして看取りの時期がくると、
其々の子どもに伝えたいことを、時間をかけて喋り、
子供たちもそれをしっかりと受け止め、実践してくれました。
それは彼らが
「父親を尊敬し、その生き方を認めていたから」でしょう。
このことは、いくら「快適な自宅での看取り」を願っていても
一朝一夕にできることではないので、普段の心構えの大切さを
思い知らせてもらい、良い通信簿を貰ったような感じでした。