自力整体でいきいき歩き: 狛 雅子

膝通を克服して健康登山! 団塊世代に贈るLOHAS情報です。

家族の支えと協力

2023-10-07 07:10:07 | 介護
自宅介護を始めるに当たり、有難かったのは家族の支えです。
子供たちにとって最悪の事態は、両親共倒れですから、
私が疲れ切らないように、色々手伝ってくれました。

子どもは3人とも独立しているし、車で20分とか1時間など
其々の勤めの状況も違います。が、全員が出来る範囲で
其々の持ち味を生かして、気持ちよく動いてくれたのが
素晴らしく、親として誇らしい気持ちになりました。

「子育ての成果」などというものは、「自分が死ぬときにしか
分からないもの」というのが常識です。正にその通り!

夫は元気なうちから、自分の夢や子供たちへの想いを
ことあるごとに喋っていました。そして看取りの時期がくると、
其々の子どもに伝えたいことを、時間をかけて喋り、
子供たちもそれをしっかりと受け止め、実践してくれました。

それは彼らが
「父親を尊敬し、その生き方を認めていたから」でしょう。
このことは、いくら「快適な自宅での看取り」を願っていても
一朝一夕にできることではないので、普段の心構えの大切さを
思い知らせてもらい、良い通信簿を貰ったような感じでした。



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自宅介護の実際

2023-10-06 07:23:28 | 介護
自宅での看取りに関して、かかりつけの先生は
「色々な違うことが次々と起こります。
  相当な覚悟と体力が必要ですよ。
  でも、連絡をくれれば僕が駆けつけるから
  慌てないで、一緒に協力して頑張りましょう!」
この言葉は、ずっと大きな励みになりました。

入院中、看護士さんがやってくれていたことは
高栄養点滴の管理、ただれた部分へのクリーム塗布、
シャンプー、清拭、オムツ交換、食事準備、胃液吸引など。

退院直後の1週間は、これらを全て私がやりました。
「何でも欲しいだけ食べて良い」とのことだったので、
色々試す度に、下痢を繰り返し、ミルク飲み人形のよう。

それでも自分の腹筋・背筋力で腰を上げてくれたので、
オムツ交換は割とスムーズでした。でも、下痢の始末は
要領が分からず、完璧にはできませんでした。
(後に介護士さんが「防水シートを広げてジャブジャブ洗う」
 のを見て、なるほどね、と思いました。)

次に頻繁だったのが「水を飲みたい。かき氷を食べたい。」
かき氷は「製氷機の氷をフードプロセッサーでサラサラに砕き、
スプーンで口に入れてあげます。」

ガリガリ君とか小倉アイスキャンディーが欲しいときもあり、
普段は食べる習慣がなかったコンビニのサンドイッチとか、
季節外れのスイカとか・・・・・

せっかく苦労して買ってきても、
「不味くて駄目」と言われると、かなりガッカリ。

かかりつけ医のモルヒネ投与が始まってからは便秘気味で、
オムツ交換は格段に楽になりました。

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緩和ケアの実際

2023-10-04 06:06:05 | 介護
これまでにたくさんの書物を読み、
快適な自宅での看取りとは
①余分な点滴をせず、
②本人が望むことをやれるようにサポートすると、
枯れ木のように痩せていくが、痛みは感じなくなる。

④ので、眠るように逝くことができる。

ということで、何となくそれを信じて、期待していました。
ところが、、、蓋を開けてみると、
①大腸がんと腸閉塞の同時攻撃なので、殆ど飲み食いできず。
②胃に溜まった液を抜くために、鼻から胃まで管を通して(=胃管)
  いるのが邪魔で痛くて吐き気がして、苦しい。
③がんがお腹の中で暴れているので、常にお腹も痛い。

頼みのモルヒネ効果があったのはほんの1週間でした。
すぐに飲むタイプは受け付けなくなり、
貼るタイプのモルヒネもあまり効果がなかったようです。

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主治医交代後は・・・・・

2023-10-03 05:45:14 | 介護
結局、夫は退院直後の緩和ケアは受けられず、
下痢が続き、腹痛も酷く、食事も喉を通らず、
増々痩せ細りました。

9/28に私と長男が病院に出向き、
外科主任の先生から「がん患部を取り切れませんでした。」
内科主任の先生からは、
「ここまで弱っていては、化学療法は無理そうですね。」
「後はかかりつけ医の先生にバトンタッチしましょう」とのことで
書類を受け取り、ここからがスタートでした。

翌日から殆ど毎日、かかりつけ医のY先生が往診してくださり、
介護ベッドが入り、看護士・介護士の皆さんが来てくださり、
腫れあがっていた患部への軟膏の種類が変わり、劇的に好転。

清拭やシャンプー、着替えなども私がやるよりずっと手際よく、
感心しました。何より、液体を飲むタイプのモルヒネや
お腹に貼り付けるタイプのモルヒネが少しは効果があったので、
「これを心待ちにしていたのに、なんでこんなに遅いのよ?!」と、
泣きたい思いでした。





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空白の、もったいない時間

2023-10-01 06:13:34 | 介護
大学病院は、困っている症状を取り除く治療の場所ですから、
①腸閉塞の治療として、絶飲食を続け、高カロリー輸液で
  体力回復を目指しました。

②でも、体力は落ちる一方で、向上が望めないまま
  一旦帰宅して、家で養生することに。
  (=他に手術待ちなどの患者さんがたくさん居るので)

そして、ここからが大問題で、、、、
大学病院の腫瘍内科の先生は、
「自宅療養で体力がついたら化学療法を検討しましょうね。」
「ついては、退院1週間後の9/28に予約を入れておくので、
来てください」と。

この時点では、ドクターも私も本人も
「家に帰って、美味しいモノを少しずつ食べて、
  少しずつ元気になれるだろう。」と思っていました。

でも現実は、退院翌日には自分で立ち上がれなくなり、
食事も水も殆ど受け付けず、弱る一方でした。
自分で歩けないのに、どうやって1週間後の受診に行けるの?

と、疑心暗鬼になりましたが、病院に相談すると、
「救急車を呼んで、乗せてきて貰えますよ」と。
つまり、大学病院は「あくまでも治療を行うために予約を入れ、
その検討結果が出るまでは、主治医は腫瘍内科のドクターです」
というスタンスだったのです。

私は「本人が自分で立てなくなった瞬間に」、
かかりつけ医の先生に主治医を変わっていただき、
すぐに緩和ケアに入って欲しかったのです。

ところが、包括支援センターによると、
「主治医の引継ぎがなければ、
  かかりつけ医の治療は始められない」



私は色々な書籍で緩和ケアについて学び、万全の準備をし、
上手く運べるだろうと信じていました。
でも、この障壁はクリアできず、夫は丸々1週間、
モルヒネ治療や必要な処方を受けられず、苦しみました。

大学病院の先生はマニュアル通りに動かれたのだし、
かかりつけ医の先生も、「先走っては動けないんだよね~」と。
誰も悪気はないけれど、こういうことが起こり得るということ。
切ないです。

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