こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)父がすべてを御自分の手にゆだねられた(5)

2024-03-31 | Weblog
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こうじ神父
「今週の説教」
2024/3/31(No.1290)
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復活の主日(日中)(ヨハネ20:1-9)
父がすべてを御自分の手にゆだねられた(5)
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あらためて主の復活、おめでとうございます。聖週間の典礼もこれで完了となりますが、何年、いや何十年打ち合わせを積み重ねても、打ち合わせ通りに行かなかったり、打ち合わせ以外のことが起こったりします。聖週間の典礼に慣れはない。そういうことなのでしょう。

復活の主日・日中の朗読は、徹夜祭の朗読より少ない材料でイエスの復活にたどり着く必要があります。徹夜祭では「あの方は復活なさって、ここにはおられない」(マルコ16・6)と知らせる若者が登場します。しかし日中の朗読には、復活したことを知らせる人は現れません。

さらに、徹夜祭の朗読では親切に告げるべき内容まで教えてもらっています。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」(同16・7)

しかし日中の朗読では都合の悪いことにマグダラのマリアが感じたままを告げています。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」(ヨハネ20・2)徹夜祭の朗読と比べると、圧倒的に乏しい材料です。

それなのに、ペトロと、イエスが愛しておられたもう一人の弟子は、墓へ走って行きました。乏しい材料だったから、二人は墓へ行くことになったのかもしれません。私はここにも、御父がすべてを御子に委ねられたことが生きていると感じました。

つまりこうです。マグダラのマリアが報告したのは内容の乏しい情報でした。イエスはそれを最大限活用されたのです。乏しい情報しか伝えられない人であっても、その人は御父から御子に委ねられた人であり、イエスの手にかかれば乏しい情報で二人の弟子を動かすのです。

ペトロと、もう一人の弟子も、墓に向かったときは「イエスは必ず死者の中から復活されることになっている」(同20・9)という聖書の言葉を、まだ理解していませんでした。理解していたなら、墓に行かずとも「あの方は復活なさったのだ」とその場で喜んだことでしょう。理解していなかった二人も、イエスの手にかかれば走って墓に向かう人、行動する人に変えてもらうのです。

イエスは今や、復活してすべての人の希望となりました。御父は御子イエスにすべてを委ねられました。私たちも御子イエスに委ねられた人です。イエスに委ねられているということは、イエスの手にかかれば、不十分な状態にあってもすばらしい体験を味わわせてもらえます。

今や私たちにとって、イエスが復活して栄光を受けた、この一つだけで十分です。復活したイエスは、まだ自分の信仰に自信の持てない人でも、すばらしい結果に結びつける力を帯びてともにいてくださるのです。「はっきり言う。カトリックの信仰が十字架を重くしている」そう食ってかかる人もいるかもしれません。その人にも復活したイエスはともにいて、最後まで十字架を担う力を与えてくださいます。

復活したイエスにすべてが委ねられているので、私たちはどんな状態にあっても良いものに変えてもらえます。ですから復活したイエスは、御父が人類に与えることのできる答えであり、すべてなのです。

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‥次の説教は‥‥
神のいつくしみの主日(ヨハネ20:19-31)
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ちょっとひとやすみ
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▼今年度、少なくとも前半は主任司祭・助任司祭・助祭の体制でスタートする。助祭を迎えるわけだが、いろいろ制約がある。司祭の立場からの言い前だが、ミサ・ゆるしの秘跡・病者の塗油などができない。
▼その制約を踏まえて、三つの小教区の司牧をすることになる。福江教会・井持浦教会・浜脇教会のミサ配分表を試しに作ってみたが、綱渡りのようなタイトなスケジュールになった。これをいつまでも続けることはかなり困難だと感じる。助祭様が司祭に叙階される日が、今から待たれるところだ。

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今週の1枚
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第897回目。先輩司祭の通夜会場。イエスを信じる者はイエスと共に復活する。

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† 神に感謝 †
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