こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

年間第26主日(ルカ16:19-31)あなたの暮らしは神の目に留まっていますか

2013-09-29 | Weblog
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(音声ファイルは、MP3形式です。)
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こうじ神父
「今週の説教」
13/09/29(No.671)
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年間第26主日
(ルカ16:19-31)
あなたの暮らしは神の目に留まっていますか
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先週24日(火)の司祭団ソフトボール大会、五島チームが、決勝戦3対10の劣勢を最終回の驚異的な集中力でひっくり返し、11対10で見事優勝しました。相手の長崎市内チームの張り切り神父さまは、相当悔しかったろうと思います。個人的には、連合チームに奉公に出されることもなく、7打数4安打、1ホームランでした。拍手(の予定)。

優勝できた今年は2つの幸運が重なったと思います。1つは、予選の相手が長崎市内チームでなかったことです。予選1試合、本戦1試合だけですから、予選で負けてしまえば決勝戦に回ることができません。

もう1つは試合会場です。今年の長崎市松山ソフトボール場は、外野が金網のフェンスで囲まれています。他の試合会場はいつもホームランラインを引いて試合をしています。この違いが大きかったかもしれません。

どういうことかと言いますと、ホームランラインを引いた球場だと、ゴロでホームランラインを越えていった時は、自動的に2塁打になって2塁ストップです。ところが、フェンスが設置された今回の球場の場合、ボールが転がっている間は打者走者がフリーで進むことができるのです。実際、4試合中3人がランニングホームランとなりました。ちなみにわたしは、歩いて帰ってくる文句なしのホームランでした。

さらに言うと、フェンスのある球場は大きな飛球が来た時にフェンスをかなり気にします。すると、フェンス直撃の打球はなかなか捕球できないわけです。ラインを引いているだけでしたら、ライン際でファインプレーの可能性があります。今回は金網のフェンスでしたので、それも難しい状況でした。

こうして、強打者のいるチームにかなり有利な展開になりました。しかしながら、わたしは今回の結果に浮かれることなく、48歳になる来年も厳しいレギュラー争いに挑戦です。司祭が元気であることは、小教区、また教区も元気になる源だと思っております。

お許しを頂きたいことが1つあります。優勝を祝して、大分の日田温泉に明日から1泊したいのです。月曜日に行って、火曜日の昼のフェリーで帰りますので、火曜日と水曜日は夕方5時のミサでお願いします。

さて今週は、「金持ちとラザロ」のたとえです。貧しい人ラザロは死んでアブラハムのすぐそばに連れて行かれ、金持ちは死んで葬られ、陰府でさいなまれるわけですが、わたしは今回、どんな人が、最終的に父なる神の目に留まる人なのかということについて考えてみたいと思います。

まず、地上での金持ちと貧しい人ラザロの生活について考えてみましょう。金持ちは、「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」(16・19)とあります。彼は地上で、多くの人の目に留まり、多くの人の注目を浴びていたのでしょう。一方のラザロは、誰の目にも留まらず、金持ちの門前にたたずんでさえも、だれからも見向きもされなかったのでした。「犬もやって来ては、そのできものをなめた」(16・21)とあるのは、本当にだれも、ラザロに注意を払わなかったことが強調されているわけです。

この両者は、死後に境遇が逆転します。貧しい人ラザロは、天使たち、宴席の人たち、父アブラハム、ここには書かれていませんが当然父なる神に見守られています。これは神の国に住む者すべてに見守られているということです。

ところが金持ちは、死後はだれからも気に留めてもらえなくなりました。「炎の中でもだえ苦しんでいる」(16・24)と訴えているのに、父アブラハムにはその訴えが響かないのです。「指先を水に浸し、わたしの舌を冷やさせてください」(16・24)と哀願しますが、それすら断られます。いつもたくさんの人にちやほやされ、取り囲まれていたのに、今はだれも気に留めてくれないのです。どんなに苦しんでいても、手を差し伸べてはもらえないのです。

アブラハムは言います。「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ。」(16・25)貧しい人ラザロは生前だれからも気に留めてもらえなかったけれども、天の国の宴席にいる人々は皆、苦しんでいるラザロに注目していたのです。注目していたから、すぐに父アブラハムのもとに連れて行かれました。金持ちは、これほど天の国の宴席にいる人々が注目していたラザロに気付かなかったわけです。

なぜ気付かなかったのか。この問題はわたしたちにも深く関わってきます。旧約聖書の出エジプト記には、貧しい人に対する配慮を語った箇所があります。一般にユダヤ人は聖書を熱心に読んでいましたから、該当する箇所を十分承知していたはずです。次のように書かれています。

「もし、隣人の上着を質にとる場合には、日没までに返さねばならない。なぜなら、それは彼の唯一の衣服、肌を覆う着物だからである。彼は何にくるまって寝ることができるだろうか。もし、彼がわたしに向かって叫ぶならば、わたしは聞く。わたしは憐れみ深いからである。」(出22・25-26)

金持ちがもし、自分がすでに何度も聞かされていた箇所を他人事と考えずに真剣に受け止めていたなら、父アブラハムはこの金持ちにも目を留めたことでしょう。金持ちが神の国の宴席にいる人々の目に留まり、将来招かれる可能性はいくらでもあったわけです。

わたしたちはどうでしょう。今の暮らしは、神の国の住人の目に留まる暮らしぶりでしょうか。地上で誰の目にも留まらない平凡な暮らしであっても、神の国のすべての人の関心の的になっている人も必ずいるはずです。

父なる神が目を留めてくださる生き方を目指しましょう。その姿が仮に誰の目に留まらなくても、神をよりどころとしている人を神は決して見落とすことはありません。今週のたとえは「誰の目に留まることを第一に考えて生きますか」とわたしたちに問いかけています。

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‥次の説教は‥‥
年間第27主日
(ルカ17:5-10)
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ちょっとひとやすみ
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▼7打数4安打。トータルでは5割7分1厘ということになる。予選は4打数3安打だったので7割5分。決勝戦では3打数1安打なので3割3分3厘。総合的には奉公に出されずにレギュラーメンバーに残る6割までは到達できなかったが、予選の3安打が効いていたのか、決勝戦でもレギュラーメンバーで使ってもらうことになった。
▼アウトになる選手はたいてい決まっている。そういう気がした。わたしは7番打者で使ってもらったが、最初の打席は2アウトで回ってきて、簡単なファーストゴロに終わった。2アウトで回ってきて、仲間たちは内心「これでチェンジだ」と思ったに違いない。案の定、わたしは後ろに回すことができなかった。
▼2打席目以降は立て続けにヒット、予選の最終打席は3ランホームラン。ということはほかの誰かがアウトになる役回りになったということになる。アウトにならない選手はなかなかアウトにならない。これは不思議である。なんとなーくアウトになりそうな人はやはりアウトになる。その流れを断ち切った試合は、うまく点数を積み重ねている。
▼その典型的な例が、決勝戦だ。わたしは1打席目と2打席目、あっけなく凡退した。しかも2アウトの場面でである。明らかに試合の足を引っ張っている。いよいよ顔向けできなくなっていた時に、1塁のコーチャーをしてくれていた某先輩が、2打席目終わってから声をかけてくれた。
▼「お前の苦手な外角を攻められて、まんまと罠にはまっているぞ。今度は引っ張らずに、センターに返すように打ってみろ。」何でもかんでも引っ張って敵の術中にはまっていたのである。
▼最終打席、まっすぐに打ち返そうとバットを最後まで振り抜かずに押し出すようにしてボールに当てた。うまくセンター前に抜けてくれた。1塁に到達した時、コーチャーの某先輩から「それだよそれ。きれいにセカンドを抜いたなぁ」と結果を喜んでくれた。アウトになる予定の人間が後につなぐと次々に良い方に回っていく。7点差をひっくり返した時、五島チームに何とも言えない一体感を感じた。

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今週の1枚
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第278回目。激戦を勝ち抜き優勝した五島チーム。発行人は後列右から3人目。

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