今さら10月のことを記事化してすみません。
10月4日の朝は、マイカーで、熊山駅に向かった。
駐車場に止めると、駅へ行き、関西圏内の普通列車(快速も含む)が載り放題のきっぷを買った。
そして、熊山駅から、1306M列車・相生行きに乗車した。列車は、115系電車で運行されていて、わたしが乗車した車両は、モハ114-1100だった。
列車は、和気、吉永、三石の順に停車し、船坂峠を通り、兵庫県に入った。
そして、上郡駅に停車した。そのあと、有年、終点の相生の順に停車した。
相生からは、944M列車・姫路行きに乗り換えた。列車は、223系の4両編成だった。
姫路からは、3444M新快速に乗り換えた。列車は、姫路駅を9時57分に発車した。その列車は12両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ222-2026だった。
姫路を出ると、加古川、西明石の順に停車した。西明石で乗務員の交代があり、女性の車掌に代わった。
そのあと、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に停車すると、下車して、大阪市営バス34系統・守口車庫行きに乗り換えた。
そして、本庄西二丁目の停留所で降りると、コンビニでトイレを済ませて、淀川の土手へ向かって歩いた。
その場所は、淀川を渡る東海道本線下り列車を撮影するのにもってこいの有名撮影地である。
しかし、平日のためか、わたし以外に撮影者はいなかった。
その日、その場所で最初に撮影した列車は、207系の普通電車である。
続いて、225系新快速電車を撮影した。
さらに、223系の4両編成の丹波路快速(撮影地点では回送列車)も撮影した。
続いて、221系の快速電車も撮影。
そのあと、特急『こうのとり9号』も撮影。
その日は、増結がなく、4両編成だった。
そのあと、321系の普通列車も撮影。
続いて、新快速電車と快速電車の並びも撮影した。
さらに、キハ189系の3両編成も撮影。
続いて、223系の新快速を撮影。
そのあと、223系の4両編成と、683系『サンダーバード16号』を撮影したが、『サンダーバード』は尻切れ写真になってしまった。
さらに、そのあとも、223系新快速を撮影。
そのあと、223系の4連を2組連結した丹波路快速の回送も撮影した。
そして、その日の目的の一つである『トワイライトエクスプレス』を撮影した。
JR西日本が誇る豪華寝台特急列車で、現代では数少ない客車の列車であるが、将来の動向が気がかりである。
そのあとも、223系新快速を撮影した。
そして、そのあと、さらに、223系丹波路快速の回送列車を撮影した。
そのあと、683系『しらさぎ』用の車両を用いた団臨の回送列車を撮影した。
列車は、683系の5両編成である。
続いて、『こうのとり11号』も撮影した。
以上で、その日の列車撮影は終了した。
そのあと、市バスで大阪駅へ戻り、遅い昼食をとったあと、乗り放題きっぷの特性を活かして、新大阪駅へ向かった。
大阪から新大阪まで乗った列車は、普通電車で、321系だった。その列車も、女性の車掌が乗務していた。
新大阪からは、新快速の姫路行き(列車番号失念)に乗車した。わたしが乗車した車両は、先頭の車両で、車番はクハ222-2081だった。
姫路からは、相生まで、播州赤穂行きの普通列車に乗り換えた。列車は、223系の4両編成だった。
列車は、姫路を出ると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
相生駅に止まると、1325M・三原行きに乗り換えた。列車は、115系更新車の4両編成で、わたしが乗車した車両は、先頭のクハ115-1241だった。
列車は、相生を出ると、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出ると、船坂峠を通り、岡山県に入った。
そして、三石に停車した。
そのあと、吉永、和気、熊山の順に停車し、熊山駅で降りると、マイカーで帰宅した。
こうして、撮り鉄目的の外出を無事に終えることができた。
10月4日の朝は、マイカーで、熊山駅に向かった。
駐車場に止めると、駅へ行き、関西圏内の普通列車(快速も含む)が載り放題のきっぷを買った。
そして、熊山駅から、1306M列車・相生行きに乗車した。列車は、115系電車で運行されていて、わたしが乗車した車両は、モハ114-1100だった。
列車は、和気、吉永、三石の順に停車し、船坂峠を通り、兵庫県に入った。
そして、上郡駅に停車した。そのあと、有年、終点の相生の順に停車した。
相生からは、944M列車・姫路行きに乗り換えた。列車は、223系の4両編成だった。
姫路からは、3444M新快速に乗り換えた。列車は、姫路駅を9時57分に発車した。その列車は12両編成で、わたしが乗車した車両は、最後尾のクハ222-2026だった。
姫路を出ると、加古川、西明石の順に停車した。西明石で乗務員の交代があり、女性の車掌に代わった。
そのあと、明石、神戸、三ノ宮、芦屋、尼崎、大阪の順に停車した。
大阪駅に停車すると、下車して、大阪市営バス34系統・守口車庫行きに乗り換えた。
そして、本庄西二丁目の停留所で降りると、コンビニでトイレを済ませて、淀川の土手へ向かって歩いた。
その場所は、淀川を渡る東海道本線下り列車を撮影するのにもってこいの有名撮影地である。
しかし、平日のためか、わたし以外に撮影者はいなかった。
その日、その場所で最初に撮影した列車は、207系の普通電車である。
続いて、225系新快速電車を撮影した。
さらに、223系の4両編成の丹波路快速(撮影地点では回送列車)も撮影した。
続いて、221系の快速電車も撮影。
そのあと、特急『こうのとり9号』も撮影。
その日は、増結がなく、4両編成だった。
そのあと、321系の普通列車も撮影。
続いて、新快速電車と快速電車の並びも撮影した。
さらに、キハ189系の3両編成も撮影。
続いて、223系の新快速を撮影。
そのあと、223系の4両編成と、683系『サンダーバード16号』を撮影したが、『サンダーバード』は尻切れ写真になってしまった。
さらに、そのあとも、223系新快速を撮影。
そのあと、223系の4連を2組連結した丹波路快速の回送も撮影した。
そして、その日の目的の一つである『トワイライトエクスプレス』を撮影した。
JR西日本が誇る豪華寝台特急列車で、現代では数少ない客車の列車であるが、将来の動向が気がかりである。
そのあとも、223系新快速を撮影した。
そして、そのあと、さらに、223系丹波路快速の回送列車を撮影した。
そのあと、683系『しらさぎ』用の車両を用いた団臨の回送列車を撮影した。
列車は、683系の5両編成である。
続いて、『こうのとり11号』も撮影した。
以上で、その日の列車撮影は終了した。
そのあと、市バスで大阪駅へ戻り、遅い昼食をとったあと、乗り放題きっぷの特性を活かして、新大阪駅へ向かった。
大阪から新大阪まで乗った列車は、普通電車で、321系だった。その列車も、女性の車掌が乗務していた。
新大阪からは、新快速の姫路行き(列車番号失念)に乗車した。わたしが乗車した車両は、先頭の車両で、車番はクハ222-2081だった。
姫路からは、相生まで、播州赤穂行きの普通列車に乗り換えた。列車は、223系の4両編成だった。
列車は、姫路を出ると、英賀保、はりま勝原、網干、竜野、相生の順に停車した。
相生駅に止まると、1325M・三原行きに乗り換えた。列車は、115系更新車の4両編成で、わたしが乗車した車両は、先頭のクハ115-1241だった。
列車は、相生を出ると、有年、上郡の順に停車した。
上郡を出ると、船坂峠を通り、岡山県に入った。
そして、三石に停車した。
そのあと、吉永、和気、熊山の順に停車し、熊山駅で降りると、マイカーで帰宅した。
こうして、撮り鉄目的の外出を無事に終えることができた。