浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

敦賀方面へ旅行

2010年02月13日 20時22分05秒 | Weblog
いまさら、2月5日のことを書いてすみません。

今月5日は、父親と一緒に熊山駅へ向かった。
熊山駅の駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
わたしは南今庄までの、父は敦賀までの往復の切符を買って、改札を通った。
そして、8時45分発の普通列車1306M相生行きに乗車した。
列車は、115系の3両編成と4両編成を連結した7両で、わたしたちが乗車したのは、モハ114-3504だった。
車内は空いていた。
列車は、和気、吉永、三石に停車すると、船坂峠を越えて、兵庫県に入った。
そして、上郡、有年の順に停車し、終点の相生駅に到着。
相生からは、944M列車に乗車。姫路行きの普通列車である。車両は223系だった。
網干駅に停車すると、3446M新快速に乗るために下車した。
そして、新快速、3446M新快速、敦賀方面行きに乗車。
駅では敦賀行きと案内していて、列車の行き先表示も敦賀だった。
網干駅発車の時点では4両編成で、途中の姫路駅で、前側に4両増結して、8両編成の列車になった。
わたしたちは、クハ222-2085に乗車していた。
ただ、その新快速列車は、一つ問題があるように感じた。
時刻表の表示は、網干から敦賀まで直通のように見える。
そして、網干駅でも敦賀行きと案内しているが、実際には、網干発の車両は、途中の近江今津までしか運転されず、途中の姫路で増結される車両のみが敦賀行きになるのである。
車両の切り離しについての案内も、京都を出てから初めてされた。
網干から敦賀まで直通だろうと思い込んで、網干から乗った者にとっては、不快感を得た。
せめて、そういう場合は、市販の時刻表に、「網干発の車両は近江今津で切り離し」「敦賀行きの車両は姫路から連結」と表記してほしいと思った。
それはさておき、湖西線を特急以外の列車で通るのは、その日がはじめてだった(特急は、過去に「雷鳥」「日本海」に乗車経験あり)。
湖西線は、トンネル以外は、ほとんど高架ばかりで、踏切がない。
線路位置が高いので、琵琶湖や周辺に広がる田園風景などを車窓から見下ろすことができた。
滋賀県北部にかかると、外の風景が白くなってきた。
雪景色である。
田畑が真っ白になり、途中の駅も、ホームの端などには、雪が厚く積もっていた。
列車は、近江塩津駅で北陸本線に入る。
ホーム付近やポイントの周辺では、線路の雪を溶かすスプリンクラーが作動していた。
近江塩津を出ると、新疋田に停車。
そして、その次は、新快速の終点の敦賀である。
敦賀駅に入る手前には、車両基地があり、EF81形機関車や419系電車のほか、ラッセル車がいたのが目に入った。
敦賀駅に着くと、駅前の商店街を歩いて、宿に向かった。
その途中の食堂で昼食をとった。
商店街の歩道部分には、屋根がある。
また、道路の信号機も、車両用の灯器は縦型だった。それも雪国らしい。
宿に着くと、荷物を置いて、それから、気比神宮を目指して歩いた。
その日は、雪が多く、境内も雪で白くなっていた。
雪の中の朱色の鳥居が印象的だった。
その鳥居は、春日大社、厳島神社とならぶ、日本三大木造鳥居の一つだという。
鳥居をくぐり、参道を歩き、さらに鳥居をくぐると拝殿の前に着いた。
境内では、神職の方が雪かきをしていた。
わたしたちは、参拝し、社務所でお守りを購入した。
そのあと、周辺を少し歩いた。
そのときまでは、神宮周辺は、人影も少なく静かだったが、神宮裏の駐車場に観光バスが来て、境内は賑やかになった。
わたしたちは、神宮をあとにすると、宿に戻った。
外は、雪が降り、北風が独特の音を立てて響いていた。
その宿で一晩過ごした。

今回は、都合により、ここまでとさせていただきます。
6日のことについては、また後日記事化します。
コメント
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