米原は琵琶湖東岸の交通の要所として、今日でもそれなりの賑わいを見せているようだ。そんな米原をバイパスのように抜ける国道8号線を、さらに湖とは反対側へとたった数百メートル来るだけで、信じられないような長閑で静かな田舎町が広がっていた。青岸寺は、その集落のさらに奥にひっそりとたたずんでいた。
この寺の建立は少なくとも南北朝に遡るようなのだが、庭園は江戸初期の作庭のようだ。仏教の理念を表す三尊石を要として、寺の裏手に積み上げるようにして、石を主にした庭園が広がる。
枯山水の庭では、石組みの底の苔は大海に見立てられる。それも、中国的思想と結びついた蓬莱山をいだく西の方の神秘の海である。
この庭のわずか一つの石でも、大変な判断と、それに基づく人の手を煩わせて成り立つものなのだろう。
苔庭の三尺にも満たない石が、大海を望む巨石に見えてくる。
大海の中程の中ノ島。先ほどは巨石と見えた石も、蓮の華に座する仏のごとき中心となる石には、一目も、二目も置くように見える。
庭の周辺部分だが、勝手な想像だが、この辺りが一番古い石組みが残されているのではないだろうか。
この寺の建立は少なくとも南北朝に遡るようなのだが、庭園は江戸初期の作庭のようだ。仏教の理念を表す三尊石を要として、寺の裏手に積み上げるようにして、石を主にした庭園が広がる。
枯山水の庭では、石組みの底の苔は大海に見立てられる。それも、中国的思想と結びついた蓬莱山をいだく西の方の神秘の海である。
この庭のわずか一つの石でも、大変な判断と、それに基づく人の手を煩わせて成り立つものなのだろう。
苔庭の三尺にも満たない石が、大海を望む巨石に見えてくる。
大海の中程の中ノ島。先ほどは巨石と見えた石も、蓮の華に座する仏のごとき中心となる石には、一目も、二目も置くように見える。
庭の周辺部分だが、勝手な想像だが、この辺りが一番古い石組みが残されているのではないだろうか。