蕎麦喰らいの日記

蕎麦の食べ歩き、してます。ついでに、日本庭園なども見ます。風流なのが大好きです。

向島百花園

2008-05-31 14:48:32 | 古民家、庭園
江戸時代も後期の文化文政年代に、骨董商によって造られたこの庭は、もっぱら草花鑑賞を目的として使われてきた。今日に残る庭園のほとんどが、寺院の庭のような宗教的意味づけがなされていたり、大名庭園のような政治的権力の誇示とどうしても結びついているのとは、性格を大きく異にする。








入口の門には、大窪詩仏による漢詩の一節のような文言が、木板に掛けられている。「春夏秋冬花不断」「東西南北客争来」。
大窪 詩仏は江戸後期の流行漢詩作者。狂歌師の大田南畝(なんぽ 蜀山人)に
「詩は詩仏 書は米庵に 狂歌俺 芸者お勝に料理八百善」
とよまれた程の人物だった。


園内には、季節の花々が咲き、所々にこの庭園を愛でた文人墨客たちの碑が建てられている。


「春もやや けしきととのふ 月と梅」 芭蕉


芍薬の花が満開。


「紫のゆかりや すみれ 江戸生まれ」 井上 和紫
井上 和紫は幕末生まれの、風流人というか遊び人のようだ。「花の朝<あした>月の夕べ、相携えて遊里に往来す。性遊芸を嗜<たしな>み、和合連に入りて善く義太夫を語り、随って観劇を好む。故に、猿若町に三座ありし時より、市川三升、尾上梅幸等と交わりあり。俳諧を老鼠堂永機翁に学び、当代諸大人<たいじん>と友たり。平素、神仏を信じ堂宇の建築に尽力し、爾来日光山百万講に幹たり。」なる解説をネットでみつけた。




せんだいはぎや、なでしこの花が盛りだった。


「朧夜やたれを あるじの 墨沱川」 宝井 基角






池の周りには菖蒲も咲いて、ブラブラと歩き回るだけでも、とても気分が良い庭である。