新潟市の南東方向には、不思議と豪農の館が数多く残されている。この田上町にも二軒の千町歩地主が有ったのだ。もちろん、所有する地所は田上町に止まらなかったようだ。
厳しい玄関。建物は大正7年の完成というから、比較的新しい。
それでも、使われている材は実に贅沢そのもの。こちらは原田巻家の本宅ではなく、離れ座敷として造られたという。
それでなのか、庭石の普請にはちょっと考えられない程の配慮が配られている。
離れ座敷のさらに奥の間には、こんなしつらえがされていた。
奥の間から見渡す庭は、新緑の盛でやさしい緑もあるが、いかにもコントラストがきつかった。
玄関からすぐに見渡せる上段の間から、庭の五重塔を見通す。この庭の主なる軸線に当たるようだ。
塔は、立つ位置を変えるごとに、微妙に表情を変える。
この庭の主役は、石だと思う。四季を通じて、なぜこれ程に見せ場を作ることができるのか、そして一歩も退かない世界を演出できるのか。
奥の院の土台は、見事な自然石そのままを使う、なかなか考えられない風雅な造り。薄暗い書院から、あまりにも明るい庭を眺める。
庭に面した庇(ひさし)のしたの丸桁(まるけた)は、吉野杉の一本もの。
この庭に面した廊下などを使い、この日は茶席が設けられていた。余分な音など何一つしない世界で一服の茶を喫する心地よさは、道の教えなど理解しない野蛮人にも一時の清涼感を見せてくれた。
厳しい玄関。建物は大正7年の完成というから、比較的新しい。
それでも、使われている材は実に贅沢そのもの。こちらは原田巻家の本宅ではなく、離れ座敷として造られたという。
それでなのか、庭石の普請にはちょっと考えられない程の配慮が配られている。
離れ座敷のさらに奥の間には、こんなしつらえがされていた。
奥の間から見渡す庭は、新緑の盛でやさしい緑もあるが、いかにもコントラストがきつかった。
玄関からすぐに見渡せる上段の間から、庭の五重塔を見通す。この庭の主なる軸線に当たるようだ。
塔は、立つ位置を変えるごとに、微妙に表情を変える。
この庭の主役は、石だと思う。四季を通じて、なぜこれ程に見せ場を作ることができるのか、そして一歩も退かない世界を演出できるのか。
奥の院の土台は、見事な自然石そのままを使う、なかなか考えられない風雅な造り。薄暗い書院から、あまりにも明るい庭を眺める。
庭に面した庇(ひさし)のしたの丸桁(まるけた)は、吉野杉の一本もの。
この庭に面した廊下などを使い、この日は茶席が設けられていた。余分な音など何一つしない世界で一服の茶を喫する心地よさは、道の教えなど理解しない野蛮人にも一時の清涼感を見せてくれた。