昨日準備していた発送荷物をトラック便と郵便局に配達依頼。遅い昼食をとり仕事の今後の見通しなどについてアレコレと思案。そうこうしているうちに眠くなってきたのでデスクにうつ伏せる。目覚めると頭はすっきり。ちょっとピッチを上げて雑務をいくつか処理。今日はこれでやめておこう。今夜はまだ9時半から学童保育関係の相談事があるし、明日の午後は取材に行くところがある。ではそういうことで・・・・。
昨日準備していた発送荷物をトラック便と郵便局に配達依頼。遅い昼食をとり仕事の今後の見通しなどについてアレコレと思案。そうこうしているうちに眠くなってきたのでデスクにうつ伏せる。目覚めると頭はすっきり。ちょっとピッチを上げて雑務をいくつか処理。今日はこれでやめておこう。今夜はまだ9時半から学童保育関係の相談事があるし、明日の午後は取材に行くところがある。ではそういうことで・・・・。
隣の福島駅まで歩きたいという要望に応えて、いつもの大阪トーハンへの納品ルートである道を歩き、福島社会保険事務所を過ぎた交差点で右折れ、福島聖天通りへ。この交差点の角にもモツ鍋の店がある。すぐ近くにある本店らしき店の2号店らしく本店ともどもいつも賑わっていて、以前から大変気になっていたのだ。店の名前は「福福福屋(ふくみや)」という。先ほど入った野田駅の店が「福福」という名前。実はこれまでずっと野田駅の店はこの店の支店かと思っていたのだが、今日ようやく全然違うということがわかったので安心した。よかった、よかった。
福島聖天通りは「売らない(占い)商店街」として有名らしい。確かにあちこちに占いの店がある。なんでそうなのかは知らないがこれも街おこしの1つか。最近作られたのか、若者や女性客を意識して作られたような小洒落た店が多いように見える。それもパッと見の範囲ではあるが、お客さんの入っている店とそうでない店に分かれているようで、なかなか飲食店も厳しいものがあるのかも知れない。こうして約10分の大阪・福島の「占い商店街」ウォッチングが終わりに近づいたころ目の前にJR福島駅が現れた。
「なんだって、家庭訪問をなくすって?!」。先日の新聞にも、教師も忙しいから家庭訪問をなくすという動きが出ているし(すでにやっていない地域もある)、親の方も、休みがとりにくいし、家の中を見られるのもイヤだから「来てほしくない」という声が広がっていると。
家庭訪問ほど、子どもを知る絶好のチャンスはないし、親と仲良くなるこれほどいい機会もないというのに、何ということだと怒っています。
親や子どもの暮らしを知らずして、どうして子どものことがわかるでしょうか。
■病気の父、支える母
5年生の博子の家へ行きました。玄関を入ってすぐの戸が少し開いて、ふとんが見えています。お父さんがご病気のようでした。
「お父さんいかがですか」と声をかけたら出てきてくださったのです。その顔は土色で、腎臓透析を続けながら闘病しているとのことでした。お母さんは言います。
「3人の子育て、そりゃ必死ですよ。今、栄養士の免許もとろうと思って学校へ通っています。でも、父ちゃんが透析した夜は寝苦しくて、しょっちゅう寝不足で、学校で舟こいでますけどね。食っていかれへんもんね。子どもらにもね、父ちゃんがこんなにして病気と闘ってるんや、と病院で治療してるとこ見せますねん」
この親たちの暮らしを知らずして、どうして子どもを知ったことになるでしょうか。
■まきちゃん宅の仏壇
入学して3日目、帰り道でちょっとトラブっただけなのに泣いて帰ったのです。さあ大変、連絡帳に3ページ、その心配ぶりが綿々と書かれてあったのです。一体どんな子育てをしているでしょうか。
1ヵ月ほどして家庭訪問に行きました。「私ね、毎日仏さんにお水まつってるの、それが仕事なのよ」と語ってくれたまきちゃんですが、いったい誰がまつられているのか、と尋ねました。
「先生、私ね、実は前の夫の子どもがもう一人おったんですよ。不幸な死に方をしましてね。その子を私がまつってるんです」
辛い話ですが、乗り越えてきたからこそ話してくださったのでしょう。
そうか、あの入学当初の連絡帳に3ページも長々書かれていた心配な思いには、こんな人生が隠されていたのか、と納得したことでした。訪問に出かけ、仏壇を見たからこそ、こんな話も聞けたのです。
■連なるつるの折り紙
訪問先に連なったつるの折り紙作品が飾られていたので「どなたが作られたんですか」と聞くと、「いやあ、お父さんが、あんな道楽して遊んでますねん」と言うのです。
「じゃあ、裕ちゃんもつながったつる折れますか」と聞くと、「えー3つくらいなら作れますわ」と言うので、さっそく翌日、裕ちゃんに先生をしてもらって、折り紙で遊びました。もちろん、お父さんの立派な作品を借りてきて、子どもたちに見せました。しばらく教室に折り紙ブームができて、おもしろかったです。
親が親しんでいた文化が教室に持ち込まれ、子どもたちも楽しめたのです。訪問に出かけなければ、こんな機会も作れませんでした。
親もたまには、ゆっくりと先生に話を聞いてもらいたい、そして、何といっても先生と仲良くなりたいと願っています。私は、どこの家庭にもある「子育ての知恵」を学んできて通信に「家庭訪問記」と題して、皆さんに紹介もしてきました。
家庭訪問この良きものです。
(とさ・いくこ 中泉尾小学校教育専門員・和歌山大学講師)
今年も4月が来る。アルバイトをやりだし、初めての4月(3年前)、給食室の扉の上に先生の名前が貼り出されていた。びっくり、私の名前も載っている。週2日9時間のアルバイトなのに。鼻がツーンときて涙が出てきた。「なんで?」と人はびっくりするだろう。
私は、松下電器テレビ事業部を定年退職したが、その職場では、考えが違う(思想)ということだけで仕事、賃金、昇進、昇格など多くの差別がまかり通っていた。インフォーマルの活動も排除されるし、挨拶の無視など、大人のいじめが日常茶飯事にやられていた。会社を辞めたら負け。自分に嘘はつかない。毎日、①仕事は人に負けないぐらいする、②職場の仲間を憎まない(彼らもそうしないと同類に見られるから)、③差別に対し毅然とたたかう、という方針で毎日出勤した。
しんどかったけど、会社には負けんかった。どんないじめも吹き飛ばし、堂々と自分の思想を貫き徹し、ルンルンで定年退職した。
でも、保育園で人として普通に扱ってもらった(名前が載った)ということだけで涙が出た。ということは「差別」と「いじめ」にだいぶ「参っていた」ということかな。(ほづみ保育園・中尾和子)
昨日の朝はゆっくりしたい気持ちを奮い立たせて、8時からの廃品回収に参加。今回はGWのこともあって少し期間が開いていたのでかなり多めの量が出される。どう見ても今回は業者さんのトラック積めそうにないと思えるのだが、それを積み上げてしまうのだからさすがプロは違う。荷台の後ろが斜めに傾き絶対過積載のトラックのおっちゃんをみんなで見送った。
家に帰ってつらつらと新聞を見ていると「中曽根、土井、不破…」という文字。サンデープロジェクトの特番ということで、おもしろそうなので観ることにする。「激動の歴史を語る」と題して、それぞれ立場、価値観は大きく違いながらも、現在の日本の政治、社会状況について「戦争を体験し激動の昭和を生きた」という体験を共有する者として語られるそれぞれの発言の中に、何かしら重みのある似たような危機意識のようなものが感じられた。番組の最後、会場にいた50人余りの学生たちへのメッセージとして「社会や政治を与えられたものとして受け止めるのではなく、自分たちの力で変えていってほしい。それが国民主権なのだから」と不破氏が語ったのを受けて、中曽根氏が「そのとおりだ」と答えたのがなかなか面白かった。
午後、仕事をするかしないか迷っているところに、妻から「天気がいいので万博公園に連れて行け」との指令である。うーむ、これは行かねばなるまい。実は長年吹田に暮らしているのに、万博の日本庭園には行ったことがなく、一度行ってみたいと思っていたのだ。さっそく車に乗り出発。目指す日本庭園駐車場は満車だったので仕方なく北側駐車場に入れる。橋を渡って公園内に入り「アジサイ村」を抜け、民博横を通り、庭園入口を目指す。太陽の広場方面からブラスバンドの音が流れてくる。何かイベントをやっているみたいだ。庭園入口正面にある「平和のバラ園」。「アンネ・フランクのバラ」が咲いていることからそう名づけたのか知らないが、とりあえずその「アンネのバラ」を確認する。バラ園の端っこの方で撮影会らしきものをやっているのが見えたので近づいてみる。立派そうなカメラを手にしたいかにもカメラマニア?という感じの「おっさん」たちが10人ぐらい、バラ園の中でポーズをつけているモデル風の若い女性に向け、ニヤニヤ顔で順序よく交替しながらシャッターを押していた。なにかのサークルなのだろうか? うーん、どうもこの場には似つかわしくない一団という感じではあった。
自然文化園と日本庭園に入れる250円券を入口の人に見せて庭園の中に入る。入ったはいいがさてどこに行ったものかと思案していると、明るい緑のジャンパーを着た庭園ガイドボランティアさんが近寄って来て説明してくれるというので、しばらく庭園の全景模型を見ながら話を聞く。要は平安時代から現代までの日本の庭園が見られるということのようだ。一通り説明が終わったところで、「お兄さん、1時間ぐらいかけてならご案内しますよ」というガイドさんの申し出があったが、丁重にお断り申し上げる。弁当を食べねばならないのだ。そうか、そうか、こういうボランティアの人がいるのかとうなずきながら、その最初の平安時代の庭園方面へ進む。まだ筍がいくつも生えている竹林を通り抜ける。もともと万博自体が「千里の竹林」を切り開いて造成されたものなので今もかなりの竹林が残っている。どんどん奥に進んで背後に迎賓館が位置するベンチに座り平安時代風と言われている大きな池を主にした庭園を見ながら弁当を食べる。外国人のグループいるようで、わからない言葉が聞こえてくる。
平安時代風庭園からナントカ滝へ行く。4つの、もちろん人口滝が流れおちこの水が小川となってずっとあちこちの池に注ぎながら最後は下流の蓮池まで流れてるという塩梅のようだ。サツキやツツジの咲く築山方面へ登ると右手に立派な黒松が一本。左手には立ち入り禁止の札がなければ絶対によじ登って転がって遊んでいただろう綺麗な築山。うーむ、何とかならないか…。展望台に行くと万博公園の緑の多さが一望出来る。中央にニョキっと太陽の塔、そしてその左側に今は乗る人のいなくなったエキスポランドの大観覧車とジェットコースターが止まっている。どんどん先に進むとようやく庭園の端っこに着いたか、外周道路の車の音が聞こえてきた。階段を降りて大きな池を渡る。蓮の葉が浮かび鴨が遊んでいる。しかしずいぶんと水が濁っている。おっと、そうのんびりもしていられない。妻が4時から職場である福祉法人の理事会なのだ。急ぎ足で庭園入口方面へ。大きな休憩所兼展望所があるので立ち寄る。階段を上がると真正面に、先ほどの築山を中心にしたなかなかな景色が広がっている。保険を掛けている松の木もあるそうで、悪くはない眺めを満喫して庭園を後にした。
●5時起きで飛び出す
GWの最終日は舞洲アリーナの「9条世界会議 in 関西」のブース出展で本の販売と「慰安婦」問題プロジェクトの宣伝へ早朝から飛び出した。
同僚氏とは確か7時に事務所に集合ということだったので、5時過ぎに起きて朝の定例作業をすばやく終え、車を取ってきてガレージの関連荷物を積み込み家を出る。さすがに休日とあってしかもこの時間帯である。なんと15分で職場に着いてしまった。入口のドアを開け中に入り書籍その他を車に積み込む。うーむ、待ち合わせまでまだ時間が40分もある。近くのミニストップでコーヒーとパンを買い食べながら本を読み、ラジオを聴きながら時間を過ごす。7時になったがまだ来ないので電話を入れると、今、大阪駅との返事。7時20分ごろようやく同僚氏が到着、彼の荷物準備を待って舞洲に向かった。一本道なのでこれも約10分あまりで到着、とり急ぎ荷物と同僚氏を降ろし今度は西九条駅へ。おそらく一番早く着ているだろうと思っていた通り、T内さんがおおーっ、なんと着物姿で待っているではないか。車をUターンして路肩に止める。最近登山に再び目覚め始めた京都の弁護士F田さんも到着、続いて大学教員のN先生と教え子のA井さんが車で、さらにH谷川さん、M永さんも到着。なぜか車に積んであったクーラーBOXをせっかくだからと担いでガード下のF・マートに行き、キッチリと冷えた350mlと500mlのアルミ缶を各種購入、氷付きでBOXに詰め込んだ。これで準備万端か? N西弁護士はぎっくり腰のため遅れて参加することになったようだし、肝心のI川先生がまだ来ないが、まだ寝ているだろうというF田弁護士の一言で全員納得、一応この場所に集まるべき人は集まったとして舞洲に向かった。
●よく目立つコーナー完成
会場の2階に上がり全員でブースを準備、大阪民医連さんの協力で作ってもらった立派な1枚看板も張り出す。おお、いいではないか! チラシや本、フェアトレードグッズなどの販売品を用意、そのうちにこれまた五月晴れによく似合う着物姿のU野さんが神戸から到着された。実行委員会のほかのメンバーも続々と到着、京都からは「慰安婦」問題パネルを元気いっぱいのI荷さんが運んで来てくれた。それもさっそく展示して、とてもよく目立つ「慰安婦」問題コーナーが出来上がった。
●次々にチラシ配布
メイン会場での行事は午後からなのに、開場の10時前からすでにたくさんの人たちでロビーが賑やかになる。外にも大勢の人が木陰に休んだりしている。このぶんだと5000人も集まるのか?という巷に広がっていた不安はどうやら解消されたか。ブース前を通る人や展示パネルに見入る人、書籍やグッズを手にする人に次々に声をかけてチラシを手渡していく。やがてI川先生やN西弁護士も合流、実行委員の家族の方などの姿も見える。若い実行委員にはブースから離れた場所でチラシを配る人も。ちょうどブース前が左手奥の入口から入って来る人たちの通り道になるので、最初の位置にあるブースということで人通りが絶えない状態になった。さまざまな人たちが声をかけて来られたり、挨拶に来られたり、各メンバーそれぞれに対応しながら、フェアトレード商品や書籍を販売、またI川先生は販売書籍にサインを求められたりと、あれこれの出会いの場所ともなっていく。メイン会場のイベントが始まってからは人波も引いてきて、メンバーは交替でバックヤードで食事時間。ガラス窓から差し込む陽気とアルミ缶が効き過ぎたか、お昼寝タイムの人もいたりで、9条に守られていることをつくづく実感するのである?
●手ごたえ感じた宣伝
午後もアリーナ会場で次々とイベントが進むのに並行してチラシ配布や物品を販売、ソウル・フラワー・ユニオンのライブ(大変盛り上がったらしい)が佳境に入るころ、そろそろブースでの活動も終盤に。8000人近い人たちが全体では参加したそうで、そのうち3000枚近いチラシを配布したことになった。チラシの受け取りも反応がよく、ポイ捨てというのはあまりなかったようで、8月3日当日参加を約束しながら受けとってくれた人も多かったようだ。初めての宣伝活動ではあったが、各方面にこれから宣伝が浸透していく手ごたえのようなものを感じた、意義ある1日となった。実行委員のみなさん、本当にお疲れさまでした。
●さて、わが本は売れたか?
一方、わが機関紙出版ブースでの書籍販売は、鶴彬本や従軍写真集が品切れになったり、戦跡ガイド本もまずまずの状況であった。またパソコン新聞作りに関する問い合わせも多く、実技指導を受ける人もいて、引き続き強い関心の高いテーマであることがうかがえた。現在進行中の本の著者が立ち寄られて「校正を急げよ!」と叱咤激励を受ける場面も。さらに7月末刊行厳守の本の著者とようやく入稿予定を確認出来るなど前進的成果もあり、まずまずという気分で終えることができた。
昨年来、「ナヌムの家」を訪れたことがきっかけになって「私たちに何ができるか」を考えてきた結果が、この企画としてまとまりました。ぜひ多くの方々のご参加を呼びかけます。
「日本政府は私たちがみんな死ぬのを待っている」。各地の「慰安婦」被害者が、繰り返し語る言葉です。その苦しみに心をよせ、闘う精神に連帯し、過去の誤りを自分で正せる日本社会をつくるために、「慰安婦」問題の解決に向け、いま私たちに何ができるかを考えます。
日時: 8月3日(日)午後1時~4時30分
会場: 大阪市立住まい情報センター3階大ホール
参加費: 大人1000円 学生無料
●シンポジウム
私たちに何ができるか―若者たちと考える「慰安婦」問題
シンポジスト:関西の大学生・OB、大学教授、韓国「ナヌムの家」研究員
●パネル展示―見たい、知りたい「慰安婦」問題
●物品販売―「慰安婦」問題関連書籍、グッズ
●アクセス
大阪市北区天神橋6丁目4-20 TEL:06-6242-1160
地下鉄谷町線・堺筋線「天神橋筋六丁目」駅下車、3号出口より連絡 またはJR環状線「天満」駅から北へ徒歩7分
●主催者・問い合わせ先
私たちに何ができるか―若者たちと考える「慰安婦」問題シンポジウム実行委員会
〒530-0034 大阪市北区錦町2-2 大阪国労会館内
TEL:06-6354-8662 FAX:06-6357-0846
*以下の宣伝チラシを作りました。ご希望の方は上記へご連絡ください。またはコチラへご連絡ください。
*企画成功のための募金、カンパを募っています。下記あてにぜひよろしくお願いします。
・郵便振込 口座番号 00900-6-253979
口座名称(加入者名) 増永 和起
・銀行振込 近畿大阪銀行 千里丘駅前支店
口座番号 1485673
名 義 増永 和起
4日は妻の希望に付き合って、丹波市の美術館で開かれている「こどものとも、絵本原画展」に行った。途中まで前日とまったく同じ道をたどりながら、猪名川~篠山~丹後市へと高速を通らず山越えの地道を走った。丹波市とは合併後の名称で、以前の兵庫県氷上町のことである。同市域に入り市役所を目当てに車を走らせてると突然加古川畔に、ちょっと異様な建物が目に飛び込んできた。それが目的地の丹波市植野記念美術館であった。この美術館はエンバという毛皮の商社を創業した植野さんという人が建設、寄贈したものだそうで、「建設に当たっては地域の景観に溶け込むように設計され」たとパンフレットに書かれているが、どうもそのようには思えない総花崗岩造りの豪華な建物なのだ。
受付で1人500円の入場料を払って3階と4階へ。もちろん階段も総花崗岩張り。4つの展示室の壁面に9人の作家の代表的作品の原画が展示されている。絵本で見るときはB5サイズなどの大きさだが、額に入った展示を実際に見ると原画はA3サイズぐらいの大きさで描かれているようだ。「こどものとも」は月刊の絵本で毎月1人の作家の作品が掲載されこのほど創刊50年を迎えるなど、日本の絵本文化のパイオニア的役割を果たしてきた。毎月刊行の中から反響のある作品が単行本として書籍化されてきた。馴染みのある作家のものも数点あって、結構楽しく観て回ることができた。
とりあえず当初の目的を達し、せっかくなのでどこかに寄って帰ろうと、受付でもらった観光案内などを見る。市島町の白毫寺というところに九尺藤が咲いているというので見に行く。一尺が30.3センチだから270センチぐらいの長さの藤の花が咲いているのならば、それはすごいではないかと大きく期待をして行った。が、まだこれからなのか、実際には80センチぐらいのものがずらりと垂れ下がっていた。
市島町を離れ舞鶴若狭自動車道の春日ICに入り、一路三田市内へ高速を急ぐ。三田西ICで降り、ウッディタウン中央駅方面へ。中央公園の交差点を北上し住宅地へ入りしばらく行くと車道左側に車を寄せた車の縦列が見えてきた。警備員さんが「最後尾」という看板を持って立っていたので縦列に加わる。すぐ前の車は「習志野」ナンバ―。満車駐車場のアキ待ちの列で、いろいろ各方面から話を聞いていた「パティシエ・エス・コヤマ」の小山ロールを買いに来たのである。まあせっかく三田に来たんだから、というわけで、とりあえず妻が車から降りて店に向かって歩き始めた。待ち続けること約40分、ようやく駐車場に車を入れることができた。その後もひっきりなしに車はやってくる。
店の入り口から外に続く行列の70番目ぐらいにいる妻に合流する。並んでいるすべての人が小山ロールか、小山プリン目当てである。それ以外の商品は並ばなくてもいいのだ。このロールケーキ以外にもさまざまなものがメニューにあり、いくつかに分かれた厨房というか、工場というか、そんなものが隣接して作られている。カフェもある。チョコレートの店では1個1個のチョコが宝石店のようにガラスケースに入れられ売られている。価格も大したものなのだ。
約40分後にようやく店の中に入ることができ、1本は友人宅へ、1本は長男の彼女へ、残った2本を自宅用にと小山ロール4本と、売り切れとなったプリンの替わりにシュークリームを買って店を出た。賞味期限はいずれもその日中。なんともせわしない奴なのだ。家に帰って夕食後早速食べてみる。うーん、確かに美味い。カステラというかケーキ部分のしっとり感、カスタードクリームのクリーム感?(嗚呼、この語彙の貧弱さ…ほかに表現の仕方が浮かんでこないのか…)が確かに違う!! 確かに値段的にもこれならばと納得する味で、またそのうち三田に来る機会があったら買ってもいいか、と思わせるには十分の美味さであったのだ。
3日は友人一家と恒例の三田の青野ダム湖畔へ出かける。今回は珍しく大学4年の長男も同行し、9時半吹田を発、阪神高速池田線下の道を走井で左折、大阪空港をくぐり伊丹へ出て川西へ、途中、川西の阪急オアシスで買出し、クーラーBOXをパンパンにして猪名川、三田へと緑あふれる景色を楽しみながら2台の車で移動した。約3時間後現地に到着、さっそく昼食の準備を始める。風が少しきついのでガスコンロに囲いをして焼きそば、焼肉を始めた。食べざかりの大学生が3人いるがたっぷりと仕入れてきたので大丈夫。
今日は湖面の水が多いようで水没している樹木も見える。食べた後は昼寝をしたり、野球をしたり、犬と散歩をしたり、ギターを弾いたり各々自由に過ごした。すぐ横の広場には少年野球の練習やゲートボールのおじいさん、おばあさんたち。なんとものどかな風景である。夕方、いつものように全員参加で三角ベース野球を三回裏表まで行い、ほとんど日が暮れかかるころになって撤収作業、一路来た道の逆コースをたどった。
三田の青野ダム湖畔
3日~毎年恒例の友人たちとの三田青野ダムでの1Dayキャンプ。BQと野球である。今年は息子たちも参加すると言っているが・・・?
4日~何もなければ新刊本の校正作業か?・・・・悲しい。
5日~何もなければ新刊本の校正作業か?・・・・再び悲しい。
6日~9条世界会議 in 関西にブース出展で本屋業。うーむ・・・。
反戦川柳作家[鶴彬]のドキュメント映画製作が本格的に動き出している。監督は神山征二郎氏。地元石川県では発起人の呼びかけに応えて県内外からすでに多数の賛同呼びかけ人が集まり、「成功させる会」が結成され全国に向けて映画の完成・上映成功への協力の呼びかけが発信された。今秋クランクイン、来年3月完成をめざし、それを支える資金3000万円を製作協力金、協賛金、募金などで作りだしていく予定である。くわしくはコチラを。
これに伴って原作本に当たる『反戦川柳作家・鶴彬』(深井一郎)の改訂重版を急がねばならない。すでに各方面から問い合わせや注文が届いており、少々焦り気味の日々である。
GW最終日の5月6日、〈9条世界会議 in 関西〉が舞洲アリーナで開かれます。2階入り口を入った左側にブース出展します。若干の書籍と9条関連グッズの販売、それにパソコン新聞製作実演、印刷、出版相談、近刊のご案内などを行います。ぜひお立ちよりください。
また隣には京都から〈本の風〉さんがどっさりといろんな本を持って来られます。こちらもよろしくお願いします。
反対側の「慰安婦」問題プロジェクトの方にも顔を出してますので、こちらにも寄ってください。