まいど、日本機関紙出版です。

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ドキュメント「西穂高」登頂――その3

2008年07月30日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 西穂高山荘に着いたものの、周囲はガスで何も見えない。天気がよければ山荘の正面からは眼の前に霞沢岳が見え、西穂高方面には丸山に至るなだらかなハイマツの緑の絨毯が見通せるのだが仕方がない。玄関を入り受付に行き宿泊手続きを済ました。1泊2食付9000円を支払って朝ごはんは弁当にしてもらうように依頼、係りの人が部屋への通路を案内してくれた。大部屋なのでもちろん鍵はない。「今日は人数が多いので布団2枚に3人のスペースです」とおっしゃる。まあまあの込み具合か。とりあえず「焼岳3」という部屋に入り、№5と6の白い番号札の張られた壁板の前に敷かれていた布団に陣取った。番号札はもう一色、黄色いものもある。こっちのほうは間隔が少し狭く張られていて、布団1枚に2人という感じで数えてみると40人ぐらい詰め込めるように振られていた。

 荷物を整理して喫茶・売店コーナー行き1本500円の缶ビールを飲みながら時間を潰す。夕食が5時からで7時には朝ごはんの弁当が渡され、消灯は9時。とにかく山の上のスケジュールは早目早目に進行するのだ。5時までまだたっぷりと時間がある。おまけにガスは全く晴れない。部屋に帰って布団に横になりながら本を読んだり眠ったりして時間を潰した。そのうち隣のスペースにこちらもご夫婦が陣取られたので、挨拶方々、山雑談をする。浜松からこられた方でこの日は西穂高に登ってこられ、次の日はここから焼岳経由で中尾温泉に下りるとのこと。かなりの時間がかかるコースなのだが、われわれよりも高齢のご夫婦、なかなかお元気なのだ。


西穂山荘看板


喫茶・食堂・売店コーナー


にぎわうフロント前


布団2枚に3人のスペース

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8月3日、「慰安婦」問題を考えるシンポジウムへぜひご参加を!!

2008年07月30日 | 行事のご案内&報告

 今週末8月3日(日)、「慰安婦」問題の解決のために私たちに何ができるのだろうか、を考えるシンポジウムを行います。私を含む韓国にある元「慰安婦」の方たちが暮らす「ナヌムの家」を訪れた人たちが「被害者の証言を聞いて終わりでいいのか。『日本の政府は私たちが死ぬのを待っている』という彼女たちの問いかけに私たちは何ができるのだろうか」という思いから、周囲に呼びかけて準備してきました。

 実行委員は誰もが一個人の資格で参加、活動資金はそれぞれの自主的カンパで賄い、労働組合や市民団体などの組織には全く依存していない取り組みです。会場の大阪市住まい情報センターのホールは基本が150人、最大で300人が入れます。どれだけの人が参加してくださるのかまったく読めていません。開けてみなければわからないという状況ですが、多くの人たちと考え合える場にしたいと思っていますので、時間のある方、ぜひ立ち寄ってください。

 当日のプログラムを簡単に紹介します。

 1.神戸女学院大学の石川康宏教授が「学生と学ぶ『慰安婦』問題」と題して、体験的な問題提起を行います。「慰安婦」問題とはいったい何なのか――をわかりやすく説明する入門編に加えて、大学のゼミの取り組みを振り返りながら、私たちに何ができるのかを提起します。
  
 2.韓国「ナヌムの家」で元「慰安婦」の方たちと一緒に暮らしながら彼女たちの世話をしたり、ともに世界を駆け巡りながら証言活動に奔走、また日本軍「慰安婦」歴史館の解説ガイドを務めるなど多忙な生活を送る日本人研究員の村山一兵さんが「ナヌム発、日本人のみなさんへ」といった内容で、ハルモニ(韓国ではおばあちゃんのことをこのように呼びます)たちの生活やご自身の思いをお話されます。20代の日本人男性の若者がなぜ「ナヌムの家」で働いているのか、誰もが抱くこの疑問は私たち自身への問いかけとなって返ってくるでしょう。

 3.甲南大学と神戸女学院大学の学生・OBが「ハルモニに出会って」、「『慰安婦』問題を学んで」といったテーマで、若者たちがなぜこの問題に関わるようになったのかを語りながら、会場のみなさんと一緒に「何ができるか」を考えます。

 4.フロアーからの発言(自由発言)をお願いします。疑問、質問、さらに私はこんなことができるのでは、私はこんなことをしてきた・・・などいろんな意見が共感し合う場になればと願っています。

 5.最後に、呼びかけとして「私たちにできることは何か」ということで、一緒に考え行動できるさまざまな選択肢を提案します。


 会場案内などはこちらをご覧ください。

  
 

 

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自治体学校へ図書販売支援に行った。 

2008年07月28日 | 編集・営業ふらふら雑記

 先週末、25日と26日は第50回自治体学校での図書販売へ。わが地元の吹田市民書房さんが取り仕切って出店されるので、その応援に出かけた。高齢ご夫婦で店をやられているので地元関係者、出版社などから10人余りが協力を申し出たのだ。
 25日の会場は吹田市メイシアター。聞くところによると自治体問題研究活動の発祥の地がこの吹田だということで、50周年目なのでその原点に立ち返って開催しようということらしい。8時半に市民書房に出向き、トラックに段ボール40個あまりを積み込み出発、会場に着くと1階から2階へ台車で数回往復、ホールロビーの奥の方に机を並べ商品を陳列した。東京の版元からは大月書店、新日本出版社、合同出版、京都からかもがわ出版、そして大阪の機関紙出版が出っ張ってきた。各社それぞれ売りたい重点商品がありそれなりに目算を立ててやってきたが、設置場所の関係や人の流れの問題などもあってなかなか難しい展開になった模様で、2日目に期待をして引き揚げた。

 せっかくなので版元関係者5人でJR吹田駅前の居酒屋に突入、刺身系全品各2点、天ぷら系全品各2点、そしてビールを注文した。めったにこういう機会がないこともあって、業界のことやそれぞれのこと、さらに大阪方面の話題、対する東京方面の話題と話はあちこちへとめぐりその日の反省会を終わったのであった。

 26日の会場は分科会が行われる吹田市民会館と吹田勤労者会館の2ヵ所で図書販売。他に何ヵ所かの大阪市内の会場でも分科会が開かれたが、条件的に地元以外に出っ張ることは無理としてこの2ヵ所になった。私は吹田市民会館に応援のI西さん、K松さんと店を2つのフロアーに展開、環境問題や地方議会、教育問題などの分科会に合った本を並べた。ただ本というのはそのテーマに関する本を並べれば売れるかというとそこが難しいもので、他にも雑多な品目をそろえることが売上を上げるポイントになる。お客さんには地方議会や自治体関係者が多いので領収書が必携、多くの人がそれを要求された。公費だろうが自費だろうが、とにかく買ってもらうことが大事。そうしてこそやっとこ事態は前に進んでいくものというのが、目下の吹田市民会館内での出版業界関係者の共通認識なのであった。そんな中、となりで店を構える自治体研究社編集部のN尾さんと名刺交換(私はM尾だが)、あれこれの出版関連苦労話や東京都知事問題、プロ野球関連話などで分科会休憩時間待ち状態の時間を消費した。

 ところで昼食には、参加者はもちろん私たちにも地元吹田市内の弁当屋さんの弁当が支給されたのだが、環境問題やゴミ問題を勉強する分科会に参加する一方で、弁当の食べ残しがとても多く見受けられたのが気になった。まあ少し弁当の量が多いようには思えたがそれでも、なんのこっちゃという気がしないでもなかった・・・。

 

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ドキュメント「西穂高」登頂――その2

2008年07月28日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 駐車場からぼちぼちと歩いて第2ロープウェイ乗り場へ向かう。往復2700円の切符を購入、2階建の新穂高ロープウェイに乗り込む。急速に高度を上げみるみる駅舎が下方に遠ざかっていく。天気が良ければ眼前に笠ヵ岳や抜戸岳などの雄大な姿が見えるのだが、残念ながらガスに覆われてまったく見通しがきかない。時間的には昼を過ぎたころなので、こういう状態も山では普通のこと。7分で千石平の西穂高口に到着。この形のロープウェイになってから何周年とのことで乗車記念のくじ引きを改札出口で引いた。剥がしてみると3等と書いてある。何のことかよく分からないまま観光客でにぎわう屋上展望広場へ行き、賞品を受け取った。穂高の山々の様子を撮影したロープウェイ会社のオリジナルDVDである。1等は新穂高温泉の高級旅館の宿泊券で、2等はなんだったか? 3等は50人に当たると書いてあったので、まあこのお客さんの数から察すると、かなりラッキーだったようだ。後で下のフロアーの売店に行くと2000円で売られていたが・・・。

 天気はいまいちよくないが、くじ引きに当選したということは穂高に歓迎されているということなのだろうと解釈して、駅舎を出て登山口へ向かう。しばらく行くと、小さな小屋があって中に入るとデスクの上に登山計画書を提出せよと書かれ、用紙とボールペン、投函箱が置かれていた。が、ボールペンのインクがなくなっている。文字が書けないので提出しないで出発。まあ、一本道やし、すぐそこやからええんちゃう?ということにする。

 しばらくは平坦で水気の多い地面の置かれた木道を歩き、やがて本格的な登りが始まった。ずっと樹林帯の中を登り続ける。景色を見渡しても遠望はきかない。何ヵ所かの尾根道風の平坦な部分があると気分が安らぐが、すぐにまた汗カキカキの登りが続いていく。時刻は1時を回ったころだろうか、この時間からの登山者は少なくとも視野に入る前後には誰もいない。その逆でぼちぼち下山者と出会うことが増えてきた。「こんにちは」「こんにちは」と挨拶を交わしながらすれ違うのだが、やがて鈴なり状態に下山者が増えてきて、挨拶するのも疲れてきたので、そっちの方は前を歩く妻に任せることにした。多くの下山者は山荘に泊まり早朝から西穂高に登って来た人たちか、あるいは朝一番のロープウェイを利用して登って来た人たちだろう。登り始めて約1時間半、ようやく西穂高山荘の赤い屋根が目に入ってきた。やれやれである。
 

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とりあえず、こんな表紙です。

2008年07月24日 | ただ今、編集作業中の本

 女子大生本の表紙(校正用)が出来上がってきました。

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ドキュメント「西穂高」登頂――その1

2008年07月24日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 20日の日曜日、5時半起床。リュックに着替えを放り込み、ガレージから車を出して、近くの山崎ディリーで朝食を購入。6時15分ごろ吹田ICから名神へ入り、京都方面へ。渋滞もなく順調に進みそろそろ眠くなってきたころ秦荘PAで妻と運転を交代。あまり眠れなかったが目が覚めると東海北陸道に入り関近辺を走っていた。このまま郡上まで行くのかと思っていたら、突然車は美並ICで降りてしまった。「どこで降りるねん」と聞くと、郡上までの川沿いの道がいいので国道を長良川に沿って北上するとおっしゃる。ハンドルを握りながらキョロキョロ景色を眺める様子が気にはなったが、まあそのまま運転を続けてもらうことにする。

 郡上八幡をスルーして道は「せせらぎ街道」に入る。春は新緑、秋は紅葉の景色がとても素晴らしく車も少ない、もう何度も通っている妻お気に入りの道である。明宝の道の駅に入りしばし休憩。まだ8時ごろなので人は少ないが、それでも野菜売り場コーナーは採れたての地元産野菜を運びこむ農家の人やお客さんたちで賑わっている。大きめのきゅうり6本100円、太めのネギ1束100円、シイタケ100円、ニンジン100円、ゴボウ100円、トマト6個100円、ミニトマト20個100円、ミニトマト大10個100円、なすび6本100円・・・といった感じで何でもかんでも、量的にもこれが100円か?というような状態のものばかりである。ミニトマト大を買って売り場の前に溜めてある冷水で冷やして食べてみた。悪くはない。

 運転を交替し一路高山方面へ。クーラーはつけずに窓を開け放して走る。清流吉田川沿いに走っていくのだが、どうもこの川の源流というか、分水嶺はどこなのかが話に上がる。途中1ヵ所料金所を通過、道は高度を増しトンネルに入る。抜けると峠を越えたのか、川の流れは反対向きになっていた。信号は一切ない。両側に広葉樹林がずっと続くに快適な道が伸びている。いくつかのオートバイのグループが追い越していく。ほとんど対向車がいないので簡単に追い越せるのだ。最近東海北陸道が高山まで開通したらしくそっちを通れば早くいけるのか知れないが、この道がいい。途中にはキャンプ場や別荘地などもある。釣り人の姿も見られ、シーズンには岩魚やアマゴが放流されるそうだ。「街道」の終盤に入ったあたりでログハウスのコーヒーショップを発見。テラスに多くのライダーが集まっていて、なかなかいい雰囲気の店のように見えるが、とりあえずスルーして時間があれば帰りに寄ることにする。

 高山の市街地を通らずに行くつもりが、曲がる交差点を見失ってしまったので、道はナントカカントカという某宗教団体の巨大施設前を通って国道41号線へ合流。神岡方面へしばらく走左折、飛騨ビール工場前を抜けて丹生川町へ。時間はちょっと早いが昼飯ということで、いつもの板蔵ラーメンへ寄る。店内の壁の上の方に据え付けてあるテレビからは、14歳少年のバスジャック事件について報じる日曜朝のバラエティ番組らしきものが流れている。「なんか昔とは、味というか麺というか、ちょっと印象が違ってきたようやなあ」と話しながら食べ終わる。

 道路はここからは上り坂となり丹生川町を抜けていく。あの金塊が盗まれた鍾乳洞や朴の木平スキー場、乗鞍岳へ向かうバスターミナルなどを過ぎてクネクネ道の高度がぐっとあがってトンネルを抜けると視界が開けた。眼前に北アルプスの一部が顔をのぞかせ、急坂を下ると平湯温泉である。上高地や新穂高方面へ向かう観光客でにぎわうバスターミナルを過ぎ、温泉街を通り、新平湯温泉を抜けて蒲田川の橋を渡ると正面が栃尾温泉。右折して新穂高温泉方面へ。この辺りはあちこちに温泉があって、川沿いには公営温泉もある。道が新しく出来ており、いつの間にか長いトンネルに入った。できたてという感じのトンネルである。川沿いの温泉街を抜ける道が狭いので新しく作られたのだろう。出口は橋の下の露天風呂のあるところであった。橋の上から真下の露天風呂が丸見えの場所である。さすがは温泉地、なかなかのものである。
 
 ロープウェイ乗り場に向かって車を走らせる。以前、洪水で山が崩れ被害にあった深山荘の駐車場がいっぱいになっている様子を見ながら第1ロープウェイ乗り場へ向うが、途中で渋滞になる。どうやら駐車場が満杯のようなので、Uターンして第2ロープウェイ乗り場方面へ急いで上っていく。ところがここも満車らしく駐車待ちに。妻が車から降りて見通しを確認に向かった。料金所のおじさん曰く、登山者は別の所に停められるのでそのまま追い越して進んでくれ、とのこと。結局心配するほど時間がかかることなく、駐車場に車を入れることができた。
 
 

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女子大生本、8月3日には残念ながら間に合いませんが・・・

2008年07月23日 | ただ今、編集作業中の本

 8月3日(日)のシンポジウム「私たちに何ができるか―若者たちと考える『慰安婦』問題」に向けて発行を準備中だった新刊本が残念ながら間に合わなくなった。徹夜もしながら原稿を書きあげ、夜遅くまで研究室に残って校正をしたゼミ生のみなさん、またいくつもの締切原稿真っただ中にありながら、原稿チェックという難儀な割り込み仕事を快諾してゼミ生と一緒に奮闘いただいたI川教授、ごめんなさい。申し訳ありません。どうも私の見通しが甘かったようです。早めに手を打っておけばことは進んでいったのですが、いよいよ押し迫ってきてわが力量の未熟さが露呈したいう感じです。反省すべき点は反省すべき点として受け止め、とにかくベストな内容の本に仕上げていきます。

 さてこの本は、企画、取材、原稿、編集、タイトル決めまでそのすべてを神戸女学院大学石川康宏ゼミナールの4年生たちが行った、文字通り彼女たち自身の手になるもちろん初めての本なのです。別にもう1点、ゼミ編の本が進行中の中で急浮上した企画で、当初はどんな本になるのか不安もあったが、ゼミ生たちの話を聞くうちに、彼女たちの姿勢に感じるものがあって出すことを決めました。

 書名は『女子大生と学ぶ「慰安婦」問題』。内容は、2人の女子大生のお姉さんと2人の中高生が「慰安婦」問題をはじめとする日本の歴史問題を一緒に学んでいくというもので、難しい言葉にはルビを付け、吹き出しの言葉を読み進んでいくうちに、「慰安婦」問題、靖国問題、教科書問題、憲法問題などがいつの間にか学べるというもの。この2年間ゼミ生たちは、ただ知識として学ぶだけではなく、その学びをそれぞれの生き方、これからの人生にどのように照射していくのかということを模索しながら、その学びの内容を多くの社会人や中高生たちに語ってきました。そうした中で生まれたのがこの本です。

 「慰安婦」問題は教科書には載っていない。この本のもともとには「こんな大切なことをどうして教えてくれなかったのか」というゼミ生たちの疑問があります。その状況は今も変わっておらず依然として、彼女たちの世代同様に教えられていない状況にある中高生たちが大勢います。だからこの本は、そんな若い人たちをはじめ、もちろん「何ができるか」と考えている大人の人たちにも読んでもらいたいと願っています。

 発売日? うーん、そこが問題ですね! 本の詳細は後日紹介予定です。
 

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私の夏はもう終わりか・・・?

2008年07月19日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 夏本番到来!
 さっそくバテ気味感のあるなか、連日の本作り作業に追われている。まあ、優秀な編集者ならどうということはないことなのだろうが、9月初旬までに4点の新刊発行・・・。ようやく1点は月内に出来上がることになったが、それでもこの夏の間にあちこちの各種集会販売ほかいくつかの営業活動もこなさないといけない。うーむ、これで今年の夏はもはや終わりではないか・・・。まあこれも自ら撒いた種とでも言おうか、前に進むしかないんじゃ!と決意新たにする週末の深夜であった。

 そんな中、明日はちょっと穂高まで行ってくるのだ。おっと、明日は4時起きなのでもう寝なければ・・・。

 

 

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438人の「心と命の叫び」を私も体験、人ごととは思えなかった。

2008年07月18日 | 書評・紹介記事

 『この国に生まれてよかったか』(大生連編)を読まれたお二人の方の読後感が『生活と健康を守る新聞』(2008年7月20日、全国生活と健康を守る会発行)に掲載されました。ありがとうございました。

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第28回宵々山コンサート、暑暑レポート!

2008年07月16日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 そろそろ梅雨明けかと思わせる炎天下日曜日の京都、円山音楽堂の第28回宵々山コンサートに今年もでかけた。阪急河原町下車、地上に出てすさまじい暑さの中、「寄るな触るな近寄るな、はじけて飛ぶぞ」と叫びたくなるほどの人、人、人をかき分けながらクーラーバッグを引っさげて八坂神社方面へ向かった。まだ本宮ではないのに大変な人出である。例年の如く神社前のローソンに立ち寄りビール、氷、食べ物を購入しバッグに詰めこみいざ出発。神社を抜けて右に曲るといつものように人力車のあんちゃんが声をかけてくる。そして音楽堂をぐるりと囲む入場待ちの行列の最後尾に加わった。幸いに木陰である。シートを広げて座り込みとにかくビール、ビール。飲まずにはいられない暑さなのだ。まあ、こうやって気分よく待つというのも一つの楽しみなのですが・・・。

 振り向くと後ろにどんどん行列が伸びていく。コンサートの世話方のメンバーが時々様子を見に来たり、空き缶やゴミの回収にやって来る。世話方長老の三宅さんもメガホン片手に挨拶かたがたコンサートの説明に来られた。聞くと以前末期ガンになっていたが、ホノルルマラソンに参加してガンの進行が止まり、今は元気になったと話されるではないか。うーむ、不思議、不思議。実は、今こうして宵々山コンサートが行われ続けているのはこの人のおかげなのだ。1985年の第13回を最後に宵々山コンサートはその後8年間開かれなかった。どんな経緯があったのかは知らないが、それでも必ずや再開されることを願って毎年この音楽堂を自腹で予約し続けてきたのが三宅さんだったそうである。そして三宅さんの熱意に打たれて再開されたのが1994年の第14回からで、それ以後再び毎年開かれ現在に至っている。

 そうこうするうちに時間が来て開場されたらしく列が徐々に前進しだした。呼び込みばやしに迎えられながら入場、前から10列目ぐらいの中央やや右寄りの座席スペースを後から来る友人夫妻の分も合わせて4人分確保。確保といっても公園のベンチのようなプラスチックの長いヤツなのでどうにでもなるのだが・・・。西日がジリジリと差し込む中、いつものように元締めの永六輔さんがステージに登場、開演前30分間の時間待ち用の小噺をしてくれた。実にいろんなことを知ってらっしゃる方でその時は勉強になるのだが、1年も経つと前回何を話されてたのかすっかり忘れてしまっているのだが。やがて日が少し傾き始めた4時、開演時間がやってきた。

 今年のコンサートのテーマは「なかなか、そこそこ、まあまあ」。

 歌を聴いても、サイコー。
 映画を観ても、サイコー。
 美味しいものを戴いても、サイコー。
 最上級のほめ言葉が空しいこの頃です。
 まあまあのB級映画、そこそこの新人の演奏、なかなかのベテランの芸・・・。
 そんな味わい方の基本に戻りたい平成二十年です。 ともや
 (コンサートパンフレットより)


なぜ2千円札は消えたのか…など「さるお方」のことから不思議な計算式まで小噺いろいろの永六輔さん。


永さんの筆になる幟


西国三十三所巡礼で33曲を奉納、久々のソングブックを完成した高石ともやさん。


少年の頃、ラジオで聞いていた憧れのフォークシンガーたちと共演できる喜びを語った三上寛さんは13年ぶりの出演。


永六輔氏をして「この人の歌詞に出会ったため、私は作詞を辞めました」と言わしめた笠木透さん。


笠木透と雑花塾のみなさん


関西初登場のだるま食堂。会場に知っている人は10人くらいしかいなかったが、なんと関東では人気爆発中の超ボイン3人組。しっかりとしたコーラスと言葉のコントがおもしろい。


ヨイトマケの歌の熱唱が素晴らしかったパギやんこと趙博さん。浪速の歌う巨人。


炎天下の会場


どう見積もっても平均年齢は50歳か・・・。


西国巡礼歌を歌う高石ともや一行


なんと、桂米朝氏の突然の登場に会場が沸いた! 左から高石ともや、桂小米朝、坂本スミ子、桂米朝、永六輔の各氏。


「コンサートやっているんなら行ってみようか」と突然やってこられた。


中津川フォークジャンボリーに出演した3人の揃い踏み。三上寛、高石ともや、笠木透。


歌い続けて50年。熊本の幼稚園園長15年の坂本スミ子さんが初めてのCDアルバム「夢で逢いましょう」を引っさげて参上。次々と繰り出される大阪弁がきれいなのだ。歌唱力は若かりし頃とまったく変わらずの健在ぶりであった。


出演者総出でリズムに合わせる


八坂神社の灯りをもらってきて会場全員で火入れ式。舞台の提灯に灯を入れると、コンサートは終わりに近づく。


フィナーレ


「街」を歌いながら会場の人たちとお別れ・・・


 

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広島の勝利で気分よく宵々山へ出かけます。

2008年07月13日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 昨夜は帰宅後、チラチラとサンテレビの広島VS阪神の試合を見ながら晩飯の準備。投手陣の踏ん張りであの阪神打線を抑え1-0で勝つ。次から次へと優秀な選手をわが貧乏球団からかっさらっていき(というふうに見えてしまう)、まさにその成果で現在のようなチームになったわけで、まあ、それは仕方のないことなのでどうしようもないのですが・・・。でもそういう阪神に勝つというのは、まさに溜飲が下がるというか、なんとも心地よいものです。

 カープの勝利で気分よくしているところに珍しく妻が早く帰宅。土曜日なので普通に帰ればもっと早く帰れるのに、この時間の帰宅が珍しいとはこれ如何に。9時からの8チャンネル「ホームレス中学生」を見るためにとにかく切り上げてきたという。おまけに何人かの同僚にも薦めてきたらしい。まあ何にしても少しでも早く帰ってくれて何よりなのだ。明日(今日)は宵々山コンサートに行くのでそのためか、いつになく明るい表情に見える。

 ところでチケットを購入したか確認すると、まだ買っていないというではないか。ええっ! テレビを見た後買いに行くとおっしゃるが、番組が終わるのが11時半になるし、ビールを飲むと車は運転できないし、前売券はもちろん今日限りなのでそれはヤバイのんちゃうん、ということで急遽、購入に向かった。コンサートの案内はがきを見るとローソン以外のコンビニなら購入できるようだったので、ちょっと離れているが駅向こうのセブンイレブンに急いだ。機械のパネルをピッポッパ。だがおかしい。売っていない。あわててはがきをもう一度見ると、セブンイレブンではなくてファミリーマートかサークルKサンクスとあるではないか。ファミリーマートか・・・。この近くにはないなあと店内の地図をめくってみると、あるにはあるが、かなり離れた場所にある。うーむ、ではサークルKはどうかと地図を見るが載っていない。ここでようやく、サークルKサンクス?ということはサンクスも含まれることに気づいた。それならばこのすぐ隣にあるではないかと急襲すると、確かに看板のサンクスのロゴの中に「K」の文字がある。なるほど、コンビニ業界もいろいろ激しいものがあるのかと納得しながら店内に入り無事チケットを購入したのであった。やれやれである。

 ということでこれから宵々山コンサートに行くのだ。ではまた!

 


 

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またまた休日出勤してしまった。

2008年07月12日 | 編集・営業ふらふら雑記

 本日も午後から休日出勤。午前は自治会行事の第1回「紙ヒコーキ大会」を吹田市立東小学校体育館で開催。総勢50人が参加、同じ規格の紙ヒコーキを作り、その飛距離を競うというもの。ちょっとした工夫や調整でよく飛ぶものもあれば、飛行というより落下といった方がいいようなものなど、さまざまなヒコーキが飛び交った。輝く第1回大会優勝者には大人の方が選ばれ、飛距離は12m余りであった。まあ初めての企画にしてはまずまずの成功だったのではないか。ところで打ち上げはいつするのだろうか? それが気になった。

 午後はなぜか睡魔と闘いながらの文書作り。8月の「慰安婦」企画とそれに向けた本作り関係の文書である。うまくころんで反応があればいいのですが・・・。さてその本作りであるが、やや暗雲がかかってきたような・・・。なんとか払拭して間に合わせねば―――! と決意新たにするのであった。 

 

 

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なぜか、JR西日本への小言2題・・・

2008年07月12日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 昨夜は8時過ぎに職場を出る。大阪駅で乗り換えようとするとまたまた事故である。高槻、島本間で人身事故のためいつ動くかわからないとのこと。仕方なく、阪急梅田駅に行き代行輸送に身を任せる。北千里線吹田駅で降りトボトボとJR吹田駅方面に歩いた。同じような人が何人もいる。ちょうどJR線沿いに歩くので電車が動いているか動いていないかすぐわかる。もうすぐJR吹田駅に達しようとしていとその時、大阪からやってきたJRの電車がホームに入ったではないか! やれやれである。そういえば以前にも全く同じような経験をしたことを思い出した。おい、JR西日本よ、なんとかしてくれ~え! 
 
 ある朝、満員状態のJR電車でのこと。車内放送で「…痴漢行為、迷惑行為など見つけられましたらただちに乗務員までお知らせください」と言っていたが、この満員状態の中、どうやって一番端っこの車両に乗っている乗務員に知らせろというのか・・・。よくわからん放送であった。ひょっとして各車両に乗務員連絡用の何かマイクのようなものがあるのだろうか? あるいは伝言ゲームのように隣の人に「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→「痴漢発生!」→・・・という感じで伝えていけばいいのかな? ついでに言うと、駆け込み乗車禁止を呼びかけるアナウンスがなぜ車内で、しかも大概いつも大声で放送されるのか? 夜、帰りの電車で大声を聞かされると余計に疲れるんです。かんにんしてや・・・。いったいすでに車内にいる人がどうやって駆け込み乗車をすることができるのか? ようわからんJR西日本である。   

 

 

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いったい自分は何をすればいいのか。課題をつきつける本である。

2008年07月10日 | 書評・紹介記事

 『この国に生まれてよかったか』(大生連編)の書評を原野早知子さん(弁護士)からいただきました。ありがとうございました。(民法協機関紙『民主法律時報』2008年6月27日号に掲載されていたものをご本人の了解の上、以下に紹介させていただきます)

 生活保護は収入がなくなったときのセーフティーネットだ。困った人がいたら、とにかく生活保護を受ければ何とかなる。そう思っていた。

 受給するまでに様々なハードルがあり、なかなか受給に至るのが大変なことは知っていたが、受給後の「生活保護」の中身に思いを致したことはほとんどなかった。この本に集められた「生活保護利用者」の声は、受給の際の不条理な「条件」の告発でもあるが、私が衝撃を受けたのは「生活保護」の内容だった。

 1日3食食べることができない。毎日風呂に入ることができない。お金がいるので冠婚葬祭にも顔を出せない。友人との付き合いもできない。旅行やレジャーなど論外。

 生活保護は、憲法25条の「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するものだったはずである。しかし、食ペることすらぎりぎり、人との付き合いもできず、ただ生きているだけという生活が「健康で文化的な最低限度の生活」と果たして言えるのだろうか。しかも、そこから更に、母子加算が削られ、医療費が有料化されようとしている・・・。

 その昔、「朝日訴訟」という裁判があった。結核療養所に入所して生活保護を受給していた朝日茂さんという方が受給額の減額を違法だとして訴えた裁判だ。結核療養所では、亡くなった患者の寝間着を死体から脱がせ、それを生きている患者が着なければならなかったという。朝日茂さんはそのような生活が「健康で文化的な最低限度の生活」といえるかを問うたのである。

 私は「朝日訴訟」は過去の事件だと思っていた。しかし、この本は、この国の至るところに、「健康で文化的な最低限度の生活」の保障を訴える「朝日さん]がいること、この国の生活保護行政が決して「朝日訴訟」を過去のものにできない、極めて低レベルの状況であり続けていることを教えてくれる。

 所得格差が増大し、「ワーキングプア]が200 万人と言われる「この国」 。生活保護の必要性はますます大きくなっている。「この国に生まれてよかった」といえる国に、社会になるために、一体自分は何をすればいいのだろうか。課題をつきつける本である。


 

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まず、民主勢力の人たちに読んで欲しいのです。

2008年07月09日 | 編集・営業ふらふら雑記

 今週末校了見込み、再来週末出来予定の最新刊『聞きたい 知りたい 性的マイノリティ』―つながりあえる社会のために 杉山 貴士編(8月4日発売予定、A5判200ページ、定価1500円)の著者のひとりである宮本たけしさんがHPでこの本について紹介されていますので、ご覧ください。

 日本の人口の4%~5%といわれている性的マイノリティの人たちとともに歩む社会の実現に向けた問題提起の本です。いわゆる民主勢力といわれる政党、労働組合をはじめとするさまざまな民主団体に属する人たちにまず読んでいただきたいとの思いをこめて編集しました。なかなか刺激的な内容で、ある意味、目からウロコの本です。

 


 

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