まいど、日本機関紙出版です。

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土佐いく子の教育つれづれ~「ずっと孤独」な自分をののしられた

2023年06月12日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 長野県中野市でまたショックな事件が発生した。男女4人が殺害され、「自分がいつも一人でいることをののしられた」と動機を語っているという。

 「自分は、事件は起こしたりはしないけど、その青年の心境はわかる」と学生たちは言う。「自分も一人、孤独感、何のために生きているのか、これから何のために生きていけばいいのかわかりません。ふとした時に死にたいと思ってしまいます」

 3年間コロナ禍で高校生活を送った学生が大学に入学してきて、キャンパスが賑わっている。しかし、その賑わいの中で、多くの学生がSOSを発していて、それに耳を傾ける日々を送っている。

■自分をわかってほしい
 学生の間で『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』という本が読まれているとか、「目立ちたくない」「浮くのが怖い」から「大学通信に実名を載せないで」という人がとても増えたなあとは思う。

 しかし、実は、学生たちは自分のことを知ってほしい、わかってほしいと一層強く願っている。授業の感想カードに「ちょっと聴いて」コーナーを設けたらなんとそこにびっしり自分の悩みや不安、願いが書いてあるではないか。先生にだけ知ってほしいというものもあれば、仮名なら大学通信に掲載してくれてもいい、実名で掲載可能も少ないがある。

 「私には、強いアレルギーがあり、大学で症状が出ると呼吸困難になったり、最悪意識障害になったりします。大学では、クラスがなくて伝えることもできず不安な大学生活です」と書いてきた学生に、講義の時、みんなに知ってもらったらどうかと話したら「この授業が一番素の自分が出せるし、通信とか読んでくれているので、わかってくれそうに思うので話してみます」と。翌週、彼は大きな講義室で、マイクでしんどくなって倒れたりしたら助けてほしいと訴えてくれたのだ。

 その日の感想カードに「話し終わったら拍手が出て、みんなあたたかいなあとほっとしました。大学生活の安心材料ができました。あれから、『あっ佐藤君やんな!覚えたよ』と何人も声をかけてくれ、『ありがとう』だけでは片づけられないくらい感謝です」と。

 このカミングアウトに励まされたとADHDの学生も、自分の状況を訴えた。すると、また「夕べは、言おうかどうしようかとさすがに迷ったけど、私もASDとADHDで極度のうつ状態にもなるので、みんなに知ってもらいたいと実名を公表してよいと文章を書いてきたのだ。

 来週は「多汗症」という病気があって、そんな病気で困っている人がいることを知ってほしいと公表すると言う。

 「大学は、クラスがなくて、遠くからこの大学に来てさびしかったけど、自分のことを次々とカミングアウトしてくれ、この講義の教室は過ごしやすくて暖かいなあ」「初めて信じられる大人に出会った」「この授業では、いくらでも素直に自分のことが書けて読んでくれる。わかってくれる。先生に返事の手紙をもらって、涙が出ました。今の自分でいいんだと思えて、楽になりました」と学生たちは書いてくれている。

 今年も大学に来て良かったと思う。大した仕事ができているわけではないが、安心して自己表現ができて、それを受け止め共感してほしい、してくれると思えることがこんなにも学生の心に明かりを灯すことができるんだと改めて実感している今だ。

 冒頭に書いた事件の青年は、大学時代にいじめに遭い、大学を中退したとも書いてある。元法政大学学長の田中優子さんは「この報道を聞いて、大学のありようを考えなくちゃ」と語っていた。きっと大学に来るまでにいじめに遭い、孤独感を抱いてやってきた大学で、一人ぼっちでいることに冷たい目線を向けられたのだろうと思うが、その胸の内を語れる場や空気が大学にあったらと願う。

 昨年の授業でも「こんないじめを受けてきたが、相談相手がいない、逃げ場がない、先生も親も信用できない、毎日死ぬことを考えていた」と訴え、これを公表したことで、今、顔を上げ生きようとしている。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~子どもらの作文に見る明日に生きる希望

2022年09月07日 | 土佐いく子の教育つれづれ

あっちゃんとおねしょのかみさま      一年 藤井貴子
 きのう、あっちゃんのおかあさんが、おねしょのふとんをほしていたから、わたしが、
「どうしたの。」
といったら、あっちゃんのおかあさんがいった。
「あっちゃんがおねしょしたのよ。」
ていった。そして、あっちゃんが、いった。
「ぼくしてないよ、おねしょのかみさまが、あっちゃんのおふとんにはいってきて、おねしょをしたの。」
 わたしは、あっちゃんのこのはなしをしんじています。

         ◆  ◆  ◆

 「わたしは、あっちゃんのこのはなしをしんじています」という貴ちゃんのかわいらしさにほっこりしますよね。
         ◆  ◆  ◆
お父さんのことば          三年 島下房子
 夜、お父さんは、いつも同じことばでしゃべる。まだごはんのしたくができていない時には、すぐに
「めし。」
という。お母さんがほかのことをしててもいう。わたしはどうしてだろうと思う。
 こんどは、お父さんがおふろに入りたかったからすぐに
「ふろ。」
という。手つだってやっても、つぎからつぎへとお母さんにたのむ。お母さんが、
「人にたのまんと自分でし。」
とお父さんに言う。
 お父さんは、おふろから出たら、すぐにふとんに入る。それまでにふとんをひいてなかったら、大きい声で
「ふとん。」
という。ねるときは、少しだけテレビを見る。ねむくなったらお母さんに
「でんき。」
という。
 お父さんはそれだけのことばしか知らないのかな?
 わたしはいつも思う。
 お父さんは昼まだけはちゃんとしゃべってるんかな。どないしてるんやろ。
 お母さんごくろうさま。
   ◆  ◆  ◆
 思わず笑ってしまいます。ほほえましい家族の笑い声まで聞こえてきます。
 父ちゃん昼間はしっかりしゃべって仕事がんばってまっせ!

   ◆  ◆  ◆
私ってどんなイメージ?         五年 穂乃佳
 私ってどんなイメージなのかなあと時々思う時があります。
 なぜそんな事を考えるかというと…。
 二組の米山先生は生徒の名前を下の名前で呼んだりしています。例えば龍田さんだと「じゅり」って呼んだりしていました。でも私を呼ぶときはなぜか「出口さん」やほかにも米山先生は、給食のワゴンを運んでいくときに、
「出口さんお通りください。」
などと言われたりします。
 米山先生以外には、じゅくの先生にも一度だけ、テスト返しの時、生徒の名前をおもしろおかしく変えて呼んだことがありました。
 まりえちゃんなら「マリエッティー」
 みさきちゃんなら「みちゃき」
 私はなんて呼んでくれるのだろうと楽しみに待っていたら、やっぱり「出口さん」でした。「ほのかちゃん」ぐらい言えんかー!と思いました。お母さんに話したら、
「かたくて、いじりにくい性格なんかなぁ」と言われてショックをうけましたが、私は私のキャラでこれからも生きていきます!!
   ◆  ◆  ◆
 「ショックをうけましたが、私は私のキャラでこれからも生きていきます!!」。この爽やかな明るさが素敵!子どもがすくっと育つ瞬間です。

 子どもの作文は、おもしろい。読んであげてください。なにわ作文の会『教室で読みたい綴り方』の注文先は土佐(090・1952・0671)。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~作文が好きになる 『教室で読みたい綴り方』発刊(なにわ作文の会)

2022年08月04日 | 土佐いく子の教育つれづれ

自分の書きたいことを自由に書いた子どもの作文は、実に面白くて可愛いです。
   ◆  ◆  ◆
ぼくがにんじゃだったら
あらた(一年)
 ぼくがにんじゃになりたいのは、ぶんしんしたいから。もし、ぶんしんできたら、ひとりめのあらたは、がっこうにいかせて、ふたりめのあらたは、ピアノにいかせて、ほんもののあらたは、ゲームをしとく。それで、ぶんしんのじゅつ。
   ◆  ◆  ◆
あっちゃんとおねしょのかみさま  貴子(一年)
 きのう、あっちゃんのおかあさんが、おねしょのふとんをほしていたから、わたしが「どうしたの」といったら、あっちゃんのおかあさんがいった。「あっちゃんがおねしょしたのよ」ていった。そして、あっちゃんが、いった。「ぼくしてないよ、おねしょのかみさまが、あっちゃんのおふとんにはいってきておねをしたの」
 わたしは、あっちゃんのこのはなしをしんじています。

 子どもたちは、この時代を生きづらさで悲鳴もあげながらも、子ども心を失わず健気に生きています。
 日頃、目の前の言動にイライラしたり、腹立たしく思っていても、こんな子どもの文章を読むと、やっぱり子どもって可愛いよと思わずほほがゆるむでしょう。
 こんな楽しい子どもの作文がいっぱい掲載された作文集が、この度なにわ作文の会から発行されたのです。
 先生方が教室で楽しく読んでくださると子どもたちは「ぼくもそんな話あるある、聞いて」と思わず話し始めます。こんな日々を重ねていくうちに、「先生ぼくらも作文書きたい」と言いだし、作文のある教室が生まれてきます。家庭でも、本を読みきかせるように、この作文集から、子どもの興味のありそうな作文を読んであげるときっと喜ぶことまちがいありません。「もっと読んで」と言い、そのうちに自ら手に取って読み始めたりすることでしょう。
 作文の楽しさや面白さを知らせずして、文章の書かせ方ばかり指導するので、作文嫌いになってしまったのです。

■今こそ自由に綴ろう
 私は、この本の前書きで次のように書きました。
「文章を書くという行為は、人間発達の根幹です。生きて働く本物の学力をも我がものにします。書くことを通し、人間、自然、社会をみつめ、思考し、認識を深め、自己形成をしていくのです。
 私たちは、子どもの書きたいことを自分のことばで綴ることを何より大切にしてきました。その活動は、自由で実に主体的な行為だからこそ、自己への肯定感を育み、自分を確立していくのです。とりわけ今日、自己否定感が強まり、生きていく自信や希望が持ちにくい中で、書き綴る活動を通して、自分を取り戻し抑圧から解放されるといういとなみが大切になっています。
 人間は、だれしも自分を表現したいという願いを持っています。そして、同時にその自己表現を共感して受け止めて欲しいと願っています。
 コロナ禍でコミュニケーションに困難を抱えている中で、人は人を求め、人とつながることの値打ちが心に染みています。だからこそ今、作文教育の出番だと言われているのです。
(一部略)
 『書くのが嫌いな子が好きになる方法は?』と聞かれます。あります。それが、この魔法の本なのです。この本には、本当の子どもの姿が子どもらしい文章で書かれた作文がたくさん載っています。自分の書きたいことを書きたいように書きたいだけ思いをためて自分の言葉で自由に書いた作文だからこそ、子どもの真実が見えるのです。そして、大人と違う子どもらしい表現が光っているのです。ともかく読んでみてください。子どもを再発見されることでしょう。『こんなふうに書くと上手になるよ』それは禁句です。大切なことは、作文って面白いなあということを楽しく読んで届けてあげることなのです」

 あなたの手元にもぜひ一冊!本の注文は土佐まで(090・1952・0671)。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~若者たちに武器より花を 花のある暮らしに癒されて

2022年07月19日 | 土佐いく子の教育つれづれ

■ふるさとの風景

 ふるさとの大河、吉野川沿いの村に生まれた。藍染のふるさとだ。土を耕し、土と共に生きてきた両親のもとで育った。
 桃源郷のように村のいたるところに花が咲く。田んぼの畦道や川の堤防には野の草花が一面に咲く。そこが私のふるさと。
 嬉しい時も淋しい時も、花にまつわる思い出がこの胸にいっぱい詰まっている。花が大好きだった母が、庭にも一面花を育てていた。その一つ一つにも思い出がある。
 そんなわけで、私はいつも季節と共に生き、花と共に生活しているという感覚がある。

■花のまわりに人の輪
 今朝は、ウォーキング帰りにホタルブクロを摘んでいたら、花好きの私にとアザミを3本摘んで走って届けに来てくださる近所の方がいる。ぬくーい気持ちが通い合う。
 帰って早速、すすきの葉を添えて生けるとたちまち心はふるさとへ。新しい風が身体の中に吹いてきて今日も元気!
 夫が畑から野ばらの白い花を持って帰ってくれた。こんな素朴で静かな花が好きだ。ふるさとの俳人、橋本夢道の俳句を思い出す。〝花茨釣れてくる鮒のまなこの美しきかな〟あの吉野川で釣った鮒だ。いっぺんに心が安らぐ。
 コロナ禍で外出が減り、講演などもズームで家から配信している。幸い朝早くからとび出して、夜遅くに帰るという生活でなくなった。朝は起きると鳥の声を聞きながら、育てている庭の花たちにご挨拶。水は足りているか、虫にくわれていないかと。あっ紫陽花につぼみがついた!初雪かずらに白い花が一輪咲いた!信州から連れて帰ってきたカワラナデシコがもうすぐ咲くわとわくわく!こんな一日の始まりで、血の流れが変わったと実感する。花が咲きいつ散ったかもわからぬような多忙な日々から少し放たれ、泰山木の花が咲いているのを見つけたら、とんで行って絵を描いてくる。
 先日、地域の九条の会の皆さんと久々に対面し、緑道をウォーキング。一つずつ花に足を止め、名前を紹介し、花にまつわる話などしながら歩いた。
「この花ね『ベンケイウツギ』って言うのよ。あの源平の紅白に因んでつけられたらしいよ」
 病気の家人の世話をしているという人は、摘んだ花を片手に「こんなに花に癒されたことは久しぶりです。ほんとにいい一日でした」と満面の笑みで帰って行かれた。

■コロナ禍の大学でも
 大学の講師になって14年、週1回大学へ。毎回欠かさずその日は講師室に花を生けて飾っている。時々花瓶の下にラブレターがはさまれている。
「お会いしたことはありませんが、この花と出会えるのが一つの楽しみで大学に来ています。この前のスイカズラ、うっすらとしたピンク色に見とれていました。花好きの仲間と出会えて喜んでいます。一度ぜひお会いしたいです」
 教務の人たちもいつも花を見に来て、花瓶を2つも差し入れてくださった。そんなご縁から、学生たちの話がよくできる関係になり、願ったり叶ったりだ。
 今、大学のキャンパスには珍しいチリアヤメがあちこちに紫の小さな花を咲かせている。一日限りの命を精一杯輝かせている。
 最近、若い人の建てた家を見ると土のない家が増えている。草を生やしたくないのだ。
 大学生もほとんど花の名前を知らない。いや花が咲いていても心が止まらないようだ。私は、大学通信に毎回花の絵を描いて話もし、時には実物も持参して見せている。
 コロナ禍で孤独感に陥り「なんだか生きているのが嫌になり、これから先、どう行きていけばいいのか不安ばかり。ふとした時に死にたくなったり…」こんなことを書いてきた学生が、半年後にはランニングを始め、先日は「公園を走っていたら、この前先生が教えてくれた花が咲いていて、なんか名前がわかると面白いですね」と書いてきた。身体を動かし、命ある花に心寄せ、顔を上げているではないか。
 花が美しいと思えない時、思わせない時、それは、戦争だ。若者たちに「武器より花を」と願う。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~職場の人間関係に悩む ギスギスにはわけがある

2022年02月10日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 人と人とのかかわりに気を使い、そのことで心を病んで苦しんでいる人が多くなっています。最近そんな相談がぐっと増えました。管理職とのこと、同僚とのことなどです。増えているのは、なぜでしょうね。やはり、現場の多忙化が一番でしょう。

 そして、成績主義、評価主義で、とりわけ管理職などはその圧力に苦しんでいます。いじめ、不登校が増えている、若い教師のクラスが崩壊状態にあり、親から不満が出ているとなると、校長の評価にかかわります。

 まだあります。学力テストのランクづけがされ、テスト結果の成果を出せと迫られています。まだあります。コロナをきっかけに一気に導入された「ギガスクール構想」(1人1台タブレット)の中で、機械操作にばかり目がいって、子どもたちの姿が見えにくくなっています。

 管理職も、一人ひとりの先生方の苦労や悩み、がんばりすら見えなくなって、うまく仕事が進んでいない様子ばかりが気になって、きつい言葉で叱責する事態が増えています。

職員室崩壊かと思う学校で
 私も小学校に勤務していた頃、かなりの困難校に配属されていました。職員室崩壊かと思うくらい「この学校に1分もいたくない」という職場もありました。組合の幹部が来た、と構えていた管理職が「先生、なんとか職員が仲良くなるために力貸してください」と言うほどでした。

 転勤して荷物を運び入れたその日、余りの荷物の重さに作業員さんが手伝ってくださったのです。お礼にカバンに入っていたみやげの菓子を差し上げたら「来たとたんに菓子を配って自分だけいい子してる」と、早速攻撃の声。ヒャー、これかと思ったが、他人のすること為すことに関心があるのです。そうか無視するよりいいじゃないか。でも、他者を悪く言うのは、ご自分が充たされていないんだなと思いました。

 子どもの「荒れ」が叫ばれていた頃で、確かに先生方も苦労なさってきたのです。私はその話を聴かせていただこうと思いました。「先生、そりゃあ大変でしたね」と声をかけると、聴いて聴いてと寄ってきます。「でもその中で、あの児童祭をやりあげたってすごいですね」と、先生方のこれまでのがんばりにエールを送りました。

 廊下を通っていると、いい絵が掲示されています。「先生、子どもら、よう描いてますね、どんなふうに指導なさったんですか」と聞きます。全校朝会で子どもに話をなさった先生には「今日、子どもらいい顔して聞いてましたね、ええ話やったわ」と声をかけます。

 充たされずギスギスしていた先生方の表情が変わり始めました。PTAの会長さんが「職員室から笑い声が聞こえるようになりましたね」と言ってくれたのです。

 顔面神経痛の教頭先生の顔からこれまでのご苦労が見えます。子どもの詩や作文を読むのに関心があるようで、私は教室からそれらを持って職員室の教頭先生に見ていただくのです。ほっと笑顔が出て、子どもの話ができるのです。

 先生が集まって来れて、子どもの話ができる職員室にしたいと願っていました。読み聞かせてよかった本を持って行くと「貸して」という先生も出てきて、子どもの話が出るようになったのです。いろんな研究会に出かけていたので役立つ資料はコピーして皆さんに差し上げ、学級通信を読んでくれる先生も増えていきました。

 なによりも職場のどの人からも学ぶものがあると発見し、西下先生に絵の指導について教えていただこうと何人かで学ぶ場ができたりもしました。

 それでも気の合わない人、あの先生の指導はよくないと思う人もいます。

 娘の自慢話ばかりするコワーイ松山先生と初めて昼食を一緒にしたのです。やっぱりなあ、娘の話ばかり…きっと何かあると思っていたら、もう一人高校生の息子さんがいて、長い間不登校だと。そうか、毎朝息子さんと格闘しながら仕事場に来てイライラ、そりゃあコワイ先生にもなるのでしょう。そう思えると、私は松山先生とつき合えました。困った子どもも嫌いな先生もみんなわけがあるのです。

 自由であたたかい職場から人間を育む教育は生まれるのです。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

 

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土佐いく子の教育つれづれ~30年前の教え子からの電話 コロナ禍で人恋しくて

2021年01月12日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 人と人とが気楽に会えないコロナ禍だからか、人恋しくてメールや電話、手紙が頻繁に届く。夕べも30年前の教え子の親子からの電話だ。立派に仕事をし母親を引き取って同居することになったと言うではないか。

■波乱万丈の親子

 修学旅行の朝、まさみがまだ来ていない。担任を外れてはいたが、朝から親子で大喧嘩と言うので、私が自転車で飛んで行く。修学旅行には行かせないと大声で怒鳴る。ずいぶん押し問答したが、決着がつかず、えーい、仕方ない。「私が責任持って連れていくからね。まさみ、先生といっしょに行くで」と連れ出す。現地に着いてすぐに昼食。まさみは隣のクラスにいるのだが、お菓子の袋を下げて私の所にやって来て「これ母さんが土佐先生にあげろって」。夕べもこの話で大笑い。波乱万丈の親子の人生だ。

 初めて担任したのは、三年生の時だった。初めての図工の時間、外へ出て花のスケッチをした。その時、まさみはみんなから離れて一人、土の上をはうような格好で、お尻だけ上げて、たんぽぽの花を30分近くも集中して描いていた。言葉遣いが荒く、すぐに手が出る足が出る、授業中に居眠りはするし、兄の万引きにはついて行く、あのまさみの本当の姿を見たと思った。この子は育つと実感。

 家庭訪問は来るなと言うが、何度も足を運び「お母さん、話したいことがあるんです。まさみ、この頃がんばっているから、その話ぜひ聞いてほしいから、明日5時半に来ます」。翌日、またすっぽかされるかと思いきや「家の中は汚いから入るな」と軒下での訪問。

 「この子はいらん子や。男だったら産んでもよかった」とまさみの目の前で平気で言う。「お母さん、この子産んで良かったと思う日が必ず来ますよ」と言った通り、この子の世話になるようになって同居。「先生の言うてた通りやなあ」と夕べも二人で大笑い。

 まさみは生活に足をつけて生きている。新しく習った漢字で文を作る時、「わたしはこの間、電球が切れたから、つけ変えました」(球を習ったので)。「根」を習うと「この前、きゅう根が出ていたからもとの土の中へうめてあげました」。「皮」を習うと「二年のとき、姉ちゃんと玉ねぎの皮をむいていて、目にしみました」。命あるものに心寄せ、生活者として実にたくましく生きているではないか。クラスの仲間のまさみを見る目が変わってきた。

 私が出張で学校を休むと言うと、走ってきて「休むんか、休んだらあかん」と服を引っぱって甘えてくるようになったのが嬉しかった。

 そんな矢先の万引き事件。体を引き寄せて「まさみ、先生がまさみのこと大好きって知ってるやろ、その先生をこんな悲しいめにさせて、まさみはあかん」とそれだけ言うと、めったに涙など見せぬ子が大粒の涙をポタポタ落として泣き続けた。この子は大丈夫と思ったあの日が昨日のことのようだ。

 二学期の個人懇談会。また親は来ないと言う。学校には兄たちが悪いことした時だけ呼ばれるから学校は嫌いという。手紙を書き電話をかけ、必死に誘ったが、一番来て来てと言ったのはまさみ本人だった。約束の時間を1時間も過ぎた頃、つっかけの音がして、教室に入るなり「遅くなりすみません」ではなく「先生、うちの子、賢いやろ」だった。あんな子いらんと言いながらも、わが子が目の前で賢くなっていく姿を見れば、やっぱり母ちゃん嬉しくて学校に来るんだ。

 しかし、波乱万丈はまだまだ続く。母親が家政婦をすることになり夜、家を空ける日が度々あり大騒動。まさみがご飯を炊き、洗濯もし、布団もあげて、実にけなげに家事をやっている。しかし、冷蔵庫は空っぽ。一緒に買い物に行くと「先生とまさみ、ほんまに親子みたいやなあ」と言う。持って行った肉じゃがだけ渡して、あとは自分たちでやるんだよと言って帰った。

 一生面倒みれるわけではないので、どこまで援助したらいいかと心が揺れる。9時頃、戸締りをして布団もちゃんと敷いて寝るんやでと電話すると、「先生、あのじゃがいもおいしかったわ。残ってるやつ朝も食べるわ。先生、風邪なおったか」と優しい女の子の声がした。

 今、まさみは、地に足をつけ働き、家庭を持ち、母親も引きとってたくましく生きている。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~若い看護師に元気をもらう 5日間の入院生活で

2020年12月23日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 大型台風のニュースが飛び交うなか、私にとっても人生初の小型台風が飛び込んできた。

 なんと足を骨折したのだ。「左第五中足骨近位端骨折」という診断だった。大げさな病名だが、大したことはなかった。しかし、この部位は繰り返し骨折しやすいところなので、金具を入れて補強する方がいいというので、人生初の手術を受けることにしたのだ。担当医が、少年のような目をしているのが良かった。しかも男前だし…。

 入院、手術と言うので、周りはあっと驚いていたが、一応麻酔はしたが、簡単なものだった。目覚めたときは点滴につながれ、ギブスで固められていた。自分はあかんたれで、怖がりだと思っていたが、初めての体験に好奇心で興味が湧くから、我ながらおかしかった。

 多くの方とかかわって生活、仕事をしているので、いろいろご迷惑もおかけし、私の手術のニュースでずいぶん驚かせた。しかし、大したことなかったと知ると「松葉杖生活しばらく続きますね、松葉杖を振り回している姿が目に浮かびますよ」なんていうメールが届く始末。よし、それなら松葉杖振り回してる姿をラインで送ってやるか。

 4人部屋で5日間入院生活を送った。二人は認知症の80~90歳の方で、ずっと寝てばかりだ。自分の老い先のことなどもいろいろ考えさせられた。病室には、入れ替わり立ち代わり看護師がやって来る。その認知症の方のところには、三度の食事と下の処理。それに訓練士がマッサージにやって来る。親でもためらう下の処理を若い看護師が実にさりげなくやっている姿を見て頭が下がる。めまぐるしく一日中立ち働いている。看護師には流早産が多いというのも頷ける。

 私は、彼女たちの働きぶりをずうっと見させてもらい、多くを学ばせていただいた。

■患者の名前よび声をかける
 さて、その認知症の方は、寝てばかりで食事を口にしないのだ。一口二口無理やり口に入れられたものを飲み込むでなく、またすぐ眠ってしまうという始末。ところがある日の若い看護師の時は、いつもと違って食事が進むのだ。

 「山本さん、山本さん、おはよう、山本さん目開けて。聞こえる?山本さん朝ごはんだよ」と何回も耳もとで澄んだ声で呼びかけると、うっすら目を開け反応しているではないか。

 「山本さん、ごはん食べようね。じゃがいもだよ」と一つずつ食べ物の名前を言い「ハイ口開けて。ハイ噛んで。ほら飲み込んで。そうそう食べられたね」と繰り返し、根気よく呼びかけては食を促している。ずいぶん時間をかけ、単なる仕事の一つという風ではなく、この人に食を届けようと心から励まし続けている。うわあ山本さん、今日は自ら口を開け、食事をしているではないか。ほっぺたがうっすらピンク色になり血が通い始めたようにさえ思う。

 思わず私も「山本さーん今日よく食べたね。顔が元気になって、ほらあかーくなってきたよ」と声をかけると、目を開けて私の方に手を差し出すではないか。若い看護師に言った。

 「人間の声とか、言葉の力ってすごいよね。こんなに食べたの今日初めて見たよ。あなたが何回も名前を呼んであげたでしょ。その度にうっすら目を開けてた。食べ物の名前も言ってあげたから自分がこれから食べる物がイメージできて、その気になったのよね。口開けて、噛んで、飲み込んでと一つずつ動作を呼びかけ、根気よく誘いかけてあげたからよね。自分の親にこんなふうにしてくれてたらと思うと涙が出そうやったよ。あなたの声がとっても良かった。言葉も優しくて患者を元気にする魔法の力があったよ」

 若い看護師は笑顔を残して部屋を出て行った。爽やかな風が病室に吹いていた。

 人間の教育のありようを学ばせていただいた。

 この入院生活は、おかげで大した病気ではなかったので、ゆっくり読書し、絵も描き、この原稿も書いていて、初めての体験から多くを学ばせてもらった。健康自慢はせず、今も難病で苦しんでいる人の辛い日々に心寄せて生きたいと思う。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~「なんか学校楽しいな」信頼と安心の教室で

2020年08月31日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 学校が再開し、あわただしく駆けるように過ぎ、今頃夏休みが始まって喜びいっぱいの時なのに「今日もテストやったわ。あ~いややな」の声。すでに不登校なども始まっているようで、相談の電話がかかってきている。
 そんな中で、こんな嬉しい子どもの作文が飛び込んできた。

 ◇  ◆  ◆  ◇
 先生いっぱい…
      五年 純太郎


 ぼくが、なぜ「先生いっぱい…」の作文を書こうと思ったかは、理由があります。
 それは、ぼくは正直に言って一年から四年までは学校が大きらいで、その理由の一つが先生でした。
だって宿題はいっぱい出されるし文句を言ったら量をふやされるし、先生となんかずっと仲よくなんてなれないと思っていました。友達と遊んで、先生となんかしゃべるのは、じゅぎょうだけでいいと思っていました。それで、四年間ずっと先生と交流を深めたりしませんでした。

 そして、五年生もそのままでいいと思っていました。

 そして、始業式の時、一組の教室とわかって教室にもどると、丸字で「よろしく」と黒板に書いていました。女の先生かな?と思ってこう堂に行って、先生発表の時にだれなんだろうと思って聞くと
「五年一組たんにん岡崎先生」
「だれやねん!」と心の中で思って顔を見てみると…「やば」と思いました。

 なぜかというと、いかにも宿題めっちゃくちゃ出しそうで、文句を言うとブチギレられると思うぐらいのこわそうな先生だったからです。「一年間…終わった」と思って、始業式が終わって教室にもどると、なぜかいきなりマジックを始めました。「なんでー」と心の中で思っていると、おもいっきり失敗しました。

 教室の中で笑いがおきると、この先生もしかしたらいい先生なんかも知れへんと思って、先生に話しかけてみると…なんかめちゃくちゃ仲よくなれました。

 それを機に、まず水野先生と仲よくなれました。その次に吉田先生と仲よくなれました。そして、今でも仲がいいし、一番思ったのは「なんか学校楽しいな」と思いました。
 先生と仲よくなれてよかったです。

 でも、やっぱりおこったらこわいし、宿題多いし、やっぱり予想があたりました。

 ◇  ◆  ◆  ◇

 先生が「何でも自由に書いていいですよ」と言って、初めて書いた作文だ。ちょっと言いにくいこともずばっと本当のことが書ける先生と生徒の関係性が実にいい。出会ってそう間もないのに。

 その岡崎先生がいい。立派な教えや教訓をたれるのではなくて、いきなりマジック。それも失敗して大笑い。この立派でない先生の素の姿がいい。出会ったその日に、安心の空気が子どもたちに届いている。失敗した時、岡崎先生はご自分も子どもらといっしょに笑ったにちがいない。あっ、ぼくらもこの教室では失敗してもいいんだ、ほっとしたなあ、という思いが出会いの日に届いたのだ。

 それをきっかけに他の先生とも仲良くなれて「なんか学校楽しいな」と思う純太郎くんが、かわいいなあ。

 それにしても、最後の一文がまたいい。「でもやっぱりおこったら…やっぱり予想があたりました」。もしこの最後の文が「ぼくは学校が楽しくなって、岡崎先生がますます好きになって勉強もがんばりました」で終わっていたらどうだろうか。よい子のよい作文で、エセ道徳の匂いすらするではないか。

 最後の一文が書けたのは、先生との信頼関係ができているからこそだ。「モチモチの木」というお話がある。あかんたれの豆太が大好きなジサマが急病になった時、夜道をはだしで、一人でイシャサマを呼びにいくのだ。「勇気のある子になった」で終わらず「夜中にションベンがこわくて、またジサマを起こしたとさ」で終わる、この人間くささが実にいい。そんな話を思い出させてくれた人間くさい教師と生徒の関係が好きだ。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

   

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土佐いく子の教育つれづれ~初めての対面授業、人けのない大学のキャンパス

2020年07月29日 | 土佐いく子の教育つれづれ

■涙が出るほど嬉しい
 対面授業を希望していた大学の講義が、7月1日やっと始まった。久々の大学のキャンパスは学生の姿がちらほらで寂しい限りだ。教職論の授業は例年だと200人の学生が階段状の教室にぎっしりなのに、なんと抽選で30人にしたという。

 聞くと今日初めて大学の授業を受けるという学生が大半だ。「一回生ですか。やっと大学に合格したのに、今まで大学に来れなくて大変だったね。そうか、今日大学で初めての対面授業だね」と声をかけると涙ぐんでいた。私まで泣けてきた。

 学生たちがこの間のことを書いてくれた。

「いつになったら元の生活に戻れるのか。いつになったら大学に行けるのか。そればかり考えていました。早く大学に行ったり遊んだりしたいです。どこか出かけるとなっても頭の片隅には、コロナにかかってしまうかもしれないと思うと、心の底から楽しむことができません。心の底から楽しめる日、早く来てと思います。


 コロナの影響で、アルバイトもできず、大学をやめなければならない友人の問題はとても深刻です。国や大学が支援金を送ったりと対策していますが、それでもまだやめなければならない人たちがたくさんいる。この現状なんとかしてと言いたい」


「コロナ禍の中で大学が始まって三ヵ月たったけど、知り合いはガイダンスで話した数人しかおらず、その人も一回しか顔を会わせてない。早速人間関係で不安がある。オンライン新歓もたまには入っているが、やはり顔を会わせることが少なく相手のことをよく知らないし、大学の施設の使い方すら全然知らない。大学生になったという実感があまりしない。だんだん学校に行くのは、めんどうくさいと思い始めていたが、やっぱりオンライン授業ではない、実際に講義室で授業を受けると違うし、大事やなあと思った。大学に来る理由を作るために、先生この授業だけでも対面で続けてください」


 大学に入っても友達も作れない、大学の施設の使い方さえ知らない。そりゃあ大学に入学した実感が沸かないだろう。やっぱり大変な事態だったんだ。学生たちはどんな思いでこの3ヵ月を過ごしていたのだろうかと思うと心が痛い。やっと大学に来て、対面授業を仲間と受けられ、涙が出るほど嬉しかったと言う。大学生ですらこういう状態だ。小学生や中学生たちの一年生はどんな思いだったろうか。


 一斉休校って本当に意味があったのか。いや、休校したことの傷は深いと思っている。その休校の決断を首相一人がしたとなると、ますます不信と不安と憤りすら感じる。


 この間、オンライン授業が始まり出会った学生は、一番に「レポート提出とかいっぱい言われてもう疲れました。オンラインではテンション下がってやる気が出ません」と言う。学生の声を聞いてほしい。

■オンライン授業では…
「約三ヵ月のオンライン授業を通して思ったことは、やはり対面でないと本来の授業は始まらないということです。大学側が資料や動画をアップロードし、学生が閲覧するという形式が続いたため、遅刻という概念も忘れてしまい日常生活で怠けるようになってしまいました。『後で見ればいいやろ』と他の事を優先したり、気づけば課題に追われ、睡眠時間がみるみる減っていく。そんな状況でした。


 決まった時間に決まった場所に身体を運び、直接人と会うことの大切さが身にしみた三ヵ月間でした。
 こちらに引っ越してきて二週間もたたないうちに実家に帰省してしまったため、下宿先の家賃がただただ引き落とされていることが悩みです。また、自動車学校に通い始めたので、週一で大学に来るための移動費も重なるのも辛いです」


「親は仕事、妹も学校。私一人が社会との関わりを断たれたようで、孤独や不安を感じてきました。今日、対面で授業を受けることができて、すごく嬉しいです」


「オンライン授業でやる気が出なくて、悶々としていた時、先生が対面でしてくださって、とてもやる気が満ちてきて、本当に嬉しかった」


 これが今の大学の姿だ。「相手がウイルスとはいえ、このような措置で良かったのだろうか。問い直しも求められる。


(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~えっオンラインが教育を変える!?

2020年06月18日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 さまざまな課題、多くの苦悩を抱えながら学校が再開し始めた。やっぱり、ランドセルを背負って子どもたちが学校に向かう姿は希望だ。

 しかし、この休校中、学校のあり方、教育のあり方について、いろんな問い直しがせまられた。とりわけ新聞などでも特集が組まれたりしている「オンラインが教育を変える」という問題について考えさせられる。

■文明の利器の力
 私のようなアナログ人間でも、今回のような危機の時のオンラインの有効さも認めるが、この先も教育の流れがオンライン学習に流れてしまわないかという懸念を持っている。

 実は先日、私も作文教育の研究会で、オンラインで初めて講座をさせてもらった。いつも講演も講義も参加者の声を聞き、反応を見ながら話を創ってきたので、聞き手の顔、反応も声も聞こえない中で話をすることに結構戸惑い疲れた。その後、質問や感想もたくさんいただいたので、いちがいに一方的に語っただけではなかった。

 コロナ禍の中で、不安を抱え、学びにも飢えていた先生方にとって、この学習会は元気を届けることになったようで、やって良かったとは思っている。感想の中には、小さな赤ちゃんがいて、学習会などに行けない人たちが有難い機会になったとたくさん感謝の声もいただいた。日本じゅうどこにいても共通の学びの場が持てる、これも文明の利器の威力だと感心している。

 大学でも対面授業ができない中で、オンライン授業が展開されていて、その是非が論議されている。

■対話し共有してこそ
 先日、朝日新聞に「三月中旬、春学期をすべてオンライン授業に切り替えるといち早く決めた」国際基督教大学長の話が掲載されていた。

 オンライン授業を賛美する話かと思いきや「理想の形ではありません。視覚と聴覚以外の感覚も使って、人と人、人と物とのかかわりを通して学ぶことは限定されます」「オンラインは、二次的手段として有効性があり、はなからダメではなく、活用できるところはあります」。しかし「教育は、やはり場があって、みんなが集まって、人と人がその場で対話し、共有するものです。それは変わりないし、むしろ対面授業の重要性を再認識することになるでしょう」

 全く共感だ。2018年に始まった教育のICT化に向けた取り組みが進む中で経済原理ではなく、教育の本義を考える問題提起をもらったように思う。

 非常事態宣言も解除されたので、先日オンラインで学び合った先生方とお会いして、久々に生の人と人とで生きた会話をした。オンラインではわからない全身から感じる彼女の疲労感。聞けば大変な苦労を抱え格闘中。黙って聴かせていただいたが、どれほど安心できたかと帰ってからメールをもらった。

 人と人とが生身で出会ってこそ、見えてくること、響き合うこと、つながり合うことがあるのだ。ましてや教育の場こそ、これが要ではないのか。いじめ問題しかり、ひきこもり問題しかり、どれも人と人との関係性の問題で、これこそ今の時代のネックではないのか。人とのかかわりに、不安や恐怖すら感じている子どもや青年たちに、コロナ終息後、輪をかけてIT化への動きを増長させ、人と人との距離を広げるのではないかと強く懸念している。

 再開した学校へやって来た子どもたちは、先生の優しいまなざしやあたたかい言葉かけを待っている。3ヵ月間の不安や胸に抱えてきた思いを聴いてほしい。先生わかってねと願っている。保護者の生活も一変し、どれだけの不安や苦しみを抱えてきたことか。先生聴いてくださいよと求めている。生の人と人とのつながりが今こそ必要だ。

 みんなと一緒にする久しぶりの授業。「先生タンポポの背が急に伸びてるよ」「えっ?なんで?見に行ってみよう」「明日も長さ測ってみようや」。さわったり匂ったり五感をくぐらせて物を認識し、さらに仲間と発見し、共感し、問題意識を高めていく。ときにはわからないことを教え合う。このプロセスこそを教育と言うのではないのか。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~「一斉休校」明けに向けて 新型コロナ感染症との闘いの中で

2020年04月07日 | 土佐いく子の教育つれづれ

かつて経験したことのない感染症との闘いで落ち着かぬ日々を送っている。読者にこの原稿が届く頃、感染爆発が起きていなければと願っている。

■奪われた1ヵ月
 さて、子どもたちは全国一斉の休校でどんな生活を送っていたのだろうか。

 朝ごはんを食べずに来て、給食が「うまい、うまい」と言って何回もおかわりしていたゆうちゃんのような子、両親が喧嘩ばっかりして家を出て行くって言うから「夕べな、母ちゃんと腕をひもでくくって寝たんやで」という話を聴いてあげたらほっとして笑顔が戻った正人のような子、小さな弟の世話をしながら帰りの遅い親を待っていた三年生のまあちゃんのような暮らしをしていた子、勉強、勉強と追い立てられテストで90点以下の点数をとったとき叱られるから家に帰りたくないと身体を硬くしていたゆきちゃんのような子…。

 こんな子どもたちに学校という場が奪われて1ヵ月。大人の想像をはるかに超える身体的、精神的な負担を抱えて学校が始まるのを待っているのではないだろうかと心が傷む。

 新学期、長期の休みの後には、不登校やいじめなどが増えるとも言われている。すでに親からは「心身のバランスを崩し生活の乱れ、体調不良もあり、気力や活力が沸かない状態で、どうなることかと心配」の声が聞かれている。そんな子どもたちが再び学校へ向かうには、大きなプレッシャーや相当なエネルギーを要することが想像できる。

 先生方もかつて経験したことのない事態の中で戸惑いながらも、一日も早く学校の遅れや生活リズムを取り戻させたいと焦ってしまう。早速、休み時間まで短縮して長時間の授業を実施したり、規律だ、スタンダードだと言って、子どもたちを縛ってしまうことがあってはならないと思う。

■心身のケアを最優先に
 何よりも「心身のケアの回復」を最優先して、学校に来て良かった、学校は楽しいと思える格別の配慮が必要だろう。
 安心と安全が脅かされている子どもたちの不安感やストレスを癒すためには、子どもたちの心に寄り添った丁寧なかかわりが求められる。まずは、休みの期間の子どもたちの様子をつかみ、丁寧に話を聴いてやりたい。指導する、しつけるばかりを優先させないで、聴いて聴いて共感し抱きとめてやりたい。

 ネットゲームばかりに熱中していた子の心の中、いつになくベタベタ甘えてきたり、暴言を吐いたり、自傷行為を始めたりする子の言動の背景にどんな思いや不安、願いがあるのかを聴きとって受け止めてやりたい。

 このことがおろそかになり、よい子であれを強要すると、緊張や不安を抱え込んだまま過ごすことで、いずれいじめや暴力、不登校など、違う形で表出しかねないと懸念している。

 「ほら近づき過ぎやろ、離れなさい」「なんで相撲なんかしてるの、身体くっつけたらダメって言ったでしょ。病気になりたいんか」「給食の時は一切しゃべったらあかん」。あー、先生のイライラした叱り声が聞こえてきそうで、教職員のストレスも大変なものだろう。

 この初めて経験する事態をどう乗り越えるのか。今こそ教職員が頭を集めて知恵を出し合う時。話をする間もないくらい忙しいと言われる現場だが、話し合って、共通理解し、困難に一つひとつ見通しをたてることが大切だ。

 そして、教職員がゆっくりと子どもたちに向き合えるための時間の確保と環境整備が急務だ。教職員の援助をする教育相談員や支援員、スクールカウンセラーなどの増員も必要だろう。

 とりわけ子どもや先生方を学力テストで追いつめないでほしい。休み明けの子どもたちを学力テストの恐ろしい糸で縛り上げるなど、ゆめゆめしないでほしい。今こそ、学校の真価が問われている。「学校があってよかった」という思いを届けてやりたい。教職員にも、子どもたちがいてこその学校、やっぱり授業すると元気になれるわという日常を大切にしたい。

 一にも早いコロナウイルスとの闘いが終わる日を願うとともに、この初めての経験から何を学ぶかを明らかにしなければと思う。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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土佐いく子の教育つれづれ~またあしたね〈60〉

2018年06月28日 | 土佐いく子の教育つれづれ

ゆきちゃんの368歩 人間は発達する

◎手編みの絨
 雪が朝から舞っていた寒い日、大きな紙包みが届きました。急いで開けてみると、なんと随分以前の教え子、ゆきちゃんの手編みの絨毯です。リボンのような布で編んだ手作りの絨毯です。縦160㎝、横90㎝の大きなもので、何ヵ月もかけて作ってくれたと言うではありませんか。
 思わず胸に抱えたら涙がぽろぽろ出てきて、あの頃のことが次から次へ思い出され懐かしさで心がいっぱいになりました。
 ゆきちゃんを担任したのは、一~二年生の時でした。大頭症のゆきちゃんが入学してくるので、春休みから対策会議を開いて対応をいろいろ検討していました。私が担任することになり、本来なら担任発表されてないのに家庭訪問することは禁じられていましたが、おおらかな学校の対応で、私はゆきちゃんに会いに行ったのです。
 初めて出会った時のゆきちゃんは歩行ができず、頭にはヘッドカバーをつけていましたが、「ハァハァ」と声を出し笑ってくれました。左のこめかみの所が何かで穴を開けたように窪んでいて、聞くと、泣いてばかりいたので、涙が溜まって皮膚が変質してしまったと言うのです。今思い出しても胸がしめつけられる思いですが、私はあの時、この子に少しでも笑顔を作ってやれる取り組みをしようと強く心に刻んで帰ったことを昨日のように覚えています。

◎手をつなぎ合う関係
 入学式の日、お母さんがクラスの親子の前で、わが子の障害のことをきちんと話してくださったあの姿も忘れられません。歩けないゆきちゃんなので援助はもちろん必要ですが、過保護にはしないで、やれることはやらせたいというお母さんの考えを一年生の子らは受け止めていくのです。給食中におはしを下に落とした時、思わず拾ってあげようとした子に「それ、ゆきちゃん自分でできるで」ときっぱり言えた一年生でした。
 給食当番も掃除当番も何がゆきちゃんにできるかをみんながいろいろ考えを出し合い、最後にはゆきちゃんが決めるのです。そうです。「手をつないでもらっている関係」ではなく、「手をつなぎ合ってお互いに成長する関係」を作っていくのです。
 ゆきちゃんは友達との関係が広がっていくにつれ、言葉も獲得していきました。「こーえん、こーえん」と言うと「ゆきちゃん公園行きたいんか」と聞くと、手足をバタバタさせてキャッキャと喜ぶのです。自分の要求を声に出して言えて、それを受け止めてくれる友達がいることは、こんなにも嬉しいことなのかと改めて思ったことでした。
 少しずつゆきちゃんは机につかまり立ちができるようになり、歩行は困難と言われていたのですが、両手を離して立てるような気がしていました。しきりに「こーえんこーえん」と言い、公園にみんなと自分の足で行けたらどんなに嬉しいかと妄想のように頭で描いていた私でした。
 この日から半年くらい経った頃でしょうか、ゆきちゃんは一人で立ち始め、両手を持ってやると足を一歩前に出すようになったのです。
 私は、全く母親の感覚で息子たちが歩き始めた時と同じことを日々やっていたのですが、自分の足で大地を踏みしめて歩き出すなどやはり奇跡でした。

◎応援の輪のなかで
 入学してきてから1年半近く経ったある日、その日は体育の授業でした。みんなが準備体操をしている間に、私はゆきちゃんと歩行訓練です。あれ?!今日は身体が安定しているぞ。2歩、3歩…10歩…20歩、うん今日はもっと歩けそうだ。30歩、すごい、まだいける。「みんな応援に来て」。集まって来た子らの声が56、57、58と唱和する声になり、あちこちの教室にまで聞こえたようで、窓から応援の声がふってきます。102、103、104…まだ歩ける…365、366、367、368。ここでゆきちゃんは獣のような「ウォー」という声を上げて運動場に座り込んだのです。
 周りには、子どもたちと先生方の大きな輪ができていました。「なあ校長先生、月曜日の朝会で、みんなにゆきちゃんいっぱい歩けた、一人で歩けたって言うてね」と声を弾ませていた子らです。私は職員室へ走って行って、お母さんに電話をかけ、二人で嬉し泣きしました。
 そのゆきちゃんは、なんと自分の足で歩いて高校に通い、今お母さんとブティックを経営していると言うのです。
(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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新刊『マジョリン先生 おはなしきいて』の読者さんから嬉しいお手紙!

2018年02月13日 | 土佐いく子の教育つれづれ

土佐いく子さんの最新刊『マジョリン先生 おはなしきいて』の読者さんから、熱烈な感想をいただきましたので、ご了解の上、紹介いたします。ありがとうございます。

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今日、清風堂書店に寄ったところ、店員さんから「土佐先生の新しい本がはいってるよ」と言われ、さっそく買って――電車で開けてびっくり!すてきな絵があちこちに。

これはいいですね!(お上手なのでちょっとビックリですが)人間味いっぱいのおしゃべりの中に、うまくいかなかった自分の教育実践も織り交ぜて――聞いている若い先生も「そうか、あんなにベテランになってもうまくいかんこともあるんや」と安心する! 何回聞いても「今日、来てよかった! 元気が出た!」と思う土佐ぶし。

一部読み進むうち、20話――とってもいいですね。一番前に座ってメモを取り続けていた学生さんが、ギター片手に歌を歌ってくれるなんて――最高です。すばらしい詩ですね。書いてみます。

素直になれずに君が
もしどこかでため息つくなら
ここへ来て心のままに
その想い吐き出せば
魔法のような言葉に
君の心が音を鳴らして
生まれるよ 新しい歌

――心の中を声の限り歌ってくれた孝文さん! 大きな部屋に歌が響き、涙を流して聞いていた学生も! ドラマですね。私もききたかった。

57話、孫の手料理で古希の祝い! 料理好きの4年生のお孫さんが手料理を作ってくれて――いいですね。
自分が人の役にたっている。自分に出番がある。この喜びは何にもかえがたい――そのとおりですね。

43話 いい職場から先生が育つ。学級づくりと同じくらい職場づくりにエネルギーを注いできました。――ここですね。職員室で子どもの話をたくさんして、先生方の頑張りが明るく語れる空気を作っていきたい! 職員室で大きな声でしゃべる――とても大切ですね。(職場新聞も作ったりしました)自分が仕事をする職場は楽しく!ですね。

臨時教師を10年やって(69歳になり)もうこのへんでボランティアだけに――と思っています。(給食の手伝い、プール指導、体育大会の練習の手伝い)大好きな川そうじも13年やって、新聞も作って環境部の係長に送っています。

時間のある日に土佐先生の話60話を読み進みたいと思っています。息子夫婦が西宮で教師をしているので、さっそくプレゼントします。ワクワクする本に出会えてペンを取りました。ありがとうございます。

寒い日が続いています。お体を大切にご活躍きださい。ご主人によろしく!

土佐いく子先生   2018年1月30日 和田賢司

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土佐いく子の教育つれづれ~またあしたね〈59〉

2018年02月01日 | 土佐いく子の教育つれづれ

子らと親たちの安心の居場所

 堺のびのびルーム訪問記

/////楽しい学童保育/////

 先日、堺市の五箇荘小学校ののびのびルームを訪問させていただいた。一年生から三年生までの児童の約半数139人(120世帯)が利用しているという。2つの教室はすし詰め状態。
 
 人なつっこい子どもたちが、なんと廊下にも座り込んで、牛乳キャップをめんこにして遊んでいる。教室の中では、宿題をしている子たちあり、遊んでいる子たちありで、なんとも騒然としている。
 
 しかし、顔を合わせた子どもたちの表情がいい。この子たちは大人を信用しているなあと感じた。学童がこの子たちにとっての安心できる、自分らの居場所になっているという空気だ。
 
 しばらくしたら指導員が、これから「めんこ大会」をするからと指示すると、2つの教室にそれぞれグループごとに着席。言葉が届いている。喧嘩をして泣いて座り込んでいる子もいるが、指導員も子どもたちもさりげなくかかわっている。ベタベタしていないのがいい。

 なんとこの遊びは、いろいろ工夫されていて、実に面白い。「めんこ銀行トトロ支店」があり貯金できる。指導員用の銀行もある。めんこを落としてあったら届けられる交番もある。グループごとに競争して、どのチームが一番めんこを獲得したかを勝負する。最後にちょっとしたしかけがあって得点が倍増するというのもわくわくだ。子どもらはなかなか真剣だ。

/////親たちも活発/////
 
 親がやって来た。何か用があるのかと思えば、いっしょに遊び、いっしょにおやつも食べるという。あるお母さんは9割の子の名前を知っていて「子らの笑顔見るのがうれしくてね。こんな子ども時代があるのがうらやましいですよ」と言う。「今日、もうすぐ『のびりんピック』というのがあって、子どもたちにドッヂボールの試合勝たせたくて特別に来たんですよ」と笑う。わが子以外の子どもたちとの関係が豊かで、親の目が「わが子たち」に向いているのが実にいい。

 何人かお母さんが来られたので話を伺う。親たちの活動もなかなか活発で、楽しそうだ。いろんな行事を開催しているが、1世帯一役で無理のない方法で、みんなが関わろうと努力されている。春の歓迎会、バーベキュー大会、夏はキャンプと親子であそぼうの会、ハロウィンパーティー、親たちの応援で遠足も実施。クリスマス会、「トトドラカフェ」というのがありパフェ作りを楽しむようだ。新年会、お別れ遠足、年度末には「ありがとうぜんさい」というのもやっているようだ。こんなんやってるんですよと私に話してくださるお母さんたちが、なんとも楽しいんだという雰囲気がビーンと伝わってくる。

 さらには、地域や学校の教職員との協力関係を保ちながら、共に活動を広げているのがまた魅力的だ。カフェでパフェを作ったり、ぜんざいなどを作ると、学校の先生方にもおすそ分け。そんなときに「かっちゃんこの頃学校でどうですか」と声をかけ、交流もできると言う。

 そして、地域のドッヂボールの会とも交流を持ち、地域の皆さんから絵本や一輪車など使ってくださいといただくこともあり、みんなに支えられているという実感があると言う。

/////指導員の創造的ロマン/////
 
 こうした活動の様子を見聞きすると、なんといっても子どもたちがいきいき子どもらしく安心して活動しているのが根っこにある。

 そして指導員の中に、どんな活動を創っていくかというロマンがある。親とつながる。親と親がつながる。地域とつながる。そして何よりも子どもの自主活動を軸にした楽しい保育内容を創っていくという考えがきちんとある。だからこそ親は指導員を信頼していて、援助したいと思うと言う。

 親の中にも中心になっているリーダーの人たちが育っていて、この人たちは「いっしょに○○する」「伝え合う」ことを大切にして、よく話をしあっている。

 まさに親にとっても楽しい居場所になっていて、親もここでは自分の本音が出せると言う。人と人とのつながりに大きな困難のあるこの時代に、子どもを真ん中に親と子たち、親と指導員、親と親とのつながりが地域をバックボーンに広がり、展開されていることに、ずいぶん元気をもらった訪問であった。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

 

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土佐いく子の教育つれづれ~またあしたね〈58〉

2017年12月14日 | 土佐いく子の教育つれづれ

被災地にわが身をおく ―福島を歩いて―

 町が消えている。田も畑も原野に戻っている。歩いても歩いても人っ子ひとりいない。あるのは、イノシシなどの野生の生き物の足跡だけ。除染土を詰め込んだフレコンバックの黒いかたまりやグリーンのシートで覆った異様なかたまりが、怪物のように横たわっている。民家があったであろう所には、住む人ありし日、育てていたあじさいやグラジオラス、金魚草の花たちだけがけなげに咲いている。前方にあの東電の原子力発電所の鉄塔が異様に白く光っている。(自分たちの暮らしの電気は東北電力から供給されているのに、なぜ東電にわが命も暮らしも奪われるのか!)
 
モニタリングでの放射線の数値は0・418マイクロシーベルト。待てよと地面の数値を測定すると、なんと5・41マイクロシーベルト。放射能を浴びた風を受けながら、原野に立ち尽くしていた。

■こみ上げる怒り
 これまでたくさん東北の大震災の本も写真も映像も見てきた。話も聞いてきた。ここ現地に立って、この空気、この景色の中に身を置いて初めて、身体中に沸いてくるこの怒り、悔しさ、言葉にならぬ思いは何なのか。

 この国は、福島県一つくらいつぶれようが人が死のうが知ったことではない。原発がメルトダウンした時から、東京でオリンピックをと決まっていたという。首相のアンダーコントロールの言葉で体が震えた。

 詩人アーサー・ビナードに言わせたら「『アンダーコントロール』というのは、放射能は大丈夫、コントロールしていますからではなく、日本人というのは、これだけ人類史上かつてない事件に出遭っても抵抗しない国民ですから、ちゃんとコントロール下に置いていますから大丈夫という言葉だったのです」と言うではないか。

 そこからかつてメインストリートだったところへ足を運んだ。2軒だけ店が開いている。ガソリンスタンドだ。「おかえりなさい、がんばろう」の大きな字が飛び込んできた。3月に避難解除されたが、帰ってきたのはわずか1%。

 この放射能で汚れまくった町に、どうして帰って来れるのか、そこでがんばれと言うのか。また怒りがこみ上げてくる。

 「いい町 いい旅 いこいの村 福島なみえ町」の看板も目にとまった。心が痛い。いい町、いこいの村を破壊したのは誰だ。

 「おいしい飯館牛をどうぞ」。その肉牛たちも被ばくし「最後の乳をしぼった時は涙が出たよ」と言って、乳牛を残して村を去った酪農家の人たち。

 学校教育も原発協力に利用されてきた。「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しいりかいでゆたかなくらし」。こんな標語を書かされ「原子力の日」という作文まで書かされた。その子どもたちの姿も消えた。

 浪江中学校の今年の入学生は、たった一人だ。そりゃあ、甲状腺ガンの疑いが190人というではないか。(当局は、因果関係は不明と言っている)。そんな町で子どもは生きられない。(その子どもたちが避難先でまたいじめにあっている)。

 こんな話も聞いた。優秀な工業高校の1番から10番までの成績のよい子は、東電への就職が約束されていたという。そして、喜びいさんで東電に就職していった若者たちは、この東電のおかげでわが町も人も殺され奪われ、今地獄の苦しみを味わっているというではないか。

 私たちは、今日もごく当たり前の日常を忙しく生きている。6年前に東北に大震災があって、津波と放射能で大変だったよね、とふと思い出す程度で。

 この国は、人類史上かつてない大事故で後始末も人間の手に負えずあたふたとだけしているのに、原発再稼働、そして外国に高いお金で原発を売る商売をしていて平然としている。オリンピックでみな忘れましょ、だ。日本の事故の教訓から原発をきっぱりやめた国の知性とこの国の知性とはどこが違うのか。

 しかし、この浪江町の漁民で、原発に最後まで反対し闘ってきた方の話を聞いた。村八分にあい、「お前が海で遭難してもオレたちは助けない」とまで漁業組合から宣告されたが、節を曲げず、命がけで今日まで生きてきたと静かに語っていた。

 そうだ! この国にも原発をつくらせない、持ち込ませないと闘った地域、人たちがいる。いや、今もいる。そこから何をどう学び、自分に何ができるか改めて考えさせられている。双葉町のひまわり畑に希望をもらって、帰路についた。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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