まいど、日本機関紙出版です。

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次の新刊は教育書、子どもの「学力」関係です。

2007年10月31日 | 編集・営業ふらふら雑記
 新聞、メールをチェック後、すばやく納品書を作成、荷造りを終え、出版輸送で短冊回収後、トーハンへ納品へ。珍しく早い時間なので荷受担当者もびっくり。まあ、たまには忙しい日もあるのだ。そのまま梅田の清風堂書店へも納品に寄る。店長のYさんとしばし雑談。前から気になっていたことで、店の表のウィンドウの1番初めに展示してある「春画」(河出書房新社)について「売れてるの?」と聞くと、これが売れてるのだそうだ。なるほど、なるほど、そういう需要もあるということだ。ほかに自身の体験を踏まえたいくつかの企画の提案を受ける。ありがたいことである。さすが本の目利きである。店を出て府立中之島図書館に行き、予約の本をゲット。ほかにいろいろ館内を見て回りたいが時間がないのですばやく帰還する。
 昼食後、環状線で玉造まで出かけ所用を済ませて再び帰還、ようやく今度の新刊の校正作業にかかる。教育書である。著者は神戸市の元教員の田中敏夫さん。書名は『やる気を引き出す子育て・教育―教育〈改革〉3法への疑問から―』。先日、学力テストの結果が公表され、子どもの「学力」についての関心が高まっている。また文科省は「ゆとり教育」の見直しを発表、どうなのかなあという印象を抱くのだが、そうした点にも言及され、本当の学力向上のために親、教師は何をなすべきなのか、そんなことが実例豊かに書かれている本なのだ。ちょっとタイムリーな出版になればいいのですが・・・。
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成長する女子大生たち~神戸女学院大学岡田山祭に行く

2007年10月30日 | 編集・営業ふらふら雑記

 27日(土)は休日出勤で午前中はいくつかの事務処理をし、いつもお世話になっているこもだ製本さんへ版下用紙を引き取りに行く。2種類の版下用紙を重版各300部ずつである。段々と出庫数は減ってきているが、それでもわが社のベストセラー商品である。1つは74刷、もう1つは34刷(累計部数は秘密なのだ)。手書き媒体を作る人たちが減っているので仕方が無いが、手書きには手書きなりのいい面があるので、利用者がゼロになることはない。普段パソコンの印字物に触れている人が圧倒的だが、たまには手書きの味わいにも触れて欲しいと思う。

 午後、生まれて初めて女子大の大学祭に行った。神戸女学院大の石川ゼミの取材であるが、なんとなく緊張気味な面持ちで、文学部2階の予定されている教室に向かう。入り口の受付に女性が1人座り「どうぞ」と声をかけてくれたので中に入った。しかし誰もいない。少し時間が早すぎたかと思うのだが、しかし開始30分前は過ぎている。ウームである。仕方がないのでトイレに行くことにする(トイレは仕方がないので行くところではないのだが、まあ仕方がない)。階段を降りて建物入り口入ってすぐ左側のトイレのドアを開けるが、どうも中が広い。外に出てドアをふり返ると、障害者用トイレのようである。ドアには「男子トイレ」と書いた紙が貼ってあったが、まあ急ごしらえの男子トイレということなのだろう。どうも落ち着かないので、再び2階にあがり他のトイレを探すが見つからない。そういえば・・・と思い出して、石川ゼミ室のある建物に向かう。以前、学習会で来た建物だ。入り口をズンズン奥に入って行き、ようやくトイレを発見、職員専用トイレのようだがまあええやろう、と納得して使わせてもらった。

 さて教室でゼミ生たちの講演がはじまった。パソコンのスライド上映がうまくモニターにつながらないというハプニングで開始時間が遅れたものの、石川先生の超入門「慰安婦」問題レクチャー約20分のの後、4月以降のゼミの学習内容をスライド上映を交えながら1人ひとり順番に報告、あわせてゼミを通して学んだことへの思いをそれぞれが語った。
 彼女たちの発言はどれも、9月のゼミ旅行以降の2ヵ月弱の間に本当に大きく成長したことをつよく感じさせるものであった。すでに行っているあちこちでの講演活動や家族、サークルの友達、あるいは就職活動などでいろんな人たちに対して、体ごと見聞してきたことに各人の思いを重ねあわせて、悩み、葛藤しながら話をしている姿が想像され、そしてなによりもあの「ナヌムの家」で聞いたハルモニたちの切なる願いを自分のものとして実行しようとしていることがとてもよく伝わってくる内容で、ゼミ旅行に同行させてもらった1人としてひとしおの感慨を抱いたのである。
  帰途、阪急電車の駅で1人のゼミ生と一緒になり話を聞いた。このゼミに出会えたことの喜びや、家族に対する彼女自身の姿勢が韓国へ行く前と帰ってきてからとは違ってきたことなどを、とても生き生きと途切れることなく話し続けてくれる姿は、とてもまぶしく感じられるほどだった。


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書店さん、取次さん、うちの返品はフリーです。

2007年10月26日 | 編集・営業ふらふら雑記

 朝から雨がパラパラと降っているので、自転車出勤はあきらめて電車にする。JR吹田駅の大阪方面行きホームで一番前の車両の一番前のドアから乗る。比較的空いてる方なので楽なのだ。でも今日は蒸し暑かった。大阪駅に着いてドアが開くとすぐに桜橋側の階段の降り口である。すばやく環状線内回りへ乗換える。中央口側よりスムーズなのだ。

 新聞チェック、メールチェック後、現在校正中の本のタイトル案をいくつか作成、しばし口にしながら文字列を眺める。どうにも判断がつきにくいので、著者のTさんにFAXして見てもらう。しばらくしてFAXの返信、8番目のがいいとのことで、これに決める。さっそく、表紙をデザインしてもらうYさん宛てに依頼文を作成、ゲラをつけて発送。Yさんはこの春に出した『子どもはどこで生きる力をたくわえるのだろう』(佐伯洋著)で初めてお世話になったイラスレーターだ。現在は上汐町のギャラリーにお勤めである。さてどんなデザインができてくるか楽しみにしておこう。

 先日書評が出て注文が入ってきた『治安維持法とわたし』(桑原英武著)など、日販関係の注文分を処理、発送する。ちょっと溜まっていたのでやれやれである。最近、やたらと返品了解のFAXが多い。うちは基本的には返品フリーなので普通に返してもらえればこちらは構わないのだが、まあこうして確認してこられるというのも律儀なものである。返事を記入してFAXを返信するものの、特に大手取次や書店へのFAXは使用中が多く、何度も繰り返すことがあるので結構時間がかかって疲れるのだ。

 月末へ向かうので、返品が3個到着。トーハン、日販、新日本図書から各1個。ケースを開けて在庫切れの本を探す。おっ、今日は3冊発見、この本は重版ができないので今や貴重な本なのだ。
 そのあと、いくつかの雑務をしているうちに雨は完全に上がり、日も暮れてきた。明日は休日だが、出勤して午前中ひと仕事、午後は神戸女学院大へ石川ゼミ本関連の取材に行く。天気は大丈夫のようである。

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暗黒時代にゆるぎない信念と情熱~『治安維持法とわたし』桑原英武著 書評紹介

2007年10月24日 | 書評・紹介記事

 『治安維持法とわたし』桑原英武著が『しんぶん赤旗』10月21日付で書評紹介されました。評者=橋本敦さん

この本について見る

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ハルモニには時間が無い。大人たちはこのままでいいのか?

2007年10月23日 | 編集・営業ふらふら雑記
昨日は「ナヌムの家」でお世話になった日本人スタッフのMさんが大阪女学院大学で講演をされるというので、石川ゼミのみなさんと一緒に特別に聴講させてもらった。ざっと見た感じで約400人の学生たちが参加、ほとんどの学生たちにとっては初めて聞く話のようで、こうした歴史や社会、政治に目を開く授業が毎年行われているとのこと。担当した先生の話では、他の授業も含めて先生たちが意欲的に取り組んでいるそうで、なかなか骨のある大学ではないかという感じがした。
 Mさんの話は、「ナヌムの家」のプロフィール紹介、ハルモニたちの様子、歴史館紹介、「慰安婦」問題の現在、日本社会に何が問われているのかなどをスライド・ビデオを使って、自身の体験も交えながら、多岐にわたった内容で、講演後、3人の学生と指導教授とでミニシンポも行われた。「ナヌムの家」を訪問してみたいという感想も出るなど、ほぼ同世代のお兄ちゃんという感じのMさんの話だけに、より身近に感じられたのではないだろうか。
 夕方から、京橋の山葵に場所を移動して、石川ゼミ一同、女学院大のO先生、石川ゼミ大人部会のみなさんとMさんの慰労を兼ねての飲み会に突入。8時ごろ学生たちが引き上げたあと河岸を変えて、「学生たちの成長に比して、大人たちはこのままでいいのか、何かせなアカンのやないか」という先日以来のテーマについて具体行動を起こすための相談をする。だいたいの外枠を確認、また来月に詰めた相談をすることにして解散。
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侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか~神戸女学院大学石川ゼミ韓国旅行 同行記

2007年10月21日 | 編集・営業ふらふら雑記


ハルモニたちと石川ゼミの女子学生たち

 9月11日水曜日、秋空のソウル・鐘路(チョンロ)区にある日本大使館前。「侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか。事実と向き合うことが平和への第1歩」と訴える横断幕を掲げおそろいのTシャツを着た若い女性たちの姿。神戸女学院大学石川ゼミナール(石川康宏教授)の3年生たちである。石川ゼミでは3年前から日本軍「慰安婦」問題を学習し、毎年ゼミ旅行で元慰安婦の共同生活施設「ナヌムの家」と併設の日本軍「慰安婦」歴史館を訪問、さらに翌日の「水曜集会」に参加してきた。旧日本軍による慰安婦問題に対し日本政府の謝罪と賠償を要求する「水曜集会」が始まったのは宮沢喜一元首相の訪韓を控えた1992年1月8日。以来毎週水曜日に元慰安婦や支援者たちが取り組んできたこの集会は初日から5446日が過ぎ、今回で778回目を迎えた。

■手作り横断幕を広げて

 この日の参加者は約100人。9人の元慰安婦を中心に支援団体である韓国挺身隊問題対策協議会のメンバー、国会議員、高校生、市民たちに並んでゼミ生たちが持参した手作りの横断幕を手にした。ハングルと日本語でアピールを大書、夏休みに大学で作ったものである。緊張気味のゼミ生たちの前で参加者が次々と発言、集会が終わり近くになったころ司会者が「日本の神戸から女子大生たちが参加している」と紹介、大使館を背に参加者に向かって横断幕を広げ、地元マスコミのカメラが回る中、前夜「ナヌムの家」で明け方までかかって練り上げた発言メモを3人が代表して読み上げた。
 「ナヌムの家に行って『慰安婦』問題をとても身近に感じました。ハルモニたちは今も苦しみ、その時間は続いています。戦後62年たった今も日本は加害責任を果たしていないどころか、平和憲法を変えようとしています。侵略戦争に向き合わない日本政府の姿に私たちは不信感を抱いていますが、本当のことは日本の教科書には書かれず、多くの人たちは真実を知りません。だから私たちには知ったことを周囲の人たちに話していけるかどうか不安や迷いがあります。でもハルモニたちから託された大切な証言を日本で伝えていかなければならないと強く思います。侵略戦争の事実を隠して日本の未来は見えますか。私たちはこれからも事実と向き合い続けます。だから、日本政府も事実と向き合うべきで


横断幕を広げ発言する


日本大使館に抗議するハルモニたち

■集会後、安倍首相退陣へ

 発言に対する拍手と歓声でゼミ生たちの顔に明るさが戻ってくる。その一方で10人余りの機動隊員が集会参加者を黙視し続け、何事もないかのように門を閉ざしダンマリを決め込む日本大使館。愛想も何もない、まるで要塞のような外観の建物。そのすべての窓はブラインドが下りたままである。
 だが集会後、事態は急転直下する。参加者たちとの交歓の後、近くの食堂に入りオーダーを終えたころであった。1人のゼミ生の携帯電話にその第1報は流れた。「安倍首相が退陣を決意、午後記者会見が行われる模様」とのニュースであった。まるでハルモニたちの願いが届いたかのような衝撃的な瞬間、もちろんその場にいた全員から驚きと喝采の声が上がり、彼女たちの心に強烈な印象をこの「水曜集会」が残したのは言うまでもない。


米国議会で証言したイヨンスハルモニと

■「ナヌムの家」と歴史館

 「水曜集会」の前日、ゼミ生たちは「ナヌムの家」を訪問し歴史館を見学、ハルモニの証言を聞き1泊を過ごしてきた。
 ソウルからバスで約1時間半、京畿道広州市内の田園地帯にある「ナヌムの家」は1995年にソウル市内から高齢者居住福祉施設としてこの場所に移転してきた。生活館2棟と仏堂兼修練館1棟に現在9人のハルモニと4人にのスタッフが住んでいる。隣接する日本軍「慰安婦」歴史館は国内外多数の支援者によって建てられ、地上2階、地下1階全104坪にハルモニたちの証言を採録展示、日本政府が否定する歴史的事実が明確に確認できるさまざまな資料を収集し公開している学びの場である。ガイドブック日本語版にはこう書いてある。
 「ここには忘れてはならない歴史があります。語りつくせない悲しみと恥ずかしさを乗り越え50年の暗闇をくぐり抜け堂々と私たちの前に立った女性たちの物語があります。花のような生涯を閉じた彼女らの息遣いと残った者の低い声が集まる歴史の現場です。許されない歴史、盲目の歴史に虐げられた体と心の記憶が大きな教えを残す場です。ここからこれからの千年を見守っていく平和の芽が育っていくことでしょう。ここには癒えがたい歴史があります」

■慰安所復元模型の前で

 日本人スタッフの村山一兵さんのガイドで館内に入る。証言の場、体験の場、記録の場、告発の場、整理と誓い、屋外広場の6つの展示場を見ていく。壁面と光の明暗を巧みに生かして展示されている蛮行の数々の証拠写真、文書資料や地図などが、村山さんの解説と共に胸に迫ってくる。メモをとりビデオを撮影しカメラを向けるゼミ生たちの言葉は少ない。慰安所の実物大復元模型の前で村山さんの説明に涙をぬぐいながらうつむく学生の姿。大きく引き伸ばされたハルモニたち1人ひとりの顔、顔、顔は何を語りかけるのか。2階にある告発の場には、言葉にできない過酷な体験と思いを描いたハルモニたちの絵画が展示され、決して晴れることのない心の証言に触れることができる。


ナヌムの家。奥が生活館、手前左右が歴史館


解説する村山一兵さん


復元された慰安所の室内

■「私の話を記録してください」

 歴史館の見学を終え修練館に入り、いよいよハルモニの証言を聞くことになった。ハルモニに残された時間は少ない。決して良いとはいえない体調をおして李玉仙(イオクソン)ハルモニ(80)に証言していただくことになった(証言内容は別途アップします)。
 「私は日本政府の謝罪も賠償もいらない。私の要求は隠してある証拠を出しなさいということです」「学生のみなさん、私の話を記録してください。そして多くの人に語ってください」。時々冗談も交えながら語るハルモニが何度も繰り返した言葉だ。侵略を犯した国の人間として初めて元慰安婦に向き合ったゼミ生たち。李玉仙ハルモニの言葉は彼女たちの胸にどのように響いたのだろうか。


証言していただいたイオクソンハルモニ


夜はカラオケで交流。ペチュンヒハルモニ(中央)とキムスノックハルモニ

 ■心揺さぶる金ガイドの話

 「ナヌムの家」からソウルに向かうバスの中、金惠卿(キムヘギョン)ガイドが仕事を通じて感じる日本人観や韓国市民の日本に対する意識について率直に話してくれた。曰く、「慰安婦」問題について何の痛みも感じない日本の中高年男性たち、韓国と日本の歴史についての無知ぶりとその背景にある日本の歴史教育のいい加減さ、そして日本の軍事大国化への懸念・・・。一般の観光旅行ではないこのゼミ旅行だからこそ語ってくれたその信頼感あふれる話に心が揺さぶられた。

■投獄50万人、処刑1500人

 韓国滞在最終日、石川ゼミの旅行としては初めて西大門刑務所歴史館を見学する。1908年、日本の朝鮮支配に抵抗する人々を収容するために建てられ、その後、3.1独立運動をはじめとする闘いに参加した人々延べ50万人が収容され、激しい拷問と暴行などにより約1500人が殺された民族受難の場所として、現在は歴史教育の場となっている。拘禁・取調べシーンやさまざまな拷問の数々を再現展示、見学者が体験できる展示もある。特に韓国のジャンヌダルクといわれ独立運動先導で逮捕・投獄された少女・柳寛順(ユグァンスン・16歳で獄死)の拷問シーンが印象に残る。6棟の獄舎をはじめ死刑場、墓地への秘密通路、女性専用の地下監獄などそれぞれの場で解説をしてくれる金さんの目には涙が浮かんでいた。


ガイドのキムヘギョンさん(3.1独立公園で)


西大門刑務所の赤レンガの塀と望楼


死刑場に向かう人たちが泣きすがった「慟哭のポプラの木」

■「自分の意思で強く生きたい」

 強烈な印象を残した西大門刑務所を後にして、空港へ向かうバスの中でゼミ生たちがマイクを手に旅行の感想を発言した。
 「ハルモニは別世界の人ではない。あなたたちは悪くはないと言ってくれたが、私たちは侵略したままなのだ」
 「21年間も日本に住んでいるのに何も知らなかったことに、悔しさ、無念さを感じる。ハルモニはどこにでもいるおばあちゃん、手を握ったり抱いてくれたりしてうれしかった」
 「このゼミ旅行に私の親は反対したが、私はこれは正しいことだと考えるようになった。水曜集会で女の人が訴えるのを聞いて、なぜかわからないが涙がこみ上げてきた」
 「来る前はしんどい旅行だと思っていたが、直接肌に感じて勉強せなあかんと真剣に思った」
 「ハルモニの証言はリアルな現実。その現実には私にも責任があるように思った」
 「現実と葛藤しながら生きているハルモニが泣かないでと抱きしめてくれた。ハルモニの辛い思いは私の何倍も重く、知るだけではなく、感じることの大切さを思った」
 「韓国の人の目も気になったが、ガイドさんの気遣いが感じ取れ、本当に申し訳ない気持ちになった、歴史としっかり向きあっていきたい」
 「西大門刑務所で金さんが言葉をつまらせながら説明されたことに胸がつまった。回りの人たちに少しでも伝えていきたい」
 「ハルモニは普通のおばあちゃんとして接してくれた。会えてよかった。今後も来たい」
 「日本が謝罪しない現実を肌で感じた。9条を変えてはいけない。戦争はしたくない。この9条を守らなければと強く思っている」
 「ハルモニとの2日間と証言は、ビデオや本の学習よりも実感できた。ハルモニの明るさにこちらが辛くなった。今回のことは無駄にしない」
 「金ガイドの話がよかった。西大門刑務所は実際の再現で衝撃だった。受け入れざるを得ないと感じた。迷いがなくなり、受け入れられ、生かしていきたい」
 「ハルモニは80歳代だが10歳代のとき被害にあい、生きてきて今ようやく普通に笑ったりするのに長い時間がかかった。今もその被害は認められていない。私にはまだ何ができるかわからないが、その姿勢だけでもなにか変われるかもしれない。同年代の人たちに聞いてもらいたい」
 「ハルモニに『記録してほしい』と言われた。辛い時間だったと思う。親戚に言うと、あまり深入りするな、恐い国だからといっていた。私が経験したこと、障害もあるかも知れないが、今まで以上に奮闘したい」
 「ハルモニは『記録しなさい』といったが、日本の多くの人に話して欲しいのではないかと思う。過去から現在に続いている問題であり、自分の意思をつよく持って生きたい」
 「水曜集会では加害国民のひとりとして日本政府に言うことなので迷いと不安があったが、本当に日本は冷たいなあと思った。日本の体質が情けない、怒りも湧いてきた。ハルモニたちの顔をみていていろんな思いがこみ上げてきた」
 「歴史館は息がつまる場所だった。彼女らは韓国社会の中でも差別されている。いろいろな角度で考えなくては。西大門刑務所の鉄格子の部屋、私にはこの中に入れられた民族の血と、中に入れた民族の血が流れていて、考えてしまった」

■約束を実行する女子大生たち

 それぞれの胸に大きな何かを残した石川ゼミ旅行であったが、彼女たちに私のように感傷に浸っている暇はない。この原稿を書いている10月12日現在、学生たちはすでにハルモニたちとの約束を実行し始めている。実は昨年のゼミ生たち同様に、すでに各地・団体からの講演や講座への講師依頼が殺到しており、来春の日程までも入ってきているというのだ。それはハルモニたちとの出会いや「水曜集会」参加の経験を聞かせて欲しいという要望がその中心だが、それに加えて主催者側には若い女子大生たちが学びを通して成長していることに対する驚きがあり、その内実を彼女たち自身の言葉で語ってもらい、それを知ることがさまざまな分野のこれからの運動を前進させていく1つの手がかりになるのではないかという思いもあるようだ。まさに女子大生恐るべしである。
(取材 機関紙出版・丸尾忠義)

 


 


 

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多彩な登場人物~『治安維持法とわたし』桑原英武著

2007年10月19日 | 書評・紹介記事

『治安維持法とわたし』桑原英武著が治安維持法国家賠償同盟機関紙『不屈』2007年10月15日号に紹介されました。評者=柳河瀬精

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最近の読者ハガキから~ありがとうございました。

2007年10月17日 | 読者はがきから

『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!』石川康宏 著

 ■「その通り、その通り」とうなづく
 和歌山県岩出市での9月30日は、石川康宏先生のお話に大笑いしながら、「その通り、その通り」と何度うなづいたことか。その先生の本を読んで最初に5冊の本を買うということにびっくりしました。私も1冊読んだら・・・という考えでした。学習意欲の不足ですと述べています。服にだったら2000円~3000円とかけます。学習意欲を軽視していたのか・・・。その場その場の付け焼刃で済ましてきている自分です。自民党の「新憲法草案」を勉強してみます。(岩出市・女性)

 
 『治安維持法とわたし』桑原英武 著

 ■圧倒される思いで読んだ
 すさまじい生き方に圧倒される思いで。一気に読みました。私は著者の桑原さんより13歳年下で、日本陸軍最後の2等兵でした。厳しい戦前は覚えています。そんな頃に、医専合格、軍医(少尉任官)など・・・。きっと桑原さんのすぐれた品性が周囲の壁を押しのけたのでしょう。文章の各部分に私にも記憶のある名や地名などが出てきて、うなづきながら読ませてもらいました。(高槻市・男性)

 社会運動史研究の衰退傾向の状況下で、この種の出版を可能な限り続けていただきたい。(東京都・男性)
 

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飾らぬ青春のたたかい~『治安維持維持法とわたし』桑原英武著

2007年10月16日 | 書評・紹介記事

『治安維持法とわたし』桑原英武著の書評が『大阪民主新報』10月7日付に載りました。評者=藤木博顕さん(治安維持法国家賠償同盟会員)

この本について見る

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こんな母ちゃんいいな~子どもたちのまなざし⑥ 土佐いく子

2007年10月15日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 前回は「こんな子どもいいな」でしたが、少し肩の力がぬけたでしょうか。お母さんたちも立派な親でなくっちゃと思いすぎていませんか。

■子育て上手の母は

 優等生の親のもとで子どもが悲鳴をあげています。また一方では、ほったらかしの親のもとで子どもが寂しさに身体をふるわせて泣いています。子どもがすくすく育っている子育て上手のお母さんって、こんなお母さんでした。
 ○テストが60点でもかわいいって思える
 ○子どもの作品を宝物みたいに家に大切に貼っている
 ○おいしいごはんを作ってやることに手を抜かない
 ○この子と一緒に何かしていると楽しいわと思える
 ○いっしょに遊んだり、ひざに抱いて本を読んであげたりする
 ○笑顔がよくて、優しいしゃべり方をする
 ○子どもを抱いてたまにはたっぷり甘えさせてやる
 ○子どもの体調が悪いときは親が遊びに行くのを楽しみにしていてもあきらめる
 ○早めに寝かせて、早めに起こすことが大切だと思って努力する
 ○本気に叱るが、暴力はふるわない
 ○山や海、動植物などの自然と触れ合わせたいと思う
 ○七夕やお月見など季節の行事を家族で楽しもうとする
 ○親の自慢話をせず、失敗談をしてやって一緒に笑う
 ○兄弟や他の子と比べて追い立てない
 ○家の仕事をさせる。子どもは勉強だけしていたらいいなどと思わず、家族の一員として頼りにする
 ○自分が悪かったら子どもに謝れる
 ○家の中に花を飾ったり、1枚の絵を貼るなどの文化がある(親も感動する)
 ○いい映画、いい音楽やスポーツなど本物に出会わせようとする
 ○どろんこになって帰って来ても、ハハハと笑って迎え入れる
 ○これだけはゆずれない、と時には子どもに毅然と向き合う
 ○よその子のいいところをわが子のことのように喜べる
 ○「何か買って」と言われても、すぐ買わず待たせる
 ○のん気でぬけていて、子どもに叱られることがある
 ○子どもの話を目を見て聞いてやって「へー」とか「ふーん」とか「そうか」と言ってわかってやれる
 ○自分の子育てを振り返ってみると、あれもこれも反省だけど、また一つ努力してみるかと思える
 ○人づき合いがよくて、他人のために力を出したり協力できる
 ○親も自分の好きなことを持っていて、子どもにすべてをかけない
 ○世の中のことも知る努力をして、広い目が持てるようにしたい
 ○父ちゃんや先生の悪口を子どもの前でべらべら言わない

■親として振り返る

 さていかがでしょうか。がんばりすぎていませんか。いえ、ほったらかしにしすぎたと反省なさった方もいるでしょうね。
 ときには、親としての自分のありようを振り返ってみて、わが子育てや自分の生き方を立ち止まって考えてみたいですね。
(とさ・いくこ 大阪市立加賀屋小学校教諭)

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Key.Sugar ライブ in 天満教会に行く

2007年10月15日 | 編集・営業ふらふら雑記

 週末は休日出勤で月曜日最終締め切りの原稿を仕上げる。もっと早くに書けばいいものを、いつもこんな調子なので情けない・・・。

 2本の書き仕事を残したまま、北区の天満教会へ中之島の遊歩道を自転車で急ぐ。午後4時からの「Key.Sugar3thライヴin天満教会」の準備のためだ。会場はリハーサルの真最中、挨拶もそこそこに持参したチラシなどの折込作業に取り掛かる。3時ごろからぼつぼつお客さんが来る。佐伯先生や葛目先生ほか知り合いの顔も多く見受けられる。佐伯さんは作詞したものがSugarさんの作曲で歌われるそうだ。葛目さんは娘さんと花束持参で来られた。徐々にお客さんが増えてきて、狭いロビーが一時騒然とするなか、30分前に開場、教会の長椅子が前から埋まっていく。会場がエレベーター無しの2階なので、車椅子を持ち上げたり、駆け込みで来る人に階段への注意を呼びかけたり、酔っ払ってご機嫌さんのおっちゃんの対応をしたりと、いろいろありながらも4時過ぎに無事開演。

 2部構成で約2時間半。今日の演奏は第1部、第2部それぞれがライブ録音され後日2枚のCDとして発売されるということで、場内はやや静か目。
オープニングは教会にふさわしく「主よ人の望みの喜びを」と「アメイジンググレイス」の2曲。続いて第1部が始まる。
 第1部は、小林多喜二が愛した音楽を、彼の日記や書簡、弟の三吾さんの回想の朗読とともに、歌、ピアノ、サックスとフルート、オルガンで演奏した。29歳で天皇制権力に命を奪われた多喜二、実はこの日10月13日は彼の誕生日で、生きていたら104歳になるが、なぜ多喜二の音楽を教会ですることになったのか。Sugarさんは「多喜二の歌は教会で歌うのがふさわしいと感じた」と話していたが、その詳しい背景を会場で配られたプログラムから引用してみる。
 「一昨年6月、出来上がったばかりの『多喜二へのレクイエム』のCDを、多喜二のご遺族にお送りすると、しばらくして届いたお手紙の中に、多喜二が生前歌っていた歌ですという言葉を添えて、楽譜が同封されていました。チャイコフスキーの『ただ憧れを知るものだけが』という歌曲でした。とても美しいメロディでしたが、音の高低がとりづらく、こんな難しい曲を多喜二は歌っていたのかと驚きました。
 小林多喜二が、文学や美術だけでなく、音楽にも関心を持っていたことは、初月給で弟の三吾さんにヴァイオリンを贈り、師匠も自ら探し出してきたというエピソード、時の権力に虐殺される直前に、三吾さんとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の演奏会に行ったことなどからも知られています。
 しかし彼が鑑賞にとどまらず、自らもよく歌い、しかもそれがフランス国歌ラ・マルセイエーズやイタリア歌曲ニーナの死や、チャイコフスキーの歌曲、賛美歌や日本歌曲であったりと、実に多岐にわたるものであったこと、難曲も三吾さんにヴァイオリンで音をとってもらいながらマスターしたことなどを知るにつれ、私は『多喜二と音楽』について興味を持つようになり、彼が生前、それぞれの歌をどんな心持で口ずさんでいたのか思いめぐらすようになりました」

 第1部の演奏曲目は以下の通り。
 ラ・マルセーエーズ
 ニーナの死
 ジョスランの子守唄
 オ・ソレミオ
 ただ憧れを知る人だけが
 まぼろしの影を追いて
 荒城の月
 折ればよかった
 多喜二へのレクイエム 

 楽器奏者に山崎幸次(ピアノ/ギター)、渥美直久(サックス/フルート)の2人のプロ奏者に加えて、大谷友香のオルガンと小松史郎の朗読が加わる。礼拝堂という厳かな雰囲気のなかで、一段と向上した歌唱力に裏付けられた静かに押さえた演奏が、心に染み入ってくる。確かに多喜二の好んだ楽曲はこの場にふさわしい感じがする。

 第2部はガラリと様子が変わって、彼女のオリジナルソングの演奏を中心に構成だった。

 「野ばら」メドレー
 朝の風と光につつまれて 
 住みなれた街に
 天国に還った天使
 青い空を抱きしめて
 
 メランコリー(山崎幸次作曲)

 子ども叱るな来た道じゃ
 間違えたっていいじゃないか
 ふるさとの宝
 私が先生になったとき
 もしも
 私は歌う今日のように

 千の風になって(アンコール曲)

 本職の『大阪民主新報』の記者活動や多くの人たちとの出会いの中から生まれてきた歌の数々。平和、子育て・教育、介護・福祉、人生の喜びなどなど彼女の本領発揮といったところである。「野ばら」メドレーの3曲目は、ヴェルナー、シューベルトに加えてケイ・シュガーが作曲、今回初めて耳にした。なかなかものである。それぞれの歌を作ったきっかけや動機のおもしろさもさることながら、ちょっとしたそうした出来事の中に人が生きることの機微を感じすぐに詩を書くというあたりが、まさにジャーナリストなのであろう。また詩を読むと曲が自然と生まれてくるということについて、子どものころから、父母の独自のシステムによって音楽を教えられ、多くの音楽に触れてきたことがあると話していたが、なかなかこのあたりは興味深い部分であった。

このライブの録音CDを下記のところで予約受付中。

第1部 歌と朗読でつづる小林多喜二と音楽  2000円

第2部 ケイ・シュガー オリジナルソング集 2000円

【ご予約・お申し込み先】
office hare  
E-mail  hare@hare98.com
TEL&FAX  06-6882-0232
E-mail kei.sugar@sshin1.net

●堺方面の方、下記コンサートにもご参加を!!


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おすすめの本~『反戦川柳作家・鶴彬』 深井一郎著

2007年10月04日 | 現在おすすめの本

 来年は鶴彬没後70周年。今あらためてこの本をみなさんにすすめます。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 暴風と海との恋を見ましたか

 墨をする如き世紀の闇を見よ

 暁をいだいて闇にゐる蕾

 地下へもぐって春へ春への導火線

 母国掠め盗った国の歴史を復習する大声

 枯れ芝よ! 団結をして春を待つ

雪崩うつ戦争の時代に、命がけで反戦を貫いた川柳人たちがいた。治安維持法違反で、29歳の生涯を閉じるまで川柳革新の志を曲げなかった。たぐいまれなる才能と、強靱な精神力で川柳を文学に高めた偉業をたどる。

『反戦川柳作家・鶴彬』
深井一郎 著
四六判 226ページ 定価1365円
ISBN978-4-88900-810-4

●著者紹介
 深井一郎(ふかい いちろう)1925年(大正14)富山県高岡市生まれ。1943年9月第四高等学校文科2類卒業、1946年9月京都帝国大学文学部文学科国語国文学専攻卒業、1950年9月金沢大学教育学部に就職、1990年3月金沢大学定年退職、名誉教授に。
 主な著書に『雑兵物語』研究と総索引(1973年 武蔵野書院)、俳諧符合『便船集』飜刻と索引(1977年 金沢近世語研究会)、慶長十年古語字本『沙石集』総索引(1980年 勉誠社)、『近世の語彙』(1981年 明治書院)

●もくじ
 1 プロローグ
  1 詩作品
  2 川柳作品
  3 評論作品
  4 鶴と啄木、鶴と小林多喜二、蔵原惟人と鶴彬
  5 鶴彬の川柳遍歴
 
 2 生い立ちと「新興川柳」
  1 生い立ち
  2 川柳入門
  3 田中五呂八に師事
  4 大阪での苦悩

 3 「プロレタリア川柳」へ
  1 「生命主義」を乗り超える
  2 郷里での動き
  3 鶴彬の出発
 
 4 第七聯隊赤化事件
  1 治安維持法違反軍法会議、傍聴禁止
  2 喜多一二への判決
  3 角田通信氏の談
  4 『川柳人』の周辺
  5 川柳王道論と井上剣花坊
  6 当時の世相と川柳界

 5 大衆性と芸術性
  1 三行書き
  2 富士山と煙突と美と
  3 「定型律形式及び図式主義への闘争」
  4 『りうじん街』への投稿
  5 『蒼空』創刊
  6 大衆性と詩・文壇への接近
  7 諷刺短詩
  8 自由律
  9 連作
  10 鶴・半文銭論争
  11 鶴彬の評論
  12 九州柳壇へ
  
 6 検挙・病・終焉
  1 作品と逮捕
  2 その前後の句
  3 社会主義レアリズムの提唱
  4 最後の川柳評論

 7 エピローグ
  1 『川柳人』弾圧事件で
  2 エピローグ
  3 〝語り部〟たちの言葉

  年譜

  あとがき

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