4月5日(土)~4月8日(火)
すでに2週間前の過去のことなので忘れている部分も多いが、この間の出来事を簡単に記録しておこう。
4月5日(土)は大阪造幣局の桜の通り抜けへ行った。まだ寒さも残る気温だったので開花状況は今一つだったが初日ということもあり大勢の来場者があった。大川沿いの遊歩道には屋台がいっぱい並びにぎわっていた。そのあと、天王寺の茶臼山の画廊に行き、友人の鉛筆画展を覗いてくる。テレビ番組でもやっていたが色鉛筆でここまで仕上げられるとは驚きだ。
4月6日(日)から8日(火)までは仕事を休んで富山~長野方面へ桜と山景色を訪ねる2泊3日のドライブ。
6日は天満のハイボール専門バーで知ったモルトウイスキー「三郎丸蒸留所」の蔵元を訪ねて砺波市へまず向かう。もともとは若鶴という日本酒の蔵だがウイスキー作りも始めた。なかなか一般には出回っておらず置いている店は少ないがスモーキー感あふれる香りがお気に入りなのだ。レストランも併設し、訪ねた日のランチタイムは予約で満席だった。この蒸留所をモチーフにしたアニメが海外でも公開され、外国人客も多いそうだ。とりあえず基本のウイスキー「三郎丸蒸留所」を1本買って氷見方面へとむかった。
宿に入る前に「氷見アイヤマガーデン」に向ったが、時節柄まだ今年の営業が始まっていなかったのは残念。宿の温泉からは富山湾の広がりがよく見えた。
7日は氷見を出てまずは富山観光の宣伝ポスターでよく見かける高岡市の雨晴海岸に向う。残念ながら海の向こうに立山連峰は見えないが、見たことのある島が目の前に浮かんでいる。なるほどと納得して魚津方面へ向かう。
米価格の異常な高騰の今、魚津と言えば米騒動だろうということで、大正の米騒動発祥の地を訪ねてみた。第一次世界大戦の影響で日本は好景気になったが、物価は高騰、庶民生活は困窮。米商人の買い占めや売り惜しみで米価は戦前の4倍になる中、苦しんでいた漁師の主婦たちが北海道へ向かう輸送船に米の積み出しが行われていた海岸の十二銀行の米倉庫前に集まり、積み出し中止を要求した。事件は富山県内にから全国に広がり、寺内内閣は総辞職に追い込まれ、その後、日本で最初の政党内閣原敬内閣が誕生している。
さて、米騒動の地を離れて富山市内に住む三男らと合流して今回の主目的地である「奇跡の四重奏」の朝日町舟川ベりに向かう。この時期、青い空+白い立山連山+桜並木+菜の花畑+赤いチューリップが重なって見える場所として、近年富山の春を代表する観光地として知られてきた。しかしこの日はあいにくの天気で、さらに菜の花の栽培に失敗したそうで、期待した「四重奏」は見えなかったが、それでも「三重奏」は見ることはできたので良しとし、また次回に期待することとなった。
せっかくの富山なので美味しい寿司でも食べようと思ったが、場所とタイミングが合わず、「スシロー」で間に合わせの昼ご飯を済ませ、三男らと別れて一路糸魚川経由でから長野白馬へと向かう。
トンネルの多い国道沿いに流れる姫川を見ながら小谷村へ。そして到着した2日目の宿は白馬連山の対面に位置する山の中腹にあるホテル。部屋はすべてが白馬に向かって窓があるが、残念ながらチェックイン後の山は雲の中。ということでまずは温泉に入っていく。入浴客がほかにいないので広い露天風呂を独り占めした。
ビュッフェ形式だがなかなか美味しかった夕食を終え、夜屋上に上がると星がよく見えた。白馬の山々は雲が消えており、暗闇の向こうにうっすらと白く雪で覆われた白馬の山々がほの見えた。再び温泉に入って部屋に戻ってお休みとなる。
3日目の朝は素晴らしい天気となった。眼前に広がる白馬の姿に圧倒されながら、いくつかの場所を巡って楽しみ、安曇野へと南下していく。十割そばの昼ご飯を済ませて『山登りねこ、ミケ』の岡田さんを久しぶりに訪問する。すでにFacebookで本人が明らかにしていることだが、愛猫のナナが2年前に行方不明になって以降の岡田さんの姿が心配だったので、こうして再会することができたのが何よりもうれしかった。1時間余り話をしてお別れし、夜10時過ぎに自宅に到着、2泊3日の春旅の終わりとなった。