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土佐いく子の教育つれづれ~「なんか学校楽しいな」信頼と安心の教室で

2020年08月31日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 学校が再開し、あわただしく駆けるように過ぎ、今頃夏休みが始まって喜びいっぱいの時なのに「今日もテストやったわ。あ~いややな」の声。すでに不登校なども始まっているようで、相談の電話がかかってきている。
 そんな中で、こんな嬉しい子どもの作文が飛び込んできた。

 ◇  ◆  ◆  ◇
 先生いっぱい…
      五年 純太郎


 ぼくが、なぜ「先生いっぱい…」の作文を書こうと思ったかは、理由があります。
 それは、ぼくは正直に言って一年から四年までは学校が大きらいで、その理由の一つが先生でした。
だって宿題はいっぱい出されるし文句を言ったら量をふやされるし、先生となんかずっと仲よくなんてなれないと思っていました。友達と遊んで、先生となんかしゃべるのは、じゅぎょうだけでいいと思っていました。それで、四年間ずっと先生と交流を深めたりしませんでした。

 そして、五年生もそのままでいいと思っていました。

 そして、始業式の時、一組の教室とわかって教室にもどると、丸字で「よろしく」と黒板に書いていました。女の先生かな?と思ってこう堂に行って、先生発表の時にだれなんだろうと思って聞くと
「五年一組たんにん岡崎先生」
「だれやねん!」と心の中で思って顔を見てみると…「やば」と思いました。

 なぜかというと、いかにも宿題めっちゃくちゃ出しそうで、文句を言うとブチギレられると思うぐらいのこわそうな先生だったからです。「一年間…終わった」と思って、始業式が終わって教室にもどると、なぜかいきなりマジックを始めました。「なんでー」と心の中で思っていると、おもいっきり失敗しました。

 教室の中で笑いがおきると、この先生もしかしたらいい先生なんかも知れへんと思って、先生に話しかけてみると…なんかめちゃくちゃ仲よくなれました。

 それを機に、まず水野先生と仲よくなれました。その次に吉田先生と仲よくなれました。そして、今でも仲がいいし、一番思ったのは「なんか学校楽しいな」と思いました。
 先生と仲よくなれてよかったです。

 でも、やっぱりおこったらこわいし、宿題多いし、やっぱり予想があたりました。

 ◇  ◆  ◆  ◇

 先生が「何でも自由に書いていいですよ」と言って、初めて書いた作文だ。ちょっと言いにくいこともずばっと本当のことが書ける先生と生徒の関係性が実にいい。出会ってそう間もないのに。

 その岡崎先生がいい。立派な教えや教訓をたれるのではなくて、いきなりマジック。それも失敗して大笑い。この立派でない先生の素の姿がいい。出会ったその日に、安心の空気が子どもたちに届いている。失敗した時、岡崎先生はご自分も子どもらといっしょに笑ったにちがいない。あっ、ぼくらもこの教室では失敗してもいいんだ、ほっとしたなあ、という思いが出会いの日に届いたのだ。

 それをきっかけに他の先生とも仲良くなれて「なんか学校楽しいな」と思う純太郎くんが、かわいいなあ。

 それにしても、最後の一文がまたいい。「でもやっぱりおこったら…やっぱり予想があたりました」。もしこの最後の文が「ぼくは学校が楽しくなって、岡崎先生がますます好きになって勉強もがんばりました」で終わっていたらどうだろうか。よい子のよい作文で、エセ道徳の匂いすらするではないか。

 最後の一文が書けたのは、先生との信頼関係ができているからこそだ。「モチモチの木」というお話がある。あかんたれの豆太が大好きなジサマが急病になった時、夜道をはだしで、一人でイシャサマを呼びにいくのだ。「勇気のある子になった」で終わらず「夜中にションベンがこわくて、またジサマを起こしたとさ」で終わる、この人間くささが実にいい。そんな話を思い出させてくれた人間くさい教師と生徒の関係が好きだ。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

   

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雑誌「サライ」9月号に紹介されました!

2020年08月17日 | ツイッター
昨夏に出版した『戦争を知る旅』(三枝妙子)が、小学館の雑誌「サライ」9月号に紹介されました!戦後75年特集です。
ありがとうございました。




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滋賀県には戦争遺跡が多く保存されている

2020年08月05日 | ツイッター
先日行った滋賀県平和祈念館では地元に今なお残る戦争遺跡について多くの展示がある。




これは大津市立上田上小学校に残っていた奉安庫(奉安殿)。講堂の舞台最奥に設置され儀式のたびに開けられ、御真影に最敬礼、教育勅語が読み上げられた。校舎の改修に伴い、祈念館に寄贈されたものだ。




比叡山にあった特攻機「桜花」の訓練基地も凄まじい戦争の狂気の結果か!








滋賀は大阪の学童疎開先だった。






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感染症とインパール作戦の企画展を参観

2020年08月02日 | ツイッター
昨日はインパール作戦の企画展が開かれている滋賀県平和祈念館(東近江市)に行ってきた。県立の平和祈念館というのはそんなにあちこちにあるものではない。戦争と平和に向き合う行政の姿勢がいいではないか!



コロナ禍の下なので参観者は少なかったが、その分ゆっくり観ることができた。常設展示は滋賀県の戦争遺跡展示や戦争体験者の証言などだが、この企画展では戦後75年企画としてインパール作戦を取り上げ、特に今の情勢を反映して戦場における感染症にスポットを当てている。









インパール作戦は日本の侵略戦争史の中でも参戦人員の損耗率が70%以上という最も悲惨な作戦の一つで、「責任なき戦争」と言われているが、その上で三密の戦場がどんな状態だったか、地元から作戦の参加した元兵士たちの証言が凄まじい。











因みにインパール作戦に投入された部隊の一つが陸軍第15師団で、この部隊には地元滋賀や京都の若者たちが多数召集されている。まさに地元だからこそできた企画展なのだ。

小社の新刊『「分隊長殿、チンドウィン河が見えます」』(柳田文男/著)には、この第15師団の下級兵士たちの姿が描かれているが、この作戦が陸軍幹部の軍学校時の期生の上下関係、あるいは個人的感情という私情によって決定付けられたこと、幹部たちが兵士たちを戦争消耗品としてしか捉えていなかったこと、その結果無数の命が捨て去られていったことなどがリアルに描写されているのでぜひお読みいただきたい。



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