まいど、日本機関紙出版です。

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『登山猫 ミケ』の本のこと、口コミで広げてくださ~い!

2009年07月31日 | ただ今、編集作業中の本

『登山猫 ミケ』の出版企画について、今日もいくつかコメントいただきました。ありがとうございます。まだどんな内容の本なのかほとんどお知らせしていないのに、ミケのことをご存じの方たちの範囲とはいえ、うれしいことです。

 岡田さん、天候に問題なければ3日に常念岳から下りてきてミケを訪問するつもりですので、よろしくお願いします。その時に原稿のことや今後のこと、相談しましょう。

 読者のみなさん、お願いです。ぜひミケのことを周りの人たちにお話しください。ネットや口コミで広がれば話題になり、本の読者が広がることになります。

 時々は本の一部をこのブログでも紹介していく予定です。ご期待ください!

 


 

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『登山猫 ミケ』の本、出版待ち遠しいとの声、届きました!

2009年07月30日 | ただ今、編集作業中の本

『登山猫 ミケ』の出版企画について、突然、たくさんの方から応援のコメントをいただきました。左のコメント欄にアップしてますのでご覧ください。どうも、ミケと飼い主の岡田さん関係の人たちの間では期待されているようです。ありがたいことです。

 そんな声に励ましを受けながら、では書店さんの反応はどうかと、こんなチラシを持って店員さんの声を聞きながら歩きはじめています。

 ぜひみなさんの意見、お寄せください。

 

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講師の方々、ありがとうございました。

2009年07月29日 | 編集・営業ふらふら雑記

 母親大会の書籍販売の返品が戻ってきました。(泣)戻ってこなくていいのに…。

 さっそく検品して売行き状況を確認しました。ざっと以下のような感じでした。

1.『ケアマネ白書』 55部

2.『女子大生と学ぼう「慰安婦」問題』 31部

3.『反戦川柳作家 鶴彬』 10部

4.『従軍慰安所〈海の家〉の伝言』 9部

5.『聞きたい知りたい性的マイノリティ』 9部

6.『窓をあけると虹の空』 8部

7.『私の従軍中国戦線』 7部

8.『パソコン〈新聞&ビラ・チラシ〉編集入門』 5部

8.『だまされない極意』 5部

10.『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう』 3部

 他です。

 記念講演の講師の人の本でもない限りは全体集会で販売するというのは難しいものですね。やはり著者が助言者を務める分科会での販売が部数を伸ばすカギですね。ということはそういう講師なり、助言者なりになりそうな人の本を出すのがいいわけですね。運動のキーパーソンを如何に探し出し出版企画につなげていくかが必要です。

 

 

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『ケアマネ白書』が指摘した事態に

2009年07月29日 | 編集・営業ふらふら雑記

 4月に制度変更された介護認定が大幅に見直しされることになりました。今日の各紙が取り上げています。半年間の間に2回もやり直しされる制度っていったい何なんでしょうか。厚労省って何?みたいな感じです。

 事態は『ケアマネ白書』(大阪社保協・よりよい介護をめざすケアマネジャーの会編)が指摘してきた通りになってきました(詳しくはコチラを)。

 ということでこの本をもっともっと売らねばと思っています。いい本ですよ。まだの方ぜひ読んでくださいね。また先日の母親大会の「介護制度」分科会では介護現場に携わる人たちがたくさん参加されていたそうで、いろいろ意見が出されたようです。午後の部が始まるまでは20部余りの売れ行きでしたが、分科会終了後ドドドッと売れました。

 うーん、この分科会を機にこの本が読まれ、そこで学んだ人たちが全国各地で運動に立ち上がれば、本を出した甲斐があったというものですね(再び詳しくはコチラを)。


 

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母親大会2日目、頑張って売れてくれと右往左往…

2009年07月28日 | 編集・営業ふらふら雑記

 2日目の会場は立命館大学衣笠学舎。7時集合なので前夜は京都市内泊でした。前日の終わりにトラックに積み込んだ本を手分けして各分科会ごとの会場に運び込み、再び開梱、陳列。ふう、暑い、暑い。わが会場の以学館3階のロビーはエアコンが入りません。仕事をする前から汗びっしょり。それでもなんとか少ない人数で本を並べて販売開始となりました。


「慰安婦」問題関係、石川教授関係の本を集積

 関係する分科会は「慰安婦」問題分科会。助言者は神戸女学院大学の石川康宏先生とゼミ生たちなので、『女子大生と学ぼう「慰安婦」問題』ほか関連する本を陳列。意外にも『従軍慰安所〈海の家〉の伝言』はこれまた完売しました。10部ですが、中国侵略で上海に上陸した海軍陸戦隊が作った慰安所の経営者のご子息が書かれた本ということでちょっと珍しかったのかも知れません。


天井からモニターがあちこちに。最近の大学はすごいもんですね。


目算では最終的には120人ぐらいの参加者か?


石川ゼミの学びを話すゼミ生たち

 また写真集の『私の従軍中国戦線』も動きました。発行から何年もたっている本なのにまだまだこういう本が売れるというのは、やはり多くの人にはほとんど知られていないということなのでしょうね。宣伝が足らないということでしょう。古い本でもその存在を知らない、初めて知った人にとっては内容がOKならば新刊なのですから、在庫をいかに知らしめて購読に結びつけるか、もっと知恵を働かさねばと感じています。

 分科会は午前10時から午後3時まで。ランチタイムが1時間半あるのでその時間を少し利用して石川先生にサイン会をしてもらいました。お客さんに団扇で扇いでもらいながらの汗かきサイン会、申し訳ありませんでした。正確な数字は返品が戻らないとわからないのですが、30部ぐらいは出たかなという感じでした。

 分科会中はお客さんが来られないのでお店は暇です。その間に他の会場の書籍コーナーに出している本をチェックしてきます。研心館3階は『ケアマネ白書』の大阪社保協・寺内順子さんの「介護制度」分科会。ほぼ満席状態で切実な意見があちこちから出されていたようです。本はこの時点で20部あまりの売れ行きでした。続けて存心館3階へ。ここは「男と女生きいき」分科会。『性的マイノリティ』の著者の一人である大橋明日香さんの発言は参加者に驚きをもって受け止められたようです。本の売行きはやや微妙でした。


熱心な参加者でいっぱいの「介護制度」分科会


校内掲示板には立命民主化を求める学生たちの息吹も

 「慰安婦」問題分科会の終わりごろ教室に入るとまとめの最中。申し合わせ事項を参加者全員で出しあいながら決めるやり方で、これはちょっとたいへんな作業のように思えたのですが、さて、どうまとまったのでしょうか。

 2日目が終了すると書籍コーナーの撤収作業です。さらに約1時間余り、全員で各会場に分散していた書籍をまず1ヵ所に集積、出版社ごとに分けてケースの数を確認、西濃運輸の伝票を貼りトラックに積み込んでようやく終了したのでした。

 直ちにタクシーを拾い、河原町今出川交差点近くのレストランで先に始まっていた打ち上げに合流。I川教授、大阪社保協・T内さん、兵庫原水協・K本さん、兵庫母連・U野さん、新大阪「ぎんのスプーン」の明日香さんたちと暮れゆく京都のひとときを楽しみました。

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日本母親大会で『反戦川柳作家 鶴彬』完売! といっても10部ですが…惜しい(泣)

2009年07月27日 | 編集・営業ふらふら雑記

 25日、26日は京都で行われた日本母親大会へ本の販売に出かけてきました。

 1日目の会場は京都府立体育館。朝5時半起床、6時過ぎの吹田発JRに乗り込み高槻で新快速に乗り換え京都へ。さらに山陰線に乗り換え円町で下車。コンビニでパンとコーヒーを買い会場へちょっと早めに到着。暑い、暑い。

 8時に書籍販売を行う各出版社から要員が到着、責任者の指示で膨大な数のケースを体育館の1階と2階のロビーに搬入、そして開梱、陳列作業を汗かきながら。開会は12時だが販売は11時からなのでボチボチ立ち寄ってくださる参加者に声をかけます。

 特に記念講演者に関する本もないので漠然とこんなものはどうかという品揃えで勝負です。幸いなことに『反戦川柳作家 鶴彬』が完売、といっても10部ですが、もっと持ってくるべきでしたね。やはりこういう大人数の集会では声掛けが大事なようです。

 「鶴彬・・・」と叫ぶと何人かの方が振り向かれるのです。お客さんの方からすれば膨大な本が並べてあっても何を買ったらいいのかわからない、さがすのも大変ですから、何でもいい、お勧めの本をもって叫ぶこと、これが大事と感じた初日でした。


品数は少ないのですぐにセッティング終了です(笑)


続々と参加者が押し寄せてきました。


外は時折激しく雨が降っていましたが、会場内は全国からの参加者で満員です。


2階席の満員の9000人が参加しました。


声を張り上げ呼び込みです。ふう~!

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明日、明後日は京都へ本売り

2009年07月24日 | 編集・営業ふらふら雑記

 明日は京都で行われる日本母親大会へ本売りに出かけます。25日と26日の2日間です。府立体育館の全体会用に2ケース、立命館大学の分科会・講座用に3ケースを送りました。

 全体会は何でもありという感じなので適当に見つくろって、分科会は「日本軍『慰安婦』問題」(以学館3階)が石川康宏先生とゼミ生、「あったかい介護がほしい」(研心館3階)が大阪社保協・寺内順子事務局長、「女も男も生きいきと」(存心館3階)が杉山貴士さんの参加などで、それぞれ関係する本を送りました。

 各講師の話に如何にピンと感じてもらって本に走らせるか。売れるかどうかまったくわかりませんが、各講師陣のセールストークをちりばめたお話、よろしくお願いしま~す。25日は体育館1階のロビーの書籍コーナー、26日は以学館3階の書籍コーナーに要員として入る予定です。

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山登りをする猫――登山猫・ミケ ついに本邦初公開!!

2009年07月23日 | ただ今、編集作業中の本

山に登る犬は珍しくはありませんが、山に登る猫は珍しいでしょうね。驚きです。登山猫です。その名は「ミケ」。長野県安曇野に住む岡田裕さんご夫妻の愛猫です。年齢は15歳なのでもうかなりの高齢猫ですが、今も元気に山登りをします。まさに登山犬ならぬ登山猫なのです。

 驚くなかれ、なんとすでに58の山に登っています。小さい頃から長野近郊の山々に登り続けてきました。リードなしです。あるときは自分から先頭に立ちズンズンと山に登っていき、残雪を踏みしめて登ったこともあります。寒いからといって炬燵で丸くはならないのです!

 この動画は先週末、白馬岳が望める浅間山(せんげんやま・931m)に登った時のヒトコマです。猫足時間(笑)で登り95分、下り60分でした。

 この動画を見られた方の中には「ああ、あの猫、知ってる」という方もおられるかも知れませんね。

 ということで今度、このミケの本を出すことにしました。どんな本になるのかまだこれからですが、猫好きの人や、山登りが好きな人をはじめたくさんの人に、こんな猫がいるんだということを知っていただき、山好きご夫妻の15年間の愛猫生活を知ってもらえたら猫冥利につきます。

 うーん、タイトルは「登山猫 ミケ 50の山に登ったオスのミケ猫物語」? どうかなあ…。何で機関紙出版がこんな本をというご批判もありそうですが、以前にも山関係の本2点発行していますので特に問題はないのです。

 さて、この登山猫 ミケの気持ち(と言ってもミケは何にも知りませんが)はみなさんは読者のみなさんに伝わっていくのでしょうか?

 実は正直なところ、この本、どうでしょう?とちょっと不安もあります。みなさんのご意見、アドバイスなどぜひお寄せください。

 

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近所の郵便局で

2009年07月22日 | 編集・営業ふらふら雑記

 先ほど近くの郵便局に行き「郵便」窓口に並んでいてふと外を見ると、車椅子に乗ったおばあちゃんが入口手前にポツンといました。そのうち奥の「振込」窓口側の待合席からヘルパーさんらしき女性がおばあちゃんの横へ行き携帯で話しはじめました。

「今、●●さん連れて郵便局にきています。●●さん、足を痛めていて歩けないというので代わりに窓口に並んで順番を待っているのですが、待ち時間がかかり過ぎて、私の受け持ち時間が終わってしまいました。誰か代わりの人に来てもらえませんか?」

「・・・・・・・・」

「はい、わかりました。ではお願いします」

 といってそのヘルパーさんらしき女性はおばあちゃんに何か話しかけたあと、どこかに行ってしまいました。おばあちゃんは「どうもありがとうね」とお礼を言いながらその女性を見送っていたのですが、なんかポツンと通帳らしきものを手にしたままだったので、その後どうなったのか気になって仕方がありません。たぶんちゃんと代わりの人が来られたとは思うのですが、なんかもう少し何とかなれへんのかなあと思った介護の1場面に遭遇してしまいました。


▸クリック

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衆議院が解散とは関係ないですが、わが業界にガッカリです。

2009年07月21日 | 編集・営業ふらふら雑記

 衆議院が解散しました。これから9月初めまでは世間の関心は総選挙一色という感じで進むのでしょうか。まあ、そういう自分もいろいろ関わるべきところはあるのでそれはそれでちゃんとしていかねばならないのですが、それにしても40日以上、いやもっと永くなるのか、一国の執行部が不在という状況でも日々の国民生活はまわっていく、この国は動いていくわけで、そうなるとなんかあってもなくてもいいような政治がおこなわれていたという風にも思えないわけでもないわけですが、どうなんでしょうかね。

 まあそれはそれとして日々の仕事も生活もあまり大きな変化もなく眼前にあるわけで、それを毎日クリアしていく日々がずっと続いていきますが、でも実はその目の前のクリアすべき事柄が本当は政治と不可分に結びついているわけで、やはりそこはちゃんと押さえて過ごしたいと思っています。何が言いたいのかわからなくなってきましたが。アホさ加減をまたまた露わにしてしまったようです。

 実は、その目の前のことでちょっと「何やねん、これ!」という事柄が先日あったのでここに書いて気分を落ち着けたいと思うのです。業界内部の恥さらしになるのであまり書きたくはないのですが…。

 ウチで出している本で『窓をけると虹の空』(葛目巳恵子著)という本があります。もう1ヵ月以上前のことなのですが、九州のある国立大学の生協から取次経由で注文短冊に「16冊」と書いた注文がありました。おおっ、これはスゴイではないかと喜び勇んで取次に納品しました。しばらくして今度は同じ本がその取次のWebセンターからの注文短冊として注文数1冊と記入されたものが16枚届きました。再びおおっ、素晴らしいではないか。何かあったんかいなあ?とさらに喜び勇んで納品しました。同じ16冊です。ここで気がつけばよかったのですが、その「16冊」に目が眩んでしまっていました。

 それからしばらくして今度はその大学生協からFAXで同じく16冊の注文が入りました。うん?何か変と思ったので、すぐに「その注文はすでに搬入していますよ」と答えると「はい、そうですか。わかりました」ということでその場は終わったのですが、それからまたっ数日後に今度は電話で同じ注文が入ってきました。その時も「ダブっていますよ」と教えてあげて電話を切りました。

 さて、さらにかなりの日が過ぎ、そのことはもう忘れていたころになって今度はその本の注文を出された先生自身から電話がありました。「うちの大学生協に●●の本を16冊注文したのだけどまだ来ないので直接お宅に注文します。生協にはキャンセルしました。何回も届いているかどうか確認に行くたびにまだ来ていない、まだ来ていないと言われるので、そんな商売があるか!と怒っています。こんなお店もう相手にできませんよ」と怒り心頭でした。

「ええっ、まだ届いていないのですか。もう1ヵ月ぐらい前に納品しましたよ」と答える私。キャンセルしたと言われているので「わかりました。ではこちらから宅急便でお送りします」と答えてその場は終わりました。するとそのあとすぐにその大学生協から電話がありました。「すみません、あの注文キャンセルになりました」。はあ? キャンセルになりましたあ? 随分と気軽におっしゃるのです。確かにまだ商品が届いていないので大学生協側も困ってはいたのでしょうが、どうもこの一連の注文の仕方がいい加減というか、適当な気がしたのです。

 キャンセルと言ってもいずれにしろ取次に納品済みのものですから、一旦は大学生協に送られます。そして返品されるということになります。なんたる無駄! 時間の浪費。何やってんの!という心境です。あの喜びはいったい何だったのか?

 それにしても1ヵ月たっても注文品が届かないというのは何なんでしょうか? 1冊や2冊ではありません。16冊というまとまった荷物です。しかも彩用品なのですから、見ればすぐにわかるでしょうに。行方不明になりようがありません。どうなっているんでしょう? そこんとこはっきりとしてもらいたもんですね。取次のN販さん!!

 実は注文扱いの本は取次に納品して以降、どのような経路で、どのような日数で本が書店に送られるのかはよくわかりません。見学にでも行けば教えてもらえるのか知りませんが、書店さんの側は取次への搬入がいつならば、だいたいこの頃には到着するだろうというものは目途が立つようなのですが…。。

 まあ、なんとも不思議な世界、それが出版業界なのです! ホントにやれやれです。

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脂質、尿酸値が

2009年07月19日 | 丸ちゃんの私的時間

 あのキャビンアテンダント風健康診断の結果が送られてきました。

 昨年とほとんど大きな変化はないのですが、1つ尿酸値の高さが指摘され、経過観察を受けろとのお達しが入っています。

 いわゆるメタボ検診の方は該当せずでこっちのほうはいいのですが、LDLコレステロールが140、総コレステロールが238と数値が高く、動脈硬化、脳梗塞、心臓病などになりやすい危険性があるとの指摘がありました。

 また尿酸値が7.2と高くなり痛風になりやすいと記されていました。なので脂質、尿酸について精密検査(経過観察)をするので受診しなさいということです。

 さてどうしたものかと。昨年受けた時は、食事指導をされましたが、また同じようなことなのでしょうか。夜9時以降の晩ごはん、飲酒、運動不足の感は否めませんね。うーむ、困ったものです。

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総選挙、そして来年は日本の米国従属状態50周年。それでいいのか?

2009年07月18日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

昨日は夕方、降ってるのか降ってないのかはっきりしない天気の下、トボトボと疲れた体を引きずりながら中之島公会堂の総選挙関係の集会へ出向きました。座席は前から2列目の左の端っこです。なので舞台を右斜め前方に見る感じです。
 
 すぐ前の席には時々電話をいただく関係後援会幹部の方の後頭部が。おっと、出来るだけ気付かれないように視線を避けながら、団扇を片手に下を向いて開会まで雑誌を読んでいました。(笑)

 さて開会後すぐに3名の候補者の挨拶があって、そのあといつもJR野田駅前の朝宣伝で見慣れた福島区選出の大阪市会議員、清水ただしさんが挨拶されました。

 はじめ何で舞台上に座ってはるんかなあと思ったらそういうことだったんですね。来年の参議院選挙の大阪選挙区から立候補されることになったのでした。

 その清水さん、先日の大阪府庁での記者会見後、記者の人たちに印象を尋ねたところ「共産党らしくない、明るい、若い、おもしろい…」など言われたそうです。「ということは、普段共産党は、暗い、高齢、堅い…というように思われているんですかね」と話す清水さんに会場は大笑いです。

 まったくユニークな人物が候補者になられました。バナナの叩き売り講釈のお兄ちゃんから国会議員へ。来年の参院選もなんだかおもしろくなりそうです。

 さて本題の総選挙については、中央委員の方が来られてお話されました。以下、自分なりに解釈してなるほどと思った点、いくつか…です。

・先の東京都議会選挙結果は、自公政治に代わる新しい政治を求める動きが国民自身の行動によってはじまったことを意味する。別に民主党がその行動を呼び起こす力になったわけではなく、都民自身が一人ひとりの判断で動いたということ。それが大事。

・この動きは2年前の参議院選挙のときからすでに始まっていること。すなわち2年前の参院選の比例代表の東京での得票と今回の都議選の得票を比較すると、自公226万→220万、民主230万→230万、共産55万→71万というように政党間の力関係に変化が出てきていること。

・総選挙は完全に自公政治を終わらせる決定的な審判を下す機会となること。もはやかつてのような体をなしていない自民党の今を見るとき、それは明らか。とにもかくにも自公政権の延命をやめさせる、そこに総選挙の第1の意味がある。

・そして自公政権が終わりそれに代わって民主党を中心にした政権ができること。これは確実なことだが、ではその新しい政権はいったいどんな政治をするのか。民主党は政権を取って何をしようとしているのか。民主党の政策は国民の望む政策なのか、自公政権が進めてきたどうしようもない政治を国民の立場に立って大きく変えてくれる政治なのか。その中身を問うことがとても大事になってくる。そして民主党がダメなら、じゃあどういう道があるのかそれを示して選んでもらう、そういう選挙にしないといけない。

 具体的な実践上のこともいろいろお話はあったのですが、まあ、それは別に任せるとして、振り返ればわが人生50年というか51年ですが、意識するしないにかかわらずこの国はずっとアメリカの影響下、従属状態にあるんですね。軍事的なことはもちろん、ほかのいろんなことでも。

 アメリカの顔色をうかがってばかりの政治が行われてきて、その政治のもとで生きてきてるんですから、なんかそれが当たり前になっているんでしょう。飼い慣らされてきたというか…。

 でも、もういい加減に、それでいいのかっていう段階に来ていると思うのですが、どうでしょう? 私は想像したいです。アメリカの従属状態から抜け出した日本について。イメージしたいです。私たちにはその想像力が必要なのではないか。ホントにもういい加減っていう感じです。

 アメリカも大統領が変わりました。核兵器廃絶を口にする大統領です。来年は日本のアメリカ従属状態50周年です。昨日の『朝日』夕刊によると、その50年を機に日本側から日米同盟の意義の再確認をしたいという提案があって(誰が提案したんでしょう? 余計なおせっかいをする人がいるもんですね)、それに対して「それはグッドアイデアだ」と米国務次官補が答えたそうですが、あきれるばかりです。悲しいですね。

 というような意味からも今度の総選挙は考えたいと思ったのでした。ハイ!

 

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さらば、夏の時代、わが宵々山コンサート

2009年07月16日 | 丸ちゃんのギター&フォーク

 7月12日、祇園祭本宮に向けて盛り上がりを見せる京都は四条河原町から八坂神社の奥の院に位置する京都市円山公園音楽堂へ行きました。第29回宵々山コンサート〈これにて中締め〉です。

 前日の『朝日新聞』夕刊のこれが最後のコンサートになるとの記事を見て、そうだったのかと宣伝チラシの「これにて中締め」の意味を納得しました。世話方の中心を務めておられた三宅誠孝さんがこの1月に急逝されたことや運営経費のことなどが原因らしきことが記事には書いてありましたが、三宅さんが亡くなられていたのですね。ずっとコンサートを支えてこられたあの名物顔がもう拝見できなくなったのはとても寂しいです。

 そんなこともあってか、この最後のコンサート、見事に超満員になりました。昔は全席座席指定で入場券購入がたいへんだったのですが、ここんとこ満員状態には程遠い状態が続いていましたので、とにかく最後に大勢の人がお別れにやってきたことは何よりではないかと思います。
 
 ジリジリと暑い西日が射しこむ音楽堂が開場したのは開演1時間前の3時半。観客席前半分のほぼ中央辺りに席を確保、とにかく暑いのです。クーラーから2本目のビールを取り出しグビグビ…。一息ついたころの開演30分前、例によって永六輔さんの登場で場内の雰囲気は一気に高まったのです。


いつもの入場待ちで行列する人たち。昔は1番席を取るために1週間前からテントを張って並んでいた人もいました。


みなさんご一緒にシングアウトです。これで大部待ちくたびれ感も和らぎます。ありがとうございました。


 



西日が強く場内を照りつけます。


まさに中高年者でぎっしり満員。


永六輔さん登場。転倒して肺に肋骨が刺さっているそうですがまだまだお元気です。随所に笑いのあるスピーチは健在で、本番では宵々山コンサートにこれまで出演されすでに亡くなられた方たちを偲んでのレコードコンサートを再現、数々のエピソードを交えながらのDJ役を披露されました。


開演トップバッターは奈良のまつぼっくり少年少女合唱団(指揮:荒井敦子さん)でした。2年前に初出演、その元気な歌声に誰もが明るくなります。


高石ともやさん、古河さち子さん、村尾あいさんが登場、合唱団と一緒に歌いました。


会場の人たちも「ドレミの歌」で参加、音階ごとに分かれて立ち上がって歌いました。


金海たかひろさんはかつてのザ・ナターシャセブンのメンバーでした。フラットマンドリンの響きがすばらしいのです。


マーティ・ブレイシーさん(右)のリズムは身体全体で表現されるので楽しいです。彼については以前にコチラでも紹介しましたね。


ABCラジオパーソナリティ道上洋三さんが会場から登壇、ご自身が入院中に作られた曲、「ただ生きている、それだけでいい」を客席と一緒に歌われました。


特別企画、元締め役の永さんと高石さんの思いで対談です。


新潟から鼓童の藤本吉利さんらの大太鼓演奏。すごい迫力で場内は圧倒されました。素晴らしい!!


恒例の大提灯への火入式にやってきた中島啓江さん。この人も迫力の人です。


人間国宝・桂米朝さんと5代目桂米團治さんが登場、会場は大きな拍手に包まれました。


八坂神社の神火が場内をリレーします。


いよいよ押し迫ったコンサート、最後は米朝さんの「米朝締め」で中締めです。


高石さんの終わりを告げる歌の中、舞台では撤収作業がすすみます。


終わりが来ても誰一人帰ろうとしない観客席。

 会場を出るとき、またどこかでの再会をスタッフの方に伝えました。こうして我が夏の大いなるお楽しみが1つ消えていきました。ありがと~う!!

 

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大正沖縄会館で

2009年07月14日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は午後のお仕事後半は大正区は平尾の大正沖縄会館へ。神戸女学院大学石川ゼミの「沖縄戦争体験を聞く会」の記録係の仕事でした。

 93歳の親川さんは幼少期に沖縄から大阪へ、そして中国戦線へ約2年間輜重兵として従軍、戻ってきた大阪で大空襲を体験、敗戦翌年の1946年に沖縄へ戻り沖縄人民党創設にかかわり復帰運動に取り組まれました。

 また仲吉さんは沖縄戦の体験者です。ガマに避難した経験など語っていただきました。

 貴重な体験を聞かせてもらって思いました。あの戦争から64年目の夏を迎えますが、沖縄では今も「戦争」が続いています。そして沖縄を犠牲にして成り立っている今の私を含む日本というものについて考えねばと思いました。


体験を語っていただいた親川さん(左)と仲吉さん


メモをとりながら体験を聞くゼミ生たち


「聞く会」の後は近くの沖縄料理のお店に移動


沖縄料理は初めての学生もいたかな?


やはり最後はカチャーシーで踊りまくる


踊る大学教授と京都の怪しい弁護士……

 

 

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堺の市民ミュージカル「炎の街から」を観る

2009年07月11日 | 丸ちゃんの私的時間

 一昨日は夕方、堺市鳳のウェスティホールへ。堺の人たちが作る市民ミュージカル「炎の街から」を観に行きました。

 普段からミュージカルなんて余り馴染みのない身分なので、どんなものだろうかと思っていましたが、なかなかいいものでした。ストーリーは下記の通りです(パンフレットより)。

 テーマが堺の空襲を扱ったものということで、出演者は堺市民のみなさんたち。もちろんたぶんみなさん素人さんなのでしょう。でも演技、振付、歌などよく考えられていてなるほどこういうものなのかと、随所で感心しながら、最後には強く感じいるものが残りました。

 なお脚本やテーマ曲をはじめ、挿入歌の作詞は小社の著者としてもおなじみの佐伯洋さん、そして松本喜久夫さん。このコンビですでに10数本の作品を手掛けてきたそうですが、次は「反戦川柳作家・鶴彬」を構想中だそうです。これもおもしろそうです。

 ちなみに「炎の街」には佐伯さんも出演。龍神遊郭・金波楼に四国から娘を斡旋してくるいわゆる女衒(ゼゲン)というとんでもない悪役でしたが、なかなかよく似合っていました。(笑)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 堺市民ミュージカル「炎の街から」 あらすじ

 この町に生まれて
 この町に育つ
 いのち育てて いのちつながる
 ここに生きる草たちよ
 いつでも今を生きている
 仕事の仲間 子どもの笑顔
 南蛮貿易 自治都市堺
 歴史のまちを 鷺が舞う
 季節はめぐる
 冬から春へ


●脚本・作詞● 佐伯  洋/松本喜久夫
●音楽● 石若 雅弥/豊田 光雄
●振付● 長谷堂いく子
●演出● 林田 時夫(劇団きづがわ)


 ここは私たちの生きる堺の街。堺空襲の犠牲者を弔う慰霊祭が行われていた。そこに集まった様々な思いを持つ人々の中に、苛烈な空襲から生き抜いた大沢みちがいた。 

 2008年、堺大空襲を生き抜いた大沢みちはその体験を胸に、平和への希いを持ちつづけている。そんなみちに、元孫の担任だった教師たちから、子どもたちに空襲体験を話してほしいとの依頼があったが、みちが抱える体験はあまりにも重く、語ることを断わるのだった。

 秋になり、リーマンブラザースの破綻を受けて、景気が急速に悪化する中で、みちの孫の徹志も、希望していた企業から内定取り消しの通知を受け、いっそ自衛隊への入隊をといいだす。みちはそれを聞き、胸にしまっていた空襲の体験を語りはじめるのだった。


 1944年5月にさかのぼる。舞台は、堺の竜神遊郭金波楼。みちはここの娘だったが、売られてくる女性たちや、明日をも知れぬ命を酒に紛らす兵隊たちの姿に心を痛めていた。そんなある日、あさという娘が売られてくる。店の前で酔った将校に絡まれたあさを救ったのは、通りすがりの正井忠義・孝二の兄弟だった。忠義は、与謝野晶子を愛する多感な女学校教師、孝二は、ひたすらに身をささげようとする軍国青年だった。忠義は、あさと恋に落ちるが、治安維持法違反で検束されてしまう。「君死にたまふことなかれ」の詞を残して。忠義と引き裂かれたあさも病の床に伏す身となる。二人をつなぐのは、ただ一つ、京土産に忠義が送った御所人形だった。みちは、そんなあさを何かといたわり、いつしか孝二に好意を寄せていく。そんなある日、海軍に入隊を告げた孝二は、早春の大浜海岸にみちを呼び出し別れを告げた。ふたりの思いが重なり合う。

 やがて運命の日、194年7月10日。堺大空襲がやってきた。その日は、孝二がみちの中にまだ見ぬわが子を宿したまま、人間魚雷回天で出撃するときでもあった。

 孝二さん。死なないで!生きて帰って!…

 ばらまかれた米軍の予告ビラを拾った医師片岡が、みちに警告するが、二人はなすすべもなく空襲を迎えることになってしまった。一瞬にして、火炎地獄と化した堺市街地。とりわけ竜神地域は苛烈をきわめた。

 ……舞台は戦中から戦後へ。そして堺大空襲から64年後の現代の堺へと…。

 


 

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