まいど、日本機関紙出版です。

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「さあ、次は何すんのかな?」~給食室からみた子どもたち②

2007年11月29日 | 給食室から見た子どもたち
 今日はモンゴルの馬頭琴の生演奏を聴く。草原にいるみたい。演奏後、そら組さん、奏者にいろいろ聞いている。
 さあ「スーホーの白い馬」の練習だ。顔の表情、身体の動きが違う。ホールいっぱい、いっぱい使って白い馬が走ってる。
 一週間前、同じ練習をしていたときのことを思い出す。身振り、手振りの説明のあと先生が「さあ、次は何すんのかな?」。そら組さんの数人、「給食たべる」。私、思わず吹き出す。11時過ぎだから、確かにそら組さんの言うとおり、お腹すく時間やなー。でも、先生は違う答えを待っていたのでは…。
 今日のそら組さん、ステキ! 私はそら組さんの和え物をいつもより多く盛り付けた。(ほづみ保育園・中尾和子)
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京橋・山葵の「おはよう朝日です」の取材に乱入!!

2007年11月28日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

  昨夜は京橋の山葵(わさび)へ行った。ABCの「おはよう朝日です」が取材にくるというので、できるだけ賑わっている様子にしたいとのことで、動員がかかったのだ。あいにくナヌムチームは私とT内さんの2人しか都合がつかず、それならばとわが職場のT夫妻に応援を要請した。京阪沿線に住んでいること、よく京橋で飲んで帰るとのことでちょうど都合がよかったのだ。

 

  テーブル席が空いていたので、これ幸いに椅子に座ってまずは生ビールから。夫妻には初めての店だったが、店の雰囲気や料理も気に入ってもらった様子で、これからは山からの帰り(2人は労山の会員なのだ)に仲間を誘って来るそうだ。そのうちにT内さんが到着し乾杯し直す。

 

  7時半ごろ、朝日放送の撮影隊が到着した。レポーターはギターを持った熊飼達朗さん(これで合っていたか? ナントカカントカというバンドをしているそうだ)と女性(名前がわからん)の2人組。ぶらぶらと歩いてきて店を見つけるシーン、店に入ってくるシーン、飲み物を注文したり、食べたり、店の紹介をするシーンなどいろいろ段取りがあるようで、その様子を眺めながらビールのお代わりやらつまみのオーダーなどこっちも進めていく。即興でギターを弾きながら歌を歌うので、お客さんたちも手拍子や喝采を送ったり、そのうちお客さんとのやりとりなどもカメラに収録されていき、8時半ごろに終了する。もちろんわれわれもばっちりとその醜態がカメラに収まったハズ。

 

  放送は12月5日の朝7時半ごろではないかとのディレクターの話。時間のある人はぜひ見てやってください。また山葵にも飲みに来てください。個性的な酒と日替わりのつまみがたくさんありますよ。

 

 くわしい取材の様子はこちら、T夫人のブログで・・・。

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最近の読者はがきから~ありがとうございました。

2007年11月28日 | 読者はがきから

『治安維持法とわたし』桑原英武著

 

■身につまされた
 私も治安維持法の犠牲者の1人ですので、身につまされて読みました。ところで『レジスタンスの青春』(宝木実)は在庫しているでしょうか。宝木寛の兄・武則から贈られて持っていたのですが、ボロボロになり失くしてしまいました。そこでもう1冊欲しいのです。エスペラントでエッセイを書くのに必要なのです。(さいたま市・97歳・男性・著述業)

 

■現在を生きるの大きな励まし
 知識として知っていた「治安維持法」が、あまりにも恐ろしいということを実感しました。小林多喜二や鶴彬など、生命を賭けて反戦平和を貫いてきた人たちがいたということは、現在を生きる私にとって大きな励ましです。今もなおご健在で、激しさを感じない桑原先生の青春時代をいまこの本を通じて知り、感慨ひとしおです。多くの方たちに読んでもらいたいですね。特に活動家と思っている人には必読書です。(田辺市・66歳・女性・無職)


『生活保護物語』浦田克己著

 

■このような感性を学びたい
 たいへん興味深く読みました。本の宣伝で「他人の不幸の上に成り立つ幸せ」「他人の不幸を仕事の対象にする」ことに対する自己矛盾やその思いが伝わってきました。小生も社会保障運動をやっている一員として、このような感性を学び続けたいと思っています。そのような学習の本として、よい本であると思います。(塩釜市・58歳・男性・事務)


『私の従軍中国戦線』村瀬守保写真集

 

■すごい記録、私も広めたい。
 友人からの贈り物ですが、すごい記録があったものだと驚きました。私も友人たちに広めていきたいと思っています。この写真集のチラシがあれば100枚送ってください。(東村山市・男性・会社員)

 

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生活保護利用者438人、命の叫び!

2007年11月26日 | ただ今、編集作業中の本

 全大阪生活と健康を守る会連合会(以下、大生連)では毎年、命と暮らしに関わる制度の改善を要望し大阪府・市と交渉を行ってきています。生活保護基準の改善もその1つ。しかし近年、厚生労働省は老齢・母子加算の縮小・廃止し、2009年度からは保護基準そのものを引き下げようとしており、大生連ではこの交渉に際してアンケートで多数の保護利用者の声を集め、また交渉時には利用者自身が生の声を発言してきました。
 この本はそうした生活保護利用者の生の声をまとめた本で、おそらくこのような声が表に出るのははじめてのことではないかと思われます。切々と書き込まれた声の数々・・・。日々の生活をくぐって語られる決して大きな声ではない一言一言、それこそまさに命の叫びであり、その無数のうめきを通して浮かび上がってくるのは恐ろしい日本の棄民政治の姿です。

 

●書名 この国に生まれてよかったか・・・生活保護利用者438人、命の叫び(仮題)


●編著者 全大阪生活と健康を守る会連合会


●A5判 200ページ、予価/1200円(税込)


●発売予定日 2008年1月初旬


●主な内容

 ①生活保護利用者438人は語る

 ②命の叫び(利用者、自ら語る)

 ③最近の生活保護、人権侵害事例

 ④さかのぼって支給させた!

 ⑤『生活保護/使いやすく自立しやすく』(朝日新聞社説)について


●お問合わせ、ご予約はこちらから
 

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給食室からみた運動会練習~給食室からみた子どもたち①

2007年11月23日 | 給食室から見た子どもたち

 りんご組さんの練習が始まった。包丁をにぎりながらチラチラ・・・。
 4~5人が平均台・網くぐりの練習をしている。他の子は順番待ちで座っているが、そのうち、4~5人がその回りを楽しそうにカケッコ。5~6人はがんばって座っている。あとは、大きな手で、女の子に髪の毛をゴムで束ねている田中先生の腕にからみついている子、耳を引っ張る子、先生の背中に登ろうとしている子など・・・先生はされるがまま。「先生、大好き」と身体が言っている。卒業作文に「サッカー選手か保父さんになりたいです」と書いていた息子の顔がうかんだ。
 そのとき園長先生が来た。決してこわい顔をされているわけではないのだが、りんご組さん、それなりに席に着いた。私も背筋を伸ばして包丁をにぎりなおした。(ほづみ保育園・中尾和子)
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新連載開始します。保育園で働く給食調理員さんのエッセイです。

2007年11月23日 | 行事のご案内&報告

 大阪府茨木市、ほづみ保育園の給食室で働く中尾和子さんにエッセイ「給食室からみた子どもたち」を寄稿していただきます。包丁をにぎりながら垣間見る子どもたちを見つめるまなざしに、きっと心があたたかくなることでしょう。

●ほづみ保育園 クラス名

        も  も組 0歳
        いちご組  1歳
        りんご組 2歳
        や ま組 3歳 
        う  み組 4歳
        そ  ら組 5歳

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あの新年号雑誌は読まんのですが・・・。

2007年11月22日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は時間に追われた1日だった。出勤後直ちに新日本図書の常備出荷作業にかかる。取り急ぎ12セットを三郷倉庫に明日の搬入である。まあ、17点を12セットだから大したことではない。昨年からセット内容を大幅に削減した。以前のようには商品が動かなくなったがその理由。約4分の1に厳選して組んでいる。が、それでも動きは芳しくない。そういえば先日、新日本出版社が新書の発行を取りやめたとの話を小耳に挟んだ。昔よく読んだものだが、今、書店では他社から次々に新書が創刊されていて、なかなか厳しいものがあるのだろう。


 

 作業が一段落後、次の出庫作業に取り掛かる。どうしても明日中に届けなければならない荷物が4件、いつものように昼食を後回しにして区切りまで作業を続けた。時計を見るとすでに2時前、すばやく食事を済ましトーハンと日販の短冊を回収に向かう。明日が締め切り日なので今日中に回収して搬入しなければならないのだ。トーハンで仕入れのT置さんから毎年この時期恒例の雑誌を2冊受けとる。新年号の主婦向け家計簿などの付録のある雑誌で、講談社など大手出版社ではこの手の雑誌はもう発行していないのだが、他の2つの版元の商品に限定していつもこの時期にトーハンあげて拡販に取り組んでいるやつだ。その矛先が取引出版社に来るというわけで、まあお付き合いということで各1部いただいている。他の版元ではどうされるのかは知らないが、私の場合には、私がほぼ主婦状態であるし、周囲にこのような雑誌を読みそうな人が見受けられないので、さてどうするか。毎年処分に困っている。どうせなら他の商品にして欲しいのだが・・・。


 

 短冊回収後すばやく帰還、夕方の理事会報告用文書を作成提出、次の新刊・神戸田中本をようやく校了する。明日は表紙回りを出さなくてはならない。これでとりあえず、最低限の仕事を完了した。一息ついて6時前にタイムカードを押し、外部の会議に向かう。やれやれやねぇ・・・。

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石川ゼミ本、座談会を取材・・・。が、しかし・・・。

2007年11月20日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は午後3時からの石川ゼミ本の座談会取材に照準をあわせて朝から行動。多少の予定に狂いもあったが1時半に無事外出できた。大阪駅から阪急梅田駅への階段下で『ビッグイシュー』を購入、今は値段が100円上がって300円になっている。ちょっと気になった記事があったので販売員さんにいくつか質問、話を聞いていると次々に聞きたいことが出てくるが、時間がないのでくわしくはまた別の機会に聞くことにしてとりあえずお礼を言ってその場を去る。


  阪急新開地行き特急に乗り、西宮北口で今津線に乗り換えようとするが、意外と時間が早かったので構内の『ブックファースト』を覗く。『子育てハッピーアドバイス』の新刊、父親編が出ていたので購入する。これまでの3巻は保育士を務める妻も読んでいて、なかなか好評なのだ。マンガを中心に編集されてわかりやすく、予想される読者層の気持ちにピタッとマッチした作りで、いろいろと参考になる本で、かつ内容もおもしろい。


  座談会開始15分前に研究室に到着、2人のゼミ生としばし雑談後3時になったので向かいのゼミルームに移動、石川先生の司会で座談会が始まり、2つのチームに分かれた2回分を記録する。8時に終了、内容についての吟味、どのように扱うかなどいくつかの検討課題が新たに浮かんでくる。


  JR西宮駅から快速に乗り尼崎駅で先生と別れて9時半に帰宅。2階に次男が1人でうたた寝しているのを確認後、遅い晩飯の準備に取り掛かる。お風呂にスイッチを入れ、洗濯機を回しながらホッケを焼き、マーボー豆腐を作り、残り物の焼肉、お汁を用意する。うーむ、野菜がない。出来上がったところで2階の次男をインターホンで呼ぶと「晩飯何?」といつものように聞いてくる。子どもらしくていい。しかしおかずで食欲が左右される奴なのだ。そこに3男がバイトから帰還、3人で食べはじめた。2人とも店は違うが同じ某回転すし屋にバイトに行っているので大概、そこでのアレコレをお互いに言い合うのだ。昨夜は、いかに店長にバレないようにおいしいネタをつまみ食いするかという話で盛り上がっていた。そこへ今度は妻が帰還、久々に4人での晩飯となった。時計は11時前、あまりにも遅い晩飯の日であった・・・。長男はどこで何をしているのか、ようわからん。
 

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学力の向上には子どもの「やる気」が何よりも大切ではないか・・・。

2007年11月18日 | ただ今、編集作業中の本

 中央教育審議会が「学習内容の3割削減」廃止、授業時間増加などを打ち出し「学力」向上対策をまとめました。しかし、授業時間の増加や学習指導要領の見直しで本当に「学力」が向上するのでしょうか。大事なことは、いかにして子どもたちの知的好奇心を旺盛にし、やる気を起こさせるかです。そこでこの本では、子どもたちにどのようにして「やる気を引き出す子育て・教育」をしていくのかを考えてみます。

 

●書名 やる気を引き出す子育て・教育~教育改革「3法」への疑問から 

●著者 田中 敏夫 1931年兵庫生まれ。「神戸作文の会」創設に参加、40年間の教師生活後現在、神戸子どもを守る会会長。2002年より「タンポポ親子クラブ」主宰、1993年国民平和行進で東京~広島間を通し行進90日間。著書多数。神戸市須磨区在住。

 

●四六判/216ページ、定価/1500円(税込)

●ISBN978-4-88900-848-7

●発売予定日 12月初旬

●主な内容(目次から)

 

  第1章 勉強にばかり気をとられていると子どもの真の力を伸ばせない

  第2章 子どもは自分の力が発揮できる場を求めている

  第3章 実体験が子どもの心を育てる

  第4章 〈勝ち組〉になる教育は〈競争主義的教育〉から引き継がれてきた

  第5章 深刻さ増す「いじめ」・「虐待」

  第6章 子どもの「やる気」を引き出すことの肝要さ

  第7章 教育「改革」3法で、今後いっそうの困難が

  第8章 教育基本法が「改正」された今こそ憲法を守る力を


 

●お問合わせ、ご予約はこちらから


 

 

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遠来の友あり。

2007年11月15日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 先週末土曜日、翌日の谷六ほっとすてんしょんの行事に参加すべく、小浜から学生時代の友人がやって来た。5~6年ぶりの再会である。夕方6時か7時ごろには来るだろうと目算して、朝から家の掃除、夕食の準備と大忙し。せっかくだからと加古川や東大阪からも友人たちが集まることになった。がしかし・・・。小浜の彼から12時ごろに電話が入った。
 「午前中仕事が入ったのでこれからこちらを出る」
 よしよしとうなずきながら、準備万端整ったところで、夕方6時ごろ再び電話が入る。
 「今、敦賀やねん。これから電車に乗る。9時ぐらいには着くと思う」
 うーむ。仕方がないので、彼との再会を楽しみにしてぼつぼつ集まって来た友人たちと先に乾杯の予行演習を始めていく。ビールを飲み進むうちにすき焼きや寿司が主賓を欠いたまま片付けられていき、座は盛り上がる一方。

 到着予定の9時を過ぎたころ再び彼から電話が入る。
 「今、山科の手前にいる。京都で快速に乗り換えて高槻で普通に乗って行くから、10時ごろになる」
 「山科の手前? はあ?」
 も1つ話が飲み込めないままでいると、
 「敦賀で特急が2時間ばかり動かなくなって、その上再び会社に戻って仕事をしてきたので電車に乗れなくなり、車で近江今津まで来て電車に乗ったんや」
 これでようやく事情が判明。彼の会社は大手家電メーカーM下関係の会社でなかなかたいへんな職場状況であるようだ。やれやれである。
 そうこうしているうちにようやく10時半ごろに到着。加古川から来た友人は帰りの電車がなくなり、一緒に泊まることになった。これで誰も時間を気にすることがなくなったのか、話が尽きない。まるで学生時代の合宿のような気分になり、結局気がつけば3時半、翌朝のつらさを覚悟の短い睡眠に入ったのであった。近所のみなさん、夜更けに騒いでスミマセンでした。 


 

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映画『SICKO』のあのシーンがついに日本で現実に!

2007年11月14日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 堺市内の病院が、全盲の糖尿病患者を病院から連れ出し放置するという事件が発覚した。入院費が滞納されていたということだが、これこそあの映画『SICKO』に出てくるシーンとまったく同じではないか。とてもショッキングな事件。4人の職員が勝手に連れ出したことで、病院側は知らなかったといって謝罪しているが・・・・。アメリカの医療状況をそのまま後追いしているかのような日本の医療制度。あの映画のことは他人事ではなく、明日の日本の姿なのではないか。次々に打ち出される日本の医療改悪、その現実は頭で考えるより遥かに先取りされているのだ。今何をすべきなのか、一緒に考え行動したい。

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今も子どもは子ども時代を生きる~子どもたちのまなざし⑦ 土佐いく子

2007年11月12日 | 土佐いく子の教育つれづれ

■夢中になって遊ぶ

 4年生の恒ちゃんの日記です。

 

 今日、雨がふってめっちゃつまんなかった。西尾と帰ってる時、何して遊ぼうかなあと考えていた。
 その時、5丁目の公園にめっちゃでかい水たまりができてた。これで遊ぼと決めた。その遊びはすべり台からすべってきて、水たまりにいきおいでバチャッと入ると、びちょぬれになって楽しそうやから決めた。
 はじめ水がつめたかったから足を水につけとった。つけとったらなれてきて、すべり台にいった。2年も同じ遊びをしとったけど「五時や」と言って帰って行った。だからぼくら三人ですべり台に行ってすべる時、はじめやからゆっくり二~三回すべった。4回目ぐらい、ぼくが「すべっちゃうでー」と言ってすべったらいきおいがあってこわかった。水たまりに入ったしゅん間「キャーつめた、なんやこら」と言ったからみんな笑って光矢(こうや)とたつやもすべった。「ワーッ」と言いながらすべって、何回もやったらなれた。二年のりょうも来て「ヘッドスライディングや」と言ってとび出した。めっちゃ楽しかった。もうびちょぬれになった。
 そこへお母さんが来て「かぜひいたらあかんから、はよ風呂入り」といってぼくの家で風呂に入った。
 冷たかったからめっちゃ気持ちよかった。せ中の流し合いとか水のかけ合いとかもしてサイコー。今日、ぼくのきらいな雨やのにサイコーに楽しかった。

 朝の教室でこの日記を読みました。みんなも大笑い。楽しいひとときでした。聞くと、お母さんには、あんまり叱られず、5人が風呂に入れてもらって、着替えまで借りたというのです。
 なんと大らかなお母さんでしょう。
 土や虫をさわると「気持ち悪い」と言って、神経をピリピリさせる子もいます。
 このお母さんのように、泥水でバチャンの5人の子らをあまり叱らず迎え入れて、風呂にまで入れてやってくれる近所のおばちゃんがいるって、すてきですよね。子どもが子どもらしく生きていける大人の支えです。
 そして、そのやんちゃ軍団の一人しょうりくんの詩です。

 

 お・こ・ら・れ・た


     四年 しょうり

 おこられた、ママにおこられた
 「ものごとをはよしい」やって

 おこられた、パパにおこられた
 「自分の胴着は自分でたため」やって

 空手の先生におこられた
 「ちゃんとつきをつけ」やって

 とさ先生におこられた
 「おちつきなさい」って
 はー

 

 「この正直さが大好きや」とみんなで笑って読みあいました。夜、日記を書きながら自分を振り返り、言葉にしながら気持ちをリセットしている姿がいいですよね。こんな生きにくい時代にあっても、子どもは子ども心を失わず今を生きているのです。

(とさ・いくこ 大阪市立加賀屋小学校教諭)

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「私の話を記録し語り続けてください」~李玉善(イオクソン)ハルモニは女子大生たちにあたたかく語った

2007年11月10日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

神戸女学院大学石川ゼミ韓国旅行・「ナヌムの家」訪問、2007年9月10日~13日・・・・・取材同行記②

 私は釜山生まれです。家が貧しかったので学校には行けませんでした。15歳の時、よそに仕事に出されましたが、いじめられたり殴られたり悪口を言われたり、毎日苦しい生活でした。そこからさらに他の所へ仕事に行かされ1年ぐらいたったある時、お使いの途中に突然、身体の大きな2人の男に捕まえられトラックの荷台に投げ込まれました。そこには自分と同じような女性が5人いました。
 降ろしてほしい、家に帰してほしいと言うと、男がトラックに上がりこんできて私の口を塞ぎ、手足を縛りました。どこに行くのかわからないまま出発、夜になると今度は汽車に乗せられ川を渡りました。中国のトムンという場所で一晩寝ることになったのですが、私たちは刑務所か牢獄のようなところに入れられ、食べるものは何も与えられませんでした。なぜか1人だけ別の部屋に入れられた私は、電気もなく真っ暗な部屋で、一晩中泣きながらうろうろしたり出ようとしたりして、足を痛めてしまい病気になってしまいました。今でも足のせいで苦労しています。


証言するイオクソン・ハルモニ

■なぜ歴史を消そうとするのか
 日本政府は、無理矢理連れてこられた人は1人もいないと言います。自分から進んで行ったとか、お金のために行ったとか、そういうことばかり言います。でも自分で行ったとしたらなぜこんなに苦労をして痛い思いをして生きてきたのでしょうか。そんなことは絶対ない。中国から私が何をもって帰ってきたか。結局それは病気だけでした。身体はボロボロになってしまった。それなのになぜ今でも日本では「慰安婦」の歴史を消そうとするのでしょうか。
 被害者たちは今、80歳以上のおばあちゃんです。今日死ぬか、明日死ぬかわからない中で生きている。みなさんのような学生たちの前で本当にあったことを話すのは嫌ですし、恥ずかしい思いでなかなか話ができないのです。  
 学生のみなさん、私が話すことを一つひとつしっかり記録して残していってください。こうして話すと嘘かもしれないとか、本当なのかなと思うかもしれませんが、これは嘘ではありません。
 私は日本語はまったく話せませんでした。けれども慰安所の生活の中では日本語を話せと強制され、もし朝鮮語を話したら罰金を払えと言われていました。無理やりに迫られ簡単なあいさつ言葉ぐらいを覚えて生きてきました。

 

■「犬に食べさせてしまえ」と日本兵
 慰安所には14才の少女もいました。ある日、彼女は日本人たちに殺されてしまいました。こいつは言うことを聞かないといって、刀で心臓を刺されて殺されてしまったのです。死んでしまった彼女をどうしたかというと、市内の道端に捨てて犬に食べられろと言っていました。本当にこういうことがあっていいのでしょうか、こういうことが許されるのでしょうか。
 私たちがやめてくれと言ったり、とめたりしたら、同じように私たちもひどいことを受けてしまう。だからとめることはもちろん、声も出すことができませんでした。慰安所ではこのような残虐なことがよくありました。
 11歳の幼い子が連れて行かれたこともありました。道を歩いている時、水汲みに行っている時、学校に通う途中・・・。夜中にお母さんに抱かれていたところを引き剥がされ連れて行かれたり、さまざまな形で無理やり連れて行かれ人がたくさんいるのです。
 慰安所だけではありません。朝鮮人の何十万人という男や女が強制的な奉仕活動や兵役を課せられたり、工場で働かせられたり、病院の看護師として連れて行かれたり、さらに少女たちに対しては「処女供出」ということも行われ、「慰安婦」にさせられていったのです。今の日本は北朝鮮が何人連れて行ったとか、拉致のことばかりを言っているけど、私たちは何十万人も連れて行かれた。そのことをどうするのか。どのように考えているのでしょうか。それを考えると、はらわたが煮えくり返るような苦しい思いになります。


「慰安婦」たちの日本名の名札(復元)


■日本政府は記録を出しなさい
 日本政府の人たちにまず言いたいのは、日本の中に必ずあるはずの記録を出しなさいということです。慰安婦に関する記録や証拠を出してほしい。そうすれば本当の歴史がわかるし、私は謝罪とか賠償などはいりません。私には何が必要かといえば、記録を出せということです。必ず記録は日本の中にあるし、そうすれば何があったのかはわかるのです。当時慰安所の中で女性たちを管理していたのは軍隊でした。私の慰安所は29部隊という軍隊が管理していました。私は富子という日本名を付けられていました。それでも日本政府はうそだというのでしょうか。
 私たちはこれからどのように生きるべきなのでしょうか。平和的に生きるべきなのか、それとも戦争をして生きていくべきなのか。再び戦争をすれば被害を受け、傷つく人がたくさん出ます。なのになぜまた戦争をしようとするのか。


■米国にではなく私たちに謝れ
 慰安所で体験したことが良いことであればみなさんの前で話もできますが、いいことは1つもなかったし、そういうことを話すのはとてもむずかしくてなかなか言えません。
 私のここに刀傷があります。日本の少尉に付けられました。私が言うことを聞かないといって何度も殴った後、刀で切ってきたのです。刀を刺すときは刺してすぐに抜くのではなくて、刺したものを捻って傷つけていじめる。だから本当にひどく痛かったです。また慰安所から逃げ出そうとして憲兵に捕まり、何度も殴られ刀で足を刺されました。その痕がこれです。
 私は繰り返し暴行を受け目にも耳にも障害が残りました。歯も抜けました。もし私が憲兵に殴られたとき死んでしまったら、このようにみなさんに合うこともありませんでした。日本人は本当に怖い存在でした。
 安倍という人は本当にひどい人です。彼は被害を受けた韓国の女性たちの前で謝るのではなくて、アメリカ大統領の前で謝っています。こんな人が日本の首相になっているようでは日本は良くなっていかないでしょう。


証言を記録するゼミ生たち


■元「慰安婦」が死ぬのを待つ日本
 学生のみなさん、大学で勉強することはどんなにいいことでしょう。お父さんやお母さんが学校に通わせてくれて本当に幸せだと思います。これから私たちは戦争をしないで平和的に生きなければいけません。日本政府はお金がなくて被害者に謝罪しないのではありません。日本はお金をたくさん持っていますが、実は私たち「慰安婦」被害者が死ぬのを待っているのです。そしてその後に再び戦争をしようと、戦争の準備をしているのだと思います。安倍は本当は利巧でずる賢いのでしょう。
 学生のみなさん、しっかり勉強して国を守ってください。よく考えてみてください。戦争をするのはいいことなのでしょうか。戦争が好きですか。平和的に生きていかなくてはいけないでしょう。


■死んだことになっていた私
 戦争が終わると私たちは山に捨てられました。日本軍が連れて行ったのだから、日本軍がしっかりと連れて帰るべきであるにも関わらずです。現在、日本をはじめ海外で生活している朝鮮人が多いのはなぜか、結局それは日本のせいでそうなったのです。
 私は日本軍に15歳のときに中国に連れて行かれて、その後中国で58年間生活し、2000年になってやっとここに帰って来ることができました。文字を学ぶことができなかったので、手紙を送ることができませんでした。だから韓国の家族は私が死んだものだと思って死亡申告を出していました。韓国に戻ってきた時に私は、死んだ人になっていたのです。さらにその後の私は国籍がなくて大変苦労し、そのことがとても辛かった。私の人生はなぜこうなってしまったのでしょか。日本がこのようにしたのです。日本のせいでこうなりました。当時の日本の政府や軍隊のことを考えると一つもいいことはないと思っています。


■あなたたちに罪はない
 私たちが話をする時、日本はひどい国だということをたくさん言います。だけど日本の人たちみんなが悪い人だとは思っていません。ここに来たあなたたちは日本の歴史を知らなかったからそれを学ぼうと思ってきている人たちです。あなたたちに罪はありません。昔の日本の人たちが政治を間違えてしまって悪いことをしたり、ひどいことをたくさんしてきたのです。にも関わらず、日本の社会の中で、お金を稼ぎに行ったとか、自分から行ったのだと言われることは本当にひどくて悔しい思いでいっぱいです。日本からここに来る人はたくさんいますが、日本政府の人たちがここに来て、私たちの前ですみませんでしたとか、苦労かけましたとか、そのように謝ったことは1度もありません。
 みなさんが私たちハルモニに会いたいと思って来たり、知ろうとして来たり、そのようにしてここに来ることはとてもいいことで、あなたたちに罪はありません。
 これで終わりにしましょう。長い時間聞いてもらってありがとう。
(通訳:村山一兵氏、取材:機関紙出版・丸尾忠義 2007年9月11日「ナヌムの家」で)




 

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最近の読者ハガキから~ありがとうございました。

2007年11月08日 | 読者はがきから

『治安維持法とわたし』桑原武英著

■人生いかに生きるべきか
 50年以上も前のこと、先生が上二病院の院長の頃、たびたび診療していただきました。当時から尊敬していました。この本で先生の若い日々の活動を知り、人生いかに生きるべきかを学びました。今後も。ご健康で長生きなさることを祈ります。(奈良県・男性)


■お元気な文章に感動
 私は島根県の民医連の顧問です。かつて昭和25年に桑原先生に松江まで出かけていただき島根県の民医連は作られ、島根にも広げることができました。峠さんにもお世話になり農村地帯にも民医連の旗を今もかかげて、90に近い私も元気でいます。桑原先生のお元気な文章に感動しています。(島根県・男性)

 

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「まきふん公園」に吸い寄せられる1人となった・・・。

2007年11月06日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 3日、4日は連休、しかし、いろいろ仕事が溜まっているのでノートごと家に持ち帰ったが、やはり予想通り、何も手が付けられないままに終わってしまった。いつものことながら、困ったものである。
 土曜日は定例の家事仕事のあと、意を決して風呂掃除に取り掛かる。約2時間あまりの奮闘の結果、床から壁からその他風呂関連小物までピカピカにしてやった。まるでどこかのホテルのユニットバスのようにきれいになったのだ。家族も驚くほどの仕上がりで満足満足。風呂掃除、さあ、どこからでもかかっきんさい!(なぜかこういう時は広島弁が似合うのだ)
 日曜日は月一の自治会廃品回収日。7時過ぎに起きてゴソゴソとまずは我が家のものから出していく。8時になり、各班長さんがあちこちから回収し始め、町内数ヵ所に集積する。先月以降3週間しか経っていないので今日は少なめ。回収業者さんのトラックも余裕で積み込み帰っていった。そのあと集会所に集まり班長会。今年度の大きな行事はほぼ終わってしまっているのであまり相談することもなく、年末の防犯活動と一斉清掃日の日程を確認して終了した。やれやれである。
 午後、妻とあの「まきふん公園」を見に行く。子どもらの「ミーハーやなあ」という声を背に車に乗り、吹田市山田西第2公園をめざす。あの漫才コンビ・麒麟の田村さんが書いた『ホームレス中学生』(ワニブックス)に出てくる彼が一時暮らしていた公園内にある滑り台である。渦巻き状の糞の形をしているからそう呼ばれているそうだ。ちょうど前日の『朝日新聞』大阪版に写真入で紹介されていたので一応確認をしておいた。
 住宅地の一角にあるこの公園、表通りからは少しわかりにくい場所にある。イズミヤ関係のスーパーが隣にあるのでそれが目印だ。別にどうということはない普通のコンクリート製の青ペンキ塗りの滑り台である。周囲を見ると、新聞にも書いてあったようにまさに〝名所〟になってるようで、カメラを手にした人が何人かいたり、家族連れで来たのか、滋賀ナンバーの車も見受けられる。公園に隣接する敬愛幼稚園をのぞきこんでいると、子連れの見知った顔が自転車で近づいてきた。えーっと、誰やったかなあ・・・と思い出せないまま話しかける。返事を聞いて思い出した。野外文化祭の実行委員の1人だった。この近くに実家があるとのこと。「まきふん公園」を見に来たというと、「ミーハーやん」とまたしても言われてしまった。いや、別にミーハーということでもないのだが、あの本が多くの今に生きる人たちの心をとらえているということは事実なのであり、自分もその読者の1人として、彼のその当時の思いによりリアルに触れてみたいと強く思ったのである。90万部の売れ行き? うーむ、参った。
 公園を後にして、吹田を抜け大阪市内の職場に向かい、ちょっとした荷物を搬入する。車でないと運べないのでちょうど都合が良かった。USJ方面へ走り阪神高速湾岸線へ入り、神戸方面へ。車は少なく海の上を走るので遠くの景色がよく見える。淀川を渡る時ちょうど正面に六甲山の山頂が見える。その手前には、以前よく登ったお多福山がさすが草原らしく、周囲の色合いとは違った姿を見せている。鳴尾浜、西宮浜、芦屋浜、深江浜…などいくつかの海岸を左に眺めて道はグッと左に大きくカーブ、六甲アイランドに下りる。いつもの六甲マリンパークへ行く。時間が遅かったので釣りはせずに、釣り人見物をしながら海岸を西の端まで往復する。ちょうど満潮時らしく海面が高い。満潮時に200mぐらい沖をタグボートが走ると、その波が海岸に近づくにつれて段々と大きくなり、釣り人たちの足元を西の端から東の端にかけてざぶーんと洗っていく。大人も子どももみんな大喜び。おもしろい光景である。本日の釣果は如何や。全体的にぱっとしない。ほとんどの人が何も釣れていない。まあ、こんなもんであるが、例外もある。黒鯛を釣った人が2人、スズキを5匹釣った人もいた。黒鯛を釣った1人の人は、普通のサビキで釣ったとのこと。なかなかありえない話だ。
 約1時間半の釣り人見物を終え、妻の実家に向かう前に、HAT神戸で夕食材ほかの買い物をする。関西スーパーをはじめ、ユニクロやその他いろいろな大型店が入ったショッピングモールである。やたらと若い人が多いばかりで、高齢者の姿が見えない。震災後に出来上がった街で、付近には高齢者向けの高層住宅なども建っているのだが…。
 実家に着きテレビを見ると、民主党小沢代表の辞任騒ぎでにぎやかである。選挙で投票した人たちにとって見ればまたしても裏切りの街角といった雰囲気であろうが、なんでこんなアホなことするんやろ? という第1印象であった。小1時間のうたた寝の後、夕食にこぎつく。大河ドラマ好きの義父に付き合って、全員で「風林火山」を観る。初めて観るのでもちろんストーリーはわからんし、俳優の名もよくわからないのが何人も出ている。池脇千鶴があの容貌で孫がいるという設定はちょっと無理があるように思った。
 11時過ぎ、子どもをほったらかしにして外出したのでスマン、スマンといいつつコンビニ夜食を買って無事帰宅したのであった。

 


これがまきふん公園の滑り台


正式名称は山田西第2公園


六甲マリンパークの釣り場


ザブンと波が押し寄せ、みんな緊急避難


チヌにウロコを取っているところ


体長30cmぐらいのスズキばかりを狙った人も

コメント
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