主人公は誰だ?! 自治能力を育ててこそ
◎静かな大学
忙しい年末に総選挙が行われた。厳しい時代だが、明日を拓く力は、確かに前進していることが実感できた。しかし、投票に行かなかった人が有権者の約半数もあったのは、極めて大きな問題だ。これこそ政治の責任でもある。香港では、学生たちが選挙権を求めて命がけの闘いを起こしているというのに。
教育に携わる我々は何をしなければならないのか、今考えさせられている。
そう言えばこの6年間、大学で仕事をしているが、原発問題が起ころうが、秘密保護法が問題になろうが、今の大学は静かだ。
講義室に向かうロビーに音楽が流れ、ストリートダンスを練習している姿は活気がある。ところが彼らは、掲示板のガラスに踊る姿を映して練習している。
「あの後ろの壁に鏡を設置してと大学に要求したら。高い授業料払ってるんだから、もっと学びやすく生活しやすい大学に変えていこうよ」と呼びかけているが、動いた形跡はない。誰のための大学なのか。学生の自治意識は育っているのだろうか。
◎要求を育てる
私は、小学校の現場にいたとき、集団作りの中で自治能力を育成することを重視してきた。学級や学校を作るのは誰だという思いで。
新しくクラスを持つと「みんなはどんなクラスにしたいの? こんなことやったら学校が楽しくなる、こんな勉強なら面白くなるということはないかな?」と呼びかけ、要求を育てることを大事にしてきた。
「えっそれは先生が考えることじゃないの」ときょとんとする。「ほら、席替えってどんな方法でやるのって言ってたでしょ。その方法を考えて決めるのは君たちだよ」。「えーっ、そんなのぼくらで決めていいの」と喜ぶ。
「昨日の休み時間『ドッヂボール、クラスに2個ほしいわ』って言ってたでしょ。その意見出して、意見が通ったら嬉しいよね」。こんなふうに自分たちの提案を出していいんだ、その声で学級集団や授業を作っていくんだということを学ばせていく。
要求というのは耕し意識化させて育てていかなければ眠らされてしまうのだ。派遣労働のような働かされ方を当り前だと思わされている若者は、権利が侵害されても怒りすら覚えなくさせられている。
少しずつ目覚めてきた子どもたちは次々と要求を出してくる。
・今度の学級活動の時、飛行機とばし大会をしませんか
・次の体育で「シュートゲーム」がしたい
・掃除グループの人数が片寄っているので変えてほしい
・ゆきちゃんのおばあちゃんにこの前、蚕のまゆもらったから、金子みすゞの「かいこ」の詩を勉強したい
・この教室暑い!クーラーつけてほしい
・二時間目の休み時間を15分から20分に延ばしてほしい等々
◎自主規律も学ぶ
ここで大切なことは、こうした要求を実現させていく道すじを学ばさせることだ。同時にどんな要求も出したい放題ではなく、その要求の妥当性をみんなで論議すること。そして、その実現のためには約束事や自主規律が必要なことを学ばせていかなければならない。
例えば、飛行機とばし大会ならレクリェーション係が企画し提案する。やってみると上手くいかない。すると、それはなぜなのかを考えさせ、再提案をさせる。やっている時、約束事を守らない人がいると、お互い注意して自分たちで律していかないと上手くいかない。教師が頭ごなしに上から叱るのではなく、自分たちが、自主的に規律を作り、みんなで考えるということを身体で学んでいくのだ。
「シュートゲーム」をしたいというので、体育係にそれを研究させる。初めからたくさんルールがあると難しいので、少しに絞ってもらう。ところがやってみると混乱してしまった。では、どんなルールが必要なのか。また考え合う。こんなプロセスを大切にしたい。
休み時間の問題は、クラスでは解決できない。そこで、先生が学年末の職員会に提案するということで実現のすじ道が見えてくる。
こういう自治能力の形成を積み上げていくことが、国の政治も自分らで作るという意識を育てるのではないかと改めて考えている。