まいど、日本機関紙出版です。

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夏休みも終わり、さて機関紙出版はどこに向かうのか…。

2019年08月17日 | 編集・営業ふらふら雑記
この夏休みは田舎にも帰らず、どこにも行かなかった。
6月〜8月にかけて4点の新刊を出し、かなり多忙だったこともありこの休暇はゆっくりと過ごすつもりだったが、それでも昨日は出勤し、また来週末に自治会夏祭りがあるのでそのための諸々の係の仕事もあって、イマイチ落ち着かない気分で過ごした。今日も午前中は自治会関係仕事で終わり、今夜は防犯夜回り活動、そして明日は早朝から祭りの設営作業となる。まあとにかく、時間の経過が速い!

週明けは9月出版の仕掛り中の本の校了作業、さらに他の本作りも始まっていく。この間、温めていたというより、あまりにも暑いので凍らせていた何点かの企画も解凍し具体化しないといけない。この記事を読んでおられる人の中に、その企画の著者になる人がいるかもしれませんが、もし声をかけたらぜひよろしくお願いします。

こうしてまた新たな本作りが進んでいくけど、現実の出版業界は「19年6月の書籍雑誌推定販売金額は902億円で、前年比12.3%減。書籍は447億円で、同15.5%減。雑誌は454億円で、同8.9%減。その内訳は月刊誌が374億円で、同8.0%減、週刊誌は80億円で、12.9%減。返品率は書籍が43.4%、雑誌は44.7%で、月刊誌は44.8%、週刊誌は44.4%。5月に続いて、6月も大幅なマイナスで、2ヵ月連続の最悪の出版流通販売市場となっていることが歴然である」(出版状況クロニクル)というような暗い現状にある。

さてさて、一体わが機関紙出版はどこに向かっていくのだろうか…。
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元慰安婦被害者、李玉善(イオクソン)さんの証言〜神戸女学院大学石川ゼミ韓国旅行・「ナヌムの家」訪問、2007年9月10日~13日・・・・・取材同行記②

2019年08月15日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル
戦後74年目を迎えた。あの戦争の歴史に真摯に向き合わない限り、いつまでも日本の戦後は続くのかもしれない。いっそのこと元号は「戦後」にすればよかったのでは…。

その歴史に真摯に向き合うことで問われている一つが「慰安婦」問題。2007年、神戸女学院大石川康宏ゼミに同行して「ナヌムの家」で慰安婦被害者の李玉善(イオクソン)さんの壮絶な話を聴いた。あれからもう12年も経つのに、当時は安倍政権、そして今も安倍政権という状況の下、問題の根本的解決には至っていない。ということであらためて、李さんの証言を読み返した。(以下再録)

私は釜山生まれです。家が貧しかったので学校には行けませんでした。15歳の時、よそに仕事に出されましたが、いじめられたり殴られたり悪口を言われたり、毎日苦しい生活でした。そこからさらに他の所へ仕事に行かされ1年ぐらいたったある時、お使いの途中に突然、身体の大きな2人の男に捕まえられトラックの荷台に投げ込まれました。そこには自分と同じような女性が5人いました。
 降ろしてほしい、家に帰してほしいと言うと、男がトラックに上がりこんできて私の口を塞ぎ、手足を縛りました。どこに行くのかわからないまま出発、夜になると今度は汽車に乗せられ川を渡りました。中国のトムンという場所で一晩寝ることになったのですが、私たちは刑務所か牢獄のようなところに入れられ、食べるものは何も与えられませんでした。なぜか1人だけ別の部屋に入れられた私は、電気もなく真っ暗な部屋で、一晩中泣きながらうろうろしたり出ようとしたりして、足を痛めてしまい病気になってしまいました。今でも足のせいで苦労しています。

証言する李玉善さん

■なぜ歴史を消そうとするのか
 日本政府は、無理矢理連れてこられた人は1人もいないと言います。自分から進んで行ったとか、お金のために行ったとか、そういうことばかり言います。でも自分で行ったとしたらなぜこんなに苦労をして痛い思いをして生きてきたのでしょうか。そんなことは絶対ない。中国から私が何をもって帰ってきたか。結局それは病気だけでした。身体はボロボロになってしまった。それなのになぜ今でも日本では「慰安婦」の歴史を消そうとするのでしょうか。
 被害者たちは今、80歳以上のおばあちゃんです。今日死ぬか、明日死ぬかわからない中で生きている。みなさんのような学生たちの前で本当にあったことを話すのは嫌ですし、恥ずかしい思いでなかなか話ができないのです。  
 学生のみなさん、私が話すことを一つひとつしっかり記録して残していってください。こうして話すと嘘かもしれないとか、本当なのかなと思うかもしれませんが、これは嘘ではありません。
 私は日本語はまったく話せませんでした。けれども慰安所の生活の中では日本語を話せと強制され、もし朝鮮語を話したら罰金を払えと言われていました。無理やりに迫られ簡単なあいさつ言葉ぐらいを覚えて生きてきました。
 
■「犬に食べさせてしまえ」と日本兵
 慰安所には14才の少女もいました。ある日、彼女は日本人たちに殺されてしまいました。こいつは言うことを聞かないといって、刀で心臓を刺されて殺されてしまったのです。死んでしまった彼女をどうしたかというと、市内の道端に捨てて犬に食べられろと言っていました。本当にこういうことがあっていいのでしょうか、こういうことが許されるのでしょうか。
 私たちがやめてくれと言ったり、とめたりしたら、同じように私たちもひどいことを受けてしまう。だからとめることはもちろん、声も出すことができませんでした。慰安所ではこのような残虐なことがよくありました。
 11歳の幼い子が連れて行かれたこともありました。道を歩いている時、水汲みに行っている時、学校に通う途中・・・。夜中にお母さんに抱かれていたところを引き剥がされ連れて行かれたり、さまざまな形で無理やり連れて行かれ人がたくさんいるのです。
 慰安所だけではありません。朝鮮人の何十万人という男や女が強制的な奉仕活動や兵役を課せられたり、工場で働かせられたり、病院の看護師として連れて行かれたり、さらに少女たちに対しては「処女供出」ということも行われ、「慰安婦」にさせられていったのです。今の日本は北朝鮮が何人連れて行ったとか、拉致のことばかりを言っているけど、私たちは何十万人も連れて行かれた。そのことをどうするのか。どのように考えているのでしょうか。それを考えると、はらわたが煮えくり返るような苦しい思いになります。

「慰安婦」たちの日本名の名札(復元)

■日本政府は記録を出しなさい
 日本政府の人たちにまず言いたいのは、日本の中に必ずあるはずの記録を出しなさいということです。慰安婦に関する記録や証拠を出してほしい。そうすれば本当の歴史がわかるし、私は謝罪とか賠償などはいりません。私には何が必要かといえば、記録を出せということです。必ず記録は日本の中にあるし、そうすれば何があったのかはわかるのです。当時慰安所の中で女性たちを管理していたのは軍隊でした。私の慰安所は29部隊という軍隊が管理していました。私は富子という日本名を付けられていました。それでも日本政府はうそだというのでしょうか。
 私たちはこれからどのように生きるべきなのでしょうか。平和的に生きるべきなのか、それとも戦争をして生きていくべきなのか。再び戦争をすれば被害を受け、傷つく人がたくさん出ます。なのになぜまた戦争をしようとするのか。

■米国にではなく私たちに謝れ
 慰安所で体験したことが良いことであればみなさんの前で話もできますが、いいことは1つもなかったし、そういうことを話すのはとてもむずかしくてなかなか言えません。
 私のここに刀傷があります。日本の少尉に付けられました。私が言うことを聞かないといって何度も殴った後、刀で切ってきたのです。刀を刺すときは刺してすぐに抜くのではなくて、刺したものを捻って傷つけていじめる。だから本当にひどく痛かったです。また慰安所から逃げ出そうとして憲兵に捕まり、何度も殴られ刀で足を刺されました。その痕がこれです。
 私は繰り返し暴行を受け目にも耳にも障害が残りました。歯も抜けました。もし私が憲兵に殴られたとき死んでしまったら、このようにみなさんに合うこともありませんでした。日本人は本当に怖い存在でした。
 安倍という人は本当にひどい人です。彼は被害を受けた韓国の女性たちの前で謝るのではなくて、アメリカ大統領の前で謝っています。こんな人が日本の首相になっているようでは日本は良くなっていかないでしょう。

■元「慰安婦」が死ぬのを待つ日本
 学生のみなさん、大学で勉強することはどんなにいいことでしょう。お父さんやお母さんが学校に通わせてくれて本当に幸せだと思います。これから私たちは戦争をしないで平和的に生きなければいけません。日本政府はお金がなくて被害者に謝罪しないのではありません。日本はお金をたくさん持っていますが、実は私たち「慰安婦」被害者が死ぬのを待っているのです。そしてその後に再び戦争をしようと、戦争の準備をしているのだと思います。安倍は本当は利巧でずる賢いのでしょう。
 学生のみなさん、しっかり勉強して国を守ってください。よく考えてみてください。戦争をするのはいいことなのでしょうか。戦争が好きですか。平和的に生きていかなくてはいけないでしょう。

■死んだことになっていた私
 戦争が終わると私たちは山に捨てられました。日本軍が連れて行ったのだから、日本軍がしっかりと連れて帰るべきであるにも関わらずです。現在、日本をはじめ海外で生活している朝鮮人が多いのはなぜか、結局それは日本のせいでそうなったのです。
 私は日本軍に15歳のときに中国に連れて行かれて、その後中国で58年間生活し、2000年になってやっとここに帰って来ることができました。文字を学ぶことができなかったので、手紙を送ることができませんでした。だから韓国の家族は私が死んだものだと思って死亡申告を出していました。韓国に戻ってきた時に私は、死んだ人になっていたのです。さらにその後の私は国籍がなくて大変苦労し、そのことがとても辛かった。私の人生はなぜこうなってしまったのでしょか。日本がこのようにしたのです。日本のせいでこうなりました。当時の日本の政府や軍隊のことを考えると一つもいいことはないと思っています。

■あなたたちに罪はない
 私たちが話をする時、日本はひどい国だということをたくさん言います。だけど日本の人たちみんなが悪い人だとは思っていません。ここに来たあなたたちは日本の歴史を知らなかったからそれを学ぼうと思ってきている人たちです。あなたたちに罪はありません。昔の日本の人たちが政治を間違えてしまって悪いことをしたり、ひどいことをたくさんしてきたのです。にも関わらず、日本の社会の中で、お金を稼ぎに行ったとか、自分から行ったのだと言われることは本当にひどくて悔しい思いでいっぱいです。日本からここに来る人はたくさんいますが、日本政府の人たちがここに来て、私たちの前ですみませんでしたとか、苦労かけましたとか、そのように謝ったことは1度もありません。
 みなさんが私たちハルモニに会いたいと思って来たり、知ろうとして来たり、そのようにしてここに来ることはとてもいいことで、あなたたちに罪はありません。
 これで終わりにしましょう。長い時間聞いてもらってありがとう。
(通訳:村山一兵氏、取材:機関紙出版・丸尾忠義 2007年9月11日「ナヌムの家」で)
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『戦争を知る旅―軍事要塞を訪れる― 三枝妙子写真集』が「朝日新聞」で紹介されました!

2019年08月09日 | 書評・紹介記事

最新刊の『戦争を知る旅―軍事要塞を訪れる― 三枝妙子写真集』が、「朝日新聞」8月9日で紹介されました。ありがとうございます。

 

ご購読のお申し込みは、各書店、Amazon小社宛によろしくお願いします。

 

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『ひめは今日も旅に出る』の書評が「全国商工新聞」8月19日と「民医連新聞」8月19日に載りました!

2019年08月09日 | 書評・紹介記事

ありがとうございます。

ご購読、お申し込みは、書店、Amazon小社宛によろしくお願いします。

 

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『ひめは今日も旅に出る』の書評掲載!

2019年08月09日 | 書評・紹介記事
「全国商工新聞」(8月19日)に『ひめは今日も旅に出る』が書評紹介されました。ありがとうございます!
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次の新刊は『戦争を知る旅―軍事要塞を訪れる― 三枝妙子写真集』です。

2019年08月06日 | 新刊案内

北海道から沖縄まで、日本全国に今なお残る軍事要塞を一人の女性写真家が踏破、記録した写真集。

明治から昭和の敗戦に至るまでの、日本人にとっては日常であった戦争の実相がリアルに蘇ってくる。三枝さんは太平洋戦争後の生まれで戦争を直接体験していない。しかし、戦争が現実であったまさにその現場に立って戦争を五感で追体験したのだろう、三枝さんの驚きや興奮が写真からダイレクトに伝わってくる。

 

●写真/文:三枝妙子
●判型:A4判変型/ソフトカバー/モノクロ
●頁数:144頁
●本体:2000円
●8月9日発売予定 

●ご注文、お問い合わせはこちらへ

●Amazonで発売開始

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