まいど、日本機関紙出版です。

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今年、Amazonでの販売は大きかった!

2017年12月30日 | 編集・営業ふらふら雑記

2017年も間もなく終わりです。

今年出した本は10点。出版までに数カ月のものから1年以上かかったものまで、それぞれに時間と思いをかけましたので、どれも大切な子どもたちですが、そこはやはりリアルな結果が現実として現れるのもこの仕事です。

結局、本というものは、いい本だから売れるとか、定価が安いから売れるとか、高いから売れないとか決められるものではなく、それを判断するのは読者しかいません。その人にとって価値あるものなのか、意味あるものなのかということだと思います。

ところで今年はAmazonとの直取引が始まり、その存在の大きさを実感した年でした。

Amazonに対してはさまざまなことが言われていますが、小社のような超零細出版社にとってその存在はこれからとても頼りになってくると実感しています。

詳しいことは書きませんが、他の取次とは性格が違うこともあるのか、商品(書籍)の販売に対する熱意・意欲・姿勢が違います。

なるほどなあと思ったのは、メールではありましたが、先日、今年1年間の取引に対するお礼と来年も頑張りましょうという内容のメッセージが届いたことでした。単純に嬉しかったですね。他の取次ではこういう経験はありません。ちなみに小社の売上でAmazonの売上は10%を占めています。まさにネット社会ですね。

全国の書店数が20年前から半減してしまった今、読者の立場からも、出版社の立場からもそれを補うのが、ネット書店の存在であることはもう間違いありません。リアル書店がまだ身近にある地域ならそれは大いに活用してほしいですが、書店のない地域の人たちにとってネット書店はとても大きな存在になっています。

ということで、来年はAmazonとの取引がさらに拡大していくことは確実でしょう。

さて来年はどんな子どもたちを世に送り出せるか、これも楽しみですので、引き続きよろしくお願いします。

 

 

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新刊の「地域包括ケアを問い直す」、発売と同時にAmazon〈介護福祉学〉で5位に

2017年12月29日 | 新刊案内

さて今年も間もなく終わりですが、一昨日販売開始した『地域包括ケアを問い直す』(本体1000円)が、Amazonサイトの〈介護福祉学〉部門でさっそく、第5位にランキングしました。ありがたいことです。

ある新聞の新年号に広告を出したことが効いているようです。今日も広告を見たと電話注文がありました。

実はこの新刊、Amazonからの初回発注部数がこれまでで一番多くいただいています。年末年始対策ということもあるのでしょうが、嬉しいですね。

このままだとまさに「介護難民」が多数発生する介護保険制度の現状をぜひ知って欲しいと思います。

Amazonからのご購読はこちらです。

 

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最新刊出来!『地域包括ケアを問い直す~高齢者の尊厳は守れるか』

2017年12月18日 | 新刊案内

今年最後の新刊が出来!ありがとうございます。

地域包括ケアで高齢者は幸せに暮らせるのか? 要介護者の家族、病院・老健の入退院の実態調査、医療・介護の現場実態などから、地域包括ケアの公的責任不在、地域の助け合いへの矮小化、費用負担の問題などについて検討し、住民のための本当の地域ケアとは何かを探ります。

Amazonで予約受付中です。

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生活保護費を削り、2000億円のイージスシステム購入か?

2017年12月15日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

自・公与党は、10月の衆議院選挙で大勝したこと、さらに19年夏まで国政選挙がないことなどを背景に、何じゃこりゃあ!というような政策を次々に強行しようとしている。

来年度の税制改正は基本的な構えとしては、大企業には大幅減税を行い、それを補うために個人に増税という路線を明確に打ち出した。これから富裕層とそれ以外の層の人々の分断がさらに強まっていくようだ。

また生活保護費の食費や光熱費などに当たる扶助費の大幅削減を打ち出した。生活保護を受けていない一般低所得層の所得を基準にしてさらに保護費を削減するという、ますます貧困に向かうしか為す術がないところに生活保護受給者を追い込んでいくやり方で、まったく当事者の実態を見ていない政策そのものだ。

だいたい一般低所得層自身が「最低限度の生活を」営んでいるとは言えないような実態があちこちにあるのに、それを基準にするということなんて、おかしいじゃないか!

そうやって削られた保護費がどこに回るかと言えば、戦争をするための費用(防衛費)なわけで、この方面へのお金は大盤振る舞いそのものだ。

たとえばアメリカからは1基1000億円もする「イージス」という迎撃ミサイルシステムを2基も購入するという。

これなんか当初800億円と言っていたのに、その後トランプ大統領からふっかけられでもしたのだろうか。さらに防衛大臣は「今後どのくらい費用がかかるか調査していく」と述べ、もっと高くなることも想定しているような発言をしている。

いやあ、こうしてちょっと見ると、実にわかりやすい政治が目の前で進んでいる。これが先の衆議院選挙が招いた結果の一つなわけで、こういうことと私たちはこの先しばらくは付き合っていかなきゃいけないわけなのだ。

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土佐いく子の教育つれづれ~またあしたね〈58〉

2017年12月14日 | 土佐いく子の教育つれづれ

被災地にわが身をおく ―福島を歩いて―

 町が消えている。田も畑も原野に戻っている。歩いても歩いても人っ子ひとりいない。あるのは、イノシシなどの野生の生き物の足跡だけ。除染土を詰め込んだフレコンバックの黒いかたまりやグリーンのシートで覆った異様なかたまりが、怪物のように横たわっている。民家があったであろう所には、住む人ありし日、育てていたあじさいやグラジオラス、金魚草の花たちだけがけなげに咲いている。前方にあの東電の原子力発電所の鉄塔が異様に白く光っている。(自分たちの暮らしの電気は東北電力から供給されているのに、なぜ東電にわが命も暮らしも奪われるのか!)
 
モニタリングでの放射線の数値は0・418マイクロシーベルト。待てよと地面の数値を測定すると、なんと5・41マイクロシーベルト。放射能を浴びた風を受けながら、原野に立ち尽くしていた。

■こみ上げる怒り
 これまでたくさん東北の大震災の本も写真も映像も見てきた。話も聞いてきた。ここ現地に立って、この空気、この景色の中に身を置いて初めて、身体中に沸いてくるこの怒り、悔しさ、言葉にならぬ思いは何なのか。

 この国は、福島県一つくらいつぶれようが人が死のうが知ったことではない。原発がメルトダウンした時から、東京でオリンピックをと決まっていたという。首相のアンダーコントロールの言葉で体が震えた。

 詩人アーサー・ビナードに言わせたら「『アンダーコントロール』というのは、放射能は大丈夫、コントロールしていますからではなく、日本人というのは、これだけ人類史上かつてない事件に出遭っても抵抗しない国民ですから、ちゃんとコントロール下に置いていますから大丈夫という言葉だったのです」と言うではないか。

 そこからかつてメインストリートだったところへ足を運んだ。2軒だけ店が開いている。ガソリンスタンドだ。「おかえりなさい、がんばろう」の大きな字が飛び込んできた。3月に避難解除されたが、帰ってきたのはわずか1%。

 この放射能で汚れまくった町に、どうして帰って来れるのか、そこでがんばれと言うのか。また怒りがこみ上げてくる。

 「いい町 いい旅 いこいの村 福島なみえ町」の看板も目にとまった。心が痛い。いい町、いこいの村を破壊したのは誰だ。

 「おいしい飯館牛をどうぞ」。その肉牛たちも被ばくし「最後の乳をしぼった時は涙が出たよ」と言って、乳牛を残して村を去った酪農家の人たち。

 学校教育も原発協力に利用されてきた。「原子力明るい未来のエネルギー」「原子力正しいりかいでゆたかなくらし」。こんな標語を書かされ「原子力の日」という作文まで書かされた。その子どもたちの姿も消えた。

 浪江中学校の今年の入学生は、たった一人だ。そりゃあ、甲状腺ガンの疑いが190人というではないか。(当局は、因果関係は不明と言っている)。そんな町で子どもは生きられない。(その子どもたちが避難先でまたいじめにあっている)。

 こんな話も聞いた。優秀な工業高校の1番から10番までの成績のよい子は、東電への就職が約束されていたという。そして、喜びいさんで東電に就職していった若者たちは、この東電のおかげでわが町も人も殺され奪われ、今地獄の苦しみを味わっているというではないか。

 私たちは、今日もごく当たり前の日常を忙しく生きている。6年前に東北に大震災があって、津波と放射能で大変だったよね、とふと思い出す程度で。

 この国は、人類史上かつてない大事故で後始末も人間の手に負えずあたふたとだけしているのに、原発再稼働、そして外国に高いお金で原発を売る商売をしていて平然としている。オリンピックでみな忘れましょ、だ。日本の事故の教訓から原発をきっぱりやめた国の知性とこの国の知性とはどこが違うのか。

 しかし、この浪江町の漁民で、原発に最後まで反対し闘ってきた方の話を聞いた。村八分にあい、「お前が海で遭難してもオレたちは助けない」とまで漁業組合から宣告されたが、節を曲げず、命がけで今日まで生きてきたと静かに語っていた。

 そうだ! この国にも原発をつくらせない、持ち込ませないと闘った地域、人たちがいる。いや、今もいる。そこから何をどう学び、自分に何ができるか改めて考えさせられている。双葉町のひまわり畑に希望をもらって、帰路についた。

(とさ・いくこ和歌山大学講師)

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次の新刊は『地域包括ケアを問い直す~高齢者の尊厳は守れるか』です!

2017年12月13日 | 新刊案内

今年最後の出版になります。年内発売が間に合うかどうか、新聞の新年号に広告も予定しているのでなんとかしたい!

地域包括ケアで高齢者は幸せに暮らせるのか? 要介護者の家族、病院・老健の入退院の実態調査、医療・介護の現場実態などから、地域包括ケアの公的責任不在、地域の助け合いへの矮小化、費用負担の問題などについて検討し、住民のための本当の地域ケアとは何かを探ります。

【編著者紹介】
●鴻上圭太(こうがみけいた)1974年生まれ。立命館大学大学院社会学研究科博士課程前期課程修了(修士:社会学)。現在:大阪健康福祉短期大学介護福祉学科准教授。著作:『介護福祉論』(共著)『学びを追及する高齢者福祉』(共著)「介護に関する資格者の養成に関する現状と課題―学ぶ機会と介護労働におけるソーシャルワークの関係」『介護福祉労働再考 介護福祉労働の社会的意味と専門職養成の課題』(『日本の科学者Vol.53 2017)

●高倉弘士(たかくらひろし)1984 年生まれ。立命館大学大学院社会学研究科博士課程後期課程修了(博士:社会学)。現在:総合社会福祉研究所、立命館大学産業社会学部非常勤講師。著作:「保育運動を考える」『保育の社会学 子どもとおとなのアンサンブル』(共著)

●北垣智基(きたがきともき)1984 年生まれ。立命館大学大学院社会学研究科博士課程後期課程満期退学 ( 修士:社会学 )。現在:大阪健康福祉短期大学介護福祉学科講師。著作:『未来につなぐ療育・介護労働』( 共編著 )『介護福祉学への招待』( 共編著 )「社会福祉法人の人事・労務管理改革と介護労働者の給与・人材確保問題との関連性についての一考察」(『立命館大学産業社会論集』第52巻第4号)

●〈企画〉大阪社会保障推進協議会
〒530-0034 大阪市北区錦町 2-2 国労会館
電 話:06-6354-8662 FAX:06-6357-0846
E-mail:osakasha@poppy.ocn.ne.jp
web:http://www.osaka-syahokyo.com/

 【目次紹介】

序章 「地域包括ケア」をめぐる制度改革の動向と課題……鴻上圭太(大阪健康福祉短期大学)、北垣智基(同)、高倉弘士(総合社会福祉研究所)はじめに
1.医療・介護一体改革の動向
2.「地域包括ケア」の提起
3.「地域包括ケア」の問題点と課題
4.本書の問題意識と構成

第1章 必要な医療や介護を本人の願いに寄り添って受けられる仕組みに~要介護者の家族の立場から……雨田信幸
はじめに
1.階段から転落、骨折と脳出血
2.回復期リハビリ病院で
3.老健へ入所、退所、再入所
4.「家に帰りたい…」と父
5.「今の介護保険はアカン!」~母の切なる想い

2章 大阪府内の病院、老健の入院入所、退院退所調査……鴻上圭太(大阪健康福祉短期大学)、北垣智基(同)、高倉弘士(総合社会福祉研究所)1.調査の背景と目的
2.アンケート調査の概要
3.アンケートの分析結果と考察
4.自由記述の分析結果と考察――高倉弘士

第3章 地域包括ケアと地域医療構想~高齢者の尊厳は守れるか……岡崎祐司(佛教大学社会福祉学部)
1.問題検討の視点
2.安倍政権の医療制度改革
3.策定された地域医療構想
4.地域包括ケアシステムを問い直す
5.地域包括ケアシステムをどう作るか
6.地域ケアと住民の活動

第4章 いま医療・介護現場では何がおきているか
【報告1】これからの医療ソーシャルワークを考える……江坂竜二
【報告2】開業医の実態と在宅医療……入谷純光
【報告3】介護老人保健施設の「役割」を考える……森部富美子

終章 おわりにかえて……寺内順子 

※Amazonで予約開始です!

 

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『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』(平井美津子、高文研)の紹介

2017年12月06日 | 丸ちゃんの私的時間
今春、小社から『教育勅語と道徳教育』というブックレットを出してもらった平井美津子さんの新刊『「慰安婦」問題を子どもにどう教えるか』(高文研)を読んだ。



平井さんと知り合って7年ぐらい経つが、彼女の名前はそれ以前から、大阪の女性教師にすごい人がいるというような感じで知っていて、ちょうどその頃が「慰安婦」問題をテーマに生徒たちと格闘していた時期だったと、この本を読んでわかった。

本のタイトルは「どう教えるか」だが、特別ノウハウ的なことは書かれていない。「慰安婦」問題との出会いから始まり、ちょっと力が入った最初の授業、子どもたちを引率しての沖縄旅行、ナヌムの家で元被害者たちとの交流後の新たな決意、そして地元地方議員や右翼、在特会からの攻撃に直面することなどを通して、保護者にも支えられながら、「慰安婦」問題が、今を生きる子どもたちと私たち自身に突きつけられた問題だとして学び合っていく。

平井さんの授業に結末までのシナリオは無い。子どもたち自身がそれぞれに結末を考える。特に中学生は性のことを考える一番大切な時期だけに、子どもたちの思いを大切にしたい、それが授業の出発点だという。

2015年末の日韓合意や翌16年の沖縄元海兵隊員による沖縄女性暴行殺人事件などを教材に、子どもたちの関心を広げる授業も実施、その子どもたちの感想を読むと真の「和解」について考え始めた中学生たちの姿が見えてくる。

しかし今、学校現場には「忖度」の嵐が吹き荒れている。自民党は「学校教育における政治的中立性についての実態調査」を呼びかけ、教師たちに戦前さながらの密告を奨励している。教育委員会や学校管理職は、授業や学校運営に攻撃がかけられないように、教師が作成するプリントをチェック、本人の了承無しに私物を持ち出すというような人権侵害も起きている。上からの指示は末端に行けば行くほど「忖度」という形で強制力が強まっている。

また歴史修正主義の立場で作られた教科書が検定を合格、いくつもの自治体で採用され、政権が望む人間作りを目指す教育が行われている。

そんな今だからこそ歴史研究者と歴史教育者が手を携えて現実と切り結んだ授業をどうすすめていくのかが問われており、その鍵となるのが「慰安婦」問題であり、怯まずに堂々と教え、歴史の傍観者にならないことだと言う。

そして最後に、卒業する子どもたちに贈る言葉は「抗う」。実に平井さんらしい言葉だと思った。


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うーん、「教育勅語」の「勅」が読めないか・・・

2017年12月04日 | 編集・営業ふらふら雑記

平井美津子さんの『教育勅語と道徳教育』という本の注文電話が書店からかかって来た時、電話口でその書名の「勅」という字を読めない店員さんが結構いる。

少なくとも書名の読み方ぐらいはお客さんに確認しておいてほしいが、それよりもこの「教育勅語」という言葉、今年はニュースになったことも多かったので、自分の感覚では結構知られている言葉だと思ったのに、意外と知られていなかったことに、ちょっとショックやね。

このテーマで次の企画をと思っていたので、さてどうしたものか…。

 

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