まいど、日本機関紙出版です。

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人生の終盤を見つめる歌、歌、歌~2008年高石ともや年忘れコンサート②

2008年12月31日 | 丸ちゃんのギター&フォーク

 休憩をはさんで始まった第2部。ここからは西国三十三番巡礼歌集のコーラスに参加した「奈良松ぼっくり少年少女合唱団」出身の古河さち子さんと村尾あいさんが加わりました。「Run River Run」(揖斐川マラソンのテーマ曲)、「旅の終わり」、「ひとつの舟に乗り合えば」、「それぞれの秋」、「捨ててこそ」、「バラの花をください」、「新しい朝」と演奏が続きます。「新しい朝」はABCラジオパーソナリティの道上洋三さんが作った曲がサビの部分になっており、なんとご本人が客席から登壇、「頭の手術を終え入院中に、ふと浮かんで出来た曲だ」と紹介されました。現在の高石さんにとってもこの曲はとても大切な曲になっているそうで、歌詞中の「ただ、生きている、それだけでいい」という箇所はガン養生でウォーキングを続ける奥さんとの応援歌になっている曲だといいます。


会場で販売されていた高石ともや絵馬

  そして毎年の年忘れコンサートに欠かせない曲、それが今年は「平成二十年、冬が行く」です。1年間の様々な出来事を振り返りながら高石さんが歌い語る叙事詩です。私を含めて観客1人ひとりもそれぞれのこの1年間を重ね合わせながら聴いていました。この曲、演奏しながら歌詞を書きとめた用紙をめくると、それが譜面台から数枚こぼれおちていくその様子に、ホントについさっきまで歌詞を書いていたというリアル感が強くあって、まさにそこにフォークソングの原点を見る思いがしてとても気に入っています。

 「いただきます」(有機農業を勧める歌)、「水は頑張らない」(キャンプソング・水ものがたり)、「もう一歩」、「私を待つ人がいる」、そして「陽気にゆこう」。新しいCD『もう一歩 高石ともや詩歌集』に収録された曲もあります。人生の終盤に向かう高石さん、もう頑張らなくてもいいんだよというその一方で、もっともっとあれもできるんではないか、これもがんばれるんではないかという思いも持ち、迷いながら歩む姿を歌います。「水は頑張らない」は上から下へとさまざまに相手に応じて自然に流れる水のような生き方を、そして「私を待つ人がいる」は、待ってくれている人がいると思うことで人は生きながらえるエネルギーが出てくると、ナチスの絶滅収容所に入れられた人たちの例をあげながら語ってくれました。

 コンサートが終わりホールを出た地下道の入口に高石さんのポスターが貼ってありました。失礼ながら顔写真はもうおじいさんの顔です。高石さんはいつも走ってきました。だからこれからも走り続けるでしょうが、でもそれはきっとこれまでとは違った新しい走りなのかも知れません。 


一緒に聴いた熟女のみなさん

 フォークソングはいいです。2009年、激動の時代。フォークソングはもっともっと広く歌われるようになると思うのですが、どうでしょうか? 私はもっと歌いたい、そう強く思いました。こんな企画の案内もありました。あなたも一緒に行きませんか?

 

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これはまさに反戦フォーク集会だ~2008年高石ともや年忘れコンサート①

2008年12月31日 | 丸ちゃんのギター&フォーク

 恒例の高石ともや年忘れコンサートに行ってきました。会場は先月オープンしたばかりの旧サンケーホール跡地にできた33階建ブリーゼタワーの7階、サンケイホールブリーゼです。えっ、これがあのサンケイホールかと驚いてしまうような綺麗なホールに生まれ変わっていました。席はB-26、前から2列目、右の端っこで、余りいい場所ではなかったのですが、まあ真近に演奏が見れる席でした。


新サンケイホールは黒が基調

 第1部はドラムス担当のマーティ・プレイシーさんとの2人舞台。1966年9月、高石さんが初めてギターで5曲歌ったのがこのサンケーホールで、その時の舞台がその後の人生を決定づけたそうです。主催は大阪労音「フォーク愛好会」でした。あれから42年、3年前に一度消えて新たになったサンケイホールで再出発です。オープニングの5曲はその時に歌った曲でした。「年少かごの鳥」は少年院に送られた少年の心境を綴った歌、「学校で何を習ったの」はアメリカのフォークシンガー、トム・パクストンさんの曲、「ベトナムの空」は日高義さんが作った曲で私も学生時代によく歌いました。そして「のんき節」(添田唖蝉坊)に「思いでの赤いヤッケ」。「赤いヤッケ」は高石さんがあるスキー場の人から教えてもらった曲だそうで、赤倉スキー場でスキー教室の生徒たちであった第一勧業銀行のコーラス部の女性たちに歌ったことがあると思い出を語りました。
 
 ここまではクラシックギターで伴奏。続いて手にしたギターはエピフォンギターというギブソンやマーチンの3分の1の値段のギターですが、ちょっと枯れた音が激しいリズムを刻む曲には御似合いです。「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)、「時代は変わる」(ボブ・ディラン)、「バスのうしろ」(フリーダム・シンガーズ)、「明日なき世界」(P.F.スローン)。さらにギターをマーチンに変えたところでマーティ・プレイシーさんが高石さんに聞かれて自身の前職を語りました。米軍の空中給油機に乗務していたそうで「そんな仕事より平和の下で音楽をする方がよっぽど素晴らしい」と話し、会場から拍手が沸き起こりました。第1部の終わりに向けて歌った曲は「グヮンタナメラ」(キューバ民謡)、「八丈太鼓ばやし」(八丈島民謡)、「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎、武満徹)、「マイ ランブリン ボーイ」(トム・パクストン)の4曲。歌い語られた反戦フォークソングの数々。それはまさに70年代、いや、2008年末の反戦フォーク集会と表現してもいい内容のもので、そのような「集会」が最新の設備を備えるホールで行われた瞬間に立ち会えたことに嬉しくなりました。


スポットライトが当たれば、千変万化の光と影が演出される緞帳


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歳末防犯活動に参加の4日間

2008年12月29日 | 丸ちゃんの私的時間

 27日から30日まで毎晩8時半から、自治会の歳末防犯活動に参加しています。今夜は別の予定がありましたので参加しませんでしたが、防犯委員20人と各単位自治会から2名ずつ参加した32人が2つのコースに分かれて各2回巡回します。1回目は自治会の方と防犯委員と、2回目は防犯委員だけでです。拍子木をカチ、カチと2回鳴らし「ひのよぉ~じ~ん」と合唱、そのあとびカチ、カチ。これを何度も繰り返しながら、また駐車禁止場所に停めてある車があればワイパーに注意を促すチラシを挟みこみながら周っていきます。

 お家の人からは「御苦労さん」とよく声も掛てもらうこともあります。公園などで話し込んでいる中高生がいれば、早く家の帰るように促したりしますが、割とあいさつもをくしてくれる子が多く、みんな普通の子どもたちという印象です。巡回時間は約40分ぐらいでしょうか。歩数にすると5千歩は歩いているようです。これを2回なので1万歩以上は歩くことになります。2回目が終わって集会所に引き上げると、毎度のことですが、ビールやお酒、ジュースなど飲みながら短時間ですが交流をして散会です。

 ところで先ほどJR吹田駅から帰っているときに、別の自治会の防犯活動のカチ、カチが聞こえてきました。よく聞くとちょっと早口で「火の用心、マッチ1本火事の元」と唱和していました。うーむ、いまどき「マッチ一本はないだろう?」と思いながら聞いていたのですが・・・。まあこういう季節ですから、みなさんも火の元にはくれぐれも気を付けてくださいね。

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今年も職場の納会・・・

2008年12月28日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日はお昼から職場の納会でした。毎年のことですがビールで乾杯、参加者が一言ずつこの1年を振り返り、来年への抱負を語りました。

「古くから付き合いのある編集者が亡くなった。とても惜しい人で残念」「今、たいへんな時代に生きているが、来年は大きな変化の年にしたい」「愛知や北海道の戦跡を訪ねてきた。各地にさまざまな資料が保存してあり興味深かった」「3月に中国取材に行ったことが印象に残っている」「マスコミのあり方が問われた1年でもあった」「映画はいい。毎月1本観ている。いいものにどんどん触れなければいけない」「病気対策で糖質ゼロ生活をずっと続けている。体験的に言えば、いろいろ言われている糖尿病対策は私には合わない」「もっともっと人々の役に立つ仕事ができるように」「ツレがうつになりました」・・・などなど、公私関係なくそれぞれ朴訥な実感のこもった話が出され、予定時間をオーバーして散会しました。

 さあ、新年はどんな形でそれぞれ、社会に関わるお仕事ができるのでしょうかね?

 

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とりあえず、仕事納めの日ではあるが・・・

2008年12月27日 | 編集・営業ふらふら雑記

 とりあえず、今年の仕事は表向きは今日で終わりです(とは言うものの、残念ながら休みの間も頭の中はダラダラと気になる仕事方面から離れそうにありませんが)。年初に今年の出版予定を書きましたが、すべての企画を実現することはできませんでした。なにしろ超零細弱小貧乏地方一人出版社(笑)としては、いろいろ社会の流れをながめたり、タイミングを考えたり、費用のこと、支払いのことなども考えながら、頭のなかで押したり引いたりしながら、まだまだ悩みながらの出版活動です。没になった企画もあれば引き続き来年に持ち越しという企画もあったりで、まあそういうことも含めておもしろい仕事だと常々思っています。

 来年3月までに「非正規切り8万5千人」――という見出しの今日の朝刊。トップの写真は、たくさんの人たちがこの寒空の下、立ちあがっている姿です。とても励まされる、生きる力を与えてくれる写真です。時代が大きく変わろうとしています。さまざまなところで変革が求められています。だからそのたたかいに役立つ出版活動をしていきたいと強く思います。そのために自らが企画・出版して世に問うていくことは当然のことですが、合わせて、全国のたたかうみなさん、小さな出版社ではありますが、ぜひこの機関紙出版の出版機能をたたかいの武器として活用してください。出版&書店業界も厳しい状況にはありますが、まだまだその発信・宣伝・啓蒙・流通力は大きなものです。『蟹工船』の大ヒットに見るように、始めはとても小さな動きでもそれが人々の気持ちを、心をつかめばとても大きな力になりうるのですから。

  
 あっ、このブログは年末年始もネット環境がある限りは更新していきますよ。

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もう誤魔化せない。だから希望ある2009年へ

2008年12月25日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 期間・派遣労働者の大量解雇という未曽有の事態の先導役を果たしたトヨタ自動車。その日本のトップ企業の幹部が、大量解雇の中止・撤回を求める日本共産党本部を訪れて会談をしました。まさに画期的、歴史的な事態です。今の日本の状況を象徴するかのような出来事に思えます。

 先日の時事通信世論調査では麻生内閣支持率は16.7%(不支持率は64.7%)まで落ち込み、この内閣はもはやこれまでという存在になりました。政党支持率を見ると自民党が前月比マイナス5.2㌽の18.6%、民主党も落ち込み0.9㌽減らしています。フジテレビの調査では自民、民主、公明。社民が支持率を下げるなかで、日本共産党が公明党の2.0%を上回って3.0%に伸びたと報じました。『産経』の記事には「共産党の支持率が4.9%(共同調べ)になったのは1998年の参議院選挙前の水準だ」と書かれています。とくに雇用問題への対応の違いがここにきて大きく表れたのでしょう。

 国民の目はもうごまかせない、見るべきところは見ている。ちょっと景気が悪いどころではない、まさに人の生き死にに関わるほどの現実が人々の目の前に現れていることで、今多くの国民が何かを気付き始めたのではないかと思えるのですが。はたして民主党の「解散決議案」や公明党の「増税時期明示消費税」などが国民に受け入れられるのでしょうか? とてもそうは思えないのですが。年明け国会の冒頭では「定額給付金」の行方も論議されるそうです。ということで、2009年を迎えようとする今、私たちはある意味でとてもおもしろい歴史の局面に立っている、そんな気がとてもするのです。

 そんな中、堺市議会は「派遣労働者をはじめとする非正規労働者の雇用を守る意見書」を全会一致で採択、その意見書には「国が、財界にも個別企業にも派遣社員や期間工の解雇をやめるよう強力な指導を行うことが必要である」と明記してあるそうです。また高槻市議会は「定額給付金を白紙撤回し社会保障の充実を求める意見書」を自民、公明が反対する中、賛成多数で可決しました。さらに泉南市議会が「後期高齢者医療制度廃止及び高齢者の負担軽減を求める意見書」を日本共産党の提案により、保守会派と公明党の反対があったにもかかわらず採択されています。

 先ほどラジオで関西在住のあるジャーナリストがこんなデータを紹介していました。それは正規雇用と非正規雇用の賃金格差を各国ごとに調べたもので、正規雇用を100とした場合に非正規雇用はいくつになるかということを表した数字なのですが、こんな感じでした。まず一番格差の少ない国スイスの非正規は96、次いでイタリアが93、フランスが92・・・以下北欧を含めた欧州各国が上位に続き、日本はなんと48でした。そしてこの数字には賞与がはいっていないのでそれを含めると日本は30になるということでした。ものすごく簡単に言えば、同じ仕事をしているのに日本では正規雇用は10万円の給料なのに非正規雇用は3万円しかないというのです。

 こんなめちゃくちゃなことの上に成り立ってきた日本の大企業とそれを応援してきた日本政府・・・。要するにここ数年間に蓄積されてきた日本企業の莫大な儲け、株主への配当というのは本来なら非正規雇用の人たちが受けとるべきお金だったということでしょう。極めて大雑把な言い方ですが。それが途端に自分たちの足元がほんの少し危険になると手のひらを返したように切って切って切りまくる。裏切り行為以外の何物でもないように思います。ここにきて人間の本性、企業の本性、政党の本性・・・そんなものが次々に表れ、一方で問われる社会になってきているんでは?とこの数日感じています。はい。

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1人ひとりの職員の責任ではないが・・・それでいいのか?

2008年12月22日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 職場の同僚が、先日行われた大生連(全大阪生活と健康を守る会連合会)と大阪府の交渉に参加したときの様子の一部を話してくれました。

 この交渉には大阪府側からは課長代理以下が10人くらい出席したそうですが、そもそも課長代理というのがもうやる気が感じられません。それはともかく、3年前に夏冬一時金を削減した際大阪府は、削った予算を就労支援プログラムに使うと言っていました。しかしその後、厚労省から就労支援の予算がつくようになったので、来年度は府の予算をカットするというのです。参加者からは「一体何のために何年も交渉してきたのか」「予算はどこに行ったんや。今まで嘘をついていたんか」「職員として採用された時、憲法を順守することを誓ったやろ。市民に嘘をついてもええと書いてあったんか」など、怒りの声が次々にあがったそうで、課長代理以下の職員がなにも答えられずに10分ぐらいの沈黙が続いた場面もあったとのことです。

 さらに大阪南部のI佐野市ではとんでもない人権侵害が行われていることが明らかになりました。たとえば、法律で決められてもいないのに市内にいる親族の扶養について全件実地調査する(通常は電話か文書による調査)、ある母子家庭に対して「15歳の子どもがいるならその子に下の子(1歳)の面倒をみさせて夜働いたらどうか」「近くに母親がいるなら面倒見てもらえ」、さらにその母親に対しても「土地を売ってお金を作ればいい」というような発言をした、などです。このことについて大阪府の監査を受けたI佐野市は、そういうことは言ってないと報告をしているそうですが・・・。

 生活保護利用者を余りにも馬鹿にしたこのような対応を聞くにつけ腹が立ち、そして悲しくなりました。いったい自治体の役割、仕事ってなんのためにあるんでしょうか。弱い者いじめをするためにあるとしか思えない、そんな気がしてなりません。もちろん大本にはその自治体首長の方針・姿勢があるのですが、それにしても直接住民との窓口に当たる職員の姿勢が余りにもその方針に唯々諾々とし過ぎるのではないかと思えます。今の社会状況をまともに見つめるならばそうした感覚というのは完全にズレているんじゃないでしょうか。どうか自治体に働く人々よ、あなた方の胸に忸怩たる思いがもしあるならば、住民のために闘ってよ!と私は言いたい。


 

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わがギターも喜んだ京橋・山葵の「クリスマス望年会」

2008年12月21日 | 丸ちゃんのギター&フォーク

 19日の夕方から京橋・山葵で「クリスマス望年会」なるものを開きました。当日を迎えるまでに時間はかなりあったのですが、参加呼びかけとお店との打ち合わせ以外の、内容作りがほとんど何も出来ずに当日を迎えました。朝早めに出勤し仕事の合間に歌集作りの内職です。コピー、コピー、コピーで『独断選曲歌集』を作成(音楽センターさん、申し訳ありません)、古い曲ばかりではアカンやろうということで、呼びかけ人のT内さんに最新の「歌本」を買ってきてもらい、なんとか間に合わせることができました。

 準備のため早めにギターを抱えてお店に到着、セッティングをしていると吹田生活と健康を守る会のH山さんが、まず来られました。お互いに「ああっ」「ああっ」と久しぶりの出会いを確認、この日は忘年会の掛もちだということで、最初にこちらに顔を出してくださいました。みなさん、仕事を終えての参加なのでなかなか時間通りにはいきません。そのうちに「慰安婦」問題つながりのM永さん、着物姿が素敵なU野さん、なんと遠路岡山から駆け付け参加のS本さん、ハモニカ奏者のK西ご夫妻も着物姿で、京都からのS木さんの元気そうなお姿にホッとし、神戸から自称・忘年会女のO森さん、堺方面からも「慰安婦」問題つながりのS田さん、そしてI川教授ご一家、最近ケアマネ資格を取得されたH川さん、続いてすごくエネルギッシュな医師A達先生とその仲間のみなさん、さらに新聞記者H島さんも参加されました。

 参加者が増えるごとに乾杯と自己紹介をしながら、おいしい料理とドリンクを楽しみ、わいわいガヤガヤと時間がどんどん過ぎて行きます。K西さんのブルースハープ演奏に魅せられた頃からおしゃべりタイムは落ち着いた感じになり、ようやく全員に配られた1部3000円の『歌集』の役立つ時間がきました。

 T内さんの司会で歌いたい歌が次々にリクエストされリズムを刻む私のギターも喜んでいます。場が盛り上がる中、途中からリクエストの仕方がなぜか「議長! 議長!」と挙手をする懐かしの学生大会風になったり、振り付け付きの歌で踊ったりで、いよいよボルテージは高まるばかりです。私は「我が窮状」を自分にリクエスト、みなさんに詞と曲を知ってもらうことができました。楽しい時間には限りがあります。気がつくと11時です。最後にあの「インターナショナル」を全員合唱し、ぜひ第2回目も開こうではないかと、京橋の夜空にしっかりと誓いを立てて、散会したのでした。

 なお、この怪しい集まりの様子、コチラコチラに写真と映像付きでアップされていますのでご覧くださいね。

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杉山貴士さんと打ち合わせ、第2弾、来夏発行予定で!

2008年12月18日 | 編集・営業ふらふら雑記

 先ほどまで杉山貴士さんと打ち合わせをしていました。次の本の出版と雑誌『宣伝研究』への連載開始のことなどです。

 本の方は来夏出版予定で、先の本とはちょっと趣の違った本になりそうです。「性的マイノリティ」について、「語りかけ」をもとに、もっと身近に、わかりやすく感じてもらえる内容になります。

 『宣伝研究』誌への連載は2009年2月号からです。労働組合、民主団体の編集者向けの雑誌ですので、なぜそんな雑誌に「性的マイノリティ」の原稿を載せるのか、疑問に思われる方も多いと思いますが、だからこそ書いてもらうことにしました。決してこのテーマは他人事ではないのです。この疑問については第1回目の記事でわかってもらえると思いますが、ぜひ注目していただきたいと思っています。

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ケアマネジャーの声で介護保険を変える

2008年12月17日 | ただ今、編集作業中の本

 現在編集作業中の本は、介護現場で働くケママネジャーの人たちが主人公の本です。ケアマネの仕事って、一般には知られているようで、実はあまり知られていません。そんなケアマネの仕事・働きを通じて、来年見直しがされる介護保険制度に対する声を上げていき、よりよい介護をめざすために、広くはこれからの日本の高齢者福祉政策がホントに生きててよかったと思えるようなものにする、そのための現場からの告発です。

 編著者は「よりよい介護をめざすケアマネジャーの会」(大阪社会保障推進協議会気付)です。四六判200ページ余、来春発行予定。コチラでもこの本について予告されていますのでご覧ください。

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なんか保護者的気分に・・・ゼミ生が講演

2008年12月16日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 15日は夕方、「慰安婦」ってなに? 教えられなかった歴史を知ろう――と題する学習会が茨木で行われ、石川ゼミ4年生のY口さんとI本さんがお話をするというので出席してきました。主催は「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワークです。

 2人は「『慰安婦』問題に出会って」というテーマで、①「慰安婦」問題とは?、②ゼミでの学び、幇間に向けて、夏休みの事前学習、③韓国での学びについて、④ナヌムの家訪問、水曜集会への参加、⑤講演活動、本作りについて、⑥私の思いとこれから――について約40分間、パワーポイントを使いながら話をしました。約70人が出席、若い人たちの参加者もあり、みなさん、2人の報告を本当に熱心に聞き入っていておられました。緊張し慣れない様子でしたが、自分の言葉で語りかけていく姿が、特に大人の参加者たちの共感を得たようで、報告が終わると大きな拍手が寄せられました。それにしても一段とたくましくなったというか、成長したというか、私もなんか保護者的な気分になり、よくがんばったね、という思いで話を聞いてしまいました。本のほうも好評のようで、たくさんの人たちに買っていただきました。ありがとうございます。

 学習会はゼミ生の報告の後、戸塚悦朗さん(龍谷大学大学院教授)が「日本軍性奴隷問題の立法的解決の提案」について説明、最後に2人の元被害者が証言するDVD「私たちの公聴会」を観て終わりました。

 

 
 

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ブッシュ大統領が「靴」を投げつけられて・・・

2008年12月15日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 ニュースによると、イラクを訪れたブッシュ大統領が記者会見中に、現地記者から「靴」を投げつけられました。記者はその場で取り押さえられましたが、「靴」を投げるという行為はイラクでは強い侮辱を意味するそうで、同席していた他の記者仲間からは勇気ある英雄行為としてたたえられているとのことです。そうなんやと、私もまったく同様の思いでこのニュースを聴いていました。そんな大統領に腰巾着のようにくっついてきた日本政府ですが、まだこれからもその状態を続けていくのでしょうか? 

 イラクの米軍はこれから減ってはいきますが、でもまだあと3年間は駐留するわけで、オバマ新大統領がどうするのか、世界が注目しているんですね。

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鶴彬の映画『鶴彬――こころの軌跡』、クランクアップへ

2008年12月14日 | 行事のご案内&報告

 反戦川柳作家・鶴彬は小林多喜二と同じく29歳の若さで亡くなりました。戦争に反対し時勢に抗した彼の川柳はどこまでも鋭く、そして何よりも人間に対する優しさをにじませた作品であるがゆえに、時の天皇制権力は彼の存在を許さなかったのです。治安維持法違反で検挙され獄中で赤痢に罹り死亡しました。

 そんな鶴彬のことを世に出したいと願った人たちの熱意が映画監督・神山征二郎さんの心を突き動かし、手弁当でメガホンをとった作品『鶴彬――こころの軌跡』がクランクアップしました。映画は来年3月から公開されます。映画製作実行委員会では現在製作費用の募集を呼びかけています。詳しくはコチラをご覧ください。


©毎日新聞・北陸 2008年11月13日

 

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怪しい深夜ウォーキングの人となる。

2008年12月13日 | 丸ちゃんの私的時間

(昨夜のつづき)
 気がつくと1時前。急いで新大阪駅に駆け上がり改札を入るとやけに静かで人の姿が見えません。京都行きホームに降りるエスカレターは止まっています。駆け下りてホームに出ると人の姿が全くないのです。誰一人自分以外にホームにいないという初めての事態に直面しました。ホントに誰もいないのです。シ~ンとしていて、あれ? やっちゃいましたかねえ? 発着案内の掲示板も真っ黒です。仕方ないので改札まで戻り、にこやかに立っている女性の駅員さんに確認すると、やはりもう最終は出た後でした。

 うーむ、困ったものだ。さてどうしたものか、とりあえず外に出なければならないだろうと改札を抜け出口に向かって進み、店内が煌々と明るい閉店したコンビニの前を通り過ぎ階段を降りようとした時、駅周辺の案内地図が目に入りました。どうやって帰ればいいのか、タクシーはどこで乗ればいいのかと思いながら眺めていると思いだしました。そう、数年前までよくこの近くを通りながら車で帰っていたのです。ああ、それならば道はわかるし、帰る吹田はまあとなり町のようなものだからということで、節約と運動不足の解消、気温もあたたかで月も出ていたので歩いて帰ることにしました。ギターを担いでエッチラオッチラ・・・。ようやく家に着いたのは1時間20分後の2時半でした。やれやれ、いい運動になりました。

 ということで以下、新大阪から吹田への深夜ウォーキングのレポートです。(なんと、どうでもいことでしょうか!)


まずは耐震補強された新幹線高架下を一路淡路方面へ


吹田大橋から見る神崎川と東淀川方面


鍋料理に欠かせないマロニーは吹田の会社なんですよ


さらになんとあの正露丸の会社も吹田です


ようやく吹田随一の高層マンションメロード吹田の常夜灯が見えてきました


深夜の歴史勉強もできます


がんばってはるんやねえ


誰もいない旭通り商店街


時刻は深夜2時過ぎ


そこまでやらんといけませんかねえ。もちろんお客さんは誰もいませんでした。


吹田駅前駐輪場で待っていてくれた我が愛車。さみしかったろうね・・・。

 

 

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深夜の「銀のスプーン」に迷曲「南海電車の歌」はこだました~!

2008年12月13日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は5時を回ると仕事を早めに切り上げて素早く帰宅、8時に新大阪へ行かねばならないので急いで晩ごはんを準備しました。お風呂のセットをし、生協の鰹たたきを水で半解凍、ハンバーグを焼き、白菜煮を作った頃に妻がいつもより早めに帰ってきたので引き継いで出かけました。

 新大阪駅で差し入れに御座候を10個買い徒歩5分、ショットバー「銀のスプーン」へ。『聞きたい 知りたい 性的マイノリティ』の編著者や普及・宣伝に協力していただいた人たちと今後のことについて相談をしようではないかということで集まったのです。面々は著者の杉山さん、店のオーナー大橋さん、尼崎を拠点に普及に協力いただいているS本さん、著者インタビューをしていただいた『兵庫民報』のI藤記者、イベント設備会社で働きながらライブ活動をしているシンガーRさん、そしてこの本の刊行の原動力となった宮本たけしさんと秘書のF藤さんでした。

 とりあえずビールで乾杯、話題が政治、経済、ビッグ3、アフガン、貧困、ホームレス、性的マイノリティ・・・など各方面に広がるなか、目の前においしそうなドリンクがずらりと並んでいるのがまずかったか、はたまた私がギターを持ち込んだのが拍車をかけてしまったか、次第にお酒のオーダーの対応に大橋さんは追われはじめ、特に宮崎産の甕に入った焼酎の人気が高くて空っぽになってしまう頃には、事態はもはや本の話をしている状況ではなくなってしまいました。そして歌集を取り出し歌い始めるともう止まりません。私→宮本さん→Rさん→F藤さんと我が愛器「SEAGULL SD-50 0514」は巡回し、やがて今も現役のギター小僧である宮本さんの手にすっかり馴染んでしまったようです。抱腹絶倒オリジナル曲「南海電車の歌」をはじめ次々と繰り出される迷曲の数々とかつての宮本少年をめぐる話の数々に誰もが時間の経過を忘れてしまっていました。

 気がつくと時計は1時前。結局、本の今後のことについてはまた別の機会にということにしましたが、新しい人たちのとの出会いもあり、実にうれしい時間を過ごすこととなりました。

 

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