まいど、日本機関紙出版です。

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『パソコン新聞編集入門』の「Ver7.0」対応版を刊行予定~しばし待たれよ!

2007年07月25日 | 編集・営業ふらふら雑記
 『パソコン新聞編集入門』のことでソフトメーカーより2人の方の訪問を受ける。〈パーソナル編集長〉がVer6.5 から7.0にバージョンアップされたことに関連して次の本について協議、Ver7.0 に対応した内容の本を出す方向で検討に入ることにする。話を聞くと、このソフト利用者についてはますます広がりを見せている模様で、次作はそのような人たちの要望にも応えたもので、内容をより豊かにしたものとして刊行したいと考えている。乞うご期待!!
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中国、上海・蘇州・南京3泊4日~歴史の事実と憲法9条の尊さを検証する旅

2007年07月21日 | 行事のご案内&報告

「前事不忘、後事之師」 

                    【ごあんない】

 1937年(昭和12)7月7日、北京郊外の盧溝橋で日中全面戦争のきっかけとなる銃撃戦がありました。そして、上海から首都南京占領へと突き進む皇軍は12月13日、中国民間人を巻き込み、殺・焼・淫・奪の大虐殺を繰り広げます。
 これは歴史的な事実です。犠牲者数が30万人以上かどうか、以下であれば大虐殺はなかったというまぼろし論が意図的に繰り返し流布されています。
 映画『南京の真実』の虐殺否定や自民党国会議員などによって「中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会」が結成されるなど、侵略戦争を正当化する動きが改憲動向とともに昨今強まっています。
 過去の歴史の真実に目をそむけるものに未来はありません。「前事不忘、後事之師」。
 お1人でも、どなたでもご参加できます。ご一緒に現地探訪をすすめ、憲法9条の尊さを学び、草の根宣伝行動をすすめましょう。
 ツアー内容などのご相談、お問い合わせは下記にご連絡ください。

お問合わせ先①

お問合わせ先②

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『レジスタンスの青春』 人民戦線運動と宝木寛の生涯と~宝木実著

2007年07月18日 | 現在おすすめの本

●心に炎 抱きて  宝木 寛=点描
 ・・・我は行くなり 炎抱きて――という歌を残して、26歳の短い生涯を閉じた宝木寛。九州、大阪、東京を転々、その風土に育まれた反骨精神と、明晰な時代を見つめる眼で、平和のことば=エスペラントを選びとり、世界への扉を大きくひらいていった。だが、治安維持法は、若々しい鳩を、自由に飛ばせてはくれなかった。逮捕、拷問、入院、そして再逮捕――で肉体をボロボロに崩されながらも果敢に生きた寛の26年間を、実弟、宝木実が取材に取材を重ねた。その魂は、語り伝えられ、文字となって、平和を願う人々の胸を熱く揺さぶらずにはおかない。

●塩田庄兵衛氏すいせんの言葉より
 私はこれまで労働運動史や社会主義思想史についていくらか研究してきたが、勉強不足のため宝木寛というエスペランチストが、大阪で、プロレタリア・エスペラント運動の中心人物として国際連帯と平和のために活動し、堺の刑務所にとらわれ、26歳の若さで死んだという事実を知らなかった。(中略)
 本書は、暗い内容を物語っているが、読んでみると、意外なほどカラリとしてジメジメした感じがない。それは労働者が本来、未来のためにたたかう階級であり、歴史を創造する使命を持っているのだということを、宝木一家が代表しているのだと解釈するよりほかなさそうだ。著者は、肝っ玉おっ母さんを大黒柱に、かたくスクラムを組んでいる一家のけなげな姿を、骨肉の愛情をこめて、ダイナミックな文章で表現する。「子どもたちも、貧しさにも打ちひしがれず、みんな明るく音楽好きに育った。・・・苦しい時は笑え、歌え、ドンと来いが、わが家のカンバンだった」。(中略)
 それにしても、いま私たちは大丈夫だろうか。著者は書いている。――「あの工員のボヤッとした顔をみると、ほんまに組合ができるんかいなと思う」といっていたが、これはインテリの考え方だ。これなんだ。労働者はせっぱつまれば、圧迫感をとってやれば、催眠がとける――。ここに本書の著者の願いがこめられていると同時に、私たちの未来がかかっている。宝木寛たちは、正しかったが少数派であったから民族的悲劇を防げなかった。その志を受けつぐ私たちは歴史の進路の決定権をもつ多数派となることを急がねばならぬ。この書物は、そのことを強く訴えている。(1984年7月記)

『レジスタンスの青春』
宝木 実 著
四六判 210ページ 定価1260円

●著者紹介
 幼少のころ、次兄の寛(ゆたか)がなぜ、・・・家族の惨状もかえりみずに、入獄と重病をかけてまで平和の運動に打ち込んだのか――重い疑問が、心の底に漂っていたという。16歳でうたごえにとびこみ、以後うたごえ一筋に生きてきて、いま、兄寛のやれなかったことをやりとげたい、と願う。こんな世の中だからこそ、平和の世論を広げ、生きる希望をうたいあげていきたいと・・・。
 宝木 実(たからぎ みのる)
 1931年(昭和6)東京生まれ。大阪学芸大学中退。元関西合唱団団長。著書に『うたごえよ翼ひろげて』(共著・新日本出版社)、『大きなばら』(共著・音楽センター)


19歳のころの宝木寛


本文グラビアページより

●もくじから

 第1章 鳩は鷲に戦いを挑む
  1.寛の十字架・・・鳩が鷲と戦う抵抗の詩
  2.香春嶽(かわらだけ)・・・母 政と祖母 イトのこと
     大きな椋の木 母の政(まさ)と祖母イト
  3.兄、武則(たけのり)の闘い・・・16歳の寛とどん底生活
     武則たちの闘い
  4.荻原先生との出会い・・・寛、たくさんの命を救う
     荻原先生との出会い
  5.闇の中の光――エスペラント・・・七つの海をこえて
     創始者ザメンホフ 深夜の独習 うたでドンと来い カチューシャ
  
 第2章 機関誌『マルシュ』よ 地球を駆けろ!
  6.アデリーナちゃん・・・国際通信に胸おどらせて
     ソビエトの写真ブック
  7.小僧パンフィの手紙・・・上海のエスペランチストと寛
  8.大暴風雨と巨大な歯車・・・大阪最後のメーデー
     港南の反ファッショのうねり ひなげしの大行進
  9.地球を駆けろ『マルシュ』・・・エスペラントの機関誌たち
     さまざまな機関紙・誌の発行 急速なファシズムの成長
     英国からの手紙
  10.『フラート』=兄弟の旗・・・緑の会話、パパーゴからフラートへ
     パパーゴからフラートへ
  11.『労働雑誌』とともに・・・ペンネーム 古賀豊・高木で投稿
     『労働雑誌』への投稿
 
 第3章 ディミトロフ報告の翻訳、寄稿の日々
  12.世界に反ファッショの波・・・「ディミトロフ報告」と国際通信
     野坂参三と「国際通信」
  13.『ディミトロフ報告』の翻訳・・・藤井英男との共同作業
     米国からの小包
  14.人民戦線運動のエピソード・・・当時の大阪の労働者たち
     人民戦線運動の宣伝活動と弾圧
  15.はじめての逮捕・・・拷問と奥村秀松の獄死
  16.大正橋でのもち売り・・・武則の逮捕と一家離散
     豪雨をついて 鹿を追う狩人のように

 第4章 我は行くなり 炎抱きて
  17.嵐・・・エスペランチストたちの生と死
     治安維持法とは何か
  18.チューリップの絵・・・重病の寛と母と患者たち
  19.堺北警察 地下牢のころ・・・再検挙と拷問、ドクターストップ
     父倒れる
  20.ベアリング研究・・・府工業奨励館館長賞など受賞
  21.激浪・・・白浜に兄弟の送別旅行
     白浜温泉 兄弟の送別旅行
  22.「兄ちゃん たのむわな」・・・寛が逝った日、慕った人々

 第5章 証言
  紅顔の美少年だった・・・島本重三
  私と寛君の共同翻訳作業・・・藤井英男
  インターを歌う若者たち・・・福本正夫
  西洋人形とランチ・・・後藤玉子
  物静かな優しい兄・・・宝木京子
  寛もし生きてあらば・・・宝木武則

 第6章 宝木 寛の作品
  とうとう私もメーデーに参加した『マルシュ』
  ソヴェートの鉱山労働者からの手紙『労働雑誌』
  僕の経験『マルシュ』
  「球面体コロ研磨装置」

 第7章 年譜=宝木 寛の26年

 資料①
 資料②
 
 あとがき    

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読者ハガキのご紹介~ありがとうございました。

2007年07月17日 | 読者はがきから

『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!』石川康宏 著

■安倍政権をギャフンと
 感じていたことがとてもわかりやすく書かれていて、読み終えてスッキリしました。
 参議院選が間近に迫りました。戦争をしたい人たちに日本の政治をまかせておくわけにはいきません。議席を伸ばして、議案提案権が持てる力を、それだけの議席を確保して、安倍政権にギャフンといわせたい。がんばろう。(女性・長野県・団体職員)

 久しぶりに感動した1冊でした。母の母校の先生で、うれしいです。(男性・尼崎市・会社員)

この本について見る

『だまされない極意』安斎育郎 著

■もっとくわしく書いて
 先生もあれもこれもと参加者の顔を見ながら、話されたのでしょう。私は本の題名が気に入って、一晩もかからずに読んだんですが、正直言って1つの事柄についてもっとくわしく書いてあれば「コク」が出て、70歳(古希)の私にも頭に残るのではないかとの読了感です。93ページの『華麗なる騙しのテクニック』という本は、現在でも入手できるのでしょうか。(男性・尾道市・年金生活者)

この本について見る  


『レジスタンスの青春』宝木実 著

 実話ゆえに迫力があった。戦前「治安維持法」→戦後「破防法」「暴対法」「盗聴法」の3点セット。戦前・戦中・戦後の秘められた実話の発掘を希望します。〔男性・堺市・無職)

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人間の風吹く職場に~子どもたちのまなざし③ 土佐いく子

2007年07月14日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 子どもをめぐる状況が厳しくなればなるほど、教職員が一つになって立ち向かわねばならないのに、そんな職場づくりが難しくなっている今日です。評価システムによる競争で分断され、超多忙化がそれに拍車をかけています。
 それでも職場の仲間たちは、わが学校に人間らしい風を吹かそうと努力をおしみません。
 私の学校は、まだ古き良き庶民の暮らしの温もりが残る地域で、400人足らずの子どもたちが今も子どもらしさを失わず、けなげに生きているところです。といっても、この時代ですから問題も山積しています。

■助け合い学び合う教師
 中庭にあじさいの花が咲いた、6月に入ったばかりの日でした。「管理作業員室前のかまきりの卵がかえって赤ちゃんがたくさん出てきました。前を通ったら観察してみましょう」と学校放送が流れました。理科の好きな先生からです。その日、かまきりの周りは、子どもたちのキラキラした目が集まりました。
 その前を1年生の手をつないだ保健室の山本先生が通ります。教室をすぐ飛び出す1年生のしょうちゃんは、先生大好きよ、という安心した表情。
 「保健室は、けがをしたり病気をした時だけじゃなくて、困ったことがあったり、服のボタンがとれたりしても、いつでも来てくださいね」と語りかけてくれる先生なのです。
 保健関係の書類を担任教師がどっさり書かなくてはならず、けっこう大変なのです。この先生は転勤してきたばかりで、「1日も早く子どもの名前と健康状態を知りたいので、私の方で書かせてもらいます」と言ってくださるのです。うわぁ助かるわ、と大喜びの声が上がりました。
 雨の日の体育の時間は、講堂の取り合いです。私の担任の4年生と5年生が同じ時間でした。体育の得意な中野先生は「よっしゃ、いっしょにマット運動やったろか」と2学年合同のグループを作り、指導を始めてくださいました。
 教え合い学習を取り入れ、子どもたちは1時間の中でみるみる内に技も向上し、汗ばんだ表情がとても満足そうでした。「先生、5年みたいにできるようになりたいわ」とあこがれる4年生です。
 若い先生が増えました。先輩たちも新たな学びをしなければ、教育が前へ進まない状況にあります。
 やらされる勉強ではなく自分たちで自主的な学びの場を作ろう、と超多忙な日々のなかで、時間を工面し勉強会も始めました。放課後の図書館に有志が集まって、ホンモノの学びを始めています。きっと教育を動かす力になっていくことでしょう。

■元気の輪を作る
 そして、今年転勤してこられた真っ白な歯が健康そのものの筒井先生。子どもが大好きで学級担任をぜひにと強く申し出られたのですが、学校の事情で教務主任をしていただいています。合間をみては運動場へ飛び出し、子どもたちとめいっぱい遊んでいます。
 学校にまた新しい風が吹き始めています。さっそく教職員の要になって、自分の仕事を全うし、日々苦労してくださっているのです。みんなが疲れているな、という空気を感じたら「飲み会やりましょか」とおもしろいチラシを作り、明日への元気を作る場も用意してくれるのです。
 不安やストレスや人間不信が増え、他人に向かって攻撃性を発するなど、人づきあいの困難な現代ですが、子どもたちに安心と生きる希望を届けられる学校でありたいです。
(とさ・いくこ 大阪市立加賀屋小学校教諭)

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女子大生ご一行の迫力に押されて・・・。

2007年07月11日 | 編集・営業ふらふら雑記

 一昨日は夕方から京橋の「山葵(わさび)」という立ち飲み風居酒屋へ行った。京阪電車のガード下右側を京都方面へ、商店街を抜け横断歩道を渡ってしばらくすると高架線路の壁面に音楽映像を映写している店がある。壁一面に焼酎、日本酒、泡盛などのビンが並べられ、食べ物もいろいろ工夫がされている。神戸女学院大学石川先生のゼミ生達が夏休みに入るので、その打ち上げに誘われたのだ。この店の女主人も石川ゼミの卒業生なのだ。予定の6時に着いたがまだ誰も来ていない。ボーっと待っているのも何か落ち着かないので、近辺散策で時間を潰し戻ってきたが、やはり来ていない。申し訳ないと思いながらも1人で先に始めていった時、遅れること約20分か、ようやく女子大生ご一行が到着。JRがまたしても人身事故で遅れたとのこと。総勢20人ぐらいか、実ににぎやかで圧倒的な迫力で店を占拠状態になる。まもなく石川先生の知り合いのMさんが到着したのでとりあえず乾杯、すぐにTさん、Uさん、京都からFさんらが合流した。Uさんと私以外は、昨年の石川ゼミ旅行・韓国「ナヌムの家」訪問ツアー参加者だ。それぞれに熱き志を胸に仕事に打ち込んでいる人たちなのである。
 ワイワイガヤガヤと盛り上がるなか、9月に予定している韓国ツアーのお誘いを強力に受ける。まだそのころの仕事の見通しが立たないので一旦断るが、始めは渋っていたFさんが強いプッシュに抗しきれずに折れて参加を表明し、今度は私の説得にかかってきた。何か仕事がらみでなければ参加しにくいと言うと、それならばこのゼミ生の本を出版すればいいではないか、と言う。
 実は石川ゼミではこの3年間、毎年ゼミ生達が自主的にゼミの集大成として1冊の本を作っている。もちろん書店に流通する本である。これらの本はただ単にゼミ学習の成果をまとめたというものではなく、石川ゼミに参加して学びながら一人の人間としてどう成長してきたか、ゼミ生同士がお互いに高めあいながら何をつかみ、共感しあってきたか、そしてこれから自分達はどう生きるのかを確認しあう意味でもとても大きな取り組みなのである。そしてここいいるパワーあふれる彼女達ご一行。お嬢様大学の学生というふうに世間では見られているのかもしれないが、なんと自ら積極的にこのゼミに参加してきた人たちなのだ。そこのところがすばらしいではないか。やはり今度も、まだはっきりしたことはわからないが本を出すことは決めているそうだ。ということでさっそく先生がゼミ生一同に諮問、衆議一致でウチで本を出すことが決まった。と同時私のに韓国ツアー参加も決まってしまったのだ。
 さて、9時前後だろうか、遠方の人もいるというので女子大生ご一行が解散。残念ながらきれいに誰も残らず帰っていった。急にさびしくなりながらも、残ったのはわれわれ50前後世代の6人、それにTさんのご子息。彼はこの近くのラーメン屋でバイトをしながらK大学に通っている。今夜は明日のレポート提出のために早く帰ると言ってすぐに引き上げていった。彼もツアーに参加する1人だ。
 夜も一段と更け、座は安部政権や社会保険庁批判、さらに残留孤児問題からルーツ問題などあちこちに飛びながら坩堝状態に入り、気がつくと11時を回っていた。やれやれである。
 
わしくはこちらを見るべし!!

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『新版 私の従軍中国戦線』村瀬守保写真集~今、この真実を知ってほしい!

2007年07月07日 | 好評発売中の本

 今日は盧溝橋事件70周年。中国への全面侵略戦争の発端となった事件が起こった日です。この事件を口実に日本軍は中国へ一気に侵攻を開始、国土と無数の人命を奪う暴虐の歴史に突き進んでいきました。
 この写真集には、巨大な狂気の渦に巻き込まれた日本軍兵士や中国民衆の姿が多数写しこまれています。侵略開始直後から2年半、中国各地を転戦しながら写した3000枚の中から厳選、南京事件2週間後の様子や従軍慰安婦や慰安所など貴重な写真の数々が、歴史の真実を証言します。

 
 『新版 私の従軍中国戦線』村瀬守保写真集
〈一兵士が写した戦場の記録〉

B5判 160ページ 定価2520円
(1987年初版発行、2005年新版発行)

●もくじ

 はじめに 
 第1部 入隊そして上海へ 天津 北京 盧溝橋 石家荘 大連
  ・富士山で演習 ・沿道の窮民たち ・「豪華」なる邸宅を宿舎に ・戦禍の天津市内 ・盲目の兄弟 ・揚柳鎮へ出動 ・〝天津に集結すべし〟 ・見えたぞ! 上海が

 第2部 上海から南京へ 上海 無鯣 南京
  ・死闘のあと ・南京にむかって ・南京制圧 ・大虐殺のうわさが ・駐屯地の生活 ・夜の車両衛兵 

 第3部 徐州作戦―麦と兵隊― 滁県 蚌埠 臨准関 蒙城
  ・蒋介石軍せん滅作戦 ・偵察機と通信筒 ・死臭の真っ只中で ・いきなり待ち伏せ攻撃 ・ようやく麦畑へ脱出 ・第一線の兵士たち

 第4部 漢口作戦―大別山脈を越えて― 寿県 六安 葉家集 漢口
  ・大洪水と農民たち ・筏を組んで脱出 ・悪路とのたたかい ・コレラ発生 ・果てしない持久戦 ・戦地のお正月 ・漢口の捕虜 ・軍直営の売春宿 ・慰安所規定 ・慰問団来る 
 
 第5部 遥か山西省へ―八路軍討伐― 青島 開封 新郷 清家鎮
  ・かごと一輪車 ・神出鬼没の八路軍 ・住民に物資の配給 ・野戦病院 
 
 第6部 ノモンハンそして帰還 ハイラル チチハル ハルビン
  ・ノモンハン事件 ・極寒のノモンハン ・開拓団特別訓練所 ・帰還直前の事件 

 第7部 追補編
 あとがき 

●参考ページ


写真作業中の著者

「私は、1937年(昭和12)の7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦し、さまざまな体験をしてまいりました。当時、私は戦争反対の意見を持っておりましたが、そのことを他人に洩らすことはできませんでした。中国ではカメラ2台を持参して、中隊全員の写真をとっていたので、中隊の非公式の写真班として認められ、約3000枚の写真を写すことができたのです。現地でシャッターを押す時、できるだけ平静な気持ちで、人間らしい態度を失わないよう心がけました。今、終戦後42年を迎えて、日本軍の残虐があばかれ、世論に問われています。この時、戦場の狂気に巻き込まれなかった、一兵卒が見た戦場の一場面を、国民の皆様に見ていただくことも、無駄ではないと思い、写真集を出版することにいたしました」(著者まえがき 1987年初版)


著者の所属した兵站自動車第17中隊第2小隊と転戦図


南京関係のページより①


南京関係のページより②


従軍慰安婦関係のページより


著者あとがき

ご注文・お問合わせ

 



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パーソナル編集長が7.0にバージョンアップしました。

2007年07月05日 | 行事のご案内&報告

パソコン新聞編集ソフトの「パーソナル編集長」が6.5から7.0へとバージョンアップしましたので、その主な特徴を紹介します。

■ 「イワタ新聞明朝体」を搭載
  新聞や一般誌などプロの現場で使用されている「イワタ社」の代表的なフォント「イワ タ新聞明朝体」を搭載!
  誰にでもかんたんに美しく見栄えのする新聞を作成することができ、より本格的な仕上がりを追求できます。 
 
■ スポーツ新聞風の「三重袋文字」機能を追加
   スポーツ新聞の見出しで使用される「三重袋文字」機能を追加! 色もフォントも自由に変えられます。
   インパクト抜群! 
 
■ PDF出力機能を搭載
   印刷業者に印刷を依頼するなどの本格制作向けに、PDF出力機能を搭載。印刷所への入稿がしやすくなりました。
   他にもインターネットでの表示やメール配信に適したWeb用、家庭用プリンタで印刷する方向けのプリント用など、目的に合わせたPDF出力ができます。 

■ 使いやすさパワーアップ! 
   お客様のご意見を反映した改良により、さらに使いやすくなりました。
   行ガイド設定 ・・・・ 行の両端または中央に一括してガイドを設定
   自動保存 ・・・・ Windowsエラー時に備え、作業状態を定期バックアップ
   ボタン操作 ・・・・ ボタンによる編集操作の拡張
   画像縮小保存 ・・・・ 任意の表示サイズで画像を縮小保存し、ファイルサイズを圧縮 

ただ今、特別価格にて販売中。くわしくはこちらへ。

さらにくわしく見たい方はこちらへ

『パソコン新聞編集入門』

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読者ハガキご紹介します~ありがとうございました。

2007年07月04日 | 読者はがきから

『子どもたちに表現のよろこびと生きる希望を』土佐いく子 著

■子どもにとって先生の一言は重大
 土佐先生のお話は初めて聞きました。ユーモアとほろっとさせる話、先生方(教師)がみんな、先生のような考え方をしていてくれればいいと思いました。この本も目に涙を浮かべながら読みました。私も小学校のころ、作文が大好きでしたが、6年生のとき、大好きな先生に「あなたの字は小さく書けるようになっただけで、1年生のときと同じやな」と言われ、それからは字を書くのがイヤになりました。先生の〝ひとこと〟って重大です。(女性・栃木県・学童保育指導員)

この本について見る

『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!』石川康宏 著

■まずは知ることからはじめよう
 地域の憲法9条の会に入会して、集会などで話を聴くたびに、もっと憲法を身近につかんで日常生活の中で憲法どおりの生活が送れるように、若い人にキッチリ送ってやりたい。〝まずは知ることから始め〟ながら行動しよう。(男性・尾道市・年金生活者)

この本について見る

『生活保護物語』浦田克己 著

■たいへん参考になった
 自分自身、生活保護を受けておりたいへん参考になりました。人権も尊厳もあったものではありません。10円、20円で本を買って読んでいても文句を言われたり、自転車に乗っていても怒られたことがあります。肉親から果物を送ってもらったら保護費から差し引かれたこともありました。青森生まれなのですが、田舎に帰れと言われたり、誰かが私の名前と生年月日を使用し、働いた収入を返せと言われたこともあります。自分で住民税課に文句を言って取り消しましたが、とにかくひどい。早く死にたいです毎日です。(男性・札幌市・無職)

この本について見る

 

 

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今、憲法どおりの日本をめざす歴史的チャンス~雑誌『前衛』8月号に書評

2007年07月03日 | 書評・紹介記事

●雑誌『前衛』8月号に『いまこそ、憲法どおりの日本をつくろう!』(石川康宏著)の書評がでました。

この本について見る

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関大で27年ぶりに憲法の講義を聴いた。

2007年07月02日 | 編集・営業ふらふら雑記

 先週土曜日、午後から関大千里山学舎で行われた憲法問題合同シンポジウム「改憲動向の多角的検討」(日本科学者会議近畿地区・民科法律関西支部・大阪歴史科学協議会共催)に出席した。①「改憲論者の歴史認識」(広川禎秀・大阪市大・歴史学)、②「日本国憲法と自然科学」(岡 勝仁・大阪府大・化学)、③「改憲動向において社会的権利はどのように扱われているか」(多田一路・立命館大・憲法学)の3つの報告が行われ、それぞれに対して会場から意見や質問が出された。参加者は約50人ぐらいいただろうか。違った分野の研究者がこのような形で合同シンポを開くのはめずらしく、改憲問題をさらに深めて理解する上で勉強になる集まりだった。関大で憲法の講義なんて、法学部時代の桜田誉教授の講義以来ではないか・・・。
 ところで、安倍政権は、今日の日本がほとんど自民党独裁政権やさらに安保条約、つまりは米国の支配を受けながら60年かけて今の憲法の下で作られてきたということについてはどのように考えているのか、あるいはどう評価しているのか、そこから脱しようとするとはどういうことなのか、またそこでの憲法の役割についてはどのように認識しているのか、など新たな疑問も湧いてきた。
 最後の質疑の中で、近現代史がなかなか学校の授業のなかで教えられず、若者の歴史認識が危機状況にあるという意見が出され、それに対して広川氏から、大学に限らず教育全体を覆う危機状況の中で、生き方の問題として歴史認識をおこなうことの大切さが語られた。ここで私は神戸女学院大石川ゼミの「慰安婦」問題に取り組む女子大生たちの姿を思い浮かべる。実は彼女らの姿こそ、まさに歴史を自分たちの生き方の問題として真正面から認識しつつある世代の姿だろうと思う。

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