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「戦争は勝者も敗者もない。犠牲になるのはいつも弱いもの」~「駅の子」の証言を聞く会に出席。

2015年11月18日 | 行事のご案内&報告

14日、京都の真宗仏光寺派大善院で行われた「駅の子」の証言を聞く会(せんそうこじぞうの会主催)に出席、新刊の『戦争孤児を知っていますか?』(本庄豊/著)の販売も行いました。会場には130人を超える人たちが参加、戦争孤児であった小倉勇さん(83歳)の体験に耳を傾けました。

小倉さんは敦賀で空襲にあい母親を亡くし、その後父親を失い、孤児として東京、長崎、大阪、京都などで暮らし、病気で盲目となり京都の一時保護施設「伏見寮」に入りました。その後、伏見寮から京都府立盲学校に通い、卒業後、按摩・マッサー師として働いてきました。以下、小倉さんのお話の一部を手元のメモ書きから再録、ご紹介します。

「孤児となって福井市で双葉学園に入れられた。私には仲の良かった2人の友がいた。その一人、Y君は、金の盗みがうまかった。100円、200円など盗み、武生などで3人で暮らしていた。鯖の盾焼きがとても美味かった。彼が私をちゃんと育ててくれた。彼のおかげで食べられた。私の恩人だ。生きているなら会いたい」

「その後、大阪駅に行った。広くてルンペンなどで多くの人がいた。盗みは尼崎や宝塚などで行った。三宮の闇市などが多かった。クジラ肉の入ったカレーはとても美味かった。大阪駅で寝て三宮に行き暮らしていた。寮の食事はまずかったのであちこちを放浪していた。稼ぎが多い時は、ぜんざい、カレー、肉まんなどたべた。それから東京へ行った」

「いつも電車に乗る時は、薩摩守忠則(さつまのかみただのり)をしていた。いくらでもタダノリできた。改札はボロボロだった。いまかんがえると大阪の生活が一番楽しかった。東京駅は居づらい場所だった。上野にも行った。下町。居心地が良かった。寒くなると大塚児童相談所に行き、ここも居心地良かった。あったかくなったら、東京駅だった」

「そのうち長崎に行けば銀シャリが食べられるという情報が入り、長崎の修道院に入った。でも銀シャリは食べられなかった。その後、横浜に行った。寿町で暮らしたがここにはあまり思い出がない」

「また大阪の太陽の家に入った。そのころ、目が見えなくなり、京都の寮に移った。でも京都にはあまり行くなと言われていた。空襲がなかったから。昭和23年に京都駅でパクられた。10月20日に伏見の第2寮に入れられた。そこでY君んと別れた。伏見寮児童相談所では出会ったのが、そこで調書を取ってくれたのがM先生だった。同じ出身地ということで気に留めてくれた。目が不自由ならばうろうろするなと言われた」

「寮のある先生が私を呼んで、目が悪いけど頭はいいなあと言われた。その先生はお化けの話がうまくて、お化けの先生と言われていた。また白いあごひげをした先生がいた。お坊さんのようだった。その先生は私を呼び捨てにしなかった。君付けで呼んでくれた。その先生がいたから寮を逃げ出さなかった。その先生がいなかったら今の私はなかったかもしれない」

「私は戦争孤児であったことを妻にも話してこなかった。でも今、話さないといけないと思った。NHKの関西熱視線という番組で戦争孤児のことを調べている本庄先生を知り連絡をとった。孤児はあまり過去を語りたくない。思い出すと情けなくていい思い出はないから。私は今は幸せです。妻の介護をしているが、それでもまだ患者さんが来てくれ仕事がある。それが生き甲斐のようなもの。今年の5月頃から、安保法制のことがあって、ああいう採決はおかしい。戦争は勝者も敗者もない。犠牲になるのはいつも弱いもの。人間を狂わせるもの。今は幸せだからこそそう思う。若い方にお願いしたい。戦争だけは反対していただきたい。それが私の願いです」

 

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1 コメント

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Unknown (匿名)
2018-01-17 12:54:45
残念だけど、未だに戦争は世界のどこかで
起きている。シリアでは、子供がたくさん死んでいるのが現実です。そして隣国北朝鮮では、金政権下で、コチョビなどの孤児がたくさんいますし、成人過ぎても身寄りがいない子供もたくさんいるようです。
 イスラム国では、処刑を見つけられたり、戦闘員教育を洗脳されたりと、人間とはなんのための、どういう存在意義なのかがわからなくなります。
 戦争経験者は、「戦争は絶対にダメ。」といったところで、世界のどこかでいつも戦争です。そして、もしかすると、また大きな戦争が起こる可能性がある世の中へ来ているのです。人間から戦争を取り上げる事は不可能なのでしょうか?
  
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