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映画『母べえ』を観た。

2008年02月12日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 映画『母べえ』を梅田ブルグへ観に行った。満席状態の前から2列目という最悪の座席であったが、不思議なもので、慣れてくれば観えるものです。
 上映開始後間もなく涙、涙の連続であった。先週50歳になったからというわけでもないが、困ったものである。もちろんそこは山田映画、笑いのシーンも忘れない。


 「戦争反対」という確信とそれに寄せる強い信頼があるからこそ、このような家族像がありえたのだと思う。しかしそれはとても厳しくて辛い、非国民、国賊と呼ばれる社会の流れに逆らう生き方だった。天皇や政府や軍人の言うことに唯々諾々としたがって、紀元2600年を、米英との戦争開始を、戦場に送り出される若い命を万歳、万歳といって祝う普通の家庭には『母べえ』は決して存在しえなかっただろう。
 学校で御真影に向かって合唱したり、隣組の会合を始める前にいつもは皇居のある方向に遥拝をするのだが、たまたま天皇が葉山にいるということであっちの方向にした方がいいのではないかと悩んだりするシーン、さらに街角に和服姿の婦人たちが立って「贅沢は敵だ」「パーマは禁止」「おしゃれは禁止」というような呼びかけをするシーンなどがある。ずいぶんと滑稽な事柄や考えが常識とされていたものだと思うが、それを「炭屋のおじさん」のような普通の人が支えていたのである。あの時代から60余年が過ぎた。しかし現代にも「炭屋のおじさん」のような人はたくさんいる。そういう人たちが日本の政府の中心にいる。私たちは学んできたのだろうか。賢くなったのだろうか。


 戦争は終わった。しかし「父べえ」を殺したことの責任は誰も取っていない。6万人以上の人が違反すれば最高刑死刑という治安維持法違反で検挙され、多くの人が暴行や拷問、病気で獄中死していった。それを追及する声はあるが、戦後一貫してこの国の政府は正面からその声を受け止めようとはしていない。そうして問われないままにきたことが「母べえ」の戦後の苦しみとなってきたのではなかったか。

 

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