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心の色を探して

自分探しの日々 つまづいたり、奮起したり。
マウス画・絵及び文章の著作権は このブログ作者(けい)にあります。

今年も

2012年12月14日 | ほんのすこし
毎年 冬になると楽しみにしているものがあります。
市立病院前から看護大学前まで続くケヤキ並木に電飾がつけられるシャイニングストリート。
今年は 昨年にも増して とても綺麗な気がします。太い幹の結構下の部分にまで電飾がついているので まるで灯りのトンネルの中を運転している気分になります。

わたしの車は天井がガラスにできるので 暗くなったらガラスの状態で運転します。すると 並木通りを運転していくと目の前の両側に灯り。天井のガラスにも灯り といった感じで 本当に綺麗なのです。
先日も母と伯母を乗せて 見せてきました。後ろの座席に母が乗ったのですが、「後ろの方がすごく綺麗に見えるよ。前だと上を向かなくちゃならないけど 後ろはそのまま見えてくるから 豪華だよぉ~」と 喜んでいました。

この並木通りの電飾は将来的には大館駅まで続けたいという構想のようですが、今より長く続くことを想像しただけでなんだかロマンチックになります。素敵な企画 もう6年ぐらいも続いているのでしょうか。最初の年から比べると 格段に電飾の取り付け方がうまくなっているなあと感心しています。取りつけてくださった方々に感謝 感謝です。

午後4時半から午前1時まで灯りはついているとか。
夜遅くだったら ほとんど車も通らないはずなので 灯りを一人占めできるかもしれないなぁ。
夕べはマイナスだったけど、灯りがあるだけで なんだか気持あたたかい気がする。

伯母は色がいろいろあったほうがいいんじゃないの?と話していましたが、わたしはこの1色だけのほうが大館らしい気がしています。シンプル イズ ベスト♪
暖かい黄色の灯りのトンネルをくぐりぬけて家路に帰る・・・寒い冬もへっちゃらさー ってね♪

チビ おかえり

2012年12月11日 | ほんのすこし
7日は 母の診察付き添いをした日だ。
夕方 いつもの温泉に行ってきた。そしていつものように 温泉の湯殿の縁に腰掛けて汗を流していた。
外のベンチに出ることができるドアの近くに陣取って 珍しく数名しかいないその時間をゆっくり味わっていた。

体をちょっと動かしたときに・・・ん?
わたし めまいしている?っと一瞬思った。
でも 次の瞬間 体が揺れているのに気が付いた。

これって これって地震じゃないの?

脱衣所の近くにあるサウナから出てきた人たちが「地震だよ!」と話していた。
でも 数名いるなかで 地震に気が付いていなかった人もいた。体感の違いがあるのか いる場所のせいなのかはわからない。結構揺れが大きかった気がする。なんとなく気になって早めに切り上げて 戻った。

母に「地震があったよね。テレビでずっと地震のこと放送しているよ」と言ったら、母は全然気が付いていなかった。う~ん 揺れなかったのかなぁ・・・

そんなことがあって数日過ぎた昨日のこと。
わたしが母のところから車で出ようとしたら ご近所さんが車で寄ってきて窓を開けた。
「ちょっとぉ○子さん、お母さんに話に行こうと思っていたけど。寝ていると悪いから 言わないでいたのよ。」と。何事かと聞いてみたら。
ご近所さんが可愛がっていた猫のチビちゃん。真っ白で両目の色が緑と青の猫だ。その猫がいなくなったとご近所さんが母に「お宅に行ってないか?」と電話してきたのが12月の1日。
「もう三日も帰ってこないから、死んでるかもしれない・・・」と泣き声で話していたそうだ。
わたしは チビがいなくなる前の日の夕方、いつもの場所(母の玄関先のコンクリートがお気に入り)にチビが上がるのを見て、「チビ、お前 寒くないの?家に入らなくていいのかぁ?」と声をかけて帰ったばかりなのだ。母から話を聞いて なんだかあれがチビとのお別れだったのかと思うと、帰ってからも気になってしょうがなかった。

次の日 母のところに行ったときももしかして 車庫に紛れ込んで出れなくなっているんじゃないの?と探してみたり。裏庭を見たり。母のところからの戻り路、両脇に佇んでいないかとキョロキョロしたり。
その後 ご近所さんから何も話がないので、ふたりで「チビは きっと死んじゃったんだね・・・」とがっかりしていたのだ。

そのチビが あの地震のあった日 地震が起きる20分ぐらい前に帰ってきたというのだ。家の周りでうるさいくらいに鳴くので見たら チビがいて、家に入った途端 家中をあちこち走りまわったそうな。
その後 まもなくあの地震が起きたという。
ご近所さん「きっとチビは地震があるって知らせにきてくれたんだよ。毛並みも白くて綺麗なままだし、食べ物もすぐ食べようとしなかったから どっか別のところで1週間も飼われていたんだよ。チビが話できたらなぁ。お前 今までどこに行ってたんだ?って聞けるんだけどねぇ~」と嬉しそうに言っていた。

それにしても チビよ。お前 どこでだれに可愛がられていたんだい?
母が言った。
「人間だと後をつけて どこの家だかわかるけどねぇ。猫じゃあねぇ・・・」
無事に帰ったチビ。今度はどこにも行かないでくれよ。


少し落ち着きました

2012年12月07日 | ほんのすこし
シチューの準備をしていたら、居間で母が声高く笑っていた。テレビをつけていなかったので 変だなと思ってドアを開けた。
母が手帳を見ながら 笑ってる。
どうしたの?
これこれ ここ。と指差す。
そこには 11月18日 母の誕生日にわたしが母の病歴を書いていた部分があった。
「○月○日 手術のため入院 
 ○月○日 無事 退院
 ○月○日 とうとう80歳になりました」
たしか 前にそう書いたところの下の部分に 新たに言葉が書かれていた。

どれどれ・・・「これからさきを楽しみに生きていこう。お迎えはまだまだね」
ん?
母が指差すところを見たら
「これからさきを 薬しみに・・・」と書いてあった。
楽しみにと書くつもりが ついつい薬という文字になっていた。毎日薬のお世話になっている母。書くときもなんとも思わず書いていたのだろう。
ふたりで大笑い。薬も楽しみもいっしょくたになった人生もまた いいんじゃないの(笑)
こんなに長生きできるなんて思わなかったという母。そんなこと言わずにいっぱい長生きしてよね。

わたしがここ10日あまり急な仕事でなかなか顔を見せることができない日もあった。
お前が来ない日は一日が長くてねぇ~。だから 今度から合間に勉強することにしたよと、ニコニコしながら話す母。TSUTAYAで先日買ってきた小学校で習う漢字の本。書き順を勉強したりできる本なのだが、それを開きながら書く練習をするのだそうだ。テレビばかり見ていたってだめだからねと。

80歳でも勉強はできる。ましてや わたしはまだまだできるはずだ。始めようとして頓挫してるものもある。母を見て 発奮しなくてはと 反省しきり。

そうそう、今日 母の診察付き添い。
そこで インフルエンザのことを聞いた時に お医者さんが「もう受け付けは終わりましたよ。他の所に行ってやってもらってください。」と言ったので、つい わたし「はい、じゃぁ他の店に行ってみますね」と答えてしまった。
言ってから間違いに気づき 看護師さんと母とわたし つい笑ってしまった。お医者さんは苦笑い。すみません・・・
母が「わたしといると 影響されちゃって・・・」と言い訳を言っていた。
やはり母とわたしは親子なんだってこと?こんないい間違い しょっちゅうだもんね。

みなさん インフルエンザワクチンはお店では売ってませんからあ~。