なんというか、嵐の大野くんに憧れていた時期は、この24時間テレビを見たりとか、ドラマを見たりとかしていたけど、ずっと見ているといった感じではなかったのです。
で、近年その大野君への思いもなんだか薄れていて、というかテレビの画面の向こうで活躍する方への思いがどこか薄れてしまっているといったわたしなのでした。
だから、今回の24時間テレビも嵐が司会をしないということとは別に、どこか醒めた感じでいて、見ることはないだろうなと。
寄付についていえば、毎月とか自分ではしているし・・・なんて思ったり。
でも、今日母の所に行って、母が昨日からずっと見ていたというテレビの内容を話してくれて、今日やろうと思っていたことをそっちのけにして二人でテレビを見ていました。
母が時折解説をしてくれます。昨日はこういう人が出ていたんだよ、と。
それを聞きながら目の前の別の方のことを見ていました。
夕方、夕食の準備をしながら要所要所で居間と台所の間に立ち、こんなに24時間テレビを真剣に見たことなかったなあと思ったのでした。
この番組を企画し、準備するまでに一体どのくらいの人たちが携わってきたのだろうかと考えると身震いします。
毎年のことなので、考える方もマンネリから抜け出さないといけないのでしょう。
ハンディを持った方とか、探して記録しておくのもまた大変だろうなと。
ローカルでは、我が町の近くの方が出ていました。母がその方の両手の指を失ってしまった様子を見て
「それでもこんなに頑張っているんだな。自分はまだましなんだな」と言っていたのがとても印象的でした。
世の中には自分よりもっと辛い経験をしている人がいる、でもその現状を受け入れて前に進もうとしている姿に感動するのだと。
亡くなった父は母とは逆にこういった番組を見ることを嫌っていたようです。あまりにも可哀想だと思うからなのだと母が話していたことがあります。
母は父とは違って、そういう人がめげずに頑張っている姿を見ることで、自分も頑張ろうと思えるのだそうです。
それを聞いて、わたしは父と似ているのかもしれないなと思ったのでした。
でも今回は母と結構長く見ていました。食事の支度をするのも忘れて。
頭に描いていた庭の草取りも全然実行せずに(笑)
かろうじてお風呂掃除だけは済ませました。
数日前に仕込んでおいた鶏もも肉の塩麹漬けともらい物の野菜の蒸し焼き、それがあれば大丈夫だし。
テレビの音を聞きながら、その二つを支度しました。
支度しながらテレビをチラチラ。
母の解説を耳に入れ、母の声が高くなると急いでテレビの前へ。
そんな感じで6時頃まで。帰りがけ、玄関に見送りに来た母が
「今日はもう目がちろちろして...」と。
そりゃそうでしょ。昨夜からずっと見ていたんだから。かろうじて夜中は眠っていたらしい。
わたしは母の解説がなければ見る気にもならなかったんだけどね。
今は最後まで見届けようかなと思っているわたしです。ブルゾンちえみさん、無事に到着出来ますように。
それにしてもヒロミの駅舎リフォームは凄かったな。
林修先生がいった先のチョークを作る会社もまた凄かった。
社員の7割が知的障がい者だということ、最初の雇い入れの逸話から現在に至るまでのこと、社長が住職さんから言われたこと、人の役に立つことができる喜びが大切だということ、それを思いだし障がい者のかたを雇い入れ続けようとしたこと、施設に入れるだけが一番じゃなくて、自分の作業が一つに物を作る過程に必要だと思えるような状態に会社が出来る事をしていく、それが大事なんだなと強く思いました。
今回は天気も影響したのか、ことごとく上手くいって、どこか安心感が。
今年は最後まで見届けようと思っています♪
で、近年その大野君への思いもなんだか薄れていて、というかテレビの画面の向こうで活躍する方への思いがどこか薄れてしまっているといったわたしなのでした。
だから、今回の24時間テレビも嵐が司会をしないということとは別に、どこか醒めた感じでいて、見ることはないだろうなと。
寄付についていえば、毎月とか自分ではしているし・・・なんて思ったり。
でも、今日母の所に行って、母が昨日からずっと見ていたというテレビの内容を話してくれて、今日やろうと思っていたことをそっちのけにして二人でテレビを見ていました。
母が時折解説をしてくれます。昨日はこういう人が出ていたんだよ、と。
それを聞きながら目の前の別の方のことを見ていました。
夕方、夕食の準備をしながら要所要所で居間と台所の間に立ち、こんなに24時間テレビを真剣に見たことなかったなあと思ったのでした。
この番組を企画し、準備するまでに一体どのくらいの人たちが携わってきたのだろうかと考えると身震いします。
毎年のことなので、考える方もマンネリから抜け出さないといけないのでしょう。
ハンディを持った方とか、探して記録しておくのもまた大変だろうなと。
ローカルでは、我が町の近くの方が出ていました。母がその方の両手の指を失ってしまった様子を見て
「それでもこんなに頑張っているんだな。自分はまだましなんだな」と言っていたのがとても印象的でした。
世の中には自分よりもっと辛い経験をしている人がいる、でもその現状を受け入れて前に進もうとしている姿に感動するのだと。
亡くなった父は母とは逆にこういった番組を見ることを嫌っていたようです。あまりにも可哀想だと思うからなのだと母が話していたことがあります。
母は父とは違って、そういう人がめげずに頑張っている姿を見ることで、自分も頑張ろうと思えるのだそうです。
それを聞いて、わたしは父と似ているのかもしれないなと思ったのでした。
でも今回は母と結構長く見ていました。食事の支度をするのも忘れて。
頭に描いていた庭の草取りも全然実行せずに(笑)
かろうじてお風呂掃除だけは済ませました。
数日前に仕込んでおいた鶏もも肉の塩麹漬けともらい物の野菜の蒸し焼き、それがあれば大丈夫だし。
テレビの音を聞きながら、その二つを支度しました。
支度しながらテレビをチラチラ。
母の解説を耳に入れ、母の声が高くなると急いでテレビの前へ。
そんな感じで6時頃まで。帰りがけ、玄関に見送りに来た母が
「今日はもう目がちろちろして...」と。
そりゃそうでしょ。昨夜からずっと見ていたんだから。かろうじて夜中は眠っていたらしい。
わたしは母の解説がなければ見る気にもならなかったんだけどね。
今は最後まで見届けようかなと思っているわたしです。ブルゾンちえみさん、無事に到着出来ますように。
それにしてもヒロミの駅舎リフォームは凄かったな。
林修先生がいった先のチョークを作る会社もまた凄かった。
社員の7割が知的障がい者だということ、最初の雇い入れの逸話から現在に至るまでのこと、社長が住職さんから言われたこと、人の役に立つことができる喜びが大切だということ、それを思いだし障がい者のかたを雇い入れ続けようとしたこと、施設に入れるだけが一番じゃなくて、自分の作業が一つに物を作る過程に必要だと思えるような状態に会社が出来る事をしていく、それが大事なんだなと強く思いました。
今回は天気も影響したのか、ことごとく上手くいって、どこか安心感が。
今年は最後まで見届けようと思っています♪