昨日 本当に久々に夕日を見ました。ずっと雨続きでしたので 南の窓の右側がほんのり赤みがかっていたのを見つけたときには 慌てて 北側の部屋に行き窓を開けました。東の空にあと少しで沈んでいこうとしているお日様を見つけて パチリ。
空にまっすぐ光が四方にのびていて 光があるっていいなぁと。
そう思ったのもつかの間 今朝からずっと雨。今年の台風はほんとにしつこい。南の地方では想像もつかない雨量に困っている。昨年の豪雨を雨が降るたびに思いだします。今 現在 大変な状態の方たちが早く辛い状況から抜け出せることを祈っています。
※※※
夕日といえば 海に沈む夕日。
盆地に暮らしているので 海を見ることはありませんが、日本海にはもっと若かった頃に何度か行っています。リアス式海岸なので 岩場が多く 憧れの砂浜ではありませんでした。砂浜といえば学生の頃 当時住んでいた街の隣の駅まで それも季節外れに電車に乗って出かけたことを思いだします。
白い波が少し荒れていて 空は青というよりグレーがかっていて、初秋にふさわしいなと思ったものです。砂浜を歩きながら ときどき見つけた貝殻を拾い、友人たちと他愛ない話をして過ごした それが唯一 砂浜のシーンです。
海の夕日を見たのは リアス式海岸でした。岩場のゴツゴツした黒さが横にぎくしゃくと伸びて その上で一人の青年が佇んでいて まっすぐに遠くで伸びている水平線にはオレンジ色が惜しむように空全体にグラデーションを残している。あの青年は沈む夕日を見ながら何を思っていたのだろうか。その青年のずっと手前で帰り支度を始めていたわたしたちは あまりの美しい夕日と海にしばし その手を動かすのを忘れて見入っていました。
目の前で繰り広げられるわたしにとって非日常の光景は これが現実なのかと問いたい そんな気持ちでいっぱいでした。
帰りの車中は 何も言えず 満ち足りた気分が空間を染めていました。
海の夕日って・・・言葉が出てきません。海で見る夕日は なんだか切なくて 自分がとっても小さく見えて 街の中で見る夕日とは全然気持ちが違っていて・・・
きっと 見慣れないから忘れられないのだろうなと思います。ふだん見慣れているものなら こんなに思いださないでしょう。海に沈む夕日を見たときの 美しいと思った気持ち。今は海までドライブすることもなく 記憶の中の夕日を探るだけですが、それでも街中で夕日を見つけたときは そのときのあの美しい光景が頭の中にふと浮かんできます。
次に思いだすのは ある旅行で新潟の日本海海岸線を南に下って行ったときの夕日。
ずっとずっと海岸線沿いに 夕日を見ることができて こんなところに住んでいる人はこの夕日をいつも見ることができるのだなぁと思ったものです。途中で見つけた民宿の魚介の美味しかったこと!
初めてのことばかりでした。
あのときのわたしは幸せだったなあ。
でも 人間はこういう思い出も忘れてしまえるんですね。
わたしがそうです。ここで 夕日のことを書いているうちに思いだしたんですから。普段はさっぱり頭に浮かんでこなかったことです。楽しかったこともあったんだなぁ。
あの頃の気持ち 少しずつ消えていって 今があるのですね。
人のココロは変わります。歩む相手のココロが自分と同じように変化するとは限りません。ただその変化に目をつぶったまま生きるか 自分を変えようとするのか その違いが次の日々に表れてくるのでしょうね。
わたしは人と衝突することを恐れて生きてきました。逃げてきたといった方がいいでしょう。相手を傷つけたくないというより 自分が傷つくのを恐れていたのです。今になって どうしようもない奴だと思います。過去に戻れるなら あっちこっちでごめんなさいを言って歩かなくては!謝りたい 自分のアホさ加減に謝りたい そんな人たちが過去の道に立っています。これから先の人生で出会うことはほとんどない人たちです。いつか出会うことができたら 許してくれるかしら・・・
※※※
夕陽に向かって走れ!青春ドラマの定番みたいな言葉だなと思って何気なく検索してみたら、あるんですねぇ。
1969年 ロバート・レッドフォードが出ている映画でした。
評価はそんなに高くないようでしたが。
『夕陽に向かって走れ』
空にまっすぐ光が四方にのびていて 光があるっていいなぁと。
そう思ったのもつかの間 今朝からずっと雨。今年の台風はほんとにしつこい。南の地方では想像もつかない雨量に困っている。昨年の豪雨を雨が降るたびに思いだします。今 現在 大変な状態の方たちが早く辛い状況から抜け出せることを祈っています。
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夕日といえば 海に沈む夕日。
盆地に暮らしているので 海を見ることはありませんが、日本海にはもっと若かった頃に何度か行っています。リアス式海岸なので 岩場が多く 憧れの砂浜ではありませんでした。砂浜といえば学生の頃 当時住んでいた街の隣の駅まで それも季節外れに電車に乗って出かけたことを思いだします。
白い波が少し荒れていて 空は青というよりグレーがかっていて、初秋にふさわしいなと思ったものです。砂浜を歩きながら ときどき見つけた貝殻を拾い、友人たちと他愛ない話をして過ごした それが唯一 砂浜のシーンです。
海の夕日を見たのは リアス式海岸でした。岩場のゴツゴツした黒さが横にぎくしゃくと伸びて その上で一人の青年が佇んでいて まっすぐに遠くで伸びている水平線にはオレンジ色が惜しむように空全体にグラデーションを残している。あの青年は沈む夕日を見ながら何を思っていたのだろうか。その青年のずっと手前で帰り支度を始めていたわたしたちは あまりの美しい夕日と海にしばし その手を動かすのを忘れて見入っていました。
目の前で繰り広げられるわたしにとって非日常の光景は これが現実なのかと問いたい そんな気持ちでいっぱいでした。
帰りの車中は 何も言えず 満ち足りた気分が空間を染めていました。
海の夕日って・・・言葉が出てきません。海で見る夕日は なんだか切なくて 自分がとっても小さく見えて 街の中で見る夕日とは全然気持ちが違っていて・・・
きっと 見慣れないから忘れられないのだろうなと思います。ふだん見慣れているものなら こんなに思いださないでしょう。海に沈む夕日を見たときの 美しいと思った気持ち。今は海までドライブすることもなく 記憶の中の夕日を探るだけですが、それでも街中で夕日を見つけたときは そのときのあの美しい光景が頭の中にふと浮かんできます。
次に思いだすのは ある旅行で新潟の日本海海岸線を南に下って行ったときの夕日。
ずっとずっと海岸線沿いに 夕日を見ることができて こんなところに住んでいる人はこの夕日をいつも見ることができるのだなぁと思ったものです。途中で見つけた民宿の魚介の美味しかったこと!
初めてのことばかりでした。
あのときのわたしは幸せだったなあ。
でも 人間はこういう思い出も忘れてしまえるんですね。
わたしがそうです。ここで 夕日のことを書いているうちに思いだしたんですから。普段はさっぱり頭に浮かんでこなかったことです。楽しかったこともあったんだなぁ。
あの頃の気持ち 少しずつ消えていって 今があるのですね。
人のココロは変わります。歩む相手のココロが自分と同じように変化するとは限りません。ただその変化に目をつぶったまま生きるか 自分を変えようとするのか その違いが次の日々に表れてくるのでしょうね。
わたしは人と衝突することを恐れて生きてきました。逃げてきたといった方がいいでしょう。相手を傷つけたくないというより 自分が傷つくのを恐れていたのです。今になって どうしようもない奴だと思います。過去に戻れるなら あっちこっちでごめんなさいを言って歩かなくては!謝りたい 自分のアホさ加減に謝りたい そんな人たちが過去の道に立っています。これから先の人生で出会うことはほとんどない人たちです。いつか出会うことができたら 許してくれるかしら・・・
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夕陽に向かって走れ!青春ドラマの定番みたいな言葉だなと思って何気なく検索してみたら、あるんですねぇ。
1969年 ロバート・レッドフォードが出ている映画でした。
評価はそんなに高くないようでしたが。
『夕陽に向かって走れ』