最近 午前中に新聞を読む。一番多いのが 朝目覚めて インスタントコーヒーの香りをかぎながらというパターンだ。それでも時間を逃すと 第一面の「天声人語」だけは切り抜きを忘れない。二三日溜めこんだ新聞を読むことも多かったが、ここに来て 毎日読むことが続いている。
今日は日曜日。わたしが好きなのは土曜の新聞だ。土曜は「be」が入っている。それを開くのが楽しみで、どんな方がフロントランナーに紹介されているのか どんな歌の背景が書かれているのかなど 興味深いものが多いからだ。(今は「うたの旅人」ではなく 「映画の旅人」に変わっている)ひそかに楽しみなのがパズルの「漢字ナンクロ」。自分がいかに漢字から離れているかを痛感させてくれる。母のところで顔をしかめて夢中になってやっていると かたわらで母がとりとめない話をする。それを右から左に聞き流し、固くなった頭を抱え うんうんうなる。「できないよぉ~」
母が笑う。
そんな土曜の新聞だったが、今度は日曜も好きになった。三月まで天声人語の執筆者であった冨永格さんが退いて特別編集委員としてパリ在住となった。気に入っていただけに残念で仕方なかったが、「日曜に想う」というコラムでお目にかかることができた。
風格のある文章に惚れ惚れする。わかりやすくどこか詩的なものを感じてしまう。内容は深刻なものであっても(今日は欧州連合について)最後には 人間を諦めない部分が見え隠れし、そこに一抹の光を感じる。これは先日読んだ『君はいい子』中脇初枝著 の読中における辛さが読後に少し緩和される感じを思い出す。最後の最後まで人間を諦めない部分があるというだけで 前に進んでいける。政治の世界でも経済の世界でも そして地球に生きるものとして 日々の暮らしの中でふと考え始めるとき そこに自分がいることの意味を探り当てようとして 何かアンテナを張っている自分がいる。そういった瞬間に新聞を読むことは いつも以上に記事がアンテナに引っかかる気がする。
今日は そのアンテナがピピピと鳴った。

「ザ・コラム」私たちは信頼できる大人か 大久保真紀さんが書く。ひとりの少女との出会い。その少女がどんな大人になっていったか 大人を信頼できずにいた彼女が 信頼できる大人と出会って変わっていく。そういう信頼できる大人でありたいが、わたしの中にはとことん付き合っていけるだけの自信がないことに気付かされる。

読んでみたいなと思った。この岡康道さんの本。CM製作者という未知の職業のエッセー。説明を読んでいるとあることに気が付いた。2010年の新聞広告(全紙)を気に入って そのまま棚を隠すために飾っているものがある。ちょうど新聞全紙の大きさが棚を覆う状態なのだ。それが大きなタグボートのイラストだった。そのタグボートという会社を設立した方だと今初めて知ったのだ。なんとなく親近感を覚える(笑)全紙をそこに飾ってからすでに三年は経ったが、新聞紙というのは強いものだと感嘆する。少しも破れず 棚の前を覆ってくれている。かなりインパクトのあるイラストCMだ。
楽しみにしている欄は他にもある。「声」欄だ。今日は「議員の靖国参拝 誰のために」という投稿文にはっとした。ほんの数日前に母が話していた疑問と同じだったからだ。森本さんという70歳の方の投稿。父親はミャンマーのインパール作戦で戦死しているという。母親は97歳で亡くなったが、70年以上ひとりで自分たち兄弟を育ててくれたという。そういう母親のような夫や肉親を亡くした人が個人的に参拝することに異存はないが、集団で国会議員が参拝するのは何のため?と疑問を投げかけていた。愚かな戦争を反省し 近隣諸国と友好を図ることこそが政治家の務めではないかと締めくくっていた。
戦死者が身近にいなかった母でさえ 同じような疑問を抱いている。つい 参拝することで議員にどんな見返りがあるのかと考えてみたくなる。

最後は 福島大熊中の卒業式でサプライズミニライブがあったことの紹介。シンガー・ソング・ライターのAIさんの歌「story」の一節・・・1人じゃないから キミが私を守るから・・・という言葉に惹かれ、生徒会長の池田さんがAIさんに手紙を出した。その手紙は便せん5枚にも及んだ。震災で114人もいた仲間が49人に減っている。この大熊中のことを記憶にとどめておきたい、明るさをこの学校に取り戻したい、その痛切な思いが手紙から伝わったAIさんは決心する。池田さんの手紙を読み終えたときのことをAIさんはこう語っている。
「手紙で池田君は弱音を吐いてないし、誰のせいにもしていなかった。それがいいよね。そんな手紙を読んだら、背中を押してあげたくなるじゃない」
言葉の力ってすごい。
今日の新聞は 濃いなぁ。わたしの中に言葉が沁みていく。いい日曜日だと思う。
そんな今日4月28日。なんだか出足好調!
あぁ そうだ。冨永さん 誰かに感じが似ているなぁって思ってみていた。ヘミングウェイだ。ひげの感じがね。ヘミングウェイが微笑んだら こんな感じになるんじゃないかって♪
今日は日曜日。わたしが好きなのは土曜の新聞だ。土曜は「be」が入っている。それを開くのが楽しみで、どんな方がフロントランナーに紹介されているのか どんな歌の背景が書かれているのかなど 興味深いものが多いからだ。(今は「うたの旅人」ではなく 「映画の旅人」に変わっている)ひそかに楽しみなのがパズルの「漢字ナンクロ」。自分がいかに漢字から離れているかを痛感させてくれる。母のところで顔をしかめて夢中になってやっていると かたわらで母がとりとめない話をする。それを右から左に聞き流し、固くなった頭を抱え うんうんうなる。「できないよぉ~」
母が笑う。
そんな土曜の新聞だったが、今度は日曜も好きになった。三月まで天声人語の執筆者であった冨永格さんが退いて特別編集委員としてパリ在住となった。気に入っていただけに残念で仕方なかったが、「日曜に想う」というコラムでお目にかかることができた。
風格のある文章に惚れ惚れする。わかりやすくどこか詩的なものを感じてしまう。内容は深刻なものであっても(今日は欧州連合について)最後には 人間を諦めない部分が見え隠れし、そこに一抹の光を感じる。これは先日読んだ『君はいい子』中脇初枝著 の読中における辛さが読後に少し緩和される感じを思い出す。最後の最後まで人間を諦めない部分があるというだけで 前に進んでいける。政治の世界でも経済の世界でも そして地球に生きるものとして 日々の暮らしの中でふと考え始めるとき そこに自分がいることの意味を探り当てようとして 何かアンテナを張っている自分がいる。そういった瞬間に新聞を読むことは いつも以上に記事がアンテナに引っかかる気がする。
今日は そのアンテナがピピピと鳴った。

「ザ・コラム」私たちは信頼できる大人か 大久保真紀さんが書く。ひとりの少女との出会い。その少女がどんな大人になっていったか 大人を信頼できずにいた彼女が 信頼できる大人と出会って変わっていく。そういう信頼できる大人でありたいが、わたしの中にはとことん付き合っていけるだけの自信がないことに気付かされる。

読んでみたいなと思った。この岡康道さんの本。CM製作者という未知の職業のエッセー。説明を読んでいるとあることに気が付いた。2010年の新聞広告(全紙)を気に入って そのまま棚を隠すために飾っているものがある。ちょうど新聞全紙の大きさが棚を覆う状態なのだ。それが大きなタグボートのイラストだった。そのタグボートという会社を設立した方だと今初めて知ったのだ。なんとなく親近感を覚える(笑)全紙をそこに飾ってからすでに三年は経ったが、新聞紙というのは強いものだと感嘆する。少しも破れず 棚の前を覆ってくれている。かなりインパクトのあるイラストCMだ。
楽しみにしている欄は他にもある。「声」欄だ。今日は「議員の靖国参拝 誰のために」という投稿文にはっとした。ほんの数日前に母が話していた疑問と同じだったからだ。森本さんという70歳の方の投稿。父親はミャンマーのインパール作戦で戦死しているという。母親は97歳で亡くなったが、70年以上ひとりで自分たち兄弟を育ててくれたという。そういう母親のような夫や肉親を亡くした人が個人的に参拝することに異存はないが、集団で国会議員が参拝するのは何のため?と疑問を投げかけていた。愚かな戦争を反省し 近隣諸国と友好を図ることこそが政治家の務めではないかと締めくくっていた。
戦死者が身近にいなかった母でさえ 同じような疑問を抱いている。つい 参拝することで議員にどんな見返りがあるのかと考えてみたくなる。

最後は 福島大熊中の卒業式でサプライズミニライブがあったことの紹介。シンガー・ソング・ライターのAIさんの歌「story」の一節・・・1人じゃないから キミが私を守るから・・・という言葉に惹かれ、生徒会長の池田さんがAIさんに手紙を出した。その手紙は便せん5枚にも及んだ。震災で114人もいた仲間が49人に減っている。この大熊中のことを記憶にとどめておきたい、明るさをこの学校に取り戻したい、その痛切な思いが手紙から伝わったAIさんは決心する。池田さんの手紙を読み終えたときのことをAIさんはこう語っている。
「手紙で池田君は弱音を吐いてないし、誰のせいにもしていなかった。それがいいよね。そんな手紙を読んだら、背中を押してあげたくなるじゃない」
言葉の力ってすごい。
今日の新聞は 濃いなぁ。わたしの中に言葉が沁みていく。いい日曜日だと思う。
そんな今日4月28日。なんだか出足好調!
あぁ そうだ。冨永さん 誰かに感じが似ているなぁって思ってみていた。ヘミングウェイだ。ひげの感じがね。ヘミングウェイが微笑んだら こんな感じになるんじゃないかって♪