旬采館で買い物をした。旬のサンマ、真イカが安かった。イカは刺身に、母のために横に薄切りに。食感を楽しみたいときは縦に切ったほうがよいのだけど、母には横切りがいい。しかも細いほうがもっといい。大根おろしを添えて。
甘ダイが安かったので その場で開いてもらった。帰ってきてから 冷蔵庫で干している。4~5日で美味しくなるだろう。
ずいぶん久しぶりに魚を買った気がする。
買い物に行くということがあまりなくなってね。母とふたりで これからは買い置きせずに使いきっていこうねと話していた。でも こうして買い物に出かけると つい旬のものに手が出てしまう。
時期の物を 美味しい時期に食べるというのは 理にかなっているのだ(笑)
ついでに花も買った。200円で。200円なのにたくさんあって、部屋の4か所にそれぞれ入れ物を変えて 飾った。

花が部屋にあるというのは 気分がいいものだ。ずっとずっと花を飾ること忘れていた気がする。
こんなふうに何かを思い出すように日々が過ぎていく。自分が楽しかったこと、綺麗だと思って見ていたものや 美味しいもの そんなものを遠ざけて ただ時間が過ぎるのを待っていた気がする。
母とふたりで ふと気が付くと 弟のことを話題にしている。母は今でも わたしが母の携帯に電話すると、
「○○から電話だ・・・何したべ」と 思うときがあるようだ。そう思った後で、そんなことはありえないことだということを思い出す。わたしが行くと、
「さっき、またお前の電話を○○からだと勘違いしたよ」と話す。
母が今でも後悔していることがある。
退院してきてから亡くなるまでの二週間前後、なぜもっとやさしくできなかったのか ということだ。もちろん体の不自由な母のこと 十分な手助けをしてあげれなかったのは仕方がない。でも何かもっとやさしく声かけができなかったのかと それがすごく心残りらしい。
でもね、6年前 弟が退院してからずっと 母さんがどれだけ世話してきたか それを思うと、わたしは弟はしあわせものだったと思うよ。最後の数年間 母とふたりで互いにあれこれ言いながらも 結構楽しんで暮らしていたと思うよ。花や庭いじりの好きな母と同じ趣味のある弟だったから、庭いじりもまた楽しかっただろうしね。
人と争うことを嫌うのは 父さんに似ていたね。
おだやかで 声を荒げて話すということがなかった弟。楚々とした雰囲気の女性が好みだったね。木村多江のファンだったけど、あぁいう女性が好きだったのかな。
もっと話をすればよかった・・・もっと話をきいてあげればよかった・・・まだまだ時間はたっぷりあると思っていたけど、そんな明日のことなどわからないものだね。母のそばにいれる今を大事にしよう。弟の分まで大事にしよう。
窓辺には 夏の名残りの風が吹く。
真新しいレースのカーテンが 音もなく前後に揺れている。紫の小花が短い命を懸命に花瓶の中で咲かせている。後数日の命でも そこに在るだけで わたしに与えてくれるものは大きい。
何気ないもの それがそこに在るというだけで 忘れていたものを思い出す。可憐な花を見るのが好きだったことや 弟は花を愛でていたなということ 母の存在がどれだけ彼のためになっていたかということを。
まだこの手に残る思い出が やがては遠いぬくもりだったと思えるようになるのだろう。でも決して消えることはない。忘れることはない。これが遠く離れて暮らしていた同士だったら・・・こんなにも思えるだろうか。こんなにも喪失感を味わうものだろうか。そばにいて日々一緒に過ごしてきたということは なんと強いものだろう。
何気ない窓辺を見ながら、少しずつ元の生活に戻っているのを感じる。でも もうそこには弟の姿はないのだ。
甘ダイが安かったので その場で開いてもらった。帰ってきてから 冷蔵庫で干している。4~5日で美味しくなるだろう。
ずいぶん久しぶりに魚を買った気がする。
買い物に行くということがあまりなくなってね。母とふたりで これからは買い置きせずに使いきっていこうねと話していた。でも こうして買い物に出かけると つい旬のものに手が出てしまう。
時期の物を 美味しい時期に食べるというのは 理にかなっているのだ(笑)
ついでに花も買った。200円で。200円なのにたくさんあって、部屋の4か所にそれぞれ入れ物を変えて 飾った。

花が部屋にあるというのは 気分がいいものだ。ずっとずっと花を飾ること忘れていた気がする。
こんなふうに何かを思い出すように日々が過ぎていく。自分が楽しかったこと、綺麗だと思って見ていたものや 美味しいもの そんなものを遠ざけて ただ時間が過ぎるのを待っていた気がする。
母とふたりで ふと気が付くと 弟のことを話題にしている。母は今でも わたしが母の携帯に電話すると、
「○○から電話だ・・・何したべ」と 思うときがあるようだ。そう思った後で、そんなことはありえないことだということを思い出す。わたしが行くと、
「さっき、またお前の電話を○○からだと勘違いしたよ」と話す。
母が今でも後悔していることがある。
退院してきてから亡くなるまでの二週間前後、なぜもっとやさしくできなかったのか ということだ。もちろん体の不自由な母のこと 十分な手助けをしてあげれなかったのは仕方がない。でも何かもっとやさしく声かけができなかったのかと それがすごく心残りらしい。
でもね、6年前 弟が退院してからずっと 母さんがどれだけ世話してきたか それを思うと、わたしは弟はしあわせものだったと思うよ。最後の数年間 母とふたりで互いにあれこれ言いながらも 結構楽しんで暮らしていたと思うよ。花や庭いじりの好きな母と同じ趣味のある弟だったから、庭いじりもまた楽しかっただろうしね。
人と争うことを嫌うのは 父さんに似ていたね。
おだやかで 声を荒げて話すということがなかった弟。楚々とした雰囲気の女性が好みだったね。木村多江のファンだったけど、あぁいう女性が好きだったのかな。
もっと話をすればよかった・・・もっと話をきいてあげればよかった・・・まだまだ時間はたっぷりあると思っていたけど、そんな明日のことなどわからないものだね。母のそばにいれる今を大事にしよう。弟の分まで大事にしよう。
窓辺には 夏の名残りの風が吹く。
真新しいレースのカーテンが 音もなく前後に揺れている。紫の小花が短い命を懸命に花瓶の中で咲かせている。後数日の命でも そこに在るだけで わたしに与えてくれるものは大きい。
何気ないもの それがそこに在るというだけで 忘れていたものを思い出す。可憐な花を見るのが好きだったことや 弟は花を愛でていたなということ 母の存在がどれだけ彼のためになっていたかということを。
まだこの手に残る思い出が やがては遠いぬくもりだったと思えるようになるのだろう。でも決して消えることはない。忘れることはない。これが遠く離れて暮らしていた同士だったら・・・こんなにも思えるだろうか。こんなにも喪失感を味わうものだろうか。そばにいて日々一緒に過ごしてきたということは なんと強いものだろう。
何気ない窓辺を見ながら、少しずつ元の生活に戻っているのを感じる。でも もうそこには弟の姿はないのだ。