katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

半日休んでカインズ・ホームへ・・・

2017-12-21 07:05:04 | 休み?
今日は朝から千葉のホームセンターに。実は前々から欲しい道具があって、でも他のホームセンターと2000円以上も価格が違っていると、流石になぁ・・・って気持ちと、気分転換って気持ちって事で、半日潰すつもりで買いに行ったのね。

でも、わざわざ行って在庫が無い・・・・なんて事は嫌なんで、電話で在庫確認してから出発。何度か行った事があるので道に迷う事は無く到着。しばらく振りに来ると、何ともDIYに手厚い施設になってて、近かったらなぁ・・・と思ったのね。

江戸川区近郊には比較的大型のホームセンターが多く、不自由は全く無いんだけれど、DIYの手厚さから言えば、トップクラスだろうなと思うのが、カインズ・ホーム。確かに工作室って言うのは場所を取るから都会には難しいものはあるが、昔のUnidyは良かった。

手狭ではあったけれど、社員さんにそう言う事に詳しい人が何人もいて、制作していると道具や材料のアドバイスをしてくれたりもしたのね。そこへ行くとコーナンは広々とした工作室でレンタル用の道具がきちんと整頓されていて、使いやすかった。

ただUnidyはどんどんと工作室は手狭になり、決定的なのはトリマー禁止になったから工作室の意味が無くなったのね。そんな中、千葉のカインズ・ホームは、きちんとドアを付いていて、隔離されているので他のお客さんには迷惑にならないし、更に言えば、

その工作室の中が見えるようになっていて、興味の無い人に作っている人の姿が見えるのね。使った事は無いけれど、外から見ても他のホームセンターとは別格で、ただ木の長さを車に乗せるだけの為に切る場所って感覚じゃなくて、DIYとして使うって部屋。

しかも外にはそこで使いたくなるような端材のコーナーがあって、更に言えばペンキだの、もっと言えば入り口から、木のコーナーだったりして、DIYの人達に手厚く見えるのね。他にも段々と道具の展示も無くなっている中、見事に色んなものが見られる。

それが隣町にもあるんだけれど、電話して在庫確認をして貰うと、取り扱ってません・・・って。そうね、ここはどちらかと言うと、日用雑貨屋さんって感じなんで、余り用事が無いけれど、まさか扱ってませんって程とはね・・・。

まっ、逆にそうかな?ともかぐやも思ったからこそ、2つ電話を調べてくれてあって、電話で確認したんだけれどね。そんな中、到着して係りの人を呼ぶブザーを押してこれを・・・と言うと、バックヤードで確認してくれたのだけれど、ありませんでしたって。

えぇぇぇぇぇ、だって朝、在庫確認して貰ったんですよ・・・って言うと、更に店内確認をしてくれると、あったのね。まっ、あれば言う事は無いんだけれど、まぁこんな事になったのは、広々としたスペースだからこそ起こったのね。

そもそも普通は展示コーナーを狭くしているのに、ここは何しろ広い。普通は大抵、マキタとか、リョービとか、ボッシュとかってメーカー別になっていたりして、俺もそこで聞いたんだけれど、見つけたのは別の場所。

要するに別のコーナーでは、他社との比較が出来る感じに、同じ種類同士を展示していたのね。だから、同じ道具の展示が2か所あった・・・これだけでも広々って感じだけどね・・・。まっ、そんなこんなで購入してとんぼ帰り。

すると、帰宅途中に卓球屋さんなるものを発見。えっ?・・・確かに昔から剣道やら柔道なんて店を見た事はあるが、卓球って専門店って・・・。凄い特化の仕方だなぁ・・・って。ただ、それで思った事があるのね。それが思い込み・・・。

昔は剣道、柔道は学校の授業だったから、成立するだろう・・・って気持ちもあったが、卓球となるとね・・・でも、それならテニスなら良いのか?サッカーなら?野球なら?って思うのは、普通・・・って気持ちは、それは俺の意見であって、単なる思い込み。

それが証拠にアクアリウムバスでのペットの概念、ドールの会場での男の人の多さ・・・全て自分の眼で見て知った事。ペットは犬、猫、鳥に限らないし、ドールは女の人のものでも無い・・・最初はビックリしたけれど事実は結構なニーズがあるって事。

そう思うと、あぁ俺もそっちなんだよなぁ・・・って。判ってはいるつもりだったが、何か特別に感じたのね・・・。そんな事を感じたまま、ひとまず午前中の分を取り戻す為にも、まずは彫るのを進めたのだけれど、その後、かぐやと話したんだけれど、

要するに簡単に言うと、昔からkatsuを応援してくれている人達の大多数は、作家katsu好きであって、先生katsuが好きな訳じゃない。って事は事実。つまり作品を作っていない先生では、興味は薄いって事でもある。ただ作品って何だ?って事になると、

結局凄いものってモノが見たい・・・と言ってくれているんだろうね。となると、この根付風味の小物は例え1点モノと言えど、これでは納得しない・・・つまり遊んでいるようにも思われるだろう・・・って所でどうだ?って聞いて見たのね。

すると、そう思います・・・と返って来たので、だよな・・・じゃ、更に言えば、その上で、これはサンプルじゃなくて作品として売るって事なんだから、作家katsuになるんだよな?・・・ですね・・・でも、きっと認められないよな?・・・。

多分・・・じゃ、やろう。決まりぃぃ。これで無理矢理頑張ろうみたいな感じじゃなくて、やらなきゃ・・・って感じになったのね。そうね、何か変な話に聞こえるが、要するに見慣れた人は見慣れているから、新鮮味は掛けるし、ただ欲は果てしない。

応援してくれる人や興味を持って下さる人は、そこを好んでいるのだから、もっと、もっとって気持ちがあるだろう。それはそれで有難いが、では仮にもっともっとを繰り返したとする。じゃ凄いだの上手いだのって言われた作品はいくらだ?って事になると、

本来なら凄い金額だったりするだろうから、今の俺の立場ではそれでは売れない。しかも作らないと腕も見せられない。そうなると、最低限の生活を守るだけは・・・の金額にしても、作らないとならない。ただそれは非常に厳しいもので、ミスらしきものは

無かったとしても、変更1つでほぼ生活は出来ないだろう。何せギリギリの中での制作だから。そこまでしてでも、良い物を作りたいから・・・そして完成すれば、それが出来る証明になるから。でも、それが大作に挑む姿勢であるべきと思うし、お金を頂く

って責任でもある・・・とも思ったりする。まぁ何んとも聞いてて面倒な話なのね。それをそのまま小物に移行すると、何処にも楽しさなんて無いし、厳しい小物ってねぇ・・・あはははは。そんな中、先日の棟梁の大作は厳しいけれど、バラのテーブルは、

楽しいって・・・言うのがあって、今の棟梁の実力はあのテーブルを楽しめる腕になっているって事。しかし、大作ではとても楽しめる話では無く、厳しいけれど取り組んでいる・・・要するにチャレンジって感じ。

そんな中、ちょっと前までは作家katsuの腕はそこそこ評価があるんで、先生katsuの強化として、きちんとサンプルを作って・・・とやって来て、随分と昔よりも見栄えのするサンプルにはなったような気はしているのね。

ただ、じゃそうだとして、じゃその次は?となった時に、その次が何だろう?って感じだったんだけれど、今までの全てをまとめると、1つの答えが出たのね。それが全て1回リセットする・・・まぁ何とも矛盾な話なんだけれどね。

ただ、落語のはまののりゆきは、最初誰にも受け入れられないかっぱだぬきを作り、最後に観音様。つまり俺に取っての観音様ってのを見付ける事なんだけれど、それは何だ?・・・ただ、のりゆきは最後に一番まともな観音様。俺はそこそこ認められる作品は

ある。だから、じゃ逆か?・・・とかっぱだぬきに見える変わったモノとして、根付風味なんて始めたが、これで良いのか?って疑問もあった・・・何しろ周りがこれをいつまでやるんですか?・・・って言うもんでね。それが当たり前の老婆心であるから。

ただね・・・大きくは外していない気がするのね・・・ただ、何かもうちょっと・・・そこの部分。そこに至るまでに神様がいるのなら、何度も何度もヒントはくれていたと思うのね・・・大家さんの犬、棟梁の犬、昔の実家のブリーダーのような犬やしき。

そして、最近のアニメのいぬやしき・・・犬、犬、犬って・・・そんな中、ある生徒さんが犬の作品の話をして・・・あぁ昔、何個も作りましたよ・・・って話をしたのもあって、かぐやと話したんだけれど、それはリアルに犬の首だけを作った作品でね。

昔、鴨川グランドホテルで戌年の時に販売したのね・・・ガラスタイルで作ってあってね・・・あの時はリアルに作る事と値段を抑える事を考えてそうなったんだけれど、かぐやが処刑の首みたいに並んでいて気持ち悪いって言われましたよね・・・。

なんて話が出たりして・・・そこで思ったのね。来年戌年・・・あれから12年も経つのかぁ・・・今まで、犬だの、猫だの、ってモチーフそのものに人気のあるものをかなり避けて来たけれど、真面目にそろそろ作って見ようかな・・・って。

ただ、作ってしまってはリアルにしっかり体まで作ろうとしてしまうと、何かが違うような気がして・・・そこで、こんな事になったのね。


今まで避けて来たモチーフを解禁にして、犬を作る。干支だし、でも犬好きはいるし、万人受けでもある。今回は鴨川と違って体もあるからリアルじゃないが、可愛いし、彫る事が上手くなったからこその小ささ・・・そして根付風味。

俺のかっぱだぬき・・・上手く行くと良いのだけれど・・・後は彫りさえすれば、作家katsuが何とかするだろう。って、俺も期待する。


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棟梁にリピーターさんにキウイ教室

2017-12-20 01:12:55 | モザイク教室
今日は棟梁にリピーターさんにキウイの相席教室。まずは棟梁。これから張るバックの花の是正の5回目の絵は見事だったのね。しかしながら、夢中で資料を見て描いたのは良く伝わったが、一体何処に配置するのか?その数は適量なのか?を全く意識していなかった。

難しい事は一切無いのね。何度も言うがお弁当を食べるように、1つずつ食べる。欲張らずに順位を付ける。何個も口に入れない。
ただこれだけ。でも棟梁は順位を付けられない・・・ここに問題が生じるのね。

でも問題なのは、例えばとんかつ弁当ならとんかつがメインなのは、見なくても名前で判る。では幕の内弁当なら何を浮かべる?そうすると、中々とんかつのようには出て来ないと思うのね。つまり色んなのがある・・・とは思うだけで、インパクトは無い。

しかも更に言えば全てがちょこっとだから。煮物が食べ切れないほど・・・みたいな量は無いでしょ?つまりあれもこれもがちょこっとだから、インパクトには欠けるがバランスが良いのね・・・それは俺が俺がと誰も主張していないから。

それを踏まえて考えると、棟梁の作品をお弁当に見立てると、メインになる天使に助さん、角さんのような重要な2つの恐竜がいる事で既にお腹いっぱい感はあるけれど、お弁当箱が大きいから、スカスカに見えるでしょ?だからどうする?って事になる。

例えば男の子のお母さんなら、メインを入れたらお腹一杯にするにはご飯を沢山なんて事にしたり、後少しのスペースなら、何かレンジでチンのおかず入れとこうか・・・とか、理由は色々とあるけれど、その理由で何かを付け足す感じになったりすると思うのね。

これが女の子のお母さんをイメージすると、お弁当箱が男の子よりも小さめって事から、そんな大きいメインをドスンと入れたら、他のモノが入らなくなる感じで、そうなるとどうするか?って事になると、あれこれ少量ずつ・・・みたいになると思うのね。

これがとんかつ弁当と幕の内弁当の違いの話で、ここを更に高級感を出せば、あれこれ沢山は何とか御膳になり、とんかつはとんかつのまま良い肉に変わるだけで、スタイルは何も変わらない。こんな違いになって来ると思うのね。

では本題に入ると、メインは決まっているのだから、メインの邪魔をせず、後はバックの作り方もせず、じゃどうする?なのね。実はここに落とし穴があって、良くある間違いは、一か八かみたいな、有りもしない2つを用いてまるで比べてこっちを取った的な、

正直、何も考えずに初めから出来レースの考え方をする場合ね。そもそも1か八かって2つあるようだけれど、大抵はその内の1つは絶対有り得ない事になってて、つまり悩んだフリをしているだけで、最初から答えは決まっていたりするのね。

でも今回の棟梁はそんな単純な事じゃないのね。ちょっと複雑チックに見えるんだけれど、以前のみどりの間違いと同じような、あれもこれも大事としつつ、2列目をしっかりしないで、3列目以降を緻密考えて、結局2列目を触られると木っ端みじんってあれ。

どう言う事かと言うと、この絵の始まりは大事な犬が死んだ事で、あの世で待ってて・・・私ともう1匹が死んでそっちに行くから・・・の絵だった。つまりあの世を描きたかった事になるのね。この時点でこの世に未練は無くあの世に楽しみを持つ・・・。

そんな絵。そんなもの作って楽しいか?って話。そりゃ悲しくて辛くて、やりたくなくて・・・になるわなっ。それで何度も挫折して2年掛かってようやく抜け出したから、こうしてここまで来た。その辛さから抜け出せば、例えば悲しみが多ければ多い程、

マイナス点数は大きかった事になるのだから、例えばマイナス100だったとしよう。けれど抜け出したのならプラスマイナス0に戻った事になる。最低でもね。ただ普通の0に戻るだけなのに100戻らないとならない訳で・・・。

まっ借金みたいなもん。一挙に返せるなら簡単だが、ばくち打ちでも無い限り、コツコツな訳なのね。それでコツコツ返してやっと0なのね。そしたら悲しみから抜け出した借金0は気分良く、気分も体も楽になった感じで、悩んだ事が何だったか?みたいに、

進んだ訳ね。そうなると今度は加速した。そうね加速。きちんと身の丈で進めば1つ1つ・・・と、悩み借金を返したように、進めば良いのだけど、加速ってのは度を越えるとスピード違反にもなるように本人の自覚無く麻痺してしまうのね。早さに。

それがいつしか普通ってね。慣れって怖いのね。つまり自分の中に勝手にここまで進むって言うような事を思い描くのね。しかもやった事の無い場所であったとしても・・・・計算問題と応用問題では全く違うはずなのに。

そんな加速したままに、バックの絵に入った・・・じゃ一体何が起こる?本人の気持ちなら、じゃ好きな花を選んで、今まで白でこらえて来た分、はじけてド派手に・・・こんな感じだったと思うのね・・・実はそこに落とし穴。

進みたいが故に、あれもこれもと描いた絵は、どれもこれもが適当だった・・・それは早くやりたいから。ノアさんのフラメンコの作品を見て、影の付け方とかが凄い・・・あんな事して見たい・・・と言ってた割に手を抜いた。それではそうならない。

そこで意識を変える事を教えた。当然意識が変われば行動が変わる。とても丁寧な絵にはなったし、ストレートな絵で無く、カーブな絵も描けるようにはなった。しかも以前とは違って、今日はとても上手くなっていた。本人もこれなら・・って自信があった

はずなのね。でもね、根本的な事として、お弁当箱に入らないおかず作ってもね・・・こう言ったとする・・・例えばね。すると、じゃ小さくすれば良いんですか?・・・とすぐに答えが欲しくなる癖があるのね。じゃこれを色んな事に当てはめると、

しょっぱいね・・・と言われたら、じゃ薄めれば良いですか?とか、砂糖入れますか?みたいになっちゃっているのね。これでは物事の解決にはならないのね。その場はしのげてもね。増して、教える側なんて無理なのね。だってそこに何故?が無いんだもの。

棟梁に大事なのはプロセス。何故そうなったのか?であって、直して進む・・・じゃないのね。どうしてそうなったのか?の検証。そもそもつだけ丁寧に・・・と言ってあった絵は、カラーもバラもポピーも全てきちんと描かれていたのね。

今までこれで全てが上手く行って来たんだろうね・・・けれどね、どんなに上手く描けていたとしても入らなくちゃ全部使えないのね。絵画をしていたんじゃないんだから。しかも、じゃ小さくすれば良いんですか?・・・・入れば良いってだけ。

違うのね。既にやりたい事・・・つまり天使と恐竜2匹がいる・・・その残りの場所って考えるのか?それともそれらを引き立たせる為のこの花はここ・・・みたいな、ここにはこれ、ここにはこれであって、ただ綺麗に描けました・・・では、入らないから

小さくするってだけでは、きっとまた入らないから・・・とまた悩むはず。場合に寄っては、何度かやって入らないから・・・と、今度は極端に小さくしたりするだろうね・・・きっと。それは能率効率で何でもしようとするから。

一度で済ます。描き方判れば全部一緒・・・コピーを縮小するのに、全部倍率一緒とか、みんな自分の中のマニュアルのままに、能率効率で進めようとするのね。何故?これは習慣なのね。つまりお店をテキパキ回すには、モタモタはしないなのね。

モタモタってのは、同じ場所を手ぶらでは歩かないみたいな感覚だから、ここに行くならこれも一緒的な感覚。これによって得られる事はスピードアップ。ただ良い事と悪い事は背中合わせで、当然スピードと引き換えに何かを失っている訳で・・・。

先に進みたいんで、そこは触れないが、こんな事が棟梁の中にあって、まずこれを直さないとならないのだけれど、実はもっと深い所に根があって、大抵そんな人は2列目にあるものなのね・・・要するに作るに当たって・・・って最初の方にね。

要するに寂しさの中の絵だった時には、あの世つまり天国だった訳ね。仏像彫刻のようなものをやっている人・・・つまり神様や仏様を作っているのだから、普通の人達よりも天国を良い場所ととらえていると思うのね。

つまり言いたい事は天国とこの世どっちが良い?ってこんなにシンプルな事が天国に大きく点数が入っているって事なのね。しかもかなり大きくね・・・つまりあの世を辞めてこの世にするって言うのは、敵から味方にみたいな感覚になっているはずなのね。

要するにそんな事を乗り切るには頑張らないとならない・・・的な。それも自覚無く。今だからこそ自覚って言っているのね。その1歩が意識ってね。意識を持てば行動が変わるからね。それが証拠に絵は意識を持って上手くなった。

ただ、根本的な生きる事が大事なのに、あの世を美化し過ぎていて、行った事も無いのに、幸せであるかのごとくあの世を語る。なのに見て来たこの世の幸せをあの世のようには語れない・・・この矛盾。ここに大きな問題があるのね。

つまり、棟梁の中であの世を辞めた時点で1番好きな場所が作れない気持ちが大きく、あの世を作れば、作る道中に辞めたくなるくらい悲しい気持ちのままの制作になり、この世を作ればあの世より見劣りする2番目以降の順位のものを作る事になる。

こんな葛藤があると思われるのね。所が受け入れてしまったが故に頑張らないと・・・と、また知らず知らずに意地を張ると、今度は気分を高める為に主張をし始める。つまり1つ1つの花を大きく描く事で全てが自己主張となり、テンションを上げる為に、

利用している・・・そんな感じ。しかも好きな順にね。つまりお弁当箱に大きくおかずを入れないと、小さい花ばかりでは埋め切れないなんて事も影響しているんだろうね・・・所が上手く描けたのに、どれもこれも描いた絵を下地に置くと大きい・・・。

1つだけ・・・って言ったのは、ここなのね。つまり1つの花だけの失敗なら1つ分のマイナスを背負えば良いが、何個もやれば、何個もやったのに・・・となる。しかも、複雑なのはチェッって言える性格なら楽だが、やっちゃった・・・とへこむ。

けど、上手く行ったらスピード違反的にバンバンやっちゃう・・・すっかり忘れて。目先のテクニックなんてここまで来た人は、どうでも良いのね。それよりも心。作り手の心がこんなに迷っていては、へこたれるのね。

全て準備が整っているのだから、問題なのは棟梁の心の中のあの世よりもこの世が良く描けるか?なのね。大きいばかりを繰り返せば大きい事が普通。小さいだけでは小さいだけが普通。メリハリってのは、大きいものもあって、小さいものもある。

そんな中、将棋なんかで例えたが、棟梁には判って貰えなかったが、足軽のような歩は沢山いないと存在感は薄い。それが香車や桂馬や金銀だと2枚づつになり、角や飛車そして王は1枚。バランスってものはこう言うものだろう。

つまり大きいものばかりでは無いと言う事。大きいものをより大きく見せるには、小さいものが必要であり、濃いものを濃く見せるには薄いものが必要になる。ただこんなテクニック以前に、あの世よりもこの世、死んだものより生きているもの。

こうしたはっきりした事がはっきり判れば、そっちに立ってあの世を見れば、少しだけあの世も作れるだろうが、あの世もこの世も同点だのあの世が勝っているとしたら、それは身の回りの人とは価値観がずれているかも知れないのね。

しかも立っている場所がずれているのに、普通と言われても共感は出来ない・・・まずテクニックよりも自分自身の正直な気持ちと向き合うべきなのね・・・そうして2列目が固まれば、基礎がしっかりした土台に家は建つのね。おぉ長っ。


逆にリピーターさんは、まだ自分の思ったような形に切れない・・・だから、頑張って切る。進むよりも質。あぁこれなら・・・ってパーツになるまで、納得の1枚になるまで切る。楽して進まない。これだけなのね。


長くなったからキウイははしょるけれど、きっと2人に刺激的な人だったと思うのね。物事がはっきりしていて、自分の意見を持っている・・・見た目からはイメージとは違う事が返って来る・・・キウイが凄いのは何か?みたいなものを感じたとは思うのね。

まぁしかし、どれもこれもが凄いんで、教える方も気が抜けないのね・・・。

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アズハイム新松戸さんの初出張教室

2017-12-19 01:25:01 | モザイク教室
今日は午後から初めての場所での出張教室。それがデイサービスなんだけれど、一体どの程度が適正なのか?って考えて下地を作ったのね。だから高洲のサークルのデコボコした輪郭では無く、割と優しくしては見たものの、やって見ないと判らない・・・。

何しろ簡単過ぎてはどうかな?とも思うし、逆に最初から難しいと思われても・・・って、良い塩梅なんて言うのが一番難しいのね。そんな中、何せ初めての場所だし、何かあって遅刻なんて事が一番嫌なんで、何も無ければ1時間程度の所を2時間半を見て出発。

そんなだから、そりゃ順調に行ったのね・・・ナビ通り。すると、目的地到着です・・・って言うものの、何処にもそんな建物は無いし・・・そこで電話を掛けると、聞いた住所と違う住所を教えて貰って入れ直して出発したんだけれど、また着かない・・・。

そこでまた電話をして・・・今の雰囲気を伝えると、そこを右に曲がって貰って・・・みたいになり、ようやく到着。どうやら新しく出来たばかりの番地らしく、今の住所をナビに入れても到着出来ない場合があるらしいのね・・・どうやら俺だけじゃなくて・・・。

ホッとしたのね。ってな事で、早めに出発はナイスな選択で、何しろ間に合って良かったのね。そんなこんなで、それでも余裕を持って支度をして・・・何とかスタート。最初は切る事に戸惑ったりしていたんだけれど、あっと言う間に慣れて下さり完成。

先方の社員さんって言うのかな?・・・お手伝いをして下さった事もあり、全く困る事無く、余裕を持って終わったんだけれど、実は既に今月末にもう1回頼まれていて、今度はキウイも同行して貰って7人って事になっているのね。

今日の事を思うと、キウイの同行は間違いが無い気がするが、初回から欲張ったような事だけれど、もっとここにあった提案があると思うんだけれど、何しろ初めてのデイサービス・・・・ただ経験値として勉強になった。それを踏まえて何か考えないと・・・。

毎月伺う事になったのだから、ここに合った教え方やら、提案がきっとあるはずだから・・・。それもそうだけれど、働いている方達の皆さんの接し方が余りにも寄り添った形で、見た感じ俺よりも随分と若い人達なのだけれど、あの歳の頃、あんな事が出来たろうか

・・・と感じた。確かに仕事なのかも知れないが、その位に凄いと思った。とても刺激になったけれど、自分の見劣り感を感じたのも事実で、いずれにせよ、また新しいkatsuって言うものが欲しくなった・・・って気持ちになった・・・。

毎月伺う責任って、楽しんで貰いたいのも大事だけれど、心構えって事が重要だし、ご老人と仕事として接するって事が初めてなので、たった1回だけれど、こう言う事なんだな・・・の1回になった。いつものお教室なんだけれど、いつもとは違った気がした。

いずれにせよ、結果としては何事も無く無事に終わったし、またやりたい・・・って言って貰えたし、ひとまずは何よりの結果だったのは、ほっとしたのね。


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みどりが来てアトリエ掃除

2017-12-18 02:03:00 | 休み?
今日はみどり教室かな?と思いきや、アトリエ掃除に来てくれたらしく、先日かぐやもやってくれたが、お陰でアトリエは年末の大掃除が出来ちゃった感じになったのね。後は、すーさんの倉庫をやれば、掃除はおしまい・・・そんな感じになったのね。

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くじら教室

2017-12-17 08:11:26 | モザイク教室
今日はくじら教室。ただここはモザイクはオマケな感覚なんで、重要なのは制作活動について・・・みたいな話の方が重要なんで、常に俺はどう考えるか?どうしているか?どんな事が気になるか?みたいな、モノの考え方を答えれば良いのだけれど、それは聞く側にも

聞く姿勢が必要で、しかも必ずしも常に意見が一致する訳では無いのね。良くある例で言えば、こんな事普通無いですよね?みたいな話・・これを質問に思えたりする人がいるが、それは完全に無い前提であり、これを言う側は常に、そうだね・・・の同意を求めている場合が多いのね。

こんな場合、そんな事は無いんじゃないかな・・・って言う、反対意見にも思われる返答はしづらい。つまり完全なる質問であれば、この件についてどう思いますか?であって、厳しく言えば自分の答えありきで、かなり強要チックにも思えたりもする。

ここに気が付くと、質問自体が質問らしくなり、聞かれている方も答えやすい。これで第一歩目が解決するのだけれど、次は俺と意見が合う事を望んでいる前提の眼で、言葉だけで、どうですか?と求めて来たりするのね。つまり言葉を変えても中身は一緒・・・。

ただ是正はされているのだから、進歩はしているのね。単純に1年生が2年生になった感じ・・・ただ、問題なのは一体どんな関係性で聞いたり答えたりするのか?になると思うのね。例えば何々流みたいな師匠と弟子なんて関係性だと、その師匠も師匠がいたりする。しかもそこは遊び感覚でも楽しむ事でも無く、習得するって姿勢で臨んでいる気がするのね・・・。

つまり伝統とか格式とかあったりして、個人の意見よりも言い伝えられた事を伝承する事が大事になる。まっ、棟梁で言うのなら、仏像彫刻みたいなものね。ありとあらゆる部分の寸法は決められていて、個人の主観なんてもんは一切いらない。

いにしえから伝わったままに再現をする・・・ピアノのバイエルみたいな感じね。設計図通り、楽譜通りね。これがフィギュアスケートなら、規定演技みたいなもので遂行する的な感じ・・・あくまで伝わるように・・・の言葉で言えばね。

これと正反対な感じに、自分で考える・・・って言う事があると思うのね。フィギュアなら自由演技だったり、木彫と言って決まりが無い所からモチーフから自由みたいな感覚のものだったり・・・って、言葉は自由って言う言葉の連呼みたいな側ね。

こう言う事を1つ知ったら、あぁ革新と保守ね・・・とか、守備と攻撃ね・・・とか、白い巨塔の財前先生と里見先生ねとか、何でも良いんだけれど、こんな事?なんて返せると、質問内容の確認になったりするのね。

おっと話がそれた・・まっこれで単にフィギュアをしたい・・・とか、彫刻がしたい・・・って思って普通は門を叩く訳ね。生徒さんの側で考えるとね。その時に、どっち側で習いたいか?なのね・・・ここは。大抵、習う場合、サンプルがあったりするのね。

だから真似から入る訳ね。これはとても先生側に都合が良いのね。何せ既にサンプルの段階で悩みは終わっているので、マニュアルが作れちゃうから、その工程通りに教えれば良いのね。ただ、ただなのね。それは全て質問が先生の答えられる範囲の場合ね。

これがイレギュラーな生徒・・・そうね、この場合はくじらだとする。モザイク教室でモザイクしなくても良いって生徒どうするのかな?・・・あはははは。まず普通の場所じゃ無理だわ。だってそんなの先生の先生も教えて貰っていないもの。

だから考えなきゃならないのね。そこにマニュアルなんて無いのだから。そうすると、シンプルに先生katsuに教わりたいんじゃなくて、作家katsuに教わりたいんだろうな・・・となって来るのね。はぁ?何が違うの?って聞こえそうだけれど、全く違うのね。

そもそも作家とは?自己主張の塊でしょ?だってこう思うの連続なんだもの。それが先生って言うのは、通常なら、こう習った事をみんなにも伝えます・・・みたいな感じでしょ?同じ人でも、取り組む姿勢が全く違うでしょ?

つまり作家katsuならこう思う・・・を存分に出せるが、先生katsuの場合、進学を目指すのか?はたまた、今まで出来ない事を出来るようにするのか?とか、人それぞれな教え方があると思うのね。これが流しの教室なら下地を渡せば、はい出来上がりだけれど、

アトリエの個人レッスンだとそう言う訳には行かなくなる。当然、どんな事をやって見たいか?みたいな問診的な事が必要になるのね。何故ならここは自由な場所だから。マニュアルが無いから。ただ、そこには自由が故にやりたい事があるか?が問われるし、

無ければ無くても良いけれど、提案を受け入れるだけの許容範囲をどの程度お持ちか?みたいな話にもなる。しかも、その上で、それを限られた時間の中での作成が可能かどうか?・・・を見極め、時には断念させないとならない事もあったりする訳で・・。

まぁ自由ってスタイルはリスクを伴うものでね・・・そっちの先生側では色々と人によって変える事が必要となるが、作家katsuの場合は、何か大きな影響を受けない限り、余り変化は無く、ある意味、先生の時よりは遠慮無く発言出来る。がしかし、その分、

当然、意見も厳しくなるから、場合によっては聞きづらい事を言うかも知れないのね。その時にどんな関係か?が問われたりする。これが楽しみの制作なら、厳しさは必要が無いが、当然上手くなりたいとなれば、話は変わって来る。

楽しみだけなら補欠でも楽しめるが、本気となればレギュラーになりたいって気持ちになると思うのね。こんな違いね。でも、くじらはモザイクよりも考え方・・・ただ難しそうだけれど、明確なのはくじらに取って必要なのは、切る張る技術じゃなくて、

その技術を生かす構想やら発想。オリジナルって言うのは常にそこが人と違う所で、そこが本当の意味での自分らしさに繋がる部分であって、俳句をやるくじらには、そこに興味があるのだろうから、そこを惜しみなく話しているつもりなのね。

いずれにせよ、変わった教室だけれど、俺も随分と慣れて来たのね。

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キウイ教室

2017-12-15 22:23:18 | モザイク教室
今日は急きょキウイ教室。本来は月末に予約を頂いていたんだけれど、その日にそちらも急きょ出張教室になり、キウイにも同行して貰う事になり、お教室が出来そうも無く・・・そんな理由もあって本日ってな話。

そんな訳で描き込んだ木を張り始まって・・・何だかここに来て急に進みだした感じで、制作意欲満々なのね。ただ新展開部分なんだけれど、ここは大きく外すような事は無さそうなんで、時間の分だけは進むから何よりなのね。

そんなお教室の後は、近頃行く事が多くなったもくもく館へ・・・クマの冬眠じゃないけれど、年末年始に掛けて流石に音は立てられないから、今の内に下地を作って置かないと、休みの間が退屈なんて事になっちゃうから・・・。

何しろもうしばらく根付風味の小物をやろうと思っているのでね・・・。

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棟梁とリピーターさん教室と根付風味の小物

2017-12-15 02:04:40 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんのお教室だったんだけれど、リピーターさんが来るなり、何か失敗しちゃって・・・って。どうやら自宅で進めたんだけれど上手く行かなかったらしいのね。それがはっきりここが変で上手く行かなかったって・・・。

これじゃダメですよね?って。もう既に自分で悪い場所も判っている。じゃ何で張ってしまって後悔するような事をしちゃったのか?なのね。要するに自宅で進めたい気持ちと時間があったんだろうね・・・すると、結果が上手く行かなかった。何故だろう?

それは簡単な話で見当外れみたいな言葉が適切なんだろうが、まずどうして数ある場所の中からそこを選んだか?って話。例えば予習復習って言葉があるじゃない?これって意味が全然違うのに横並びにして、まるで1つの言葉のように使うけれど全く意味が違うのね。

じゃニュアンスね・・予習と復習。上手い人ってどっちのイメージ?そして上手く無い人はどっちのイメージ?大抵は上手い人が予習で上手く無い人が復習な感じがしないかな?・・・多分ね。もしそうだとしたら、棟梁とリピーターさんなら、棟梁の方が上手い。

ならば、棟梁が予習でリピーターさんが復習って事になる。じゃリピーターさんは復習をしたのか?って事になると、これが教えてはいない場所をやったんだね・・・つまり予習になる。じゃどうして予習の方をやったんだろうか?って事になる。

それは進みたい気持ちと、もう1つの気持ち・・・それがここなら大丈夫と思ったから。じゃ何故そこは大丈夫と思ったのか?それは花では無く葉っぱだから・・・要するに花は作っていて難しい・・・けれど進みたい・・・葉っぱなら平気かぁ・・・って気持ちから。

つまりこんな気持ちから習った事では無い場所をやってしまったと思われるのね。しかし思ったようにならなかった・・・でも、先生からは剥がしちゃダメ・・・って言われている。だから後戻りが出来なくなった・・・でも気に入らない・・・。こんな感じ。

ここまで判っているのなら・・・と簡単に剥がして簡単に直したのね。数枚。以前は剥がす事を何とも思わなかったのね。しかし今日のリピーターさんは本当に剥がしちゃダメだから・・・と思っていた。きちんと気持ちとして守ろうとしていたのね。

その気持ちがあるのなら、きっとこの失敗はもうしないだろうから・・・それなら剥がす価値がある。だから直したのね。それを意味も考えずに直してしまっては、必ず同じ事を繰り返すからね。痛みと言うのは必ず是正に繋がるもので、痛みの無い事は繰り返す。

しかし、この痛みの度合いに寄っては、余り痛いと自宅でやると失敗するから、出来ない・・・に繋がってしまう。それが証拠に今日は花をやりたくない・・・って消極的になっていた事もあって、まずはリセット・・・だから落ち込んでいる気持ちの立て直し。

それが直しって事なのね。マイナスな気持ちが0まで戻れば、後はいつものようにチャレンジになる。そんな話で、そこから立て直してやりたくない・・・って言ってたものが、2つ花が出来たのね。これで元通りになった。さて、では棟梁は?となると・・・。



まるで同じ話かい?って位に、同じ話で、花の絵を描いて是正の4回目。すると、是正しましたぁ・・・どうですか?このセリフから、いかに資料を見て、今度は良いでしょ?先生・・・って感じが伝わって来て、見るのに期待が持てる感じ。

するとやはり描き込んであって、実に良く描けていたのね。しかも前回の是正のカラーはきりんとかネギと特徴が一緒って話で、首を長くして来たのね。ただ、ここを束ねて花束みたいな・・・ってしかも、束にしてきちんとでは無く、少しずらして、

かなりリアリティな設定の絵だったのね。確かに絵としては良く出来ていたのね。ただこの絵何処に入る?となった時、何処にも入らない絵になっていたのね。つまりただ絵を描くのでは無くて、そこにふさわしい絵を描くって事なのね。

すると、明らかにテンションが下がり、更に言えばやろうとした部分のパーツを切ったものを忘れた・・・ってマイナスな気分の上乗せになった・・・ただリピーターさんよりも上級者なのだから、当然上級者の立て直し方があると思うのね・・・。

しかも絵でつまづいたのだから、絵の話を納得理解を片付けていないと、また同じ失敗をする・・・ただ自分が今度こそって気分があったから、へこみ方は大きい・・・しかし、棟梁はめげずにこんな感じですか?って、ササッと付け加えたのね。

こらぁぁぁなのね。そもそも絵なんか無くても、この文章で本当に是正が出来るのか?となった時、ばかちぃぃぃんなのね。だって、是正4回の人はかなり資料とにらめっこして臨んで来たはずなのね。なのに、言われました・・・はい直しました。

こんなで是正出来るのなら、かなり絵心があり上手い人になる。けれど本人は上手く無いと言う以上、上手く無い人が資料も見ずにササッと描き直して素晴らしくなると思う?なるはずが無いのね。もっと言えば、見るに値しないはず。

そもそもがこの自分自身に見立てた天使やら、大事な犬や娘に見立てた生き物をこれだけ真摯に取り組んだモザイクのバックに使う花の絵・・・果たしてそんな姿勢で直した絵が似合っているのだろうか?まず絵なんかよりも取り組む姿勢。

恐らくだろうが、生け花やらお茶の世界なんてものも、取り組む人自身が生けたり、入れたりするもので、小手先の技術やテクニックやらよりも、生きる花を切ります・・・とか、貴方の為にお茶を立てます・・・って姿勢であって、ササッとはしないはず。

だからこそ、その取り組み方が作品は己自身って事になるのね。勿論、体験の人にそんなものはいらないから楽しければ良いのね。けれど、上手くなりたい・・・と思った時に、技術ばかりに眼が行くと、そう言う失敗を起こす。それを起こすのも自分。

大事なのは意識。意識やらそれを感じさえすれば、そこから行動は変わるもので・・・。要するに忘れちゃならないのは、そんな気持ちのモザイクに見合った花であって、カラーを上手く描けたら満足・・・って話では無いのね。

そもそもこの絵を描くのに、亡くなった犬の悲しみを背負い2年も掛かってしまったような絵なのね。そんな絵にふさわしいカラーの花になったか?と聞かれた時に、何とか・・・って位が丁度良いはずで、描けましたぁぁぁでは無いのね。

それとやりたい事とやれる事は違うもので、その違いの見極めの眼が必要なのね。それを描けたから進めるって気分なら、描けたんだから写して張りゃ良いじゃん。って話。何故、聞くのだろうか?となった時、共に納得する事で進むのであり、その進め方は、

お互いに納得した上で・・・であるから、きちんと説得出来る絵にすべきで、OKを出すのは簡単だけれど、こんな重いテーマの責任を半分背負うのだから、簡単にOKを出すよりも、それで良いんですか?・・・と再確認させて立ち止まらせる。

そんな事も必要である。こんな事の繰り返しだから、大作は誰にでも出来る事じゃないし、覚悟も必要だし、それを成し遂げた時、それが楽しいだけのモザイクじゃなくて、本気で取り組んだ結果が、人に凄いと言われると思うのね。

そんな中、自宅でバラのテーブルを進めたらしいのね。そこで楽しかったでしょ?と聞くと、楽しかったって。つまりそこには俺は必要無く、1人で進められていると言う事。と言う事は自由に進められるだろうし、左程考える事は無く、切って張るの繰り返し。

良い箸休めになる作品なんだけれど、そこが凄い話で、あの作品を気楽に出来るって・・・中々のつわものなのね。いずれにせよ、上手くなったのは事実で、上手くなったから若干厳しい事も言わなきゃなんなくなるのね・・・失敗はさせられないからね。


そんな後は、根付風味の小物・・・

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今年最後の高洲のサークル

2017-12-13 23:50:47 | モザイク教室
今日は今年最後の高洲のサークル。いつもの5人に2人増えて・・・ただその2人は何度かご参加頂いているので、特に問題無く・・そんなこんなでみんなの作品を一挙にご紹介。トップの画像はのりちゃん。次はクリスマスの作品リピーターさん。


アルルの母さんが

そしてもう1人のご参加の方が

そしてお母さんが

更にタピオカは


スノーマンだけクリスマスツリーの方だけど・・・そしてキウイは


同じ下地なのにみんなが自由に楽しんでいるのね。キウイに至ってはもはや日本犬じゃなくて・・・・外国の犬で絵馬なのぉ?って感じで。もっと言えば、いつだったかな?みんな揃って目地して完成なんて事が・・・って。

それ位、みんないつもは大作だからね・・・とても新鮮だったのかもね。そんな今年最後のサークルは賑やかに終了だったのね。

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明日の高洲のサークルの追加下地と根付風味の小物

2017-12-13 00:10:07 | モザイク教室
かぐやが帰って、日常の生活に戻り、そんな今日は明日の高洲のサークルの絵馬の追加分の下地作り。ただ、それだけの分を彫るのに、支度するのは一緒なんで、彫るついでに新作の根付風味の小物も彫る事にしたのね。

ちなみに上の段は星座なんだけれど・・・そうね、何か先日のI DOLLじゃないけれど、こんな時考えるのは、知らなかった情報が1つ入ったんだけれど、こんな趣味を持つ人達がまたこんなにいるんだな・・・って言う驚きだったりする。

それがアクアリウムバスでも、金魚でも同じで、行く先々に見た事の無い分野があったりする。要するに何をモチーフにするか?なんて単なる自分の好みなだけであって、どれもこれもに多いか少ないかは別にして、そう言う趣味趣向の人はいる・・・って事。

後はどんなものを作ろうと、katsuであれば良い・・・そこだけをこだわれば、それで良いような気もするし、落語のはまののりゆきでは無いが、カッパダヌキなるへんてこなもの・・・俺もそんなものが作りたいしね。

ただ、はまののりゆきでは、同じものを作るんだけれど、俺はどれもこれも1点モノに近いのね。何しろ色んな趣味趣向の人に見て貰うのなら色んなものがあった方が良いし・・・あの落語では最後の最後にきちんとしたモノを彫るのだけれど、俺はきちんとしたモノ

はすでに何個も見せるものはあるのだから、逆に興味をそそるようなモノを作る・・・って逆の立場な気もするし。いずれにせよ、根付風味・・・悪く無い気がするんだけれど・・・。まっ、もうしばらくやって見ようとは思うんだけれど・・・慣れるまで。

でもこれだけ作ると、最初とは違って作り方は随分と手際良くなって来た気はするのね。やっぱ慣れだね。


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かぐやが帰って・・・

2017-12-11 21:36:30 | 休み?
イベントも終わって片付けが終われば、それでおしまい・・・と思いきや、かぐやはその後、撮影とかして、今度はネット販売の準備が合ったりして・・・今日も朝からやる事が満載で・・・。ただ早めの帰宅なんで、何だかんだお昼を食べたら送迎って感じで。

アトリエに戻ってもまだ明るかったので、明後日の高洲のサークルで使う分の下地の追加を彫って・・・。次の根付風味のアイデアを1つ考えて、そこそこ良い時間になって・・・今日はおしまい。

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