katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

鬼滅の刃、引き続き無惨編と絵馬の下地

2020-11-27 01:40:41 | モザイク作家

今日は午前中は野暮用で、午後からコープみらいの埼玉用の牛の絵馬のペンキ塗り。

これで後は紐のみ。それと空の湯のイベント用のキーホルダーの金具付け。一応300個位終わったんだけれど、先日の打ち合わせで、もう少し追加して見よう・・・と、明日木を買いに行く予定。そんなこんなの無惨の続き。

流石にそろそろ終わりたいのね・・・やっぱり営業作品が続くと収入無しの時間が続くって事だからね・・・気持ちも削られるし・・・とは言え、作り始めると、質の良いのが良いに決まっている訳で・・・。ただ良いモノにしようなんて、

思ったらラクも簡単もある訳が無く・・・ただとことんやれば期限にも追われるし・・・やりたいようには中々出来ないもので・・・本来ならこれじゃ納得出来無い事って言う所もあるのだけれど、常に思うのは最低限は・・・って所。

月並みだけれど、作り手って満足なんてそうそう無く・・・ってあれね。それは人それぞれの解釈だけど、俺は最高は目指して得るモノなのかな?と思うのね・・・そもそも最高を目指して得られるのなら、目指してやればみんな得られる。

しかしそれなら最高は何か?って学校名とか点数とか、役職名、位・・・何でも良いけれど、そう言う測り様のあるものなら、どれもが判りやすい。けれど作品の良し悪しの評価なんて、技術を見るのなら、その分野の達人の評価が信用なるが、モザイクなんて歴史ばかりで、こんな絶滅品種では人も少ない。

そうなると、今度はデッサン力って分野で絵画扱いとなると、絵画の人達にはデッサン力は測られても、本来の切る技術は全く判って貰えない。まっ簡単なのは細かくすると、小さいから、細かいから凄いと思われやすい。

でも上手くなればなるほど、こうしたぺきぺきの作品の良さって言う技術も判って貰えると、ただ小さいや細かいとは違う技術点がある・・・と判って貰えたりする。常にそんな事と向き合わないとならず、こうした物まねの

作品は、知名度が高ければ高い程、似ていれば評価は高く、似ていなければ、どんなに上手く切れていても技術点は判って貰えないから0点みたいな話で、オリジナルにはオリジナルの、物まねには物まねの難しさがあるのね。

そんな事を踏まえて、この編曲的な、組み換えをした形は、ただ似ているだけじゃ無くて、世界観を壊さず、自分なりの解釈で、ボスキャラに今の自分の力では及ばない苦悩と、それでも諦めていない表情に見える絵を探したのね・・・。

歌詞の一節にも、世界に打ちのめされても・・・普通は諦めるのね・・・世界に打ちのめされれば・・・ってか、そんなに大きく無くても大抵何度も打ちのめされちゃって諦めるものなのね。でもまた一説に悲しみよありがとう・・・ってある。

強くなれるのなら、悲しみにも感謝する・・・なら辛いの万歳って事になる。とてもその域には達していないが、結構歳を取っちゃったから、出来るか出来ないか?は、ともかく自覚はある。まっ真っすぐ進む年齢では無いが、曲がりくねった坂道ても、上に向かって行く心持ちは、この炭治郎と同じ気持ち。

ただ倒す敵が決まっている炭治郎と違って、誰を目標にしているか?となると、昔の俺には負けたく無い・・・ただそれだけなんだけれどね・・・だから、いつかの俺が見て。ボスキャラのように下に見るか?上を見上げないとならないのか?

と常に、そう簡単にはやられたく無いな・・・が目標。

 


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