katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

フェルメールのリピーターさん教室とペンキ塗りの続き

2022-02-04 07:52:57 | モザイク作家

今日は午後からフェルメールのリピーターさん教室。それまでは小学校の卒業制作の下地のペンキの続き。

トリマーで彫ると、所々木が欠けてしまうのね。杉は柔らかいからね。ただその欠けた所が、ペーパー掛けの時に全部判るとは限らず、ペンキの下塗りしていると、あっへこんでる・・・みたいに見つかって、そこをこうしてパテ埋めして、

またペーパー掛けしてペンキ塗り・・・この繰り返しになるのね。まぁここでも地味な事の繰り返し。

ではお教室。そうね、ここまで来るとほぼ完成に近く、大きく崩れる事も無いから、何も起こらず終わると思うのね。

ただそんな余裕に似た時間帯になると、その余裕から以前見えなかったものが見えたりするのね。まぁ当たり前って言えば、当たり前なんだけれど、名画に限らず何かを真似して作ろうとする時、大抵その画像を見ながら作る事になるのね。

その時に、普通はコピーなんかしたものを見るんだけれど、今はスマホとか印刷されていない画像でやったり出来る。その時に、あれこれ調べると、色合いがその都度変わって来るのね。もはやそうなると、どれが正しいのか?って話になる。

しかも、検索していた画像がどれだったか?なんて事になると、その都度変わると、微妙な色合いが変わって来るし、最初に見た画像で、タイルも発注しているから、色合いが変わると、この色何処に使う予定だったんだろう?なんて事も、

多々あったりするのね。今、まさにそんな事になっていたのね・・・その時に、先を急ぐなら、そのまま進めになるんだけれど、ここまで来たら慌てない・・・ってスタイルが剥がして直したいになって行くのね。ここが大事な所なのね。

そもそも始まったばかりで、几帳面に剥がしたい・・・って人がいるんだけれど、その場合は大抵却下するのね。何故ならまだその果てしなさを知らない段階で、いちいち剥がしていては、三歩進んで二歩下がる・・・って歌のようになる。

覚悟が無い段階でそんな事をしていたら、いつまで経っても終わらない・・・に拍車が掛かるし、ダメなら剥がせば良いや・・・の癖が付くと、やり直しがいくらでも利く・・・って気持ちが緊張感が無い分、上手くはならないのね。

例えば、音楽なら演奏に失敗したら弾き直せば良いや・・・とか、もう一回打ち直しって出来るスポーツなんて、上手くなる要素が無いでしょ?後が無い緊張感の一手の繰り返しが上手くなるコツだったりするんだけれど・・・・。

ただね、そればっかじゃ疲れるし、詰まんなくなるだろうから、楽しむ・・・って言うのも必要だし、楽って言うのにも繋がる。音読み訓読みで紙一重って言うのはそんなもんだったりする。ただ、上手くなるって言うのは、その技術。

吹けるようになるだとか、打てるようになるとか、切れるようになるとか、要するにその分野の最低限の動作が身に付く事で、それを上手くなるって表現するのね。だから勘違いしやすいのね。本来ここまでははただの基本なのだから。

やっとその分野で楽しめる段階に入れる・・・そんな事なのね。その技術を持ってして、さぁお好きな物を・・・って、言う時に、似ているって言う贋作寄りのスタイルへ行くも良し、オリジナルに行くも良しになるんだけれど、この2つの道

が分かれ道なのね。何故なら、似ているってスタイルは、ちゃんと、きちんと、慌てずに今まで通り進めば、その内終わるし、そこそこの結果はいつでも付いて来るのね。それは新しい事が一切無いから。モチーフが変わった所で、キチンと

時間を掛ければ、今までとスタイルは何ら変わらないからなのね。しかしオリジナルに・・・となると、全く話が変わって来るのね。何故なら手にした技術は動作だから。オリジナルって言うのは、考える、生み出す力の事だから。

つまり動作だけ身に付いた・・・これでスタートラインに立ったって事であり、まだ未知数なのね。つまり考えるって行為は0点スタートなのね。でも考えるって言うのは、楽器が弾けなくても、ラララってハミングでも、スポーツでも、

見るだけでやった事は無く、でもその分野に詳しいって感じなら、戦略として作戦を考えるって事になり、ただ打てる、ただ取れるって人とは全く違うし、漫才にしてもネタを考える人と、それを演じるだけの人とは全く意味が変わって来るのね。

つまりちゃんとその動作を理解して、戦略を考える・・・ピアノが弾けて、作曲をする。って感じになる。ただ今風なら、パソコンで字を達筆にしたり、歌を作ったり、絵を描いたり出来る例外はあるけれどね。

話は戻して、でも世界一の演奏が出来るからと言って、素晴らしい作詞が出来るか?って言うと、演奏が優れれば優れるほど、歌詞はへっぽこに見えるだろうね。それが中々揃わない事が普通だったりするのね。でも大谷選手は二刀流。

必ず例外ってのはあって・・・そうね、例外ね。まぁ最高の憧れだろうね・・・シンガーソングライター的なものは。きっとその最高峰的な人が達郎さんで、全ての演奏、ハーモニー、作詞作曲して、自分で歌う・・・しかも営業として成り立つ。

ただ配信ってだけなら、いくらでも今なら出来るが、プロとしては営業が成り立たないと次が出来ないからね。ここがアマチュアとプロの違いだったりするのね。それだけで生計を建てなきゃならないからね・・・。

他にアルバイトしつつ・・・では、誰も認めてはくれないでしょ?おっと話を戻して、つまりオリジナルって言うのは、初めて考える・・・って言う、自分のやりたい事をまとめて具体化する事になるのね。でもいきなり10なんて無理なのね。

例えば大きさから決めるとか、メインのモチーフを決めるとか、ザックリとした事から始めるのね。ここが厄介な所で、何も知らずに始めれば、良い事なら知らぬが仏で、痛みも判らずに完成までたどり着くかも知れないのね。

それが労作展の子供達。何しろ時間を掛けて取り組む。そうして結果が出た人になる。所が、当然覚悟も無く始めると、その果てしなさは余りにも面倒で、宿題でも無い大人には厳しい状況になったりもするのね。

所がこうしてそんな中、完成間近なんて所まで来るようになると、時間が掛かるのは当たり前って言うのが身に付いているから、慌てるなんて事は一切無くなるのね。だから壊しても良いのね。壊す痛みも知っているから。

折角張ったのに・・・勿体無いな・・・を知ってて壊すのだから。何も知らなきゃ平気で壊せるし、だから遺品整理は他人がやる方が良いのね。身内がやったら、思い出いっぱいになるからね。話を戻して、つまり動作が身に付いた人って、

打撃7点、守備0点の人かも知れないし、作曲8点、作詞0点かも知れないって事なのね。それが逆に初めての人は、動作0点、でも考えるは力は4点かも知れないのね。例えば料理が出来ずに味にいちゃもん。ほら動作0なのに、口3じゃん。

みたいな事なのね。それは動作を知らないからなのね。これが上手くなればなるほど、知っているが故に、これ難しいかな?これ時間が掛かるよな・・・みたいに、知った事、上手くなった事が、自分に規制を掛ける人だったり、逆に動作を

身に付けただけなのに、何か凄いものを作ろうと壮大な大作を思い描くのに、小さいキャンバスに押し込もうとしたりして、上手く行かなくなる前に、俺にもっと大きくして・・・とか、これ減らそうか・・・みたいな事で、嫌になったり

してしまうケースなんて事があったりもするのね。ただちゃんと折り合いが付けば、誰にでも出来る事なんだけれどね。だからそうした事をご理解された人って言うのは、こうして結果はちゃんと付いて来るもので、当たり前な事なのね。

失敗する要素が少ないから・・・。でもそもそもが、普通は成功しようとするのね。しかも最高の条件でね。当たり前なんだけれど・・・。でも、恐らく成功するには成功する理由があるし、仕組みがあると思うのね。

ただやみくもに走れ・・・って言ってた大昔のスポーツみたいでは、結果を残す確率は低い。要するに失敗する要素を何個減らせるか?だけだと思うのね。その個数が減れば減るほど、残ったものは成功に近いものになる。

例えば、そうねじゃ恐らくここを見ている人が、絶対にやった事が無い金魚の選別なんて事で説明して見る。その意味は、やったことが無いって事は、想像をするって事なのね。つまり考えるって事の初歩だから。興味があったらついて来てね。

まず稚魚がいっぱいいます。きりが無いし、こんなの全部大きくなったら飼う場所がありません。じゃ少なく見積もって500匹います・・・って事にしようかな。素人の人に説明をするのだから、判りやすく選別をして貰うには、良いと思う

金魚をすくって・・・じゃ無くて、いらないのを排除になるのね。好きなのを見つけて・・・は、金魚屋さんで見かける大きさになってから・・・つまりガッキーやらバッサーやら可愛いって完成形だから判りやすいが、生まれたばかりの稚魚。

赤ちゃんの時に判るかな?美人になる・・・って。でしょ?つまり消去法になるのね。つまり体が折れてるとか、泳ぎが悪いとか、大き過ぎる、小さ過ぎる、そうして第一段階で落とす。まっこれは有名運動系に多いでしょ?

基礎体力で落とすとか、見栄えで落とすとかね。じゃ次は、もう少し様子を見る段階になると、大きくなるにつれて、色合いとか、小さかった時に見逃した欠点が見えたりするのね。だからまた落とす。ほら良いのを見つけるじゃ無くて、

悪いのを選んでいるでしょ?有名校の中から選ぶのは、選ぶだけなのね。無名校だらけの中から、より今後良くなるかもって言うものを想像して見つけ出す・・・って言うのは、選ぶじゃ無くて、想像して選ぶって想像が必要なのね。

つまりオリジナルを初めて作るって場合、大作であればあるほど、そんな壮大な想像なんていきなりは無理なのね。だから、その大きな想像から本当に大事なものを残す為の排除が必要になるのね・・・。言葉は残酷なんだけれど。

この方もそうだけれど、これ終わったら何しますか?って話をしても良い段階に来ているし、明日の方はまさにその話になるのね。そこが一番難しくて、そこが一番楽しい所なんだけれどね・・・。そんな後は朝の続きのペンキ塗り。

 

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« キウイ教室と小学校の卒業制... | トップ | ウォンバットのリピーターさ... »
最新の画像もっと見る