katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

夢の後片付け・・・窯ぐれ祭り・・・2部

2009-10-05 20:51:20 | 世界遺産をみんなでつくろ!
実は2日間で3紙の取材を受けた。すべてかぐやが去年と同じく連絡してあった。
その後に今回は組合からも連絡して下さった・・・

そしていらっしゃったのが、岐阜新聞と中日新聞と朝日新聞の3紙。これは前の2紙。
内容はKatsuが組合に呼ばれて市川から来てモザイクタイル教室やってるよ・・・って。

そもそも岐阜では確か4箇所で同じ様な祭りを同じ日にやっていて、焼き物を扱っている
お祭りが人を集めている・・・だから取材としてもそれ中心に書いてある・・・

去年の傾向と対策で判り切った事だった。だからこそ何か大騒ぎなニュ-スが必要だった
そこで寄贈のうながっぱが必要だった。

この2紙はそれがとても出ていた。寄贈うながっぱについては一切触れずに、教室と
笠原で窯ぐれ祭りってのをやってるよ・・・・だけであった。

他の場所については盛況で、美濃焼を半額で売っているよとか、とっくりとっくん作りとか、何しろ盛況さが伝わって来た・・・・しかし寄贈に触れてくれなければ、

さして大した話題性にはならない・・・それでも無いよりはマシでそれを見て下さった
お客さんもいた。ここまではそれはそれで有難いが・・・・

それと、こんな記事になってしまった理由もこちらにある。ついていなかったのは、
2紙が取材してくれた時に閑古鳥が鳴いていた事である・・・・

作品はそこそこ売れていたのに、教室はサッパリだった事・・・なのに終わって見れば
64名・・・・これが朝日新聞の1社だけは何度もいらっしゃって下さり、

何度と無く忙しい状況を見て下さって、出直されて取材をして下さった。
当然、色々な話も聞いて頂けて寄付のうながっぱについても関心を持って下さった。

それが今日の朝日新聞に載る事も、事前に連絡が入りこちらに送ってくださるとの事。
すべての対応に1流紙である事が伺える。

寄付について書かれてあれば、祭りは昨日で終わっていてどの祭りについても書かれて
いないだろうが、笠原の窯ぐれ祭りについて、寄付のうながっぱについて、

今日、朝日新聞には書かれているはず・・・これが最初からの計画の1つ。

祭りの1日目に載れば、宣伝として人が集める事が出来る。しかし寄贈について触れて
くれれば、笠原だけが今日も載る事が出来る。窯ぐれ祭りのイベント屋としては

最高のパフォ-マンスになったはずだ。どんな事をしても盛り上げる、認知して貰う。
その代償として1ヶ月を働く事になるのも致し方なかった・・・・

それが節約したりして9万弱の金額になった・・・・1ヶ月でね・・・おぉ痛いぃぃ。
引き替えなのだから、大きく扱って貰えると幸いなんだけれどな・・・・

さてそんな中、祭りの後始末。まずはかぐやに借りた作品の梱包と送る段取り。
それとアトリエ内の荷物の整理・・・するとす-さんが作品を取りに来てくれる。

照明器具とテ-ブルが残った。神殿のような立体物とあの鏡の売上はみんなの分として
くれた。まっその分としてまたガラスタイルなどの材料と引き替えにした。

当然、結果報告もしなければならなくて短い時間だったが、伝える事は出来た。
その中で出た話でおぉって思った事があった。

1つはまた作品を作っている事。一過性では無さそうだ。それと倉庫を片付けて、
Katsuの作品を展示しよう・・・って話。どうやら本気になってくれたようだ。

新しい事を始めると言う事は、みんなの力が必要なのだ。俺1人じゃ何も出来はしない。
す-さんだって窯ぐれ祭りに行きたかったはず・・・けれどそこまでの予算は無い。

それを送ってくれてその間も作品を作り、展示の話までする・・・こうなるまで10年も
掛かったが、やっと本気になってくれたようだ・・・・

こうやって少しでも本気な仲間が増えると、大きな事が来た時の準備になるのである。
何事も小さな事をコツコツ積み重ねて行く事が大事なのである。

ホップ、ステップ、ジャンプなんてのは2流の口にする事。本当はホップしか無いのである。ホップしていった暁に振り返った時に、あぁあそこがステップであそこがジャンプだ

・・・ってもので常にホップを毎日やっていれば良いのである。人の生き様なんぞ、
小さいもので、コツコツの積み重ねを誰かが見てくれて、感情移入をされた時に、

人が人を呼び、売れるに繋がるものであると考える。だから俺は箱には付かず、人に
付く。箱に媚びるのは俺のスタイルでは無い。

勿論、腕はあって当然なのは言うまでも無いが・・・・ね。

そんな中、タピオカやキウイがやって来る。ここにも結果報告。詳しくはブログ読んで
ね・・・と言ったけれどね・・・・

更にそんな中、また光るタイルがTINさんから送られて来た・・・・それを前に、
俺は少し寂しい気がした。以前は頻繁に出入りしていた会社。

こう言う半磁器のようなタイルからの撤退による手に入ったタイル・・・こんなものが
喜べるようでは人間が問われる・・・夢の後に見えた・・・・

弟子は当然として、タピオカやキウイクラスには話そうと決めて、これをみんなで使い
作品を作ろう・・・良い供養しようって・・・・

今は撤退かも知れない・・・がしかし、ノウハウさえ知っていれば、これが売れるように
なれば、また復活するはずである。いつかその日が来るまで・・・・

このアトリエにある光るタイルが最後の半磁器の光るタイルなら、これに応えるには、
大作を作って世に残す事が大事・・・・次のユ-ミンママの壁画で思い切り使うつもり。

それに応える自信もある。社長が俺にわざわざ下さったのは、光るタイルを自在に扱う
ア-チストと認めなされたと判断するからである・・・・

数十万と詰まれた光るタイルを見ながら刹那さと有難さと虚しさと悔しさと、力の無さを
痛感した。もう少し俺に力があれば・・・・力量を問われてしまった・・・・

もう二度とそう言う事の無いように・・・・ティ-ア-トさんと山周さんに電話をした。
少ないながらも売上での注文を追加した・・・・

それと2日後のユニディ教室が3名との事で仕込みを2つやって返って来た・・・・

そうそう、1部での多治見市が親分で笠原が子分・・・そして寄贈が年貢の比喩の説明。
古き昔からこの国では当たり前の事。力の強いものが弱いものから年貢を取る。

それがこの国のル-ル。ならば合併によって1つになったとは言え、笠原を多治見に
理解して貰うには、タイル業界の発展に他ならない。

その助っ人として雇われたのだから、タイルとは?建材では無く装飾品なのだ・・・と
言う認知も必要である。建築材としてだけでは、少子化のおり今後も衰退の一歩である。

しかし、焼き物を扱った祭りは他県から人を集めていたのは事実。それならばと、
生徒のみんなで土地のタイルを使って作品を作って、底辺を広げる行為は悪く無いはず。

少なくとも相当な数の作品が売れたのも事実。そして底辺拡張と共にお上への年貢として
飾って頂けるのなら、より多くの人達に笠原はタイルの町である事へのアピ-ルになる。

こんな事は微々たるモノで何にもならないかも知れない・・・がしかし、何もしなければ
今までと同じなのだから、衰退する事はあっても復活は無いと思われる・・・・

あえて書けば保守的な町で、大臣になっても他県から来ても誰でも自民党なら何でも
良かった・・・が今回の選挙では民主党が勝った。

本気で何かを考えればいつかそんな事も起こるのである。勿論、良いか?悪いか?は
4年後に問われる・・・しかし変わる事は確かである。

今までと同じならば、どこがやっても同じだった事になるのなら、次はどこでも良く
なってしまうのだから・・・・

物事を変えるとは?勇気のいる事である。しかし人が何かをしようとする時に、何も
しない奴ほど口を出し、何もしないものである。

本気の奴は自分の時間をいかに人の為に割く事が出来るか?である。
悪ければ非難し、良ければ乗る・・・それが世の常。

俺は俺の道のみを信じて真っすぐ進む・・・それが今、判って貰う事が無くても・・・
これだけ人が集まるのだから・・・間違ってばかりじゃないはずなのだから。

って真面目な話はここまで。さて、こんなのがあったから見て。


良く張ったよね。何か聞いた話だと、笠原のみんなで張ったらしいのね。
でもね、このタイルメチャメチャレアなんだよ。もう作っていない何十年も前の。

俺にはお宝過ぎて・・・あぁここに張っちゃったのかぁ・・・とも思えた。
もう無いんだよ・・・ほとんどのタイルが・・・

勿論、逆も真なり。これで捨てられるような事は無いだろうし、展示されている
のだから、人目にも付く場所に出てきたのだから、ぼぉぉとただタイルが置かれて

いるよりも有効的とも言えるだろうから。でもなぁ・・・俺、欲しかったなぁ。

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