今日はかぐやとコープみらい越谷さんで出張教室。本日は3名。ではご紹介。
みんなサンプルとは少し変えて・・・華やかになったのね。前半はスノーマンからなんで、カットが多くなるのね。恐らくそれで疲れて、後半のバックは張るだけ・・・って流れなんだけれど、
後半になって、ある人が先生最初怖かった・・・って言うのね。しかも、もっと言えば、かぐやが先生で、この人はなんだろうな?って感じだったらしいのね。そんな中、3回目って方が、最初私も
怖いなぁ・・・って思ったけれど、先生は優しい人ですよ・・・ってフォローしてくれて。まぁ有難い話だけれど、初見は怖く見えるんだねぇ〜。口元はマスクなんだから、目がきつく見えるとか
・・・話し方なら、職人の時のテヤンでぇとか、べらんめぇみたいな、落語の江戸弁的な事なのかなぁ〜・・・いずれにしても、一般的な会社員の人の言葉では無いのね・・・確かに。
後は作務衣かなぁ・・・まぁ何はともあれ、完成度に満足されていたから、俺がどうであれ、それが一番大事なのね。それと、毎度の話なんだけれど、今の話と全て一緒なのね。まず見た目。
例えばこのスノーマン・・・どんな風に見えるか?恐らく可愛いって言うと思うのね。ここがフェイクなのね。この入りで言うと、可愛いものはいくら?とか、可愛いものが難しく感じるか?
って言うと、人は見た目で判断するから、可愛いって言うのは、簡単そうで、安そうなのね。これが見た目凄いに変わると、高そうで難しそうに変わるのね。つまり簡単そうだから、出来るって気
がしていたら・・・最初につまづく可能性があるって事なのね。勿論、何でも例外はあって、ただ純粋にやって見たかった・・・ってのもあるし、欲しかったからって言うのもある。でもね、
それでも、始まればすぐに判る事なのね・・・それはモザイクって言うのは、張るって事と切るって事がある・・・って前提で、後は切るだけじゃん・・・って表現と、後は張るだけじゃん・・・
って表現があったとする。普通どっちの表現が多いと思うかな?それは圧倒的に、後は張るだけじゃん・・・なのね。まず張るって行為を何度もした・・・他の分野だけどね。経験値があると。
思い込むのね。でも切った事はある・・・大根も紙も・・・でもそれは、包丁であり、はさみだった・・・でも張るのは所詮ボンドやのり・・・使った事がある。とね。こんな判断をするのね。
ここなのね。切る事には謙虚なのに、張る事は過信している。こんな場合を当てはめると、切る事に謙虚になる・・・初めてだからみたいにね。そうなると教わりたい気持ちが強くなる。
そうね、出来ないかも・・・になるから。所がそこを乗り切れば、後は張るだけって気持ちになり開放されるのね。ただそこには落とし穴があって、出来る判断だから、自由になる。
そうなると好きに選んで、好きに置いたりするのね。ある程度色が決まったら、1枚ずつ張って下さいね・・・と言っても全部置いちゃったりもするのね。ただそんな場合、張り出すとあれこれと
入らなくなるのね。そこでどうしてだろう?って言うのは、当たり前で、ここの常連さんなら聞き飽きた話で気なのね・・・どう言う気で置いた?要するに大体、暫定なんて感じに置いただけ。
つまり入ったって感じなのね。だからそんな場合、そんな気持ちで張れば良いのね。でもそれを大体、暫定なものを、急にきちんとちゃんと張ろうとすれば、当然目地幅を統一しようとしたり、
目地幅を狭くしてきちんとちゃんと・・・にしようとすれば、簡単な話、カジュアルを急にフォーマルにしようとする訳で・・・そしたら入らなくなったり、隙間が空いたりすると、並べた時点で
後は張るだけ・・・に気持ちを決めちゃえば、トラブルが起これば、えっ?って事になる。これが油断の仕組みなのね。思い込まずに初めてだから・・・と出来れば、心持ち、気持ちでは一切
崩れる事は無いのね。そう言う点では、経験者はあの時のタイルとは切れ味が違う・・・とか、丸って難しいですよね・・・とボタンを1つにしたり・・・工夫したりするのね。逆に無理に・・・
って思わない人は、切れない・・・って言えば、3人の生徒に2人の先生なんだから、いくらでもフォローが出来る訳で。まぁ楽しいって言うのは、たのしいでは無く、らくとも読むのだから、
そればかりでは無く、ちょっと小難しい・・・なんて事を考えているんだけれど、まさかこのスノーマンでそんな事をしようとしている・・・って思われないだろうなぁって言うのは、やる前から
判っている事だから、良いんだけれど、まさか怖い人に見えるとはねぇ・・・ちょっとビックリだったのね。そんな後は、アトリエに戻ってまたしながわ水族館用下地をやったのね・・・。
ザックリ数えると、全て終わると450枚位はあると思うのね・・・。
みんなサンプルとは少し変えて・・・華やかになったのね。前半はスノーマンからなんで、カットが多くなるのね。恐らくそれで疲れて、後半のバックは張るだけ・・・って流れなんだけれど、
後半になって、ある人が先生最初怖かった・・・って言うのね。しかも、もっと言えば、かぐやが先生で、この人はなんだろうな?って感じだったらしいのね。そんな中、3回目って方が、最初私も
怖いなぁ・・・って思ったけれど、先生は優しい人ですよ・・・ってフォローしてくれて。まぁ有難い話だけれど、初見は怖く見えるんだねぇ〜。口元はマスクなんだから、目がきつく見えるとか
・・・話し方なら、職人の時のテヤンでぇとか、べらんめぇみたいな、落語の江戸弁的な事なのかなぁ〜・・・いずれにしても、一般的な会社員の人の言葉では無いのね・・・確かに。
後は作務衣かなぁ・・・まぁ何はともあれ、完成度に満足されていたから、俺がどうであれ、それが一番大事なのね。それと、毎度の話なんだけれど、今の話と全て一緒なのね。まず見た目。
例えばこのスノーマン・・・どんな風に見えるか?恐らく可愛いって言うと思うのね。ここがフェイクなのね。この入りで言うと、可愛いものはいくら?とか、可愛いものが難しく感じるか?
って言うと、人は見た目で判断するから、可愛いって言うのは、簡単そうで、安そうなのね。これが見た目凄いに変わると、高そうで難しそうに変わるのね。つまり簡単そうだから、出来るって気
がしていたら・・・最初につまづく可能性があるって事なのね。勿論、何でも例外はあって、ただ純粋にやって見たかった・・・ってのもあるし、欲しかったからって言うのもある。でもね、
それでも、始まればすぐに判る事なのね・・・それはモザイクって言うのは、張るって事と切るって事がある・・・って前提で、後は切るだけじゃん・・・って表現と、後は張るだけじゃん・・・
って表現があったとする。普通どっちの表現が多いと思うかな?それは圧倒的に、後は張るだけじゃん・・・なのね。まず張るって行為を何度もした・・・他の分野だけどね。経験値があると。
思い込むのね。でも切った事はある・・・大根も紙も・・・でもそれは、包丁であり、はさみだった・・・でも張るのは所詮ボンドやのり・・・使った事がある。とね。こんな判断をするのね。
ここなのね。切る事には謙虚なのに、張る事は過信している。こんな場合を当てはめると、切る事に謙虚になる・・・初めてだからみたいにね。そうなると教わりたい気持ちが強くなる。
そうね、出来ないかも・・・になるから。所がそこを乗り切れば、後は張るだけって気持ちになり開放されるのね。ただそこには落とし穴があって、出来る判断だから、自由になる。
そうなると好きに選んで、好きに置いたりするのね。ある程度色が決まったら、1枚ずつ張って下さいね・・・と言っても全部置いちゃったりもするのね。ただそんな場合、張り出すとあれこれと
入らなくなるのね。そこでどうしてだろう?って言うのは、当たり前で、ここの常連さんなら聞き飽きた話で気なのね・・・どう言う気で置いた?要するに大体、暫定なんて感じに置いただけ。
つまり入ったって感じなのね。だからそんな場合、そんな気持ちで張れば良いのね。でもそれを大体、暫定なものを、急にきちんとちゃんと張ろうとすれば、当然目地幅を統一しようとしたり、
目地幅を狭くしてきちんとちゃんと・・・にしようとすれば、簡単な話、カジュアルを急にフォーマルにしようとする訳で・・・そしたら入らなくなったり、隙間が空いたりすると、並べた時点で
後は張るだけ・・・に気持ちを決めちゃえば、トラブルが起これば、えっ?って事になる。これが油断の仕組みなのね。思い込まずに初めてだから・・・と出来れば、心持ち、気持ちでは一切
崩れる事は無いのね。そう言う点では、経験者はあの時のタイルとは切れ味が違う・・・とか、丸って難しいですよね・・・とボタンを1つにしたり・・・工夫したりするのね。逆に無理に・・・
って思わない人は、切れない・・・って言えば、3人の生徒に2人の先生なんだから、いくらでもフォローが出来る訳で。まぁ楽しいって言うのは、たのしいでは無く、らくとも読むのだから、
そればかりでは無く、ちょっと小難しい・・・なんて事を考えているんだけれど、まさかこのスノーマンでそんな事をしようとしている・・・って思われないだろうなぁって言うのは、やる前から
判っている事だから、良いんだけれど、まさか怖い人に見えるとはねぇ・・・ちょっとビックリだったのね。そんな後は、アトリエに戻ってまたしながわ水族館用下地をやったのね・・・。
ザックリ数えると、全て終わると450枚位はあると思うのね・・・。