katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

やっとの事で・・・Ducatiのモザイク

2020-06-24 07:58:33 | モザイク作家

今日も丸々1日Ducatiのモザイク。何しろ残りの日にちを考えると、どうしても今日バイクを張り終えたい・・・って気持ちでスタート。残した部分は、エンブレム、前輪後輪、下部の桜の部分に12の数字の下のマフラー・・・結構ある。

ただそうは感じたものの、午前中にエンブレムと前輪が終わった時、これなら終わるかも・・・って気持ちになったのね。昨日の段階では、1.2日って気持ちだった。でも実際始めようとした時、気持ちはあっても吞まれそうな感じだった。

ただ、とは言え残り時間を考えると・・・って気持ちもあり、そんな中、実際始めると半日でここまで終わるのなら・・・って。これもまた昨日のマラソンの話と一緒で、ゴールが見えて来た事のラストスパート的なもの。

気持ちが折れるのか?後少しって気持ちになるのか?みたいな・・・そんなこんなで、やっと張り終わった。と同時に、その後、バックの構想・・・実際山周さんのタイルを置いて見て、思っていた事との差の比較。

割と大き目なタイルでもあるので、細かい部分をどう切り抜けられるのか?だったり、そもそも実際に置いて見て感じはどうか?みたいなね。そうね、中々感じは良かった。後はどう並べると更に感じが良くなるか?・・・

例えば1cmタイルみたいに見慣れた定番の場合、大根とか人参な感じで、使い勝手は良く知っている。そこに9mmで少し小さくても似たようなものであれば、左程変わらないと切れたりするが、今回の赤や緑は初めて切る9mmは新野菜。

実際切って見ると、これが中々難しく・・・簡単に説明すれば、普通裏面の足と言われる部分が平らなのに、この9mmのタイル、その足が突起が4本出ていて、そこに当たるとグシャと粉々になってしまったりして・・・切れる場所がある。

これが経験値みたいな話で、似たような事でも、実際やって見るのと、思っていた事とのギャップは、やって経験値を上げないと、いつもと違う・・・って気持ちが、上手く行かない・・・って事になる。新しい素材ってそんな感じなのね。

ただまた新素材の山周さん。使った事が無いから、どうなるか?判らない。そもそも普通のタイルの使い方なら、切らない方が多いだろうが、何しろ畳1枚分の中で使うのだから、切らないと使えないしね・・・。

ただいつか慣れるし、工夫もして行くだろうし、慣れればそれも定番になる。こんな感じで素材って面は慣れもあるが、毎回の事で考える部分としての構想となると、毎回毎回その都度考える事になるから、いつも慣れる事は無いのね。

ただある意味ここが一番個性が出せる所でもあるんだけれどね。とは言え、今回はDucatiのバイクを和風に・・・って事で、技術としての切るって技でここまで似させて来た事で、時間を全面的に使ったのね。ん・・・そうね、例えば前回の

モンゴルの力士の額とこのDucatiの作品、きっと同じような時間が掛かっていると思うのね。でも前回はお題無しでの額をどうしようかな?からスタート。つまり力士があろうが無かろうが、関係無く、額になれば良いのね。それをどうする?

って言うのと、お題があって、しかも和風となると、感じとしては和風パスタ。ただイカ墨だろうが、きのこだろうが構わない・・・ってこんな感じなのかな?だから、大きく悩み事が違うのね。更に方や5mだからバラバラに作る事になり、

方やアトリエで1枚で収まる。どっちが良い?って言うのは無く、こっちにはこっち、あっちにはあっちの良し悪しがある。そんな訳でここからはアイデア・・・普通ならこう・・・じゃ普通じゃ無きゃどう?って感じ・・・。

けれど、見たら誰でも真似出来るような事になる。バイクの部分とは訳が違うのね・・・。ある意味、作り込んで永遠って作り方と、思い付きやフィーリングって感じのはかない感じの部分って言うのは、正反対にあるようなもので・・・。

まぁ必ずそうって訳では無いけれど、例えば歌、習字、スポーツなんでも良いが、自分と比較して、体験して差を感じて、上手いだ下手だと認識する。けれど、モザイクの場合、馴染みが無かったりすると、それが上手いか?下手か?の基準

が判らない。勿論超越する何か?があれば、何か凄い・・・になるんだろうけれど。ある意味、そっちは批評も制作も慣れるって話で、繰り返しで何とかなったりもする。所が、思い付きやアイデアって言うのは幅広く、限定するのは難しい。

そうね、例えば世界に1つだけの花の歌詞と、ど根性ガエルの歌詞。何処にも共通点が無いようだし、文字も被らないけれど、内容は一緒。最後に違う事があるのなら、花屋に並んだ・・・だから摘んで来た雑草では無いのね。

その時点でエリートな感じがするのね。けれど、シャツの中の自由の利かない環境下で、それでも、ど根性1つで普通のカエルでは無いけれど、カエルである。と言うのね。いずれも個性って話だけれど、俺は後者の方に向いているのかな。

なんて感じたりする。感じの問題は感じ無ければ感じないし、感じてしまうとこんな風に解釈は変わってしまうのね。花屋に並んだ時点で、エリート中のエリート。たんぽぽや朝顔では無い。勿論、朝顔でもエリートなら朝顔市に行けるけど

・・・。話は戻って、要するに感じ方は流動的になるから、更に難しくなる。どちらも伝わりづらいものではあるが、技術は判って貰える事がまだ早そうだけれど、感じ方って言うのはね・・・落語の、はたののりゆきなのね・・・。

かっぱダヌキじゃ判らなくても、観音様なら誰にでも判る。腕とはそんなもの。そう言う点では、このDucatiは観音様的な作品なんだけれど・・・勿論、ここまではね。この先のバックは、かっぱダヌキだからなぁ・・・。

何を選んでも難しくなる・・・。


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