katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

急きょタイル屋さん教室?

2021-06-24 07:43:01 | モザイク教室

今日は母が眼科へ行く事になり、ちょっと遠い事と、お教室も無かった事もあり、送迎する事にしたのね。ただ実は俺もちょっと目の調子が良く無くて、丁度良いからこの機会に俺も・・・なんて事にしたのね。

9時からの診療って言うんだけど、早めに・・・なんて言うんで7時半には到着すると、既に2人いて、そこに椅子もあって、しかも、自動で屋根も出て来て、まぁ随分と至れり尽くせりだなと思っていると、あっと言う間に長蛇の列。

日頃病院に縁の無い俺には、びっくりな光景なんだけれど・・・それと、ここの病院は50年前位に来た事があって、しかも今聞いている江戸川FMで番組も持っていたりして、毎週病院長のお話を聞いていたりもするのね。

まぁしかし、そんな昔の話からすると、とても大きな病院になってて、それもビックリだったけどね。そんなこんなで、昼前には診療も終わり帰宅となるのだけれど、実は朝一番で仁科タイルさんから電話があって、今日います?って。

そんな訳で、戻り次第連絡します・・・と言う事で、アトリエに向かったのね。それがてっきり早じまいのついでにって感じかな?と思いきや、お教室って言うのね・・・マジで・・・。しかも持ち込みのコースターの実験なんだって。

要するに100均のコースターを仕上げたら、木が反るか?って実験らしいのね。それを4枚作りたいって話だったけど、流石に下絵を写す事からとなると、バック色決めみたいな事まで考えていたら、難しいだろうな・・・と思ったけど・・・。

結果としては2枚張り終わったのね。ただ流石にタイル屋さん。ニッパーの使い方が上手いし、細かい事には参ったな・・とは言うものの、本当に困っているようには見えなかったし・・・ただ結果が2枚な事もあって、今週また来るって。

おいおい、どうした?・・・って感じもあるが、厄介な話だけれど楽しいのね。何せ親同士が兄弟弟子。そんな付き合いが出来るなんてのは珍しい事だし、彼も俺も引き継ぐ者がいないから、俺達の代でおしまいなのね。

そんな話が出来る事自体が、思い出の1つになる。誰の?俺の親父のね。その話をすれば、聞き慣れた名前・・・昔良い事もあったろうし、苦い話だってある事だろうが、それを思い出す事が出来る事が、ある意味幸せなんじゃ無いのかな?

恐らく自分発信の話なんて、そう持ち合わしていないだろうし・・・・それともう1つは、俺に取ってと言うのなら、まぁ数少ない理解者なんだろうね。離れて行く人も多い中、何も変わらずに、いやこうして気に掛けてくれている。

同じ距離感、同じスタンスって言うのは、中々難しいモノで・・・熱くなったり、冷めたりするのは多いが、ずっとぬるい感じの・・・でも寒くも無く、でも暖かい訳でも無く。無理をしない距離。

それは続けていると判るが、そう言う人は、受け取る側次第なのね。自分が困っている時はそのぬるさは、困っている分、凄く温かく感じるし、仮に嫌な事があったとしても、ぬるい分、冷めて来る。ただ相手はいつも通り。

そこに何の利害関係も無いし、純粋に応援してくれるから、こちらとしてはその姿を見せるだけ・・・実に居心地の良い距離感だったりするし、言葉は好きでは無いが気楽であったりする。いや、心地良いにしとくかっ。

ただね、厄介なのは、こうしてお教室となると、教えないとならないじゃ無い?何かさ・・・先生って立場になる訳だから・・・でもね、この内容のモザイクでは、タイル屋さんに教える事は無いのね。そう技術なんてね。

じゃ何を教える?・・・ってなると、先生スイッチから作家スイッチに切り替えないとならないのね。つまり単なるモザイク先生では無くて、想像、洞察、観察力って目に見えない指導。これはタイル屋さんでは習わなかったからね・・・。

まっここを見ている人なら、簡単な話で、タイル屋さんのように伝統、継承みたいな修業とか反復みたいな同じ事を繰り返す職業の場合、教わるのでは無く、見て盗め・・・と教わるのね。ほら、そうすると、観察、洞察力が大事になる。

勿論、その上を行く事になると、想像する・・・なんて事になるのね。あぁするのは、どうしてか?みたいにね。ただ真似するのでは無く、その行為の意味を知る事で、自分なりの解釈で、はしょったり、追加したりして、バージョンアップを計るのね。

これが一つの分かれ道。まぁ会社に残るか?独立するか?みたいなね。伝統、継承で生きるなら、己の考えは捨て、色を消し馴染む。まっ言葉なら、郷に入っては郷に従えみたいな話。それとは逆に生きれば、自分色を見つけないと呑まれる。

そんな話。おっと戻して、それなら盗むの得意なタイル屋さんだから、眼に見えない指導って要らないじゃんみたいに誤解するが、つまり盗むには盗む相手が必要なのね。察しが良い人は気が付いただろうが、通常の職業は既に基本とか、普通とか、盗むものがあるのね。

要するに常識って言うものがね。レシピだ、図面だ、楽譜だ・・・って言うのと同じで。それをそのまま盗めばコピーや贋作、パクリって話になる。所がデザインのように目に見えるモノは、そう言う言葉に当てはまるが、伝統、継承みたいな

技、技術って言う眼に見えずらいものをパクリと言うか?となると、おっ、海老蔵さん、先代を上手くパクったなとか、円楽さん、先代の真似だな・・・って聞いた事無いでしょ?つまり名を受け継ぐって言うのは、そんな安い表現はされないのね。

ただじゃ師を持たずに出来るのか?となると、自己流ってのは1代横綱みたいなもんで、強かっただけになりやすい。技術は優れていても、教える技術は自分が上手けりゃそれで済むって訳じゃ無いのね。ただ面倒な話で、昔はそれで良かったのね。

要するに自分が上手けりゃ、それを見せて盗め・・・後は自分の問題。何と楽な事でしょう・・・ただね、でも真似する側は必死なのよ。そりゃ、やってもやっても追い付かないし、褒めるなんて無く、けなして、さげすませ、叩いて・・・

修業なんて奴隷寸前みたいな話なのね。でも理に適っているのね。雨後の筍のように誰もが出来たら、質も落ちるし、競い合う事になる。しかも値段の安さのみでね。そうして全ての業種は質を下げまくって、行き付いた所は能率効率。

それとメーカーの向上した製品。ほとんどのモノは、質が上がり、素晴らしい製品になった。つまりそれをいかに早く人件費を掛けずに取り付けられるか?が仕事になった。それが昔は諦めてなれない人達がいたのだから・・・。

つまり製品が悪かった時代は、腕の見せ所があって、工夫が問われたからこそ、誰がやったか?って言う事があったが、今は製品は優れているから、器用な人と職人の差が大きく離れづらいもので・・・。しかも道具の進化。

いかに器用に使いこなすか?は必須だったりして。おっとまたズレちゃった。戻して、要するにタイル屋さんのように、いつも同じ仕事の繰返しの場合、工務店やお客さんの決めたタイルをきちんと張る。この繰り返しなのね。

つまり与えられた場所をどう収めるか?になる。仕事を取るって話も一緒。工務店からの依頼を待つだけなのね。つまり考える・・・ここが大きく欠落しているのね。つまり自分が用意したコースターの中に何を作ろうか?って事になった時に、

四角くきちんと目地幅を揃えて・・・これなら得意なのね。しかしお風呂やキッチンのように広ければ、素人と差を付けられても、コースターで圧倒的な差を生むのは、俺にも不可能かな・・・そんな規定演技でも難しいのに、絵を作る・・・

これはデッサン力が問われるのね。ただ子供さんに得意な方がいらして、そこは打ち合せ済みらしく、そこを悩まなかったのは大正解だったけど、仮にもしノープランなら事件だったのね。何せ上手いのは切る張る技術であって、デッサン力では

無いのだから。しかも盗む事は得意であっても、デザインをそのままやればパクリになるし・・・ほら、サンプルって良いでしょ?それを真似してね・・・って用意したものなんだから。でも、今日はそんなの用意して無いし・・・。

それがあっても2枚なんだから、モザイクってそんなに楽じゃ無いのね。ただこれだけ精度良いパーツなら、時間が掛かって当然なんだけれどね。そんなこんなの良い時間だったのね。そんな後は、トラックの玄関ポーチ。

ちょっとだけね・・・。

 


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