katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

Ducatiのモザイク

2020-05-25 04:44:36 | モザイク作家
今日は丸々1日Ducatiのモザイク。そうね、こう言う大作はユーミンママの壁画以来かな・・・?ただあの時とは違って、規定演技。オリジナルとしてデザインを考える事は無いけれど、そう・・・けれど。けれど、何があるか?となった時、当然何処まで似せられるか?になるが、そうする為には?となると、月並みだけれど、穴の空く

ほど良く見る。って言うのは当たり前なんだけれど、そう言う事にも増して大事なのは、作る姿勢と作戦みたいなものがあって、それはスポーツでも囲碁将棋のような事でもあったりするのね、俺の場合はね。例えば、ピンチの後にチャンスあり・・なんて言葉があるが、何故?そうなるの?って思ったりすると、それは精神的な

ものだったりする。つまりピンチのまま押し通されれば負けは確定する。当然相手は行けると判断するから、持っている力の全力を使う。いや、それ以上だったりもするだろうし、そこに観客の声援の後押しが加われば、更なる見えない力が加わる。当然劣勢や防戦一方なんて事になる。引けば増々押される事になる。そし

てそのまま押し切られればそれでおしまい。スポーツとはあっち向いてホイみたいに、あざむき、いかに相手に諦めさせるか?なのだから、戦意を喪失させられれば、押すのは簡単。所が万に一つの確率で、勿論それには相手の失敗など、アシストが必要だけれど、そこをしのぎ切れる事がある。それこそがピンチの後にチ

ャンスありに繋がる事で、それによって、一度は諦めかけていた気持ちのしのいだ側と、行けると思って全力でも攻め切れなかったと言う後悔すら感じる側の立場逆転の構図。そうなると、勝てなかった・・・と言う気持ちを抱えて今度は、守らないとならないし、逆に一度は諦めかけていた事が、無かった事にふり出し以上

の気持ちになったりする。こんな事が気持ち一つで起こったりする。これがスポーツって事なんだろうけれど、実はモノ作りも大作となると、まさにこれに該当するのね。要するに長い時間向き合う事になると、行けると思う事もあれば、果てしなさに諦め掛けたり、挫けたり、触りたくない事もあったり、どうしてこんな事にな

ったんだろう?と後悔したり・・・。つまり、向き合っている時間の長さは、環境や状況が季節のように変化する。飲み物1つにしても、暑いから・・・と冷たいモノを飲むだろうし、寒いからと暖かいモノを飲むようになるし、寒ければ手がかじかむなんて事もあったりする。暖かかった時は、手の痛みを感じ無くても、寒いと衝撃

が大きかったりもする。つまり同じ時間をやるにしても、環境だけでも同じ痛みにはならなかったりする。更に楽しくなる事が起きた場合と、辛い事があったり、自分に無くても、知り合いが困ったりした話を聞いた事で、感情移入をすれば、当然親しければ親しい程、ダメージが大きくなる。これがコースターや鍋敷きなら、3

時間内で終わるだろうから、そう言う影響を受けずに制作出来る。じゃこれをドラマの撮影なんかにして例えると、一話完結なら、2話目に髪をカットしても、美容院行ったんだぁ・・・って言う事にも出来るが、続きものだと、1日を2話またいだりする事があると、つじつまが合わなくなってしまう。これもまた同じ事で、短編なら

いちいち気にせず、その場の思い付きでも何とかなったりするけれど、続きものは、前後の繋ぎを考えなくてはならない。それが大作と小物の違いだとして、つまり大作は、自分の気持ちの変化に大きく左右されるもの・・・と認識して、1人スポーツなんだって気持ちでやったりするのね。つまり調子が良いから進むとか、気

が乗らないからやりたくないとか・・・では無くて、コツコツってね。それが仕事なら当たり前かも知れないが、それなら趣味では?それよりも気持ちが楽になるだろう。ただ楽になるのなら、余裕があるはずなんだけれど、そう言う理屈が通らないのね。何故か?と言うと、ある程度、強制みたいな見えない力が働かないと、中

々、自分をコントロールするって言うのは、ダイエットみたいなもので、ジムに通えば塾と同じで、やりたくないな・・・と思っても、強制力が働く分、結果は出やすい。けれど、1人でダイエットや勉強って言う事になると、余程の決意的なものが無いと誰にでも出来る事では無くなるのね。つまりプロは仕事って言う縛りがあっ

て、やらなきゃ・・・となれるが、趣味って場合は、それ以上の何か?を持てないと、まっ良いか・・・って簡単にやらなくても良い側に付けるのね。ある意味、プロよりも気持ちを作らないと難しいのかもね。ってここまでは、そこそこ単純な話なんだけれど、じゃプロは本当にそんな事だけ?となると、プロでも同じ事を毎日続ける

職業と毎回自分否定みたいに、新作を出して、また新作を出し、自ら旧作にしてしまう行為。この繰り返しは、まぁ追い込まれる事になるのね。しかも時間は限られたりするし、生きる為に予算の範囲内にしないと、継続出来無きなる訳で。良いモノが作りたい気持ちと、生活って狭間の中、何処まで折り合いを付けるか?って

ね。もう矛盾だらけ。これが気持ちって言う葛藤であり、いちいち気持ちでグラグラしていては、長い時間の中で、普通であっても色々あるのに、更にこんな事をもプラスしたら、気分良くなんて待っていたら、いつまで経っても終わらないのね。こんな事が気持ちって言う事の精神論的な事。だから極端に言えば、チャンスも

来なくて良いから、ピンチにならない様に防ぐ。そうすればいつも通り・・・みたいな安定感があれば、後は腕は裏切らない・・・って事に繋げられる。ただ腕は切る張る行為であり、動作みたいな話で、新しい事を生み出す為には、構想って言う常に考えるって行為が必要になる。って言うのがオリジナルのkatsuって言う人の

やり方であるのなら、規定演技の今回は、新しい事を考えるのでは無くて、どう終わらせるか?考える・・・つまり戦略になる。所が、そんなの何処からやっても、張る数は一緒じゃん・・・って人は、家事1つにしても、とっととやっちまえ・・・で終えられるんだろうけれど、上手く1日を回す人には無駄が無いもので・・・。例えば、外

食なんかに行っても店員さんの動き1つでも、お茶を出してオーダーを取って帰る人と、帰り際に食器を持って行く人とでは、はっきりとした差が生まれる。昔、タイル屋の修業の時、言われた事のみしか出来なかった頃、お前は飯食うぞって言ったら箸は使わないのか?って言われた。それがいつしか、お茶も用意しないと・・

になり、片付けるには一番最初に食べ終わらないと・・・となり、それは習う事でも、教わる事でも無く、気が利くかどうか?また気の話。気分だの、気持ちだの気なんてもんに左右されたくないのなら、受け入れて、俺は左右されるから、この長い道のりをどうこなして行くか?って考えるのね。その時に必ず自分の中に楽な場

所と、ここは辛いじゃんみたいな場所があり、甲乙丙丁ってものがあるのね。これを見余らない様にして、まずは最初から失敗したく無いから、安全な所で、始めるよ・・・って気持ちを整えて、元気なうちに厳しい所を責めるのか?まだ楽をするのか?みたいに自問自答になるのね。そんな中、今回は今月は強化月間にしたの

ね。厳しく攻めるってね。でもただやっていても、時間が解決なんて事じゃ無いのね。何処をどう攻めるか?こんな細かいパーツを隣同士キリが良いから・・・なんて、やっていたら、ピンセットで張ったばかりのパーツを倒したり、ボンドで隣のタイルを持って来ちゃったり・・・3歩進んで2歩下がる的な事になる。そこで少し離

れた場所に壁を作り、固まるまで放置している間にまた違うブロックへ・・・みたいに、それは囲碁将棋のような、時には戦国時代の陣形にも思えるようなある意味、戦略を立てて・・・そんな感じに進めるのね。それを漠然とやると、難しいゾーンばかりだったり、簡単ゾーンばかりだと、ピンチの後にチャンスありがあったり、

逆の立場になったりするもので・・・。子供の頃に習った、パン、おかず、牛乳の3角食べみたいな・・・とは言え、子供の頃はそれを知ってても、そもそも好き嫌いが激しいからおかずは残したけれどね・・・。いずれにせよ、出来るのなら淡々といつも通り・・・みたいな毎日の繰返しをしていたら、終わってた・・・って逃げ切りたいのが本音なのね。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする