katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁とラパンさんの相席教室

2018-12-19 07:09:36 | モザイク教室
今日は棟梁とリピーターさんの相席教室。それがこのリピーターさんだけハンドルネームが無くて・・・そもそも大体が何かしらのエピソードがあって、それを取って・・・って感じだから、自分を出して行かないと中々エピソードってのは起こらないもので・・・・。

それが例えば実家が大工さんだったから棟梁とか、金町湯のおかみさんとか、みんながお母さんって呼ぶからとか、意外と単純にそのままだったりして、決まったものはすぐに決まっちゃったけれど、この方はkameyaさんのメンバーで一人だけ決まっていなかったのね。

すると今日、先生ぃぃ私ラパンでお願いします・・・って事になったのね。兎年だからって。じゃそれで決定。さてそれでは棟梁から。先日、体調不良で欠席だったんで、額縁を初めて見る事になって・・・所が1か所、気になる所があって・・・直らないものか?になるのね。

まぁやる前からこんな事になる事は判っていたんで、まずはお小言からスタートになったのね。例えば、これを特注で額装屋さんにラフ画を持って行ってやって貰ったとする・・・木を持ち込み、デザインを見せて、こことここを変形させた木を繋いで下さい・・・ってね。

果たして一体いくら掛かるのだろうか?そしてそんな簡単に出来るのだろうか?もっと言ったら、こんなイレギュラーな事を引き受けられるのか?って話になると、そりゃビックリした事が起こると思うのね・・・当然、こんな事は出来た事がラッキーな話で、それを完璧を求めたら・・・

字に起こせば子供でも判る事で、例えば完璧な仕事、完璧なオペ、完璧な操縦・・・全て完璧を付けてしまうと膨大な料金が掛かる事になると思うのね・・・では棟梁はお金に糸目は付けないってお考えで頼んでいるのか?となった時、恐らく先生ぃぃ、チャッチャとやってぇぇって感じだろうね。

俺はそれは絶対にダメ・・・と教えて来た。勿論、考え方として賃金を支払えばお客と言う考え方もあるが、それでは品が無さ過ぎる。しかも見合った賃金とはいくら?って話になれば、当然当たり前の金額が発生する・・・そもそもオーダーになるんだけれど・・・・。

つまりその考え方を改めて貰って、本来有り得ない事を頼む・・・って気持ちになるのなら、こちらも出来るだけの事はする・・・って話であるのだけれど、俺で完結する事ならまだしも、大家さんに組み立てて貰わないとならない話だった・・・ここなのね。ここが今回の落とし穴になるのね。

ちなみに棟梁は大家さんにリフォームを頼んだから、直接のお客さんであって、当然知り合いなのね。だから、こんな話があって・・・なんて相談すると、あぁ良いよっ・・・って感じで、いつとは言えないけれど、近い内に・・・なんて事になったのね。だから、その日までに切って置く・・・

こんな段取りになって、完成したんだけれど・・・これが例えばリフォームなら、誰が責任者か?となると、大家さんになる。けれど今回の責任者は誰か?となった時、図面を描いたのは棟梁になるのね・・・だって仕上がりを知っているのは棟梁なのだから・・・。

要するに描いた人、切った人、組み立てた人の分業になったのね。ではこれをさっきのように判りやすく文字にすると・・・ただ描いただけで後は何とかしてくれる・・・と丸投げした人、こうならなきゃ良いんだけれど・・・と切った人、そしてそれを組み立ててくれた人・・・。

こうすると、一貫して変わらないのは大家さん。つまりご厚意だけで最初から組み立てれば良いんでしょ?と最初から何も変わらない。けれど、大きく変わったのは棟梁・・・だって仕上がりを見て完璧を急に求めたから。ただそれも違っていて、最初から丸投げで完璧になると思い込んでいた

からなのね。こうなると、有難みは大きく崩れて、そこだけが気になって仕方が無くなるもので・・・所が大家さんはあくまでご厚意。間に挟まって全てが俺の責任になる・・・あはははは、やっぱりこうなったかぁ・・・これが常に言っている憂う事と願う事の2つで構成されている俺・・・

こうならないと良いな・・・と願って、やっぱりこうなったか・・・と憂う。最初から判っていた事。その時に向き合っていたのなら、最初から考えていたのだから、打開策が無いながらも何か1つ位提案は出来るが、大抵の人は欲張るもので・・・最初に向き合わずにラクをして、結果を問う

・・・これでは理不尽な話になる。勿論、世の常で、それでもそれを賃金として貰って生活をしているんだ・・・みんな・・・って言えば、話はおしまいになるのだが、その賃金っていくら?となった時、判らない・・・って言うのは考え無さ過ぎなのね。

最初から恐ろしく大変な事・・・と思えば恐ろしい値段になるだろうし、後はチャカチャカっと・・・って思えば安い値段だろうし、結局本人が気が付いていないだけで、全部自分の中で決めてしまっているって事なのね。つまり全ては思い込みなのね。

そしてそれが全ての考え方なんで、上手く行けばラッキー、上手く行かなければ、どうしてなんだろう?の繰り返しになる。更に作品は自分自身と言うのだから、その人の考え方が反映する。じゃラッキーな気分になれば進めて、アンラッキーだと止まる訳ね・・・。

所がそんな安易なら良いんだけれど、人はそう簡単なものでは無くて、その人の生き様が更に複雑にするのね。それがなにくそぉぉぉって言う感じの人だったりすると、ムキになったりすると、単なる意地っ張りなんで増々結果からは離れて行く。逆にそんな人が落ち込めば、深みにはまる。

逆に普段控えめに見えたりする人だったりしても、なにくそぉぉって気持ちになったりして、いつもよりもやっている気分になっても、周りからは何も変わっていないように見られて、落ち込んだり、更にムキになったりして・・・所が思いの他、いつもと変わった結果が付いて来たり・・・

何しろ全てが厄介なのは感情なんてもんがあるからなのね。なのに自覚なんてもんがあって、意識したり、無意識だって言ったりして、全てが自分の気持ち次第であって、だから気ってもんがある・・・って話なんだけれど、それをモザイクの先生が言うんだから、まぁ信用ならない訳ね。

だから、信じるも信じないもお好きにどうぞなのね。あはははは。さてそんな事を踏まえて、話を戻すと、必ず何でも初なんて事をすれば、失敗はあるもので、その失敗をくよくよしていれば、フィギュアの人なら、最初のジャンプを失敗して、次もその次もと連鎖し、諦める事に繋がる。

それをいかに踏みとどまって気持ちが決壊しないようにするのが大事なのね。所が根拠の無い大丈夫なんて言葉を100回言っても、ただ言い聞かせているだけで、何にも役に立たないのね。だからいかに是正出来るか?って向き合う訳で・・・自分の技術と知恵でね。

所がすぐに先生どうしたら良いですか?と答えを欲しがる・・・いやいや、逆にどうしたいですか?なのね。だって自分の事であって、しかも初心者でも無く、木彫に一番詳しいのは腕も知恵も棟梁なのね・・・ただ、ただね・・・知恵だけはどんなに初めてであっても、俺なりの考えは常にある

・・・それが何であってもね。所詮、人のやる事・・・知識は無いが知恵なら誰にでも権利はあるのだから。そこにこれは自分のものだから・・・って、何とかしたい・・・って本気で向き合えば、木彫の人なんだから、何か1つ位、考えた提案を出せるだろう・・・それこそが構想。

それが本来のオリジナルって意味であり、誰も何も教えてくれない・・・ただ、棟梁は木彫もモザイクもこれだけ出来る人であり、大きく足りないのは向き合う姿勢と立て直す力。それを良い事が起こるのを待ったり、時が解決するみたいな事を言っても、松葉づえで過ごすようなものであって

、レスラーや相撲なら、みんなで押さえてその場で入れちゃうみたいな話で、気持ちなんてものも、それと全く同じでバチンと入れてしまえば、直す力は入れた瞬間から始まるはずなのね・・・所がそれから逃げれば、当然時間は掛かるし、結局忘れる事なんてほぼ無い訳で・・・。

しかも、来るなり見つけた場所をそのままにして、果たして棟梁が進めるか?あはははは、無理、無理。じゃ荒療治って話ね。ここまではお小言。それではここからはおとぎ話。ねぇ、みにくいアヒルの子ってどんな話?・・・って聞くと、黒いアヒルがみんなにいじめられて・・・。

可哀そうな・・・って頂きましたぁ、はいその思い込みぃぃ。では、その考え方の視線を変えます。そもそも結論は黒かっただけでハクチョウでしたぁぁ・・・つまりアヒルでは無かったのね。でもね、仮にハクチョウになっても僕はアヒルです・・・って過ごしましたとさ。って言うなら、

みにくいアヒルの子ってタイトルも良いが、いじめていた下々のアヒル達を見捨てて、自分はハクチョウとしてじゃあね・・・と旅立ちましたとさ。なんだから、ただの嘘つきじゃん。そもそもが、みんなと違う時点で、一緒なんだ・・・と思い込まされていたのに気づいていれば、こんな事

にはならなかったんじゃないの?・・・つまり復讐劇にも思えるのね。だから全然可哀そうには思えない。そもそもこの話の仕組みとして、アヒルはアヒルごとき・・・の扱いであって、ハクチョウの方が上である・・・って前提の描き方であり、世界で1つだけの花的発想では無いのね。

って事を前提に、棟梁のやっている事は何?ってぶっきらぼうな質問なんで、ラパンさんの作品を見て・・・。


自宅でやったサンタの小物、そして今やっている時計・・・これをモザイクとします。では棟梁のは?・・・ハクチョウだったらどうする?つまり特徴を生かしたら木彫の額装が出来る・・・しかし、額装って何?って事になると、作品を引き立たせるものであって、出しゃばらないと思うのね。

そう考えると、これはモザイク?木彫?ほらどっちも意見に分かれそう・・・つまり普通じゃ無い。この時点でそう言う事をしているし、そう言う事を頼んだって自覚があれば、そう言う事を抱えて進めるのだから、重みも増すし、人に出来ない方向に向かうが、自分の思い通りになったら、

サッサと進みたい・・・では、こんな大作なのに、はい出来て良かったね・・・って感想になってしまうのね。思いを込めるってどんな感じ?本当に大事な事って何?って向き合うと、中々進まないし、痛い思いもする。だから、そう簡単には出来ない事だから凄いんじゃないのかな?

って棟梁に教える事は技術では無く、それを作る心なのね。勿論、技術のみで作れるって人なら、この話はいらないけれど、もしその技術を生かすも殺すも心持ち1つ・・・って言うのなら、何か参考になる話だとは思うのだけれどね・・・・。そんな棟梁のプレゼント作品。


楽しそうで良いじゃん。これは楽しそうでしょ?でも大作とは比較にならない。これだけの振り幅があるのね。所がラパンさんの場合なら、2つのぺきぺき作品では、左程の大きな差は見られない。つまり悩み事は無く進められるはずなのね。だから2つとも楽しいはずなのね。

所が今途中の大作・・・両手を万歳したお花の作品では、相当四苦八苦しているのね・・・ほら、それだと教えて貰いたい事はあるだろうし、中々進められないだろうし・・・でも自宅で楽しく進めたいし・・・ほら、その通りになった。つまり大作の向き合い疲れなら、小物作りは即効性。

でもサンタの小物や表札では2人にはあっと言う間・・・・要するに大作では疲れる、小物では簡単過ぎて・・・中くらいが欲しいんだろうね。
だから、ラパンさんは今、最高に楽しいはずなのね・・・何しろ上手くなればなるほど、複雑なのね・・・人の気持ちって。

そんなこんな後は、言ったこっちも疲れちゃって・・・


やらないわけにも行かず・・・ほんの少しだけノアさんからの依頼作品・・・。

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