katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ひとまずハロウィンの下地はおしまい

2017-09-14 00:38:35 | モザイク教室
今日はまずハロウィンの小物作品を持ってレンタルボックスのウダガワさんの所へ・・・。このご主人は随分と俺に興味を持ってくれているのだけれど、これが中々難しいのね・・・何て言うのかな?男らしいって言うのかな?一本気とでも言うのかな?・・・。

そう言う人からは、俺の考え方はどっち付かずだったり、何か違って見えたりもするんだろうね・・・時より。それが応援しているって気持ちが強ければ強い程ね。理想のkatsu像があるんだろうね・・・とても有難いんだけれどね。

それが例えば具体的に何か前進に見える話を持って伺えれば、それは良かった・・・と思って貰えるが、左程話題としては前進しているようには見えなかったり、もっと言えば停滞に見えると、叱咤的な意見も飛んで来る・・・と言った感じかな・・・。

ただね、もうそう言った人が男の人としてはこの方だけになったから、常に勉強になるのね・・・何をどう受け答えをして、どう納得して頂く事が出来たか?・・・しかも、嘘を付けば楽になれるのに、正直にありのままを伝えなければ、練習にもならないし、

そもそもが数か月振りの近況報告なのね・・・・応援してくれる人への・・・そうね、この関係性を地主と小作人の表現で良く伝えるのだけれど、これが一番判りやすいのだが、応援している側からすると、卑下しているようにも思わせてしまうのね・・・。

ただそれは立場の違いであり、相手側に立った時にすぐに理解出来る話なのね。しかもそのままの関係であり続けるのなら、確かにそう思わせるのだろうが、きちんとその恩義を受けて、いつかその人の思うkatsuって言うのに追い付き追い越す事が恩返しになり、

その日の為に日々を生きているのだが、プロセスには常に努力をすればするほどに、苦悩は付き物で、まっ良いかと思えれば楽にもなるだろうが、そう生きていないから応援して貰えるのも事実であったりする。こう言うのを踏まえると、今日は叱咤激励・・・

どっちの割合が多いか?と思えば伺う前から、これじゃ・・・って気持ちなのだから、これは不利な展開になるだろうな・・ってスタートになるのは十分判った上なので、いかにそれでも前向きにやっているか?をどう伝えられるか・・・になる。

そもそもこれが友達なんて気楽な言葉で解決するのなら、どうもぉぉぉで良いだろう。それは無いなっ・・・そんな関係1つも。そんな安い関係は・・・。例えば、友達なんて言うと、遊びたいとか吞みに行こうとか、思ったりするんでしょ?

俺はそんな事、これっぽっちも思わない。ただね、一緒に仕事をした人と、ねぎらいとしては共有したいと思うけれど・・。別に今気が付いた事では無いけれど、海援隊の母に捧げるバラードの中で、遊びたいとか、休みたいとか思ったら死ね・・・って歌詞があって

夢を追っているものがそんな気持ちならば駄目だ・・・と母の言葉として描かれている。俺もどちらかと言えば母よりの歳になったので、その表現が良く判るようになった・・・。ただね、それを前面に出せば応援している人は疲れてしまうし、けれど、言葉

1つ間違えるだけで気分を悪くさせる事もある・・・それは応援される立場であるから・・。そんな中での話は、1つは今楽しいか?と愚問・・・例えば、売れていない芸人に楽しいか?と聞いても楽しいはずが無いと思うのね。

では楽しく無いのか?と言えば、今の状況下で応援して下さる方に、楽しくないです・・・は不適切になるし、楽しいです。と言い切ったとすると、そんな所で喜んでて良いのか?って事になるだろうし・・・だから、いつか楽しくなるようにやってます・・・

って言うのが適切では無いか・・・と言う事に落ち着くのだけれど、これを場合に寄ってはアドリブ性が無い事で、仕込んであった言葉として扱われると、芸術家としてのひらめき・・・みたいな感覚じゃない・・・みたいな言い方をされたりもする。

そんな中で、ここ数回の俺はウダガワさんからすると停滞に見えるらしいのね。それを踏まえて、と言う事は停滞の中にウダガワさんの気に入ってくれている老人トランペッターを制作していた事になりますね・・・と1つだけ言わせて貰ったのね。

つまりここにあるのは、地主側にいる人は、楽しいkatsuが見たい・・・けれどそう見えない・・・それは話をしている人間katsuを見て言っている訳で・・・それがその人に停滞に見えるkatsuが作った作品は今までここに持って来た作品の中で1番良いと、

言って頂いた・・・ここにある真実は1つで、作品は自分自身なのね。つまり作品が良かったって事は、その作品は停滞のように見えたkatsuの姿そのものなのね・・・ただ作品が良かったのなら、それはそのkatsuが良かったって事になるのね・・・。

しかも、楽しそうに思えない・・・そんな人の作品をね。そうね、これを説明するのは難しいが、簡単な話はその人が地主側である事を理解出来ているかどうか?だと思うのね。つまり作品はしゃべらないから、何も変わらなく見える。

しかし、人はしゃべる・・・しかも自分の気持ちも常に一定であるとは限らない。当然変化しているように見えたりもする。そんな事を踏まえて、地主って比喩は習うってスタイルでは無いと言う事なのね。上の立場の人なのね・・・地主って比喩は。

例えば、それで考えた時に、老人トランペッターを気に入った作品と思ってくれた・・・それを凄い良いとも言ってくれた。ではこの方は何処がどう良いと思ってくれたんだろうか?・・・とした時に、多分ジャズが好きだったりするんだろうね・・・。

その時に、華やかな音楽としてのジャズもあるが、黒人として迫害された経緯もあるのもジャズである。それを踏まえて、その作品作ったのが俺なら、どっちよりのジャズだと思う?・・・って話になれば、確実に後者でしょ。

事実、この作品は2つあって、1つは若く見えたりして、この老人トランペッターはそいつに後継者として譲るような最後の演奏・・・そんな気分で作った作品であって、だからホッペをトランペッタ―特融のほお袋みたいなのは辞めたのね。

最後の演奏に力みはいらないから。メインは若造君の方なのだから。もしね、その哀愁みたいなものが判らないながらも、切ないなぁ・・・位に伝わったのなら、俺の思う伝わり方になったと思うのね。勿論、見る側の勝手なんで、ただ良いって感性でも良い

んだけれどね。でも、事実は作り手は満面な笑顔の作品は作っていないのね。これはこの先もずっと変わらないとは思うのだけれど、小作人側だから悲しみばかり・・地主なら?って単純では無くて、どちらの立場でも良い事もあれば悪い事もある。

ただ理解しようとしなければ一切判り合う事は無いだろうし、質問したと言う事は聞く耳も必要だし、伝える側に話す力も必要になる。そうね、そろそろまとめないとならないから、俺の作品はお袋にどの作品も切ないね・・・って言われた作品なのね・・・

どんなに楽しそうに見えたとしてもね・・・。そうね、その通りなのね。それが苦悩じゃない?今の自分なのだから。って事は、良く見えた人には、切なさだけに見えなかったから良かったんじゃないのかな?・・・・ってなまとめにして置こうかな?

そんな中、例の関ジャムの福山君を見ていた・・・って言うのね。ウダガワさんがね・・・完全に団塊の世代の人で、それを見る子供さんもいなさそうだし・・・って事は、何らかの興味を持って聞いていた事になる・・・。今日イチの部分はここかな。

あれに興味を持ったのかぁ・・・歳は関係ないとは言うけれどね・・・凄いわ。その敏感さは。何かを目指したりもの作りとして、制作過程やら心構えとしては、凄く勉強になる番組ではあるけれどね・・・。

まっ、いずれにせよ、常にここは勉強の場所・・・最後は笑顔で見送って貰うのね・・・そんなこんなでアトリエに戻って、ハロウィン用の下地作り・・・これで頼まれた分は終了となった。そんな訳で金魚の表札の下絵を始める事にしたのね。

それに当たっては、本当の順番はノアなんだけれど、連絡して変更させて下さい・・・って話を先日したのね。それと同時に、みどり提案で、かぐやと12月にイベントに参加する・・・なんて方向に動いているって話も耳にしたのね。

そうやって新しい事を弟子達がやるのなら、俺も何かしないとな・・・って気分になる。

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