金森正臣先生のカンボジアの文化・教育・食べ歩き体験記
金森先生のカンボジア日記
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自己紹介 |
長野県生まれ。東京教育大学農学部卒。同理学部助手、大阪市立大学医学部助手、愛知教育大学助教授、教授、2003年年退職。韓国、タンザニアなどで動物生態調査。1999年よりカンボジアの理数科教育支援。 |
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山の思い出 3
山の思い出 3
最近テレビで、富士山に三浦雄一郎氏が登ったことが放映された。90歳になる彼は、足を悪くしていて、車いすで登っていた。私が三浦雄一郎氏を初めて見たのは、富士山であった。
私は富士山には2回しか上ったことが無い。
1回目は、大学2年生だった11月、1960年11月19日、死者11人の遭難があった。大学の山岳部が絡んでいたので、わが山岳部も先輩3人と救助の応援に行った。富士山の大沢崩れの7合目付近から雪崩が起き、登っていた者が巻き込まれた。捜索は雪崩の末端部で、鉄の長いゾウデを使って刺して探す方法であった。
捜索が終わった翌日に、4人で富士山に登った。大沢崩れの左岸(下から見て右側)の天狗尾根を登り、最後は氷の原をアイゼンで登った。快晴で風も少なく、遠くまで見えたことを覚えている。帰りに大沢崩れの9合目付近から、豪快にスキーで滑り降りる人物を見て、驚いた。後に北大からきていた三浦雄一郎と言う人物だと知った。彼がまだプロスキーヤを名乗る前であったように覚えている。
二回目の富士山は、北欧家ら来た若者で、日本山学会から頼まれた。先輩ひとりと同行したが、全く言葉が通じず。珍道中であった。
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