義母は味噌作りが得意でいつも届けてくれていました。彼女が亡くなり、寂しい思いをしいてました。
モロッコに住む長女も帰省の折に味噌をたくさん買い込んでかえりました。しばらくしてその娘が泣きながら電話してきました。
「これはいつまで冷蔵庫に入れておくの」と娘の義母のご機嫌を損ね、言い争いになったとのこと。10歳の孫娘が「バカと言っているよ」などと通訳してくれたらしく、とんだ国際味噌紛争が勃発したようです。「同居は無理よ。食文化が違うのだから、うまくいくはずがないじゃない」「そうね。私がバカだった」
娘はすぐに引っ越し、今ではいい関係のようです。
味噌を自分で造れたにいいなとずっと思っていましたが、やっと機会が訪れました。家庭でできる昔ながらの手法で、先生、助手、生徒6人のこぢんまりとした教室が開かれたのです。
その教室から持ち帰ったすりつぶした大豆と蒸した麦に布団をかけて48時間。何回も布団をはぐって様子をうかがいました。
「大丈夫? 発酵した?」と友達に声をかけてもらい、無事にできました。義母の名をとり「おフク味噌」と名付けました。
鹿児島市 別枝由井 3013/11/28 ま今日新聞女の気持欄掲載
モロッコに住む長女も帰省の折に味噌をたくさん買い込んでかえりました。しばらくしてその娘が泣きながら電話してきました。
「これはいつまで冷蔵庫に入れておくの」と娘の義母のご機嫌を損ね、言い争いになったとのこと。10歳の孫娘が「バカと言っているよ」などと通訳してくれたらしく、とんだ国際味噌紛争が勃発したようです。「同居は無理よ。食文化が違うのだから、うまくいくはずがないじゃない」「そうね。私がバカだった」
娘はすぐに引っ越し、今ではいい関係のようです。
味噌を自分で造れたにいいなとずっと思っていましたが、やっと機会が訪れました。家庭でできる昔ながらの手法で、先生、助手、生徒6人のこぢんまりとした教室が開かれたのです。
その教室から持ち帰ったすりつぶした大豆と蒸した麦に布団をかけて48時間。何回も布団をはぐって様子をうかがいました。
「大丈夫? 発酵した?」と友達に声をかけてもらい、無事にできました。義母の名をとり「おフク味噌」と名付けました。
鹿児島市 別枝由井 3013/11/28 ま今日新聞女の気持欄掲載
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