弟の命日、忘れることのできない日、既に35年が過ぎてしまった。今もなおこの日が来ると当時がよみがえってくる。七つ年下の21歳。この時期、周りでは田植えが盛んで、その土手の先の国道上での出来事だった。
私のおなかには5カ月の長女がいた。昼過ぎに一本の電話が鳴った。その時点では、車好きの弟だったので「何をやらかしたのか?」という感じだった。
その弟が最後に聞いていただろう曲を聞き、唯一2人で見に行った映画を見て、私の最後の手作りトンカツを食べて逝った弟をしのぶ今日を、毎日切ない思いで過ごしている。
鹿児島県霧島市 上野京子(62)2018/7/17 毎日新聞鹿児島版掲載
私のおなかには5カ月の長女がいた。昼過ぎに一本の電話が鳴った。その時点では、車好きの弟だったので「何をやらかしたのか?」という感じだった。
その弟が最後に聞いていただろう曲を聞き、唯一2人で見に行った映画を見て、私の最後の手作りトンカツを食べて逝った弟をしのぶ今日を、毎日切ない思いで過ごしている。
鹿児島県霧島市 上野京子(62)2018/7/17 毎日新聞鹿児島版掲載