はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

父の幽霊

2017-12-29 21:30:08 | はがき随筆
 もう幾昔も前のことである。夕食のとき母が笑いながら「今朝お父さんの幽霊が出た」と言う。「なんちな、いけな幽霊じゃしたか」「もう起きなくちゃとうとうとしていたら、父さんがオイも起きらんかち耳元で言ったのよ」と言う。
 父は典型的な早起きで、朝暗いうちに起き出し、いろりで茶を沸かし、刻みタバコをくゆらし、頃合いをみて母を起こすのが2人の習慣だった。幽霊が出て当然であった。「よか幽霊じゃしたなあ」と言うとうなずいていた。母もみまかった。2人で私たちを見守っていることだろう、父の命日が近い。
  鹿児島市  野崎正昭  2017/12/26 毎日新聞鹿児島版掲載

婚約記念は印鑑

2017-12-29 21:22:19 | はがき随筆
 スーパーで会計が終わり、袋詰めをしていたら、先客が「一円玉を落とした」と腰を曲げて物色中。私も探し方を手伝う。すると「あった」。笑顔で私に「一円でも足りないと買えませんから」と礼を述べて出口へ。一円の大切さを痛感した。
 ある朝、自宅の廊下を掃いていると、ほこりの中に百円玉が1個あった。夫に「この金はあんた」と聞くと、即手を出す。「しっかり始末」。忠告を。思い出は遠く43年前、婚約記念に夫の苗字印を指輪の代わりに望み、現在も実印としての宝。独身のころ装飾品に買った指輪に愛着する私。
  肝付町  鳥取部京子  2017/12/25  毎日新聞鹿児島版掲載

本山と申します

2017-12-29 21:13:17 | はがき随筆
 県内では、本山と表記する方が少数派。我が家のルーツは南さつま市のある地域らしい。
 事務所に1人しかいないのにメモに「元山さんへ」と置いてあったことも。長年のつきあいなのに、年賀状の名前が違うことはよくある。しかしす数年前から2人目の本山さんが勤務している。珍事である。そして何故か「本村さん」と言い間違えられる。言いづらい? 滑舌のよさそうなアナウンサーさえも。そう、過日「はがき随筆」の文章がラジオで読まれた日のインタビューの途中から本村さんと呼ばれた。がっかり。わたくし「本山」と申します。
  鹿児島市  本山るみ子    2017/12/24 毎日新聞鹿児島版掲載

餅つき

2017-12-29 20:59:41 | はがき随筆


 12月も押しせまり、年の瀬が近づいたころ、どこからともなくペッタンペッタンとモッツッ(餅つき)の音が聞こえてくる。昔はほとんどの家でみられた風景。29日は「苦日もち」、大みそかは「一夜もち」といって縁起が悪いので、この2日は避け、わが家では28日に行われていた。前日に母ちゃんが餅米をとぎ一晩水に漬けておく。目が覚めると蒸し上がったもち米の香りが漂い、にぎやかなモッツッが始まる。正月準備も終わって年取い晩を迎えていた。風情のあった四季の行事に気づくことが難しくなった今、ペッタンペッタンのあの音が懐かしい。

父親との晩酌

2017-12-29 20:51:41 | はがき随筆
 父は平成元年、85歳で往生した。晩年は脳梗塞を患って10年近く右半身がまひしていた。私は高齢の両親を看るため47歳で教職を辞し、翌年には寺の住職を継職した。右の手足が不自由な父の入浴と晩酌の面倒は私が担当した。父は若い頃から酒豪で、梗塞を患ってからも体力が回復すると晩酌を欠かさなかった。5・5のお湯割り焼酎を1杯と約束した。ところが、だんだんと体調がよくなると1杯は1杯でも焼酎の濃いのを要求するようになった。なるほど、その手があったか。ついに5・5を2杯に変更した。あれから29年。父との晩酌を思い出す。
  志布志市 一木法明  2017/12/22 毎日新聞鹿児島版掲載

町に行く―その4

2017-12-29 20:43:14 | はがき随筆
 「『町に行く』か、面白い言い方ね」と言われて、子供の頃を思い出した。
 心はずませて町に行った。何かがあるような気がして、捜しに町に行っていた。
 何かを捜してるうちに、いつしかそれはさがとなり、高校生になると大いなる存在を捜し求めていた。捜して捜して、捜し歩いて、唯一の主に出会った。とんでもない幸せを見つけた。
 いま、主といっしょに働けることはないか捜している。
 見つかりますようにと祈りながら、子供の頃のわたしを道づれに、今日も町に行く。
  鹿屋市 伊地知咲子  2017/12/21 毎日新聞鹿児島版掲載