3年前、いとこの幸さんをグループホームに訪ね、尽きぬ話に時を忘れて語り合った。別れがたい思いで互いに見えなくなるまで手を振ったあの日が、この世の別れになってしまった。
母が病弱だった私は、12歳年上の幸さんにおんぶされ、どんなにお世話になったことか。私が小学1年の時、農家に嫁がれたが、婿の始さんは幸さんの実家の稲刈りを一晩で済ますほどの働き者で良き婿殿だった。しかし終戦間近に戦死。幸さんは女手一つで3男2女を立派に育て上げた。多くの孫やひ孫に囲まれた90歳の生涯はその名のごとく幸せであった。
鹿屋市 徳永ナリ子(80) 2007/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載
母が病弱だった私は、12歳年上の幸さんにおんぶされ、どんなにお世話になったことか。私が小学1年の時、農家に嫁がれたが、婿の始さんは幸さんの実家の稲刈りを一晩で済ますほどの働き者で良き婿殿だった。しかし終戦間近に戦死。幸さんは女手一つで3男2女を立派に育て上げた。多くの孫やひ孫に囲まれた90歳の生涯はその名のごとく幸せであった。
鹿屋市 徳永ナリ子(80) 2007/8/22 毎日新聞鹿児島版掲載