はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

藁の寝床

2007-08-15 10:29:21 | アカショウビンのつぶやき
 今日は敗戦記念日。私の中にある8月15日は、どう考えても「敗戦記念日」なので、敢えてこう言わせてもらおう。
 電気もない疎開先で戦争が終わったらしいと聞いた母は、真偽のほどを確かめるために、娘3人と生後五ヶ月の孫を伴って鹿屋に帰ることにした。

 久しぶりに我が家に帰ってみると戦争は終わっていたが「近いうちに米軍が高須に上陸するらしい」との噂。不安な夜を過ごしていると「今夜中に逃げなさい」とふれが回ってきた。慌ただしく荷物を纏め上の姉は子供をおんぶし、14歳の姉と12歳の私は、寝ぼけ眼をこすりながら、母の後について家を出た。
 その時は鹿屋市の街中が空っぽになったというほど、暗い夜道をリヤカーを引く人、黙々と歩き続ける人がどこまでも続いていたと言う。

 私たちは疎開先の牧之原町まで帰ることになり、昼頃、T町の知人宅を訪ねて仮眠を取りおにぎりを一杯頂いて、夜明け前に出発した。
 炎天下、乳飲み子を抱えて歩き続ける私たちは、多くの方々のお世話になった。海軍の兵士たちは、軍隊がストックしていた、牛肉の缶詰や果物の缶詰などを一杯リヤカーに積んでいたが、おにぎりと替えて欲しいと言う。今まで見たこともない牛肉の缶詰やみかん缶の美味しかったこと…。

 その夜は市成、ここには知り合いもなく、家畜小屋の藁の中に寝させてもらった。疲れ果てた体を藁に埋め熟睡したが、夜中に体中が痒くなり、泣いたことを思い出す。
 疲れてぐずる子供たち、窮屈な姿勢で乳飲み子を抱いて疲れ果てた姉、母はどんなに叱咤激励しながら60㌔以上ある道のりを歩き続けたことだろう。
 気丈な母だったが、ようやく海が見える場所に出たとき「もう少しだよー」と涙を流して私を抱きしめてくれた。

 各地で戦禍にあい、弾丸を避けて逃げ惑う人々を見ると、その時の我が身とオーバーラップして怒りが込み上げてくる。
 いつも弱い立場のものが益々追いつめられていく不幸。
 聖戦なんてありはしないのだ。

 あの時の藁の寝床のチクチク痛かった思い出を忘れてはならない! と今年も心に誓った。



娘と私の幸せ

2007-08-15 10:13:06 | はがき随筆
 夫が入院中で、10歳の一人娘と2人暮らし。でも、楽しいことはいっぱいある。
 節約のためクーラーを止めたムンムン暑い台所で、2㍑分の麦茶を作り、ブツブツとわいてくるまで2人でじーっと見ている幸せ。さか立ちできない娘のために、30年ぶりにさか立ちをして見せ、その成功よりも「母ちゃん、パンツが見えてる。ギャハハ」と笑われ、つられて笑いころげる夜。
 時々、父ちゃんが「ただいま!」と帰ってくる気がするネと2人で話す。夫が帰ってくる日を待つ〝幸せ〟というのもあるのだと思う。
   鹿児島市 萩原裕子(55) 2007/8/15 毎日新聞鹿児島版掲載