はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

秋の夜長

2006-10-02 16:19:55 | かごんま便り
 どれどれ、もう一度。読み慣れない古典の最終章を読み返した。江戸時代前期の俳諧師、浮世草紙作家の井原西鶴「好色五人女」の5話目は鹿児島が舞台だった。当時の町人の心情を描いた「日本永代蔵」が面白く、西鶴の別の作品をと偶然手にしたのが「好色五人女」だった。
 女性ばかりの話だと思っていたが、鹿児島の話は男が主人公。長年愛した美少年が死に、高野山に修行に行く途中に出会った若者にも死なれた男。鹿児島に帰り、世捨て人のような生活をするが、女性に見初められて一緒になる。最後には女性の実家で財産を受け継いだという話。
 文中に「さつまがた浜の町」と出ている。現在、支局がある小川町の近くが舞台の話でもあった。好色五人女はモデルになる話があったそうだ。西鶴は大阪を中心に活躍した人。どのようにして遠く離れた鹿児島の話を仕入れたのだろう。
 福岡県嘉麻市上臼井に「皿屋敷跡」がある。あの「いちまーい、にまーい、…きゅうま-い」の怪談話の発祥の地という。しかし「播州皿屋敷」「番長皿屋敷」として知られている。
 奉公先の皿を割って死んだ女性の許嫁が、魂を慰めるために四国巡礼の旅の途中、播州(岡山県)の旅館に宿泊。哀れな女性の話を聞いた旅館の主人が芝生で興行させたところ、播州であった話のように広まったもの、と説明されている。
 もっと、調べたところ全国各地に皿屋敷伝説があった。女性の名も、お気句、おまさ、お花、お千代など。似たような話が各地にあったのかも知れない。
 当時は各地からあらゆる物資が集まる場所が上方だった。そのゆうな物を運んでくる人たち、商人らが諸国話をし、あるいは伝え、西鶴も又聞きしたのだろう。
 それにしても、4話までは悲惨な結末だったが、鹿児島の話は「めでたし、めでたし」で終わっている。しかし、解説を読むと最終章がハッピーエンドなのは祝儀性を強くする西鶴の傾向とある。また「中興世話話早見年代記」には「寛文三卯 さつま源兵衛お万心中」とあり、実際は悲話であったらしい。
 秋の夜長。何げなく読んだ古典が鹿児島に関係し、しかも支局近辺であった話。仕事柄、西鶴がどにように取材をしたのかまで想像し、つい夜更かししてしまった。
   毎日新聞鹿児島支局長 竹本啓自 2006/10/3 掲載

徒然に…

2006-10-02 15:35:13 | はがき随筆
 「つれづれなるままに、日暮らし硯に向かいて、心にうつりゆく由なしごとを、そこはかとなく書き付くれぱ、あやしゅうこそもの狂ほしけれ」
 これは吉田兼好の徒然草の序段である。なすこともなく退屈なまま……。浮かぶがままに書き付けていると……。兼好は日がな一日、筆を執り続けるうちに、自分が正気かどうかさえ疑われるような狂おしい気持ちになったのだろうか。我が随筆は浅学非才の身ゆえ、拙い筆の運びの身勝手な自分流である。徒然に、まとまることもなく書いては消し、消しては書きの繰り返し。時折、兼好のような心持ちになる。
   鹿児島市 川端清一郎(59) 2006/9/30 掲載