志賀直哉はなぜ名文か

「志賀直哉はなぜ名文か」(山口翼 祥伝社 2006)。

祥伝社新書の一冊。
副題は「あじわいたい美しい日本語」。
翼でたすくと読むそう。

著者の来歴が面白い。
小説家を志すも、語彙の少なさを痛感。
で、このひとは、自分で類語辞典をつくってしまった。
それが「日本語大シソーラス」(大修館書店 2003)。

本書はその辞典作成の、文例採集の余沢として生まれたもの。
魚を釣り上げるように、志賀直哉の文章がつぎつぎと引き抜かれ、コメントとともにおさめられている。

志賀直哉はじつはちゃんと読んだことがない。
でも古典なので、なんとなく雰囲気は知っていた。
野放図な文章というのがその印象。

でも本書を読んだら、志賀直哉はずいぶん推敲をするそう。
これにはびっくり。

ふつう、推敲をかさねると、精緻になっていくものじゃないだろうか。
推敲することで、文法のおかしい、でも意味は通る、適当な感じの文章を書いたのかと思うとじつにふしぎ。

やっぱり、神様のすることはちがうなあ。

志賀直哉はあまり文章談義をしないたちだった。
でも、少しはしている。
それを著者がひとことでまとめると、こうなるという。

「リズムが弱いものは、本当のものでない」
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