タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
絵コンテ「風立ちぬ」と「「腰ぬけ愛国談義」
映画「風立ちぬ」をみた。
面白かった。
夢と現実がないまぜになり自由自在。
現実の世界も、零戦の設計者である堀越二郎の生涯が、堀辰雄の小説世界と混ざりあって語られる。
こんなにごちゃまぜなのに、統一感があり、みていて面白いのだから、その強靭な妄想力には驚いてしまう。
「この世界は夢と同じものでできている」という、「テンペスト」のセリフを思い出した。
その後、絵コンテが出版。
「風立ちぬ」(宮崎駿 スタジオジブリ 2013)
これまた買って読む。
夢のシーンが多いせいか、映画を見終わったあとうまく構成が思い出せなかったのだけれど、その不満はこの絵コンテで解消。
それに、「ポニョ」の絵コンテと同じくカラーなのが嬉しい。
絵コンテを読んでいて面白いのは、監督の注意書きだ。
映画をみてまず驚いたのは、冒頭、二郎少年が夢のなかで、鳥形の飛行機に乗って飛び立つところ。
このシーンが背景動画で描かれている。
いまのアニメーションで飛行機が飛ぶシーンがあったら、ほとんど自動的にCGが選択されるだろう。
そこを手で描いているのだ。
このシーンはどんな指示がだされているのか。
そこで監督の注意書きをみると、一言。
「全作画」
また、劇中でささやかな結婚式がおこなわれる。
ヒロインの菜穂子が美しい装いであらわれて、二郎が息をのむ。
この場面で、菜穂子の絵が変わるのが目を引いた。
細かい話だけれど、近藤勝也さんの絵柄になっている。
その場面にはこんな指示が。
「近ドーくん、かわいくしてくれたまえ」
はじめから近藤勝也さんに担当させるつもりだったよう。
アニメーションは急に絵柄が変わるとリアリティを損なう場合がある。
逆に人物や場面がうまくふくらむ場合もある。
この場面は結婚式なのだから、菜穂子が絵柄が変わるほど美しくなっても不思議ではない。
そういった判断がなされたのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
ともかく、絵柄によって演出をコントロールできるのが、アニメーションの面白さだ。
みんな手で描くアニメーションの作り手はとても注意深い。
おそらく、注意深くならざる得ない。
その注意深さは、漫然とみている観客の比ではない。
二郎の上司である黒川が、工場に二郎をさがしにくる場面。
二郎に自転車をこがせ、自分は荷台に二人乗りをして、特高警察がきたことを告げる。
この場面にはこんなメモが。
「黒川が短い脚でどう自転車をのって来たか誰も知らない」
たしかにあの足であの自転車は乗れそうにない。
なにしろサドルが肩の位置にある。
映画をみているときは、まるで気がつかなかった。
映画の公開にあわせてこんな本も出版された。
「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」(文芸春秋 2013)
タイトル通り対談集。
対談集なので話題は多岐に渡っている。
映画は、監督のご父君も投影されているよう。
でもまあ、そこは飛ばして、坂口安吾にふれたところだけメモを。
「日本文化私観」のなかで、安吾は羽田飛行場にソ連のI-16戦闘機をみにいったことを書いているそう。
I-16戦闘機は、日本軍が中国かどこかで分捕ってきたもので、それを実際羽田で飛ばしてみせた。
それをみた安吾の感想は、「日本の飛行機は美的に繊細につくりすぎる。飛行機はソ連のように、みてくれが悪くてもほんとに機能的で頑丈なほうがいい」というもの。
「卓見ですね」と、宮崎監督が賛意を示すと、半藤さんはこうこたえる。
「卓見ですかねえ。私はこの文章を読んで、「安吾のバカ」って思いましたよ(笑)。「機能的で丈夫なら見てくれは悪くてもいい」なんて、そんな身も蓋もないことを言ってほしくないよ、と」
こういっている半藤さんは、まだ文芸春秋社に入りたてのころ、当時安吾が住んでいた桐生にまで原稿をとりにいったことがあった。
でも、いってみると安吾は1枚も書いていない。
しかたがなく、半藤さんは坂口家に泊まりこみ。
しかも6日間も。
原稿を待っているだけだから毎日ひま。
そこで、当時、桐生に3軒あった映画館に映画をみにいったそう。
でも、なぜか安吾も一緒。
夜は、奥さんの手料理をいただき、毎晩酒盛り。
そうこうしているうちに、会社から電話があり帰ることに。
とうとう原稿をもらえなかったと落ちこんでいると、安吾が徹夜で20枚書いてくれた。
残りは、翌日用事があって向島にでてきた奥さんがもってきてくれ、無事受けとる。
このときもらった原稿が、斎藤道三をえがいた「梟雄」だったと、これは「安吾 戦国痛快短編集」(PHP研究所 2009)に収められた、巻末インタビューに書いてあった。
この桐生でのことを、半藤さんはこう述懐している。
「桐生に「梟雄」をもらいに行った一週間は、とにかく楽しい毎日でした」
面白かった。
夢と現実がないまぜになり自由自在。
現実の世界も、零戦の設計者である堀越二郎の生涯が、堀辰雄の小説世界と混ざりあって語られる。
こんなにごちゃまぜなのに、統一感があり、みていて面白いのだから、その強靭な妄想力には驚いてしまう。
「この世界は夢と同じものでできている」という、「テンペスト」のセリフを思い出した。
その後、絵コンテが出版。
「風立ちぬ」(宮崎駿 スタジオジブリ 2013)
これまた買って読む。
夢のシーンが多いせいか、映画を見終わったあとうまく構成が思い出せなかったのだけれど、その不満はこの絵コンテで解消。
それに、「ポニョ」の絵コンテと同じくカラーなのが嬉しい。
絵コンテを読んでいて面白いのは、監督の注意書きだ。
映画をみてまず驚いたのは、冒頭、二郎少年が夢のなかで、鳥形の飛行機に乗って飛び立つところ。
このシーンが背景動画で描かれている。
いまのアニメーションで飛行機が飛ぶシーンがあったら、ほとんど自動的にCGが選択されるだろう。
そこを手で描いているのだ。
このシーンはどんな指示がだされているのか。
そこで監督の注意書きをみると、一言。
「全作画」
また、劇中でささやかな結婚式がおこなわれる。
ヒロインの菜穂子が美しい装いであらわれて、二郎が息をのむ。
この場面で、菜穂子の絵が変わるのが目を引いた。
細かい話だけれど、近藤勝也さんの絵柄になっている。
その場面にはこんな指示が。
「近ドーくん、かわいくしてくれたまえ」
はじめから近藤勝也さんに担当させるつもりだったよう。
アニメーションは急に絵柄が変わるとリアリティを損なう場合がある。
逆に人物や場面がうまくふくらむ場合もある。
この場面は結婚式なのだから、菜穂子が絵柄が変わるほど美しくなっても不思議ではない。
そういった判断がなされたのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
ともかく、絵柄によって演出をコントロールできるのが、アニメーションの面白さだ。
みんな手で描くアニメーションの作り手はとても注意深い。
おそらく、注意深くならざる得ない。
その注意深さは、漫然とみている観客の比ではない。
二郎の上司である黒川が、工場に二郎をさがしにくる場面。
二郎に自転車をこがせ、自分は荷台に二人乗りをして、特高警察がきたことを告げる。
この場面にはこんなメモが。
「黒川が短い脚でどう自転車をのって来たか誰も知らない」
たしかにあの足であの自転車は乗れそうにない。
なにしろサドルが肩の位置にある。
映画をみているときは、まるで気がつかなかった。
映画の公開にあわせてこんな本も出版された。
「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」(文芸春秋 2013)
タイトル通り対談集。
対談集なので話題は多岐に渡っている。
映画は、監督のご父君も投影されているよう。
でもまあ、そこは飛ばして、坂口安吾にふれたところだけメモを。
「日本文化私観」のなかで、安吾は羽田飛行場にソ連のI-16戦闘機をみにいったことを書いているそう。
I-16戦闘機は、日本軍が中国かどこかで分捕ってきたもので、それを実際羽田で飛ばしてみせた。
それをみた安吾の感想は、「日本の飛行機は美的に繊細につくりすぎる。飛行機はソ連のように、みてくれが悪くてもほんとに機能的で頑丈なほうがいい」というもの。
「卓見ですね」と、宮崎監督が賛意を示すと、半藤さんはこうこたえる。
「卓見ですかねえ。私はこの文章を読んで、「安吾のバカ」って思いましたよ(笑)。「機能的で丈夫なら見てくれは悪くてもいい」なんて、そんな身も蓋もないことを言ってほしくないよ、と」
こういっている半藤さんは、まだ文芸春秋社に入りたてのころ、当時安吾が住んでいた桐生にまで原稿をとりにいったことがあった。
でも、いってみると安吾は1枚も書いていない。
しかたがなく、半藤さんは坂口家に泊まりこみ。
しかも6日間も。
原稿を待っているだけだから毎日ひま。
そこで、当時、桐生に3軒あった映画館に映画をみにいったそう。
でも、なぜか安吾も一緒。
夜は、奥さんの手料理をいただき、毎晩酒盛り。
そうこうしているうちに、会社から電話があり帰ることに。
とうとう原稿をもらえなかったと落ちこんでいると、安吾が徹夜で20枚書いてくれた。
残りは、翌日用事があって向島にでてきた奥さんがもってきてくれ、無事受けとる。
このときもらった原稿が、斎藤道三をえがいた「梟雄」だったと、これは「安吾 戦国痛快短編集」(PHP研究所 2009)に収められた、巻末インタビューに書いてあった。
この桐生でのことを、半藤さんはこう述懐している。
「桐生に「梟雄」をもらいに行った一週間は、とにかく楽しい毎日でした」
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )