タナカの読書メモです。
一冊たちブログ
死にゆく者への祈り
「死にゆく者への祈り」(ジャック・ヒギンズ/著 井坂清/訳 早川書房 1982)
原題は“A Prayer for the Dying”
原書の刊行は1973年。
「鷲が舞い降りた」まで、あと2年。
訳者あとがきによれば、自作のなかで一番好きな作品はなにかという質問に対し、ヒギンズは本書、「死にゆく者への祈り」を挙げたとのこと。
3人称多視点。
ほとんど、ひとつの町を舞台にしたスモール・タウンもの。
天才的な銃の使い手にして、オルガンの名手、元IRA中尉マーチン・ファロンの物語だ。
冒頭、昔の仲間と警察と、双方から追われるファロンは、ロンドンの武器商人クリストゥをたずねる。
クリストゥは、ファロンがほしがっているパスポートとオーストラリアいきの船の切符、それから200ポンドを条件に仕事をもちかける。
標的は、ジャン・クラスコという男。
依頼主は、〈英国版アル・カポネ〉と呼ばれるジャック・ミーアン。
裏社会のもめごとの果ての依頼だ。
IRAの一員として活動中、ファロンは誤ってスクールバスを吹き飛ばしたことがある。
クリストゥがそのことに触れると、ファロンは激昂。
この依頼を断る。
しかし、クリストゥがファロンを特別保安部(スペシャル・ブランチ)に密告したことでゆき場をなくしたファロンは、この仕事を引き受けざるを得なくなる。
ファロンは依頼を達成すべく町にいき、司祭を装い墓参中のクラスコに近づき、射殺。
が、その場面をダコスタ神父にみられてしまう。
ダコスタ神父は、戦時中はSAS(特殊部隊)の中尉だった。
戦後は、叙階を受け、伝道の仕事につき、朝鮮にいって中国軍に5年近く捕まる。
その後、モザンピークに派遣されるが、反乱軍に同情的すぎるとの理由で国外追放にあい、現在はいまにもくずれそうなこの町の教会の司祭をしている。
ファロンは、ダコスタ神父に殺人をおかしたことを告解。
わたしを利用したなと、ダコスタ神父は大いに怒るがどうにもならない。
告解の秘密は神聖であり、ほかにもらすことはできない。
ヒッチコック映画、「私は告白する」状態に。
クラスコ殺しの捜査のために、ミラー警視とフィッツジェラルド警部がダコスタ神父に協力をもとめにくるのだが、神父は話すことができない。
ミラー警視は、この殺人事件の背後にジャック・ミーアンがいることに気がついている。
この事件をきっかけにして、いつも法の網をくぐり抜けるミーアンを捕まえたいと思っているのだが、証拠がつかめない。
ジャック・ミーアンの本業は葬儀社の経営。
葬儀の職務にたいしては、大変熱心かつ真摯。
が、もちろん乱暴者で、不適切な行為をした部下の手を、作業台に打ちつけたりする。
にもかかわらず読書家で、ハイデガーやアウグスチヌスの「神の国」を読むという複雑な人物。
ファロンはミーアンのもとにでむき、仕事の結果を報告。
1500ポンドと、日曜の朝、船に乗ってから、あと2000ポンド支払われることになる。
ただし、目撃者であるダコスタ神父も消すようにとミーアン。
この依頼をファロンは断る。
日曜日まで、ファロンはどこかに隠れていなくてはいけない。
そこで、ミーアンの口利きで、元娼婦のジェニー・フォックスの家に厄介になることに―――。
このあたりまでが、本書の3分の1くらい。
元IRAのガンマンという設定は、「サンタマリア特命隊」の主人公エメット・ケオーを思いださせる。
スクールバスを爆破したなどという負い目をもつところも同様。
音楽的才能をもつという点では、「暗殺のソロ」の主人公、ジョン・ミカリにつながる設定といえるだろう。
登場人物の各資質を少しずつずらしながら再利用し、作風を洗練させていったヒギンズ作品の軌跡がうかがえる。
神父が主要な登場人物である点も、「サンタマリア特命隊」と似ている。
ヒギンズ作品には神父や修道女がよくでてくるけrど、ヒギンズはカトリックなんだろうか。
ダコスタ神父には、一緒に暮らすアンナという盲目の姪がいる。
(「ラス・カナイの要塞」には、主人公の盲目の妹が登場したなと、ここでも思い出す)
このあと、ミーアンに狙われたダコスタ神父とアンナを、ファロンが守るという展開になっていく。
この作品でも、キャラクターや作中の雰囲気を強く印象づけようとするあまり描写がくどくなるという、初期ヒギンズ作品のくせがでている。
登場人物の情報を小出しにするという、思わせぶりなだけで効果のない手法も依然として残っている。
また、場面、場面はよいのだけれど、場面と場面のつながりがよくない。
必然性がいまひとつたりない。
後期のヒギンズは、場面と場面のつながりだけで読ませるような作風になることを思うと、やはりまだ技量が落ちると感じてしまう。
けれども、全体としてはよくまとまっている。
欠点は欠点として、作風がひとつの完成にいたったと感じられる。
上記のような感想は、ヒギンズ作品をさんざん読んでから、この作品を読んだために感じたことかもしれない。
最初にこの本を読んでいたら、またちがっていたかもしれない。
読んだのは、2013年に刊行された、16刷。
新装版で、通常の文庫より1センチほど背が高いサイズのもの。
表紙には写真がつかわれている。
ヒギンズ作品というと、表紙はいつも生頼範義さんのイラストだという印象があるから、写真だったのは少々さみしい気持ちがしたものだ。
原題は“A Prayer for the Dying”
原書の刊行は1973年。
「鷲が舞い降りた」まで、あと2年。
訳者あとがきによれば、自作のなかで一番好きな作品はなにかという質問に対し、ヒギンズは本書、「死にゆく者への祈り」を挙げたとのこと。
3人称多視点。
ほとんど、ひとつの町を舞台にしたスモール・タウンもの。
天才的な銃の使い手にして、オルガンの名手、元IRA中尉マーチン・ファロンの物語だ。
冒頭、昔の仲間と警察と、双方から追われるファロンは、ロンドンの武器商人クリストゥをたずねる。
クリストゥは、ファロンがほしがっているパスポートとオーストラリアいきの船の切符、それから200ポンドを条件に仕事をもちかける。
標的は、ジャン・クラスコという男。
依頼主は、〈英国版アル・カポネ〉と呼ばれるジャック・ミーアン。
裏社会のもめごとの果ての依頼だ。
IRAの一員として活動中、ファロンは誤ってスクールバスを吹き飛ばしたことがある。
クリストゥがそのことに触れると、ファロンは激昂。
この依頼を断る。
しかし、クリストゥがファロンを特別保安部(スペシャル・ブランチ)に密告したことでゆき場をなくしたファロンは、この仕事を引き受けざるを得なくなる。
ファロンは依頼を達成すべく町にいき、司祭を装い墓参中のクラスコに近づき、射殺。
が、その場面をダコスタ神父にみられてしまう。
ダコスタ神父は、戦時中はSAS(特殊部隊)の中尉だった。
戦後は、叙階を受け、伝道の仕事につき、朝鮮にいって中国軍に5年近く捕まる。
その後、モザンピークに派遣されるが、反乱軍に同情的すぎるとの理由で国外追放にあい、現在はいまにもくずれそうなこの町の教会の司祭をしている。
ファロンは、ダコスタ神父に殺人をおかしたことを告解。
わたしを利用したなと、ダコスタ神父は大いに怒るがどうにもならない。
告解の秘密は神聖であり、ほかにもらすことはできない。
ヒッチコック映画、「私は告白する」状態に。
クラスコ殺しの捜査のために、ミラー警視とフィッツジェラルド警部がダコスタ神父に協力をもとめにくるのだが、神父は話すことができない。
ミラー警視は、この殺人事件の背後にジャック・ミーアンがいることに気がついている。
この事件をきっかけにして、いつも法の網をくぐり抜けるミーアンを捕まえたいと思っているのだが、証拠がつかめない。
ジャック・ミーアンの本業は葬儀社の経営。
葬儀の職務にたいしては、大変熱心かつ真摯。
が、もちろん乱暴者で、不適切な行為をした部下の手を、作業台に打ちつけたりする。
にもかかわらず読書家で、ハイデガーやアウグスチヌスの「神の国」を読むという複雑な人物。
ファロンはミーアンのもとにでむき、仕事の結果を報告。
1500ポンドと、日曜の朝、船に乗ってから、あと2000ポンド支払われることになる。
ただし、目撃者であるダコスタ神父も消すようにとミーアン。
この依頼をファロンは断る。
日曜日まで、ファロンはどこかに隠れていなくてはいけない。
そこで、ミーアンの口利きで、元娼婦のジェニー・フォックスの家に厄介になることに―――。
このあたりまでが、本書の3分の1くらい。
元IRAのガンマンという設定は、「サンタマリア特命隊」の主人公エメット・ケオーを思いださせる。
スクールバスを爆破したなどという負い目をもつところも同様。
音楽的才能をもつという点では、「暗殺のソロ」の主人公、ジョン・ミカリにつながる設定といえるだろう。
登場人物の各資質を少しずつずらしながら再利用し、作風を洗練させていったヒギンズ作品の軌跡がうかがえる。
神父が主要な登場人物である点も、「サンタマリア特命隊」と似ている。
ヒギンズ作品には神父や修道女がよくでてくるけrど、ヒギンズはカトリックなんだろうか。
ダコスタ神父には、一緒に暮らすアンナという盲目の姪がいる。
(「ラス・カナイの要塞」には、主人公の盲目の妹が登場したなと、ここでも思い出す)
このあと、ミーアンに狙われたダコスタ神父とアンナを、ファロンが守るという展開になっていく。
この作品でも、キャラクターや作中の雰囲気を強く印象づけようとするあまり描写がくどくなるという、初期ヒギンズ作品のくせがでている。
登場人物の情報を小出しにするという、思わせぶりなだけで効果のない手法も依然として残っている。
また、場面、場面はよいのだけれど、場面と場面のつながりがよくない。
必然性がいまひとつたりない。
後期のヒギンズは、場面と場面のつながりだけで読ませるような作風になることを思うと、やはりまだ技量が落ちると感じてしまう。
けれども、全体としてはよくまとまっている。
欠点は欠点として、作風がひとつの完成にいたったと感じられる。
上記のような感想は、ヒギンズ作品をさんざん読んでから、この作品を読んだために感じたことかもしれない。
最初にこの本を読んでいたら、またちがっていたかもしれない。
読んだのは、2013年に刊行された、16刷。
新装版で、通常の文庫より1センチほど背が高いサイズのもの。
表紙には写真がつかわれている。
ヒギンズ作品というと、表紙はいつも生頼範義さんのイラストだという印象があるから、写真だったのは少々さみしい気持ちがしたものだ。
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狐たちの夜
「狐たちの夜」
原題は“Night of the Fox”
邦題は狐が複数形になっている。
原書の刊行は1986年。
第2次大戦秘話もの。
まず、1人称によるプロローグがある。
〈私〉――ハーヴァード大の哲学助教授アラン・ステイシイは、この3年間ハリイ・マーティノゥという人物の伝記にとり組んでいた。
行方不明だったマーティノゥの遺体が発見され、ジャージイ島に埋葬されると聞いたステイシイは、この島を訪れる。
ハリイ・マーティノゥは道徳哲学の教授。
ボストンで生まれ、ハーヴァードで学び、ハイデルベルクで博士号をとり、38歳のときにオックスフォードで道徳哲学の教授に就任。
その後、第2次大戦が勃発。
陸軍省につとめ、経済戦省に移る。
1945年1月に、偵察員としてアラド96型機に乗り、行方不明に。
アラド96型機はドイツ空軍の2人乗り練習機。
イギリス空軍には〈敵機飛行班〉という、捕獲したドイツ機を飛ばし、その性能を調べる部門があった。
で、海に墜落したものと思われていたアラド96型機だったが、2週間前、エセックス州の湿地を掘削中に発見された。
マーティノゥとパイロットは遺体で発見された。
そこで、いろいろと不思議なことがでてくる。
〈敵機飛行班〉は、つねにイギリス空軍の円形標識をつけていたのに、発見された機体はいまだにドイツ空軍の標識をつけていた。
また、1944年1月に、マーティノゥは殊勲章を授与されているが、なにをして叙勲されたかまったくわからない。
それになぜ、マーティノゥが一度もきたことがないジャージイ島に埋葬されることになったのか。
マーティノゥの遺体をジャージイ島にはこばせたのは、セアラ・ドレイトン博士。
1944年、当時19歳だったセアラはSOEの仕事をしていた。
SOEは、特殊作戦執行部。
ヨーロッパにおけるレジスタンスと地下活動を調整するため、1940年、チャーチルの命令でイギリス情報部に設置された組織。
セアラによれば、マーティノゥはドイツ軍占領下のジャージイ島にきていたという。
親衛隊の制服を着たマーティノゥと、ロンメル元帥が並んで写っている写真を、セアラからみせられたステイシイは仰天する。
当時、ジャージイ島では一体なにがあったのか。
ステイシイはセアラから話を聞く。
で、本編――。
映画のように、切れ味のいいカットバックによってストーリーは進んでいく。
1944年のロンドン。
1939年までエジプトの考古学者であり、この3年はSOEのD課――謀略課――の課長であるドゥガル・マンロゥ准将はつらい報告を聞く。
ノルマンディ上陸作戦のため、模擬演習をおこなっていた連合軍が、ドイツのEボートの攻撃を受けた。
揚陸艦2隻は沈没。
海軍200名、陸軍450名が死亡したとみられる。
さらに、ヨーロッパ侵攻作戦の具体的な内容を知っている者〈偏狭者(ビゴット)〉が行方不明に。
もしビゴットがEボートに拾い上げられでもしたら、作戦の内容が敵側に知られてしまう。
その後、2人のビゴットの死体は回収される。
が、ひとりはまだ行方不明。
そのひとり、ヒュー・ケルソゥ大佐は脚に負傷し、救命ゴムボートで海をただよっていた。
ケルソゥは42歳。
土木技師で4、5年間、ニューヨークにある一族の建設技術会社の常務取締役をつとめる。
1942年、工兵隊に徴用され、南太平洋の島々の海浜上陸作戦に従事。
実績と経験を認められ、イギリスの連合国派遣軍最高司令部に転勤となった。
ケルソゥのゴムボートは、ジャージイ島に漂着する。
ところで、連合軍のフランス北部上陸を阻止するため、大西洋沿岸防衛の全責任を負っていたエルヴィン・ロンメル元帥は、ヒトラー暗殺にもかかわっていた。
暗殺計画が失敗に終わると、同じ志をもつ、フォン・シュトゥルプナーゲルとファルハウゼンの両将軍に、数日中に会う必要が生じた。
しかし、ロンメルはすでにヒムラーに目をつけられている。
そこで、一計を案じることに。
総統が示唆したジャージイ島への視察に、替え玉をいかせる。
そのあいだに、フランスで両将軍と会う。
替え玉につかうのは、余興のさい見事にロンメルを演じた、ドイツ空挺連隊エーリヒ・ベルガ―伍長。
ベルガ―伍長は、じつはそれが本名ではない。
本名は、ハイニ・バウム。
元キャバレーの芸人のユダヤ人。
1940年、ベルリンに住んでいた当時44歳のバウムは、父母が家から連れ去られるのをみて、とっさに逃げだした。
列車に乗り、着いたキールは、ちょうどイギリス空軍により壊滅的な空襲を受けたところ。
イギリス空軍の第2波を避けるため、手近な地下室に転がりこむと、そこにはエーリッヒ・ベルガ―と、その妻、その娘の遺体が。
バウムはベルガ―の身分証を手に入れ、ベルガ―になりすますことに。
ベルガ―には召集令状がきていたので、バウムも出頭し、空挺部隊に入隊。
ロンメルから替え玉の話を聞いたバウムは微笑してこたえる。
「正直に言って、やってみたいと思います」
一方、ジャージイ島に漂着したケルソゥは、ヘレン・ド・ヴィルという女性によって発見、救出される。
ヘレンは42歳。
ド・ヴィル・プレイスと呼ばれる館の女主人。
夫のラルフは、イギリス陸軍に勤務しており留守。
この2年間、館はドイツ海軍士官に宿舎として提供させられている。
ヘレンのもとでは、ショーン・マーティン・ギャラハーという男がはたらいている。
ギャラハーは52歳。
ジャージイ島出身だが、父親がアイルランド人のため、アイルランド国民。
なので、この戦争では公式には中立。
ギャラハーの少年時代の望みは作家になることで、トリニティ大学で学士号を取得。
大学を卒業したとき、第1次大戦がはじまり、軍人に。
少佐となり、2回負傷して、ソンムでの勇敢な行為により戦功十字勲章を受ける。
その後、アイルランド紛争に参加。
30歳で将軍となり、アイルランド自由国のために、アイルランド西部を駆けまわる。
そのうち、ひとを殺すのにすっかり嫌気がさし、1930年にジャージイ島にもどりここで暮らすことに。
家はドイツ軍に接収されてしまい、現在はド・ヴィル・プレイスの荘園内のコテージに住んでいる。
そして、少年のころから思慕するヘレンの右腕としてはたらいている。
まず、ケルソゥの負傷した脚を治療しなくてはならない。
ヘレンとギャラハーは、信頼できるジョージ・ハミルトン医師に診せたのち、カトリックの修道女会が運営している小さな病院で手術。
ド・ヴィル・プレイスには、清教徒革命中、王党派であり荘園の領主だったチャールズ・ド・ヴィルがつくらせた隠し部屋があった。
で、ケルソゥをこの隠し部屋にはこびこむ。
ケルソゥは、レジスタンスと連絡をとることを切望する。
が、ジャージイ島ではレジスタンス活動はおこなわれていない。
そこで、ギャラハーは貿易船の船長サヴァリに手紙を託す。
サヴァリはその手紙を、フランスのグランヴィルにあるカフェ〈ソフィーズ〉を経営するソフィーとジェラールのクレソン夫妻に渡す。
レジスタンス活動をしている2人は、ロンドンに無線連絡。
こうして、マンロゥ准将は、ケルソゥの生存を知ることに。
ジャージイ島に、だれか送りこまなくてはいけない。
ケルソゥを脱出させなくてはいけないし、脱出できなければ殺さなくてはいけない。
《徹底的にナチになりすますことができて、必要とあらばケルソゥの眉間に弾を打ち込めるだけの冷酷さを具えた男は一人しかいない》
ここでやっと、プロローグにあらわれた謎の人物、ハリイ・マーティノゥが登場。
マーティノゥは44歳。
リヨンでの仕事で、恋人を殺したゲシュタポに復讐したあと、負傷し、当地を脱出。
3か月前に退院し、現在ドーセット州で隠棲している。
マンロゥ准将が立てた作戦には、女性がひとり必要。
プロローグにあらわれたもうひとりの人物、セアラ・アン・ドレイトンがここで登場。
セアラは当時19歳。
ジャージイ島に生まれ、開戦直前に父親がゴム園を経営しているマラヤにいくため、島をはなれた。
シンガポール陥落の1か月前に本国にもどり、現在はロンドンのクロムウェル病院で見習い看護婦としてはたらいている。
空襲後の激務のあとのセアラに、マンロゥ准将と部下のカーターは会い、事情を説明。
父は日本軍の収容所に入っており、父の姉がサセックスにいるが、私がいないのを寂しがるひとはひとりもいない、どのようにつかっていただいても結構よ。
と、セアラは2人の申し出を受け入れる。
で、3人でドーセットにいるマーティノゥを訪問。
セアラはマーティノゥをひと目みて、電撃的な恋に落ちる。
マンロゥは作戦を説明。
パリでブラウンという男を殺したのだが、この男はヒムラー直属の人間だった。
一種の移動大使で、どこでも自分の好きなところを、自分の好きな判断で調査する権限をあたえられていた。
かれらが何者なのかだれも知らない。
親衛隊の個人的な使者にたいする疑念をただしたかったら、ベルリンの長官に直接電話をかけるほかない。
そこで、同じ権限をもつ保安部(SD)のマックス・フォーゲル大佐として、マーティノゥを化けさせることに。
それから、ドイツ軍の高級将校のほとんどは、フランス人のガールフレンドをもっている。
それに準じ、セアラを、アンヌ-マリー・ラトゥールという名の売春婦に仕立てて同行させる。
ジャージイ島に着いたとき、マーティノゥには正体を保証する人間が必要になる。
セアラがその役をはたす。
セアラはヘレンとは血縁だし、ギャラハー将軍のことも知っている。
セアラが島にもどるのは6年ぶり。
ほかの住人には別人で通り、ヘレンと将軍には本人で通るだろう。
こうして作戦は決行。
2人はライサンダー機でグランヴィルに送られ、ソフィー・クレソンが出迎えたあと、マーティノゥがその権限を行使して、ドイツ海軍とともにジャージイ島に潜入する――。
とまあ。
長ながとストーリーを紹介してきた。
この作品は気に入っている。
作戦決行までの経過はわくわくさせるし、なにより2人の替え玉が出会うというアイデアが秀逸。
バウムにいたっては3重の変装だ。
このあと、ジャージ島に渡ったマーティノゥは、ロンメル元帥に変装したバウムと出会うことになる。
まるで、第2次大戦を背景にしたシェイクスピア劇のよう。
登場人物は、いつものヒギンズ作品の要素を散りばめた人物たち。
インテリの工作員、IRAの闘士、勝ち気な娘。
すぐ暴力に訴えるやられ役のろくでなしも、いつも通り登場。
マンロゥ准将は、名前がヒギンズのシリーズ・キャラクターであるファーガスン准将であってもなんの問題もない。
登場人物の経歴を、ひと筆書きのようにえがくのも上手いものだ。
紹介では書ききれなかったが、グイード・オルシニ中尉も興味深い。
ドイツ海軍配属のイタリア人だが、イタリア政府が降伏してしまったため、身うごきがとれなくなってしまった人物。
いつも粋で、向こう見ずな魅力をたたえている。
この人物も大いに活躍。
文庫の解説は、作家の典厩五郎。
典厩さんは、ヒギンズ作品についてこんなことを書いている。
《ヒギンズという作家には困ったものだ。なにしろ旧作にさかのぼるほど面白いという明確な特徴がある。
筆者の個人的好みでいうなら、邦訳第一作の『地獄島の要塞』がベストワンである。一般的評価でも、第二作の『鷲は舞い降りた』と、第三作の『脱出航路』までの三作品が、ヒギンズのベストスリーといって差しつかえないだろう。》
「地獄島の要塞」がベストワンというのには驚く。
でもまあ、好みはひとそれぞれだ。
原題は“Night of the Fox”
邦題は狐が複数形になっている。
原書の刊行は1986年。
第2次大戦秘話もの。
まず、1人称によるプロローグがある。
〈私〉――ハーヴァード大の哲学助教授アラン・ステイシイは、この3年間ハリイ・マーティノゥという人物の伝記にとり組んでいた。
行方不明だったマーティノゥの遺体が発見され、ジャージイ島に埋葬されると聞いたステイシイは、この島を訪れる。
ハリイ・マーティノゥは道徳哲学の教授。
ボストンで生まれ、ハーヴァードで学び、ハイデルベルクで博士号をとり、38歳のときにオックスフォードで道徳哲学の教授に就任。
その後、第2次大戦が勃発。
陸軍省につとめ、経済戦省に移る。
1945年1月に、偵察員としてアラド96型機に乗り、行方不明に。
アラド96型機はドイツ空軍の2人乗り練習機。
イギリス空軍には〈敵機飛行班〉という、捕獲したドイツ機を飛ばし、その性能を調べる部門があった。
で、海に墜落したものと思われていたアラド96型機だったが、2週間前、エセックス州の湿地を掘削中に発見された。
マーティノゥとパイロットは遺体で発見された。
そこで、いろいろと不思議なことがでてくる。
〈敵機飛行班〉は、つねにイギリス空軍の円形標識をつけていたのに、発見された機体はいまだにドイツ空軍の標識をつけていた。
また、1944年1月に、マーティノゥは殊勲章を授与されているが、なにをして叙勲されたかまったくわからない。
それになぜ、マーティノゥが一度もきたことがないジャージイ島に埋葬されることになったのか。
マーティノゥの遺体をジャージイ島にはこばせたのは、セアラ・ドレイトン博士。
1944年、当時19歳だったセアラはSOEの仕事をしていた。
SOEは、特殊作戦執行部。
ヨーロッパにおけるレジスタンスと地下活動を調整するため、1940年、チャーチルの命令でイギリス情報部に設置された組織。
セアラによれば、マーティノゥはドイツ軍占領下のジャージイ島にきていたという。
親衛隊の制服を着たマーティノゥと、ロンメル元帥が並んで写っている写真を、セアラからみせられたステイシイは仰天する。
当時、ジャージイ島では一体なにがあったのか。
ステイシイはセアラから話を聞く。
で、本編――。
映画のように、切れ味のいいカットバックによってストーリーは進んでいく。
1944年のロンドン。
1939年までエジプトの考古学者であり、この3年はSOEのD課――謀略課――の課長であるドゥガル・マンロゥ准将はつらい報告を聞く。
ノルマンディ上陸作戦のため、模擬演習をおこなっていた連合軍が、ドイツのEボートの攻撃を受けた。
揚陸艦2隻は沈没。
海軍200名、陸軍450名が死亡したとみられる。
さらに、ヨーロッパ侵攻作戦の具体的な内容を知っている者〈偏狭者(ビゴット)〉が行方不明に。
もしビゴットがEボートに拾い上げられでもしたら、作戦の内容が敵側に知られてしまう。
その後、2人のビゴットの死体は回収される。
が、ひとりはまだ行方不明。
そのひとり、ヒュー・ケルソゥ大佐は脚に負傷し、救命ゴムボートで海をただよっていた。
ケルソゥは42歳。
土木技師で4、5年間、ニューヨークにある一族の建設技術会社の常務取締役をつとめる。
1942年、工兵隊に徴用され、南太平洋の島々の海浜上陸作戦に従事。
実績と経験を認められ、イギリスの連合国派遣軍最高司令部に転勤となった。
ケルソゥのゴムボートは、ジャージイ島に漂着する。
ところで、連合軍のフランス北部上陸を阻止するため、大西洋沿岸防衛の全責任を負っていたエルヴィン・ロンメル元帥は、ヒトラー暗殺にもかかわっていた。
暗殺計画が失敗に終わると、同じ志をもつ、フォン・シュトゥルプナーゲルとファルハウゼンの両将軍に、数日中に会う必要が生じた。
しかし、ロンメルはすでにヒムラーに目をつけられている。
そこで、一計を案じることに。
総統が示唆したジャージイ島への視察に、替え玉をいかせる。
そのあいだに、フランスで両将軍と会う。
替え玉につかうのは、余興のさい見事にロンメルを演じた、ドイツ空挺連隊エーリヒ・ベルガ―伍長。
ベルガ―伍長は、じつはそれが本名ではない。
本名は、ハイニ・バウム。
元キャバレーの芸人のユダヤ人。
1940年、ベルリンに住んでいた当時44歳のバウムは、父母が家から連れ去られるのをみて、とっさに逃げだした。
列車に乗り、着いたキールは、ちょうどイギリス空軍により壊滅的な空襲を受けたところ。
イギリス空軍の第2波を避けるため、手近な地下室に転がりこむと、そこにはエーリッヒ・ベルガ―と、その妻、その娘の遺体が。
バウムはベルガ―の身分証を手に入れ、ベルガ―になりすますことに。
ベルガ―には召集令状がきていたので、バウムも出頭し、空挺部隊に入隊。
ロンメルから替え玉の話を聞いたバウムは微笑してこたえる。
「正直に言って、やってみたいと思います」
一方、ジャージイ島に漂着したケルソゥは、ヘレン・ド・ヴィルという女性によって発見、救出される。
ヘレンは42歳。
ド・ヴィル・プレイスと呼ばれる館の女主人。
夫のラルフは、イギリス陸軍に勤務しており留守。
この2年間、館はドイツ海軍士官に宿舎として提供させられている。
ヘレンのもとでは、ショーン・マーティン・ギャラハーという男がはたらいている。
ギャラハーは52歳。
ジャージイ島出身だが、父親がアイルランド人のため、アイルランド国民。
なので、この戦争では公式には中立。
ギャラハーの少年時代の望みは作家になることで、トリニティ大学で学士号を取得。
大学を卒業したとき、第1次大戦がはじまり、軍人に。
少佐となり、2回負傷して、ソンムでの勇敢な行為により戦功十字勲章を受ける。
その後、アイルランド紛争に参加。
30歳で将軍となり、アイルランド自由国のために、アイルランド西部を駆けまわる。
そのうち、ひとを殺すのにすっかり嫌気がさし、1930年にジャージイ島にもどりここで暮らすことに。
家はドイツ軍に接収されてしまい、現在はド・ヴィル・プレイスの荘園内のコテージに住んでいる。
そして、少年のころから思慕するヘレンの右腕としてはたらいている。
まず、ケルソゥの負傷した脚を治療しなくてはならない。
ヘレンとギャラハーは、信頼できるジョージ・ハミルトン医師に診せたのち、カトリックの修道女会が運営している小さな病院で手術。
ド・ヴィル・プレイスには、清教徒革命中、王党派であり荘園の領主だったチャールズ・ド・ヴィルがつくらせた隠し部屋があった。
で、ケルソゥをこの隠し部屋にはこびこむ。
ケルソゥは、レジスタンスと連絡をとることを切望する。
が、ジャージイ島ではレジスタンス活動はおこなわれていない。
そこで、ギャラハーは貿易船の船長サヴァリに手紙を託す。
サヴァリはその手紙を、フランスのグランヴィルにあるカフェ〈ソフィーズ〉を経営するソフィーとジェラールのクレソン夫妻に渡す。
レジスタンス活動をしている2人は、ロンドンに無線連絡。
こうして、マンロゥ准将は、ケルソゥの生存を知ることに。
ジャージイ島に、だれか送りこまなくてはいけない。
ケルソゥを脱出させなくてはいけないし、脱出できなければ殺さなくてはいけない。
《徹底的にナチになりすますことができて、必要とあらばケルソゥの眉間に弾を打ち込めるだけの冷酷さを具えた男は一人しかいない》
ここでやっと、プロローグにあらわれた謎の人物、ハリイ・マーティノゥが登場。
マーティノゥは44歳。
リヨンでの仕事で、恋人を殺したゲシュタポに復讐したあと、負傷し、当地を脱出。
3か月前に退院し、現在ドーセット州で隠棲している。
マンロゥ准将が立てた作戦には、女性がひとり必要。
プロローグにあらわれたもうひとりの人物、セアラ・アン・ドレイトンがここで登場。
セアラは当時19歳。
ジャージイ島に生まれ、開戦直前に父親がゴム園を経営しているマラヤにいくため、島をはなれた。
シンガポール陥落の1か月前に本国にもどり、現在はロンドンのクロムウェル病院で見習い看護婦としてはたらいている。
空襲後の激務のあとのセアラに、マンロゥ准将と部下のカーターは会い、事情を説明。
父は日本軍の収容所に入っており、父の姉がサセックスにいるが、私がいないのを寂しがるひとはひとりもいない、どのようにつかっていただいても結構よ。
と、セアラは2人の申し出を受け入れる。
で、3人でドーセットにいるマーティノゥを訪問。
セアラはマーティノゥをひと目みて、電撃的な恋に落ちる。
マンロゥは作戦を説明。
パリでブラウンという男を殺したのだが、この男はヒムラー直属の人間だった。
一種の移動大使で、どこでも自分の好きなところを、自分の好きな判断で調査する権限をあたえられていた。
かれらが何者なのかだれも知らない。
親衛隊の個人的な使者にたいする疑念をただしたかったら、ベルリンの長官に直接電話をかけるほかない。
そこで、同じ権限をもつ保安部(SD)のマックス・フォーゲル大佐として、マーティノゥを化けさせることに。
それから、ドイツ軍の高級将校のほとんどは、フランス人のガールフレンドをもっている。
それに準じ、セアラを、アンヌ-マリー・ラトゥールという名の売春婦に仕立てて同行させる。
ジャージイ島に着いたとき、マーティノゥには正体を保証する人間が必要になる。
セアラがその役をはたす。
セアラはヘレンとは血縁だし、ギャラハー将軍のことも知っている。
セアラが島にもどるのは6年ぶり。
ほかの住人には別人で通り、ヘレンと将軍には本人で通るだろう。
こうして作戦は決行。
2人はライサンダー機でグランヴィルに送られ、ソフィー・クレソンが出迎えたあと、マーティノゥがその権限を行使して、ドイツ海軍とともにジャージイ島に潜入する――。
とまあ。
長ながとストーリーを紹介してきた。
この作品は気に入っている。
作戦決行までの経過はわくわくさせるし、なにより2人の替え玉が出会うというアイデアが秀逸。
バウムにいたっては3重の変装だ。
このあと、ジャージ島に渡ったマーティノゥは、ロンメル元帥に変装したバウムと出会うことになる。
まるで、第2次大戦を背景にしたシェイクスピア劇のよう。
登場人物は、いつものヒギンズ作品の要素を散りばめた人物たち。
インテリの工作員、IRAの闘士、勝ち気な娘。
すぐ暴力に訴えるやられ役のろくでなしも、いつも通り登場。
マンロゥ准将は、名前がヒギンズのシリーズ・キャラクターであるファーガスン准将であってもなんの問題もない。
登場人物の経歴を、ひと筆書きのようにえがくのも上手いものだ。
紹介では書ききれなかったが、グイード・オルシニ中尉も興味深い。
ドイツ海軍配属のイタリア人だが、イタリア政府が降伏してしまったため、身うごきがとれなくなってしまった人物。
いつも粋で、向こう見ずな魅力をたたえている。
この人物も大いに活躍。
文庫の解説は、作家の典厩五郎。
典厩さんは、ヒギンズ作品についてこんなことを書いている。
《ヒギンズという作家には困ったものだ。なにしろ旧作にさかのぼるほど面白いという明確な特徴がある。
筆者の個人的好みでいうなら、邦訳第一作の『地獄島の要塞』がベストワンである。一般的評価でも、第二作の『鷲は舞い降りた』と、第三作の『脱出航路』までの三作品が、ヒギンズのベストスリーといって差しつかえないだろう。》
「地獄島の要塞」がベストワンというのには驚く。
でもまあ、好みはひとそれぞれだ。
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