ジャンピング・ジェニイ

「ジャンピング・ジェニイ」(アントニイ・バークリー 国書刊行会 2001)
訳は、猪狩一郎。

アントニイ・バークリーは、「毒入りチョコレート事件」の作者として名高い。
ほかにも傑作がたくさんある。
なかでも、「試行錯誤」は最高だった。

本書は3人称。
だいたい、探偵役のロジャー・シェリンガム視点。
ロジャー・シェリンガムは、バークリーのシリーズ・キャラクターで、本書の冒頭には、「ロジャー・シェリンガムについて」という一文が載せられている。

物語は、シェリンガムが平屋根の上につくられた絞首台からぶら下がった女性のわら人形みて、ジャンピング・ジェニイの説明をするところからはじまる。
R・L・スティーヴンスンの小説「カトリアナ」では、縛り首の死体をジャンピング・ジャック――手足や胴についている紐を引っ張ると飛んだり跳ねたりする人形と注釈がついている――と呼んでいるそうで、その女性版だからジャンピング・ジェニイだとシェリンガム。

それにしても、なぜ屋根の上に絞首台がつくられているのか。
これはパーティの趣向のため。
探偵小説家のロナルド・ストラットンが自分の屋敷で催した仮装パーティのためで、シェリンガムもこのパーティに呼ばれたのだった。
ちなみに仮装のテーマは、史上有名な殺人者か犯罪者に扮装するという悪趣味なものだ。

このパーティの席上、殺人事件が起こる。
シェリンガムの目にもだんだんわかってくるのだが、一座のなかでひんしゅくを買っている女性がいる。
ロナルドの弟デイヴィッドの妻、イーナがそう。
周りの注目を終始あつめていないと気がすまない。
だれにでも――シェリンガムにも――いいより、平気で嘘をつく。
そのくせ、いつも被害者ぶる。
周囲は閉口するけれども、本人はおかまいなし。
「試行錯誤」もそうだったけれど、こういう女性をえがくときバークリーの筆は輝く。

離婚したロナルドには、婚約者がいる。
相手は、ミセス・ラフロイという既婚女性で、現在離婚の仮判決を受けたところ。
ところが、イーナは国王代訴人に手紙を書き、ミセス・ラフロイの離婚の邪魔をすることをほのめかす。

当然のことながら、一座の全員がイーナの夫デイヴィッドに同情的。
デイヴィッドは、妻とは別の女性に心ひかれているらしい。

こんな状況のなか、イーナの死体が発見される。
場所は、平屋根の上の絞首台。
人形の代わりに、首つりになったイーナがみつかったのだ――。

ところで。
この小説は全部で15章あるのだけれど、第2章のタイトルは、「いけすかない女」だ。
続く第3章は、「殺されてしかるべき人物」。
第4章は、「ぶらさがった女」。
いずれもイーナを指しているのは明白。
ミステリで、ここまできびしい評価を受ける被害者女性もなかなかいない。

そしてここから、この小説はトリッキーな展開をみせる。
当初、イーナの死は自殺と思われた。
イーナ自身、パーティで自殺について匂わせてたりしていたので、それを実行に移したのだと皆が思っていた。
ところが、あるべき場所に椅子がないことから――でないと、イーナは飛び上がって輪のなかに首を突っこんだことになる――シェリンガムは、これは殺人だと確信する。

とはいえ、シェリンガムは警察の捜査に協力したりしない。

《ああいう人類社会の表面にできた無用の吹き出物のために、立派な人物が絞首刑になるのを見たくはなかった。》

というわけで、そっと椅子を本来あるべき位置に置く。

パーティには、ロナルドがよく寄稿している週刊紙の副編集長、コリン・ニコルスンもきていた。
シェリンガムとも旧知のなかで、後半はシェリンガムとコリンによる会話でおおむね話が進む。

ある理由からコリンが犯人なのではないかと思ったシェリンガムが、その理由についてとうとうと語ると、逆にコリンはシェリンガムこそ犯人ではないかといいだす。

コリンは、シェリンガムが椅子をうごかしたことに勘づいていた。
犯行を隠すためにシェリンガムがそうしたのだと思っていた。
そして、シェリンガムを助けるつもりで、椅子の指紋を拭きとっておいたと、コリンはいう。

コリンから犯人扱いされ、その論拠を述べられたシェリンガムは、ぐうの音もでない。
こうして、シェリンガムは自分への嫌疑を晴らすため、ほとんどなりふりかまわず、ほかの容疑者を仕立て上げようとする。
このシェリンガムの、なりふりかまわなさぶりがすごい。
ここまでする探偵もめずらしいのではないか。

このあと、事件には警察が介入。
検死審問がおこなわれる。

シェリンガムは、ああでもなくこうでもないと考えたすえ、もっとも強力な動機をもつデイヴィッドが犯人ではないかと思いいたる。
(もちろんコリンは納得しないが)

こうしてデイヴィッドを助けるため、検死審問ではこういう風に話をするようにと、シェリンガムはパーティの参加者に助言をしたり、念押しをしたりしてまわる。
第12章のタイトルは、「名探偵の破廉恥な行為」だ。

「試行錯誤」同様、本書もただの探偵小説には終わっていない。
パロディであり、探偵小説というジャンルを笑いのめしている。

そして、ジャンルを笑いのめしながらナンセンスに陥らず、探偵小説の枠内にもどってくる。
その手際はあざやかだ。

巻末には、若島正さんによる、「バークリーと犯罪実話」という文章が収録されている。
ただ東京創元社の文庫版には、この文章は収録されていないようだ。


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ハロルドが笑うその日まで

DVD「ハロルドが笑うその日まで」(2014)
ノルウェー映画。
ジャンルとしては、痛ましいコメディとでもいえるだろうか。

主人公は、高級家具店をいとなむハロルド。
隣りにイケアができたために、ハロルドの店はつぶれてしまった。
認知症の妻をホームに入れると、その日に妻は亡くなってしまう。
店に火をつけ、自らも焼け死のうとすると、天井から消火シャワーが降りそそぐ。
最後の望みすら果たせない。

ハロルドの息子は、タブロイド紙の記者をしている。
結婚はしているものの破綻寸前。
家の地下に射撃場をつくっており、2人はしばし射撃に興ずる。
ハロルドは、息子が友人から借りているというコルトをもちだし、車でスウェーデンへ。
イケアの創業者を誘拐するのだ――。

北欧の映画はストーリーを盛り上げる気がない。
「ホルテンさんのはじめての冒険」(2007)や「クリスマスのその夜に」(2010)など何本かみたけれど、どれもそうだった。
盛り上がるべきところを常にはぐらかす。
本作もまた同様。
クリスマスの時期が舞台なのに、このわびしさはなにごとだろう。

このあと、ある娘や、娘の母親――元新体操のチャンピオンでいまは酔っ払い――と出会ったり、めでたく創業者を誘拐したりする。
ハロルドは、自分がどれだけ悪いことをしたかという謝罪メモを創業者に読ませ、その様子をスマホで撮影しようとするのだが、創業者はふてぶてしい。
わたしは雇用を1万人生みだしたなどという始末。

ハロルドは、することなすことうまくいかない。
ハロルドにかぎらず、この映画の登場人物はすべてそうだ。
イケアの創業者ですら、のちに屈託をかかえていることがわかる。

痛ましく、滑稽でありながら、映画の印象は清々しい。
冬のよく晴れた寒い朝を思い起こさせる。
浮世のことは笑うよりほかないと、この映画はいいたげだ。


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