ことしは本を買う!

毎年、年のはじめには、「ことしは本を買うのを控えよう」と思うのだけれど、いつもなしくずしに。
すでに「いつ読むんだおまえは」というくらい、大量の本を購入。
ことしも、もうじき前半が終わるわけですが、もうあきらめました。

「いっそのこと、大量購入の年にしてしまえ」

と、現在、半ばヤケ気味で思っています。

定額給付金をもらったので、これも全額本代に。
「まず、まえからほしかったマンゾーニの「いいなずけ」を買おう!」
と、本屋をめぐったのですが、どこにも売っていない。

「じゃあ、ちくま文庫から出たラブレーだ!」
と、思ったのですが、これもみつからない。

「そういえば、檀一雄の「檀流クツキング」も読みたかったんだ!」
と、思ったのですが、やっぱりない。

どうして、本というのは買う気になるとみつからなくなるのか。
じつに不思議です。

細かい本を買っていつのまにかお金がなくなるより、いっそ、どーんとつかいたいのだけれど。



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ジャン・ブラスカの日記

「ジャン・ブラスカの日記」(ヴァンパ 平凡社 2008)

訳は池上俊一。
子どものいたずら描きめいた、よく文章にあった味のある挿画は作者自身のもの。
編集は松井純。

ジャン・ブラスカとは、「台風のような悪ガキ」という意味。
本書は、大人からそんなあだ名をつけられた子どもが書いた日記、という体裁の小説。
「イタリアの国民的児童文学の傑作古典」と裏表紙にある。

解説によれば、前半部分の抄訳が「あくたれジャンの日記」(安藤美紀夫訳 国土社 1990)として出版されているそう。
全訳は本邦初とのこと。

この本、読みはじめたとき、すぐに佐々木邦の「いたずら小僧日記」を思い出した。
誕生日に日記を買ってもらったという出だしがそっくりなのだ。
たぶん、多くのひとが同じことを思ったと思う。

そこで、「いたずら小僧日記」を確認してみようと思ったのだけれど、残念ながら手元にみつからない。
古本屋を2、3軒まわってもない。
読んだのは、新書サイズで、明治図書あたりから出たものだった気がするのだけれど…。
そこで、図書館にいってみると、さすが図書館、全集があった。
「佐々木邦全集1」(講談社 1974)。
よく読まれたようで、本はぽろぽろ。
では、両書の冒頭をならべてみよう。

「いたずら小僧日記」
「乃公(おれ)は昨日で満十一になった。誕生日のお祝いに何を上げようかとお母さんが言うから、乃公は日記帳が欲しいと答えた。するとお母さんは早速上等のを一冊買って呉れた。姉さん達は三人共日記をつけているから、乃公だってつけなくちゃ幅が利かない」

「ジャン・ブラスカの日記」
「ボクのやさしい母さんは、ほんとにいいものをくれたよ。この日記帳に、ボクの思っていることや、ボクの身に起こったことを、なんだって書くことができるんだ。緑色の布の表紙に真っ白なページの、とっても美しい日記帳! でも、どうやって埋めてったらいいのかなぁ。ボクも姉さんたちのように自分の思い出をつづる日記帳がほしいって、ずっと思ってたんだ。アイーダ、ルイーザ、ヴィルジーニアの三人姉さんたちは、毎晩ベッドに入る前に髪をおろし、寝巻き姿のまま何時間も日記を書いている」

言葉づかいや、分量はだいぶちがうけれど、内容はそっくり。
なぜ、こうも似ているのか。
どうも、両方とも同じ本をもとにした翻案であるかららしい。
全集の解説を書いた尾崎秀樹は、佐々木邦のこんな文章を引用している。

「いたづら小僧日記と続いたづら小僧日記とおてんば娘日記は、無名氏(アンノウンマン)著 A Bad Boy’s Diary と A Naughty Girl’s Diary の中から面白いところを冗談半分に訳出し、其れに自分の気紛れな考えを加えたもので、一向に纏りのつかぬ真に取り止めのないものである。…」

いっぽう、「ジャン・ブラスカ」の訳者あとがきにはこんなことが。

「…九歳の小学生ジャンニーノ・ストッパーニの日記という体裁を採っている本書は、その前半部は、アメリカの作家ウォルター・T・グレイの『悪童日記(A Bad Boy’s Diary)』に想を得てエステル・モディッリアーニがイタリア語で書いた『悪ガキの回想録(Le memorie di unragazzaccio)』を巧みに翻案したものだが…」

つまり、「ジャン・ブラスカ」の前半部は、翻案の翻案らしい。
それから、佐々木邦が書いていた無名氏は、アメリカの作家ウォルター・T・グレイのことらしい。
ふたつの解説を照らしあわせるかぎり、両書がおなじ本を種本としたのは明らかだろう。

また、全集の解説で、尾崎さんは「いたずら小僧日記」が佐々木邦の創作ではないかと疑っている。

「無名の若い作家の創作であるよりは、翻訳としたほうが活字になりやすい」

「おそらく翻訳の形をとった創作であり、持ちこむ際に無名氏著、佐々木邦訳としたのがそのまま普及したのではないだろうか」

でも、これは間違いだといっていいと思う。
「いたずら小僧日記」は翻案だった。

それにしても、アメリカ産の小説が、太平洋と大西洋を渡り、それぞれ翻案されたというのは、たいへん面白い。
なぜ、こういうことが起こったのだろうか。
理由はいろいろあるだろうけれど、「少年が書いた日記」というスタイルが真似をしやすく、書き手の想像力を刺激して面白い作品を生み出しやすい、ということがあるのだと思う。

さて、「ジャン・ブラスカの日記」の話だ。
前述の引用のあと、ジャンは日記の書き方の参考にするため、姉の部屋に侵入。
日記をみるだけでなく、自分の日記に書き写す。
ちょうどそこは、姉が、姉の求婚者であるカピターニ氏の悪口を書いた箇所。
その後、来訪したカピターニ氏がその日記を読み上げて、ひと騒動起きることに。
(もちろん、「いたずら小僧日記」も同様の展開をする)

というわけで、こんないたずらが、ずうっと続く。
次つぎくりだされるいたずらの、そのバラエティの豊富さには、まったく感心。
また、ジャンはいたずらをしようと思ってするのではない(そうじゃないときもあるけど)。
たいてい、自分なりによいことをしようと思って、それが裏目にでる。
読んでいるこちらは、「そんなことしたらまたお目玉を食らうよ」と終始はらはらしながら読むことができる。

「いたずら小僧日記」のラストは、よい子になるまで日記をつけるのはやめようと主人公が決意するところだった。
ところが、ジャンはそんな改心はしない。
ここからが後半で、作者ヴァンパのオリジナル。
寄宿舎に入れられたジャンは、もち前の反抗心を発揮して、横暴な校長夫妻と料理人をこらしめる。

後半になると、これまでのの単発エピソードの乱れ撃ちとはちがい、ひとつのストーリーラインが生まれてくる。
軽快さが失われる反面、重みが増し、物語に厚みが加わってくる。
後半があるのとないのとでは、ずいぶん印象がちがってくるだろう。

また、後半はイラストが目にみえて少なくなる。
これは、前半のように翻案ではないため、作品と作者の距離が縮まりすぎた結果だろう。
絵を描くには、作品と作者のあいだに適度な隙間が必要なのだ。

ところで、オリジナルを書いたのはヴァンパだけではない。
「いたずら小僧日記」のあと、佐々木邦は「珍太郎日記」という、「いたずら小僧日記」の続編であってもかまわないようなものを書いている。
日記という形式は、大変な生産力があるということだろうか。

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一冊たち絵本

思い立って、絵本紹介ブログをつくりました。

一冊たち絵本

ここよりも、もっと紹介に徹した感じのブログです。
でも、余談好きなので、よけいなことも書くと思います。

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日本文化における時間と空間

「日本文化における時間と空間」(加藤周一 岩波書店 2007)

たしか去年の暮れ、追悼番組をみていたら、加藤周一さんがでてきた。
この世代のひとたちは、太平洋戦争とその敗戦についての未曾有の経験が、心身に鉄片のように食いこんでいる。
番組で、映像のなかの加藤さんはこんなことを話していた。

「あの戦争に、おれの友達を殺すだけの大義名分があったかというと、なかったんじゃないかと私は思う」

さらに、こんなこともいっていた。

「その友達が生きていたらいうであろうことを、いま生きている私がいわないというのは、どうもまずい」

さて、本書はタイトルどおり、日本文化にとっての時間や空間を考察したもの。
その考察から立ちあらわれる、日本文化の特質と行動様式についても記されている。

あつかわれている表現は、建築、言語、文学、音楽、劇、詩歌、舞踊と、ありとあらゆるものにおよぶ。
日本文化の特質について書かれた書物は多いけれど、これほど包括的なものはそうないかもしれない。
著者の見聞と教養の広さを物語る。

文章は非常に圧縮されている感じのもので、速度があり、密度がある。
話の進めかたは、中国文明や西洋文明といった各文明が、時間や空間をどうあつかったかを述べたのち、日本文化ではそれがどう表現されたかを記すいうもの。
つまり、記述はとてもシステマチック。
文化について述べた本は、わけのわからないことになりがちだから、これは貴重だ。

ただ、これには記述のレベルをあまりにも抽象化しすぎでいるののではないかという批判もあるだろう。
その点については、岩波書店のPR誌「図書」に載ったインタビューで、著者はだいたいこうこたえている。

抽象化については、全体を見通すために必要だった。
そのために「部分と全体」「今=ここ」というような概念を用いた。
ただし、その概念や論理の整合性は、精密ではない。
あまり理論にこだわっていると、実際に役に立たない。

「私は「日本の文化はどうして戦争を起こしたのか、どうしてあんなにきれいな茶碗をつくったのか」を知りたかったのです」

「あまり緻密ではないと言われるかもしれないけれども、それは、少なくとも私には事態をよりよく理解するために役に立ったと思うのです」

このインタビューは、本書の早わかりとして、とても面白い。
でも、情けないことに「図書」の何号に載ったのか忘れてしまった。

本書では、日本文化の特質は、今=ここの文化、現在集中主義であり、部分重視傾向であると結論づけられている。
それはともかく、日本人であるこちらが読んでいるせいか、やっぱり具体的な細部についての話がとても興味深い。

たとえば、「古事記」の編者について、著者はこう書いている。

「もちろん彼らは中国や朝鮮半島の存在をを知っていた」

「中国や朝鮮半島がイザナギ・イザナミから生まれたのではないとすれば、いつ、いかにして「成った」のかということについては、ただの一行も言及がない」

「古事記」の編者たちが中国や朝鮮半島のことを知っていたかどうかなんて、考えたこともなかった。
では、編者たちはなぜ中国や朝鮮半島のことを書かなかったのか。

「「古事記」の編者たちはそもそも外部世界への関心をもっていなかったようにみえる」

「すなわち関心の及ぶ空間の境界は閉じていたということになろう」

また、随筆について。
随筆には、相当するヨーロッパ語がないばかりでなく、翻訳も少ないのだそう。
現代随筆選集というべきものの、最初のヨーロッパ語訳の編訳した、ヨシダ=クラフト氏の巻頭文を著者は紹介している。

・「随筆の概念がヨーロッパ語でいう「エッセー」とは全くちがって建築的構造を備えないこと。
・しかしそれこそは「今日まで変わらない日本のエッセイストたちの基本的態度」であること。
・その内容は、つまるところ「各瞬間における生活」を反映し、それは終わりであるとともに新たなはじまりであって、止まることなく変貌していくこと。

「随筆を説明してこの巻頭論文ほど簡にして要を得、正確にして明快な文章は、国の内外に少ないだろう」

と、著者は書いているけれども、たしかにそう思う。
話はとぶけれど、「ジブリ学術ライブラリー」というシリーズのDVD「日本その心とかたち」の特別講義、「日本のとるべき道は座頭市?!」をみていたら、加藤さんはこんなことをいっていた。

「もっとも重要な文学の形式は、たぶん、量からいえば随筆でしょうね、日本では」

この指摘はとても面白い。
随筆を中心にした日本文学史というものが、ひょっとするとあるのかもしれない。

ところで、よく日本論の本でつかわれる「日本的」ということば。
このことばは、まあ指し示すことはだいたいわかるけれど、具体的にはうまく説明できないという見本のようなことばだ。

この「日本的」、あるいは「日本人の好み」を、著者は室町時代に日本が輸入した書や水墨画から察する。

「「君台観左右帳記」(室町後期)によれば日本側が好んで輸入したのは、北宋画院系の中国での大家の作品よりも禅僧の南画である。すなわち牧谿であり、玉澗である」

なるほど、輸入品の傾向をしらべれば、日本人の好みについてもわかる。
こんなことも、思いもつかなかった。
そこから、日本人の書画観についてこんな傾向がうかがえる。

「中国の文化が書においては規範、絵においては写実を貴んだのに対し、日本では書においては破格を、絵においてはたとえ写実を犠牲においてでも「気韻生動」の筆勢を珍重した」

さらに、この傾向は、日本の芸術的傾向をも鮮やかにしめす。
それは、写実よりも自己表現を尊ぶ傾向だ。

「自己の外にある規範や現実の対象、つまるところ環境の存在と機能を観察し、再現し、理解することよりもはるかに強く、自己の内にある感情や意思の表現へむかう傾向。その傾向を今かりに一種の主観主義とよぶとすれば、その主観主義こそは日本文化が含む根本的な原理の一つであって、芸術家の視線を外の世界ではなく自己の内部へむかわせる」

考察はさらに進む。

「それにしても、なぜ日本人の眼は外よりも内へむかうことが多いのか。なぜ徳川時代に石門心学が流行したのか。なぜ両大戦間に私小説が文壇を支配したのか」

「その理由は、おそらく当事者の居住空間が閉じていれば表現の空間も閉じるからである」

またDVDの話になるけれど、このシリーズには別巻として「日本のアニメーション」というものがある。
これは、高畑勲監督が加藤周一さんと対談したものだ。
本のほうの「日本その心とかたち」(徳間書店 2005)の巻末にも、テキストとしておさめられている。

内容は、タイトルどおり日本のアニメーションについて、日本文化の伝統から語ったもの。
その最後のほうで、国外に通用する表現とはなにかということに話が流れる。
そのとき、加藤さんが述べたことが含蓄に富むものだったので記しておきたい。

たとえば、絵画では、その表現は煎じ詰めれば、平面を線と面と色で組織することだといえる。
その組織の仕方は千差万別。
そこに絵画にたずさわるひとが立ち向かうべき命題があり、その命題を自分流に自由に解こうとする芸術家の立場がある。

広重の浮世絵は、広重が自分なりに命題に立ちむかった結果としてできたもの。
そのとき、広重はたぶん、日本的なんてことは考えていなかった。
そういうときにこそ、本当にいいものがでてくるし、日本人がやった結果としての独自性がでてくる。
日本的なのはあくまで結果にすぎず、描いた当人は「絵」をつくることしか考えていなかったはずだ。

「そもそもね、外国人にもわかるだろうかとか、そんな心配はしなくていいと思うんです。輸出産業じゃないんだから」

「そんなことは考える必要はなくて、「本当の絵画」をつくればそれは誰にでも、絵のわかるひとにはわかるものになるんですよ」

加藤さんがそういうと、収録しているスタジオが和気につつまれたのが印象的だった。

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本はそのうち手に入るという話 2006.7.17〈再掲〉

吉田健一さんの本で最初に読んだのは「怪奇な話」(中公文庫 1982)だった。
これは短編集。
怖い話かと思って手にとったのだ。

この本は吉田さんの最晩年の本だった。
べつに代表作でもない。
でも、このあと吉田さんの本をたくさん読むことになるのだから、読書というのは、思いがけないきっかけではじまるものだと思う。

「怪奇な話」は怖い話ではなかった。
ふしぎな話があたりまえの感じで起こる、綺譚集といったおもむきの本だった。

また、この本は、読むとじつに気持ちよく眠れた。
吉田さんは句読点の少ない、だらだらした文章を書く。
それが読んでいて気持ちがいい。
すぐウトウトしてしまう。
で、寝覚めも快適。
こういう徳のある本もあるのかと思った。

なにしろすぐ眠ってしまうので、なかなかページがはかどらない。
けっきょく半年以上かかって読み終えたと思う。

これがきっかけで吉田さんの本をいろいろ読むようになった。
吉田さんはもともと批評家だったので、本に関する文章が多い。
小説だとすぐ眠ってしまうけれど、批評だと眠れない。
目がさえる。

なかでも「大衆文学時評」には興奮した。
自分が思っていたことが、みんなここに書いてあると思った。

学校図書館にあった著作集で読んだのだけれど、読んでいると興奮のあまりからだをうごかしたくなる。
でも、図書館のなかなので、あまり妙なまねはできない。

そこで一度書棚に本をしまい、トイレなどにいって、だれもいないのを見計らうと、サッカーでゴールがきまったときの観客のように、ガッツポーズをとって、また閲覧室にもどり続きを読んだりした。

吉田さんがいったことをひとことでまとめると、
「小説はことばでできている」
ということだった。

ことばは生きているものだから、ことばによって書かれたものも生きていなければならないし、たしかにそこにあるという感じがなければならない。

「何小説だろうと、読者がそのどの一部をとっても堪能することができなければ、それは小説ではない」

という小説観。

この時評は昭和36年からはじまる。
まだ大家になるまえの、池波正太郎や司馬遼太郎がさかんにほめられている。
その選択眼には、まったく感心してしまう。

当時、山田風太郎も活躍していたはずだけれど、こちらは一顧だにされていない。
吉田さんの趣味じゃなかったのだろう。

「大衆文学時評」はぜひ手に入れたいと思ったのだけれど、どこにも見当たらなかった。
著作集は古本屋で、全巻セット20万くらいで売られていたけれど、さすがにそんなにはだせない。

それがこのあいだ、たまたまのぞいた古本屋においてあった。
「大衆文学時評」(吉田健一 垂水書房 1965年)。
値段は1500円。

「本は見つけたら名乗りをあげて買わなければならない」
と、だれかがいったけれど、見つけたときはまさにそんな気分。
最初にこの本を読んでから、10年くらいたっていたか。

べつの話。
ミステリ評論集、「深夜の散歩」(福永武彦 中村真一郎 丸谷才一 早川書房 1997年)を読んだら、「死は熱いのがお好き」(エドガー・ボックス 早川書房 1960年)という本が読みたくなった。

「こんなに面白く、こんなに云うことのない作品というものはあるものではない」

と、中村真一郎さんがえらく持ち上げている。

これまた、読みたいなーと思っていたら、このあいだ手に入れることができた。
ミステリやら映画やら落語やらの本がたくさんおいてある、小柄で初老のご主人が店番をしながら手づくり弁当を食べているという、いかにも古本屋らしい古本屋においてあった。

で、さっそく 読んでみる。
軽ハードボイルド風探偵小説。
海岸沿いの、パーティーばかりしている保養地に招待された主人公が、女の子と逢引しながら、そこで起こった殺人事件を解決する――といった内容。

「探偵小説においては、何も残らないというのは、最高の後味だということになる」

と、中村さんはいうけれど、もうひと声ほしいと思ってしまう。
まだ、中村さんの境地には至れない。

それはともかく、本というのは、読みたいと思っていればそのうち読めるものだと思ったしだい。

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かばん

「かばん」(セルゲイ・ドヴラートフ 成文社 2000)

訳はペトロフ=守屋愛。
解説は沼野充義。
装画、塩井浩平。
装丁、山田英春。

作者は、旧ソ連出身の亡命ロシア作家。
1941年に生まれ、1978年に亡命、ニューヨークで文筆活動を続け、同地で1990年没した、と作者紹介。

本書は短編連作集。
収録作は以下。

「序文」
「フィンランド製の靴下」
「特権階級の靴」
「ダブルボタンのフォーマルスーツ」
「将校用ベルト」
「フェルナン・レジェのジャンパー」
「ポプリン地のシャツ」
「冬の帽子」
「運転用の手袋」

タイトルの「かばん」とは、亡命するときにもってきたスーツケースのこと。
そのなかにあった品じなについて語るというのが本書の形式。
すべて1人称の〈ぼく〉の視点から書かれた、自伝的小説。

さて、ロシア文学というと、なにやら重厚長大なイメージがあるけれど、本書はそうではない。
「かばん」なんていう、さりげないタイトルをつけた作者らしく、終始ユーモラス。
いつも途方に暮れている〈ぼく〉が、旧ソ連の社会体制のまえで、さらに途方に暮れてしまう様子が、簡潔な、軽みのある文章でえがかれている。

例として「序文」の冒頭を引用してみよう。

《外国人ビザ登録課であの女はぼくにこう言った。
「出国するみなさん、スーツケース三つってことになってます。そういう決まりなんです。本省の特別命令ですから。」
 反論なんて無意味だった。だけど、ぼくはもちろん反論した。
「スーツケースたった三つ!? 荷物を一体どうしろというんです」
「たとえば?」
「たとえば、ぼくのレーシングカーのコレクションはどうなるんです?」
「売り払ってください」と役所のおばさんは軽く切り返してきた。
 それから、ちょっぴり眉をひそめてつけ足した。
「なにか不満なら、申立書を書いてください。」
「いえ、満足です」とぼく。
 刑務所暮らしの後でぼくはすべてに満足していた。》
 ……

沼野さんの解説でもふれられているけれど、普通この場面に「レーシングカーのコレクション」はでてこないだろう。
場ちがいなところが可笑しいし、「刑務所暮らし」の一言が痛ましくも滑稽。

ストーリーの紹介には、「将校用ベルト」をとりあげよう。
徴兵された〈ぼく〉は、1963年の夏、コミ共和国の南方で収容所の警備兵として登録される。
その日、曹長から受けた任務は、「頭のおかしくなった囚人を精神病院に連行せよ」。
なんでも、その囚人はワンワン吠えたり、コケコッコーと泣いたり、調理師のシューラおばさんに噛みついたりしているという。

〈ぼく〉は同僚チチューリンとともに、囚人を連れ、4キロ先の精神病院めざして出発。
病院までは徒歩。
途中、〈ぼく〉は囚人に2ルーブルをあげる。
すると、囚人は「おれの名前はトーリクってんだ」などとといいだす。
頭がおかしくなったというのは狂言だったのだ。
でも、トーリクは自分が精神錯乱だったことを思い出しては、四つんばいになったり、唸り声をあげたりする。
そんなトーリクに、〈ぼく〉は力を無駄にしなくていいと忠告してやる。

林のなかに入ると、腰をおろし、みんなでウォッカを。
歓談が続いたかと思うと、突然、同僚のチチューリンが酔っ払ってしまい、ピストルをとりだす。
〈ぼく〉はなんとかチチューリンをなだめ、ピストルを遠ざけることに成功するが、ベルトのバックルの一撃をうけて、おでこから流血。
トーリクがシャツの袖をちぎって、それを包帯がわりに巻いてくれる。
で、おいおい泣きながら歩くチチューリンと、ピストルをもった精神異常の囚人と、包帯を巻いたへとへとの〈ぼく〉が歩いているところ、軍のパトロールが通りがかる。
……

喜劇的状況はまだまだ続くのだけれど、このくらいに。

この本には、ユーモラスさに加えて親しさと呼べるものがある。
距離的にも時間的にもはなれたところから故郷のことを思いえがいているためだろう。
不条理な状況を追憶でくるむのに、亡命文学がひと役買っている。
もちろん、個人の資質によるところも大きいことは、〈ぼく〉の書かれかたをみても明らか。
こんな作者の作品は、ソ連崩壊以後、爆発的に読まれたそう。

作者と作品の魅力は、解説に充分いいつくされている。
沼野さんは、コーカサスのガルシア=マルケスと呼ばれているアブハジア出身の作家、ファジリ・イスカンデルにドヴラートフについてたずねたところ、こんな答えが返ってきたと書いている。

「あるとき、ひどく気が滅入っていることがありました。何をすべきか、どうしたらいいかわかりませんでした。その夜、机に向かうと、たまたまですが、ドヴラートフの本を手にし、彼の短篇をひとつ読んだのです。すると気持ちがすっと楽になりました。これはですね、すごいことですよ、芸術作品が人になんらかの調和を取り戻してくれる、ということは(……)。これこそが、ドヴラートフの驚くべき才能だと思います」(楯岡求美訳)。

もうひとつ。
ドヴラートフの友人であり、ニューヨーク在住の亡命ロシア批評家アレクサンドル・ゲニスが、「もしもドヴラートフが生きていたら、今日のロシアで文学上の権威になっていたでしょうか?」という質問にさいし語ったということばを抜書きしておきたい。

「権威であることと、愛読されるということは、二つの別のことなんです」

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翻訳味くらべ「新アラビア夜話」 2007.12.31〈再掲〉

「自殺クラブ」(スティーヴンスン 河田智雄訳 福武書房 1989)。

《ロンドンに滞在中、才芸に秀でたボヘミアのフロリゼル王子は、人を惹きつけるものごしと思いやりのある寛大さで、あらゆる階層の人々に好かれていた。世間に知られている面だけでもすばらしい人物だったが、それは実際の行いのほんの一部分にすぎない。ふだんは性質も穏やかで、どんな農夫にも負けないくらい冷静に世に処するのを常としていた。とはいえ、このボヘミアの王子は、生まれつき決められた生き方より、もっと冒険的で、より変わった生き方を好まないわけではなかった。気分がふさいでいる時や、ロンドンのどの劇場にも面白い芝居がかかっていない時など、腹心の主馬官ジェラルディーン大佐をしばしば呼び出して、夜の散歩の用意を命じるのだった。》

「新アラビア夜話」(スティーヴンスン 南條竹則・坂本あおい訳 光文社 2007)。

《ロンドンに滞在中、才芸並びなきボヘミアのフロリゼル王子は、その人柄の魅力と思慮深い気前の良さとで、上下(しょうか)あらゆる階層の人々の人気をあつめた。世に知られていることだけをとっても、王子は非凡な人物だったが、それは彼が実際にしている事のほんの一部分にすぎなかった。常日頃はいたって穏やかな気性で、耕夫のごとき諦観をもって世間に処すことを習いとしていたが、このボヘミアの王子は、高貴の生まれによって運命(さだめ)られた生活以上の、冒険に満ちた型破りな人生に憧れを抱かぬわけではなかった。 時たま気が鬱(ふさ)いだり、ロンドンの劇場のどこも愉快な芝居を演(や)っていなかったり、王子が無双の腕前を発揮する野外球戯に季節が合わなかったりすると、彼は股肱(ここう)の臣にして主馬頭(しゅめのかみ)であるジェラルディーン大佐を呼びつけ夜の外出の支度を命じた。 》

引用箇所は、冒頭。
「自殺クラブ」 の最初の章は、「クリーム・パイを持った若い男の話」。
「新アラビア夜話」では、「クリームタルトを持った若者の話」。
パイとタルトのちがいが、訳出された年代のちがいを感じさせる。

訳は、「自殺クラブ」のほうがこなれているように思う。
「新アラビア夜話」のほうが、むつかしいことばづかいが多く、いささか古風な感じをだそうとしているようだ。
〈彼〉という代名詞が、「新アラビア夜話」でだけつかわれていることも興味深い。

つづいて会話をみてみよう。
まずは「自殺クラブ」。

《最後に、彼はフロリゼル王子に話しかけた。「あのう」彼は最敬礼をしながら、親指と人さし指でパイをつまんで差し出した。「初対面で失礼ですが、受け取っていただけないでしょうか? 菓子の質はうけあいますよ。なにしろ、五時過ぎてから、ぼくはもう二十七個も食べたんですからね」「わたしは贈り物の質よりも、むしろ贈る人の気持ちを考慮することにしてるんでね」と王子は答えた。「気持ちはですね」と若い男はもう一度おじぎをしながら答えた。「つまり、からかおうとしてるんですよ」》

つぎは「新アラビア夜話」。

《ついに若者は、フロリゼル王子のところにやって来た。「貴方」と言って、深々とお辞儀をしながら、親指と人差し指でタルトをつまんで、差し出した。「お初にお目にかかりますが、召し上がってはいただけませんでしょうか? この菓子の味は保証します。夕方の五時から、もう二十七個も自分で食べているんですから」「わたしは常々」と王子は答えた。「品物よりも、それを贈る人の心柄を気にする性質(たち)でしてね」「心ですか」若者は、もう一度お辞儀をして、言った。「それは嘲弄(からか)いの心です」》

やはり、「新アラビア夜話」のほうが、ぜんたいに大仰で、芝居がかっているよう。
あと、細かい話だけれど、「自殺クラブ」では、2つのセリフがひとつにまとめられている箇所がある。
これは多分、「新アラビア夜話」のほうが原文に近いんじゃないだろうか。
(この《「ナントカ」と王子は答えた。「ナントカ」》式の会話を「ブリッジ」というのではなかったっけ)。

物語は、クリームタルトを配り歩いている若者という魅力的な導入部から、「自殺クラブ」という謎のクラブの存在まで急展開。
「~の話」と言う具合に、オムニバスの連作形式で語られる物語は、 抜群の面白さだ。

さて、以下は余談。
「新アラビア夜話」を読むと、いつも久生十蘭の「魔都」(朝日新聞社 1995)を思い出す。

「新アラビア夜話」には、「自殺クラブ」のほかにもう一篇、「ラージャのダイヤモンド」という話が収録されている。
インドのラージャ(「自殺クラブ」では「太守」、「新アラビア夜話」では「藩王」)から英国の一軍人に送られたダイヤモンドを巡る物語だ。

いっぽう、「魔都」には、その名も〈帝王〉(ラジャー)という宝石がでてくる。
来日した安南国の皇帝が持参したもので、この〈帝王〉をめぐり、大晦日から元旦にかけて、東京は大混乱におちいる。

「新アラビア夜話」の主役が、舞台であるロンドンだといえるなら、「魔都」の主役は戦前の東京。
久生十蘭は、アイデアのいくつかを「新アラビア夜話」からいただいたのではないだろうか。

「新アラビア夜話」には、続編があるのだそう。
これまで日本語には訳されていないけれど、南條竹則さんがいうには、「読み物としてはかなり面白い」とのこと。
なんとか翻訳がでないものかと思う。

-追記-

「新アラビア夜話」(西村孝次訳 1952 角川文庫)を手に入れたので、訳文を並べてみたい。

《「饅頭をもった青年の話」
 ロンドンに逗留中、文武の道にひいでたボヘミヤの王子フロリゼルは、その魅力ある様子や、さきざきのことまで考えての思いやりによって、上下のひとびとから親しまれていた。評判だけでも大した人物であったが、それとて殿下の行跡のほんの一部分にすぎなかった。不断(ママ)は穏やかな性質で、いつも百姓のような悟りで世の中というものを考えておられたものの、国王として暮らすよりも、冒険的な奇矯な生活を好む気持がこのボヘミヤの王子にはなくもなかったのである。ときおり、気分がふさいだり、ロンドンではどの小屋にもおもしろい芝居がかかっていなかったり、万能選手ぶりを発揮される戸外の運動に時季が適していなかったりすると、殿下は腹心の友で主馬頭でもある大佐ヂェラルディンを召して、夜のそぞろ歩きの支度を命じるのを常としていた。》

元は旧かな旧漢字だけれど、それは直した。
章題が「クリーム・タルト」から「饅頭」に!
続いて会話。

《とうとうフロリゼル殿下のところにやってきて言葉をかけた。
「あの――」かれは、うやうやしく一礼して、そういいながら、親指と人さし指で饅頭をつまんでさし出した、「初めてお目にかかりますが、ひとついかがでございましょう。この饅頭菓子、召しあがっていただけませんでしょうか? ものは請合いです、現にわたくし、五時からもう二十七も食べておりますから」
「いつもわたしはね」殿下は答えた、「贈りものの品質も品質だが、むしろ贈りものをするその気持のほうを考えるたちでね」
「その気持というのはね」もういちどお辞儀をして、青年は答えた、「ひとをばかにすることなんですよ」》

さすがに、要所要所のことばづかいや行文の古さは否めない。
おかげで、立ち止まって考えながら読むはめになってしまう。
それにしても、クリーム・タルトの代わりに饅頭をもっていると、なにやらコントをみているみたいな気分になるなあ。

-さらに追記-

「新アラビアンナイト」(「世界文学全集 41巻」所収 集英社 1970)。
訳者は平井正穂。

《「クリーム・パイをもった青年の話」
 ボヘミアの王子フロリゼルは、ロンドンに滞在中、その魅力あふれた態度や深い思いやりのせいで、あらゆる階層の人々に愛されていた。世間に知られていた面からいっても、とにかく素晴らしい人間であったが、実はそれも彼の現実の行動のごく一小部分にすぎなかった。普通の場合は、性質も穏やかで、農夫にでもみられるような平静な気持ちで世間に素直に従う、というのがそのならわしであった。ところが、このボヘミアの王子は、生まれつき定められた生き方より、もっと冒険的な、もっと奇妙な生き方を好む性癖がないわけではなかった。しばしば、たとえば気が滅入っているときとか、ロンドンのどの劇場にも愉快な芝居がかかっていないときとか、どんな相手にも負けない野外スポーツもシーズンはずれでどうにもならないときとか、そんなとき彼は腹心の臣下で主馬頭(しゅめのかみ)であるジェラルディーン大佐を呼びつけて、夜の散歩の準備を命じたものであった。》

《とうとう、青年はフロリゼル王子の所にきて話しかけた。
 「ところで」と、彼はひどくていねいに頭をさげながら、同時にまた拇指(おやゆび)と人指し指でパイの一つをつまんで差し出しながら、いった。「見ず知らずのぼくのような人間がおすすめするのは失礼だと思いますが、ひとつ召し上がってくださいませんか。味の方は保証します。なにしろ、五時からずっと二ダースと三個も食べつづけてきたんですからね」
 「ところが、私は」と、王子は答えた、「贈物の品質よりも、ものを贈るときのその気持ちの方が知りたいという性質の持主でしてね」
 「気持ちですか」と、青年はまた一礼して答えた。「それは、つまり、からかおうというわけです」》

…というわけで、平井正穂訳を追加。
青年が食べたクリーム・パイが、「27個」ではなくて、「二ダースと三個」という表記になっている。
同じテキストを用いたとして、こういうところに訳のちがいがでてくるものだろうか。
ふしぎだ。

個人的には、平井訳は読みにくい。
最初に自分にむいていた河田智雄訳を読めたのは、じつに運がよかった。

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浮世のことは笑うよりほかなし

「浮世のことは笑うよりほかなし」(山本夏彦 講談社 2008)

本書は、対談集。
いまはなき雑誌「室内」に掲載された対談をまとめたもの。

山本夏彦さんはコラムニストとして名高いけれど、ながらく「室内」の編集兼発行人だった。
ひとりで編集と発行をかねているのだから「室内」は、個人誌のような雑誌。
そのせいか、たたずまいがどことなく妙で、それが魅力だった。
「インテリア雑誌の文芸春秋」といったおもむきがあった。

巻末には、本書の素性が簡潔にまとめられている。

「本書は、工作社刊行の月刊誌「室内」に掲載された対談「人物登場」で、山本夏彦氏が聞き手を努めたものから17編を選んだものです」

収められた17編の対談と、対談相手は以下。

「「旦那」はいなくなりましたなあ」 白崎秀雄
「麹町むかしがたり」 大熊喜英
「誰もきいてくれない地震の話」 清水幾太郎
「テレビのなかのインテリア」 向田邦子
「なんでも描けなきゃ絵描きじゃない」 安野光雅
「おしん寺小屋家事けんか」 小木新造
「どっちがエライか住居とビル」 石山修武
「六年牢屋に入れられて」 安部譲二
「乱歩・東京・2DK」 松山巖
「職人になればよかった」 安藤忠雄
「三十五年目の新・韓国事情」 関川夏央
「広告ほど面白いものはない」 天野祐吉
「時代遅れの日本男児」 藤原正彦
「何とかならぬかマニュアルの日本語」 盛田昭夫
「本と本でないものを決める人」 出久根達郎
「ハウスメーカー逆襲す」 古河久純
「今どきこんな建築家がいるとは」 池辺良

どれも、密度が高く、面白く、かつ少し短くて物足りない。
だものだから、どれかひとつ…と思って読み出したら、あっというまに全部読んでしまった。

面白さの秘密は、まず、どの話もやたらと具体的なところだ。
建築家・大熊喜英さんとの対談、「麹町むかしがたり」で、山本さんはこんなことをいう。

「いつか「室内」にスケッチをいただいた泉鏡花の家の前はよく通りました。あの家の前を、ああ文士ってものは貧乏なんだなぁと思って通ったことを覚えています」

具体的なのは、泉鏡花の家の前を歩いたこともそうだけれど、感想もそう。
こういう感想をもち、それをよくおぼえているから、観察が細かくなるのだろうか。
そして、応ずる大熊さんも細かい。

「明治時代の造りで二階の廊下にガラス戸がはいってないんです。玄関にいつも水が打ってありましたね」

つづいて、山本さんは鏡花について、ひと筆書きのような評言を述べる。

「鏡花はお化けの実在を信じた人でした。その文章はあふれるばかりの語彙が、あちこち飛躍して、日本語の美の極致を示すものでしたが、理解者は多くありませんでした」

こういう言葉がぽんと入ってくるところが面白い。
具体的といえば、「三十五年目の新・韓国事情」の関川夏央さんの話も面白かった。
韓国のひとは料理をなんでも混ぜるという話。

「カレーライスでもかき混ぜる。それも丁寧に。私達はそれを下品だと教わりましたよね。むこうは親が子のために混ぜてやる。ピビンパの考え方です」

ところで、この本の対談相手は、みんなその道の専門家だ。
専門家というのは、たいてい門外漢には思いもよらない苦労をしている。
向田邦子さんによれば、テレビドラマの客には、ドラマよりもセットに注目するひとがいるらしい。

「番組への投書の中で、「Aという番組に出ている茶箪笥が、BとCにも出ている、あれはよくない」って言われたことがあります。でも茶箪笥ってテレビ局にはそんなにいくつもないんですよ(笑)」

ところが、じつは山本さんが、「ドラマよりセット」のひと。

「漫画もそうです。古めかしい家がでてきますよ。「サザエさん」が古いのは当たりまえとしても「オバQ」も同じように古い。何と家じゅう畳敷ですよ。正太は座机で勉強していたし、「ドラえもん」はさすがに机だけはスチールになったものの、やっぱり勉強部屋は畳ですよ」

つづけて、こう。

「モダンリビングがでてくるときは、作者は悪意を持って描いているはずです」

それは勘ぐりすぎですよ、と思わずいいたくなる。
ここで思ったけれど、読者が思わずなにかいいたくなるような対談は、いい対談なんじゃないだろうか。

当意即妙の受けこたえも面白い。
山本さんを師と仰ぐ、安部譲二さんとの対談。
安部さんが元渡世人らしい豆知識を披露する。

花札は普通1から12までだけど、6までしかないものがある。
それはプロ用で、任天堂はそれを博打うちに売っていた。
とにかく高くて、任天堂はそれが一番いいもうけだった。

すると、山本さんがいう。

「任天堂ってなに? 仲間なの(笑)」

「室内」は、その歴史の最後のほうで「ハウスメーカーに騙されるな」という特集を組んだ。
特集にはハウスメーカーの反論を載せた続編があり、たしか、「〈ハウスメーカーに騙されるな〉にはごうごうたる反響があった云々」と、特集の経緯が、見開きになにかの宣言文のようにレイアウトされていたと記憶している。
この特集を組んだとき、山本さんはすでに80代だったのではないか。

古河林業の古河久純さんとの対談、「ハウスメーカー逆襲す」はこのときのもの。
古河さんは、オール国産材の住宅をつくりたいという大望をいだいている。
その古河さんの大望を、山本さんがけしかけるようにしているさまが面白い。

山本さんにいわせれば、大事なのは広告。
オール国産材だと高いのは当たりまえなのだから、それがステータスになるように仕向ける。

「ハウスメーカーによって、住宅は建てるものから買うものになりました。もしそれを覆すことが出来ないとするならば、よくすることを考えなくちゃいけません。そう思うとワクワクしてきたぞ(笑)」

読んでるこちらも、なにやらワクワクしてくる。

きりがないので、もうひとつだけ引用して終わりにしよう。
古本屋の出久根達郎さんとの対談、「本と本でないものを決める人」。
素晴らしいタイトル。

この対談で、出久根さんはこんなことをいっている。

「たしかにね、私は店を閉めましてね、表の戸を下ろしまして、誰もいない店を眺めるっていうのが大好きなんですけれどもね、やっぱり先生、本は生きてるなあって気がしますね。今日もおまえたち売れ残っちゃったなって、こっちは話かけるんですけれどもね、本の方はいつか売れますよってなぐさめてくれます」

本好きの心にしみる話だ。
こういう話を引き出せるのも、山本さんの人柄だろうか。
そういえば、出久根さんが山本さんにインタヴューをこころみた記事が、なにかの雑誌にあったはずだ。
それなども、本にしたらいいのに。

それから、この対談集ぜんたいを通して印象に残るのは、文字の起こしぶり。
編集部の手柄だと思うけれど、いまどきみない、涼しげな日本語がつかわれている。


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